100 第三十八話 黄金纏うネッコ
微かに聞こえてくる会話を耳にしながら椅子の上でうとうとと小舟を漕いでいると、突如として窓ガラスが揺れる程の爆発音が巻き起こり、床を伝う衝撃的な振動を足裏に感じてから数分後。
微睡みから急激に上昇した心拍数が再び落ち着いてきたかと思えば、今度は家族に不満を抱くやるせないニートの壁ドンが如く、ドスッ……ドガッ! という物騒な物音が隣室から聞こえてきて、身動きが取れない身体を更に硬直させるに至っていた。
「何事ですの!」
「メイドッ、メイドはどこ!?」
「この部屋の扉は頑丈に作られています、少しは落ち着きましょ」
慌てふためく二人とたしなめる城主の声がして、しばしの沈黙の後……隣室の三人のみならずこちらまで耳を澄ませている中、ふと木造家屋に鉄球を振り当てるが如く、あるいは天上の雷鳴が如く、バリバリッと分厚い木材が破壊される乾いた音が鳴り響き、
「破られているではないですかッ!」
「な、なにこのバケモノ……」
「ぃきゃぁあああ~ッ!」
扉をぶち破って何者かが隣室に侵入してきたらしく、金切り声を皮切りに陶器の割れる音や家具類の倒れる音、そして隣室の男を無情にも置き去りにしてバタバタと廊下に逃げ出す三人分の足音が聞こえ、跳ね走りそれを追い掛ける四脚らしき足音と共に遠ざかって行くのだった。
帝国の脅威が迫っているとの事なのでその線も否定は出来ないが、今の状況から察するに、先ほど聞こえた爆発音とキャーキャー言ってる外の様子からして、おそらくはソフィアの爆弾で城門なりを発破し、ガーゴイルが突入。守衛を突破して城内を混乱に陥れているらしい。
黄色い声が未だ各所から聞こえてくる一方、周囲から人気が消えて監禁部屋に静寂が訪れると、物静かな空気を纏ってやはり来ました王子様。完全に立場が逆だけどこの際キニシナイ。
「やっ」
「よっ」
先程まで貴族娘達が騒いでいた隣室の扉を開けて、室内灯の明かりを背に姿を現した泥棒猫の頭には、眩いほどの宝石が嵌め込まれた豪奢な冠が鎮座しており、首からは真珠やダイヤモンドの首飾りがジャラジャラと掛けられていた。挨拶も程々に、では早速と足枷を外し始めてくれた十本の指にもそれぞれ複数の指輪が嵌められていて、身に着けられるだけのオタカラを盗んでから来たらしい。
混乱に乗じて忍び込み、こうやって助けに来てくれたのは把握したけどさ、なんか口元にパン屑まで付いてるんだけど。このコソ泥め……。まぁ助かったから黙っとくけどさ! あー、いま一瞬『これだけあれば当分の間は安泰だな』だなんて考えちまったよ。毒されてんのかな。
「先に降りて」
「うっす」
叫び声や破壊音をよそに急ぎカーテンを繋ぎ合わせてコッソリと城内から抜け出すと、他のみなは外の茂みにでも隠れているのかと思えばそうでは無いらしく、折角のカーテンも無視して二階から飛び降りたかと思えば、こちらを連れ立って何処かへと駆けて行くミア。どうやら離れた場所でみなと合流し、このまま貴族街から逃げ出す感じらしい。どちらにせよ、この街とはオサラバしたほうが良い気がする。
黄金纏うネッコと共に脱走して夜の街を駆け抜け、おそらくは最短距離で港まで辿り着くと、そこにはいくつかの灯火と共に何隻かの船が停泊しており、内一隻の船が積荷作業を行っていた。船舶の色は木材のそれであったが、教科書の挿絵で見た記憶がある黒船のような立派な帆船であり、その傍らにソフィアとロシュー、そしてシンシアの姿があった。様子を見るに、どうやら船長らしき人物と交渉している最中らしい。
「あら、おかえりなさい」
「ごっめ、ご心配かけました」
「わっ、え、男……? 男も一緒なのかい?」
「そうね。で、金貨五枚でどう? 一人一枚」
出迎えの言葉も程々に目を戻して、こちらの姿に困惑の様相を呈している船長の驚きも意に介さずに交渉を続けるソフィア。シンシアもこの取り引きを成立させる為に今は集中しているらしく、目配せしてぺこりと会釈するのみだった。急がねば脱走した事に気付かれて乗船など叶わなくなってしまう。みな必死で口説き落としているのが察せられた。
――ちな、船長さん、巨乳っす。
「え? ああ……お金はいいけどさ、寝床が空いてないんだよ。事情は解ったけど、まさか旅人を倉庫に寝かせるわけにもいかないだろ?」
「雨風しのげればそれで良い。ご一緒させてちょうだいな」
「神官さまから仰せつかったのです、その目で世界を見てこいと。わたしは物心付いた頃からずっと修道院で暮らしていました。人生の先輩として、凛々しき海の女として、どうかわたしに、海というものを教えて下さい!」
「私も、見ての通りのこの様。幼少の頃から永らく鳥籠生活を送っていた。この子もまだまだ子供。健全な教育の為にも、一緒に世界を見て回りたいの。どうかお願い、同情して」
「同乗させるのはいいけどさ、仕事もあるからあまり面倒は……」
そっちのドウジョウじゃないと思うけどナイス勘違いとして、落ち着かない様子で周囲を警戒しながらカタが付くのを待っていたミアであったが、流石に長ったらしい二人の説得やハッキリしない船長の物言いに我慢ならなくなったのか、
「話しは聞いた! キミが船長だね? コレぜぇ~んっぶあげるから乗せてよ!」
あまり面倒は見れないよ、と続けようとしていた船長の言葉を遮って身に付けているオタカラを「ハイッ、ハイッ、ハハイッ」と船長の頭に乗せたり首に掛けたり胸の谷間に詰め込んだりしていくと、
「売れば世界一周も夢じゃないのに、いぃのかにゃぁあ~?」
財宝に飾り立てられたマネキンを見上げ、眼を細めて口元を歪ませるミア。傾かせた顔面に浮かべるは悪役のソレ。とてもではないが、そうとしか言い表せない眼差しとねちっこい声色だった。最後は勇者に切り倒される悪徳商人だ。
「た、確かにこれだけあれば不可能ではないが……。しかし、我々は積み込んである荷物を送り届けねばならぬ。仕事に付き合ってもらえるなら好きにすればいいさ」
物流に携わっている人間なだけあって、金銀宝石の類いは多少は見慣れているのだろう。高価な品々を身に付けられてもそこまで表情を崩さなかったが、おそらくは船乗りの夢であろう最後の言葉に折れたらしく。
こうして、いそいそと作業している船員達が横目で見守る中、それらを監督する船長に袖の下――盗んだばかりの財宝を渡し、買収は成立。貿易船らしき船に乗せてもらえる事になったのだった。どうやら最初からこうする事をみなで企て、各種オタカラはこの為に持ってきたらしい。パンは絶対に違うと思うけど。
にしても、今ものすっごく悪い顔してたなこのネコ。それとは知らせずに貴族娘の取引先を買収するあたりに性格の悪さを感じさせられた。後で噂を聞いてヤバイと察したらこれでお好きにってな感じか。もちろん今は伝えずに伏せておくけど。
「もう少しで終わるからちょっと待ってな」
「ハァイ」
「すみませんなんか急に……」
「いいよいいよ。……ほらそこ! ボケっとしてないでちゃんと運べ!」
周囲には松明の灯火しかないのでハッキリとは見えないが、その人は赤黒く傷んだ髪に焼けた肌、そして豊満な……ってこれは関係無いとして、見るからに船上で多くの日数を過ごす海の女といった容姿であった。
髪と同色の瞳はキリリとしていて、端正な顔も精悍に引き締まっており、どこか男勝りな雰囲気が感じられる。背筋もシャキッと伸びていて気が強そうな佇まいであったが、船員を引き連れて危険な海を渡るのだから人一倍強くあらねばらないのだろう。
年齢的には思いのほか若く見え、こちらと同年代ほどに思えた。同い年くらいなのにもう一人前に船まで持っていて人の上に立っているとは。船員達に指示を出している立派な姿を見て、自分が情けなくなってしまった。
男物のようにも見える前開きのシャツを革色のズボンにインして、「そこ! そこぉ!」と腰に手をやりながらビシバシ腕を伸ばしている姿を眺めていた折、収まりきらぬ、いやボタンを留めるのを諦めている胸元から目を逸らしていると、ドカドスと重い足音を立てながらガルガルワンコが戻ってきて――肩から生えるコウモリの翼にはピンク色のパンツが引っ掛かっており、立派にやることヤッてきたらしい。このドスケベ変態ワンコめ。
「でも、なんで船が出るってわかったの?」
「積み込み作業は夜に行われる。昼の商人、夜の物流。殆どの人間が昼間に活動している以上、物を大きく動かすのならば夜になる。物流拠点である港街なら尚更。故に賭けてみた」
「丘の上から灯りが見えたんですよ。だから使えるなーって」
語りながらガーゴイルの頭を撫でたかと思えば、翼にぶら下がっているパンツを手に取ってしばしデザインを確認すると、ポイッと海に放り捨てるシスター。発想が完全に共犯者のそれだなおい……。
「因みに、漁師には断られた」
「この国の漁師さんも夜に出港するのね」
「松明の灯りで誘き寄せると聞いたことがある」
謝礼金と断罪されるリスクを天秤に掛けたってよりかは、仕事に支障が来たすという事で、戯言ほざく小娘どもを軽くあしらったってな感じだろう。どちらにせよ漁船では重量的にも難しいだろうし。
「ほらアンタ達も乗るなら乗りな! 出港するよ!」
「あ、はい。それじゃお願いしまーす」
こうして船へと乗り込み、しばし陸地とはお別れとなった。