001 第一話 青年よ、種馬となれ
紅に彩られた玉座の間で、冠を被った女王様と顔を見合わせていた。
「よくぞ参った。そなたには種馬となってもらう」
金糸が織り込まれた絨毯の上でしばらく待たされたかと思ったら、姿を現すやいなや開口一番にそのようなコトを告げられてしまい、口が開きっぱなしになっていることを自覚するのに数秒ほども掛かってしまった。
種馬とは種馬であり、それはもちろんのこと比喩であって……。
伝えられたばかりの言葉を何度も咀嚼して意味合いを再確認していた為か、重たい頭は重力に引き寄せられるが如く傾き始めており、気が付けば視界まで斜めってしまっていた。
荘厳なこの場でだらしない姿など見せていたら誰かに咳払いでもされてしまいそうなので気を取り直し、小首を傾げている身体にシャッキリと一本の線を入れると――伸ばしたばかりの背中を小さく丸め、恐る恐る顔色を窺う。
何人もの人間に囲まれているというのに、ピタリと時が止まったかのように周囲は静寂に包まれており、物音ひとつ聞こえては来ない。見たところ客人は自ら一人だけであり、他の人々は全員この王宮に仕える者らしい。
「あのぉ、それって断ることは……」
「許さん。もし拒否した場合は手足の自由を奪い、無理にでも従ってもらう」
そのような物々しい雰囲気が漂う状況下で声を上げるのは小っ恥ずかしかったが、怖ず怖ずと肘を曲げて小さく挙手し、勇気を振り絞って質問してはみたものの……こちらの言葉に続くようにして即答されてしまい、初っ端から異議を唱える余地を奪われてしまった。
流石に四肢の自由を奪うというのは単なる脅しであろうが、一切の反論は許さぬという硬い意思は充分に伝わった。まさに恐怖支配の手法だ。
丸まっていた背筋には自ずと緊張が走り、あまりの居心地の悪さに浮かぶはただ、逃げたい……という逃避欲のみ。逃げちゃダメだなんて、ぼくにはとてもとても。
聞くところによると、この国では女児しか産まれず、定期的に男子を連れてきて――というか拐ってきて、人口を維持しているらしい。
「まずは王家の存続に尽力してもらう。我が娘、フロゥラよ、参れ」
「はい、お母さま」
豪華絢爛な広間に突っ立って簡潔すぎる説明を聞かされたかと思ったら、では早速といった調子で身勝手にも話しを進め、主導権を手放さない意思を見せ付ける女王様。事務的にさっさとケリを付けて話しの流れに乗させる算段なのが見て取れた。
そんな女王様に呼び出されて一歩前に出てきた子はうら若き年頃をしており、頭髪に強いウェーブが掛かっている赤毛の女王様とは違い、腰上までサラリと伸びたサーモンピンクの髪には丸い反射光が差していて、お人形のような惚れ惚れするほどの美しく艷やかな髪質を称えていた。
やたらと背もたれの高い椅子に腰掛けている母親の傍らに立ち、スカートの前でそっと両手を合わせたその子の佇まいは、まさに清楚なお姫様。まだ若いながらもキリリと背筋を伸ばして王女様に相応しい立ち居振る舞いをしている。
白にレモン色の差し色が入ったドレスを身に纏っている可憐な姿を眺めていると、こちらを見定めた伏せ目がちな眼差しと目が合ってしまい――咄嗟に視線を逸してしまったのは言うまでもない。
透き通った碧色の瞳と視線を交わしてしまった気不味さを誤魔化すためにそれとなく周囲を観察してみると、両サイドの壁際には何人ものメイドたちが並んでいて、髪型はそれぞれ異なっていたが、何故かみな一様に灰色の髪をしており、年端も行かぬ女児たちまで古風なモノクロームに身を包んでいた。
フリル付きのメイドキャップを頭に被っているメイド長らしき上座の初老女性を筆頭に、右と左におおよそ各三〇人ほどのメイド隊がまさに一列の隊列を組むかの如く背の丈順に並んでおり、その様相はふたクラスに別れた学級。否、女児からお姉さんまで段階的に年齢がバラけているので、まるで大勢の姉妹かのようだ。
「早速気に入ったようでなにより。まだ青いが、いずれ良きとなろう」
実の娘を差し出している状況だというのに他人事のような素っ気ない口振りを見せた声に誘われて目を戻すと、女王の両脇を固めている二人の近衛兵もこれまた女子であった。
それはクリーム色の髪をした褐色姉さんと黒髪ぱっつんなオカッパ女子で、我々は女子だと言わんばかりにオカッパ女子は極短いスカートを、髪の毛を伸ばしっぱなしにしている褐色姉さんに至っては全体的に肌の色を露出させていた。
女王の後ろに佇む濃緑の髪をポニーテールの形に結っている眼鏡さんのみが執事の格好で男装をしていたが、やはり控えめながらも胸元が膨らんでいる。この場に限れば、男はただ一人であった。
「いや俺、子供どころか奥さんを養うカネなんて無いっすよ……?」
「なにを勘違いしておる。お前はただの種馬。この国の王になどなれぬ。こやつを孕ませるだけで良い。無事出産までこぎつけた暁には褒美もやろう。それまでは面倒も見てやる。安心せよ」
手慣れた様子で語る女王陛下。きっとこうして同じ説明を何度も繰り返してきたのだろう。普通の恋愛すらもままならない魔法使い候補にベッドダンシンを強要するとはこれ如何に。
「えーっと……一応訊きますけど、ならそれが終わったらどうすれば?」
「市中に下りて仕事をせよ」
「仕事って言われましても、ちょっと自信ないというかなんというか……」
「ヤる事は同じだ。こやつにヤったように片っ端からヤれば良い。好みのおなごを抱き、ヤるのだ。王宮を出てもヤればみな良くしてくれるであろう。ヤればな」
その年齢不詳の美魔女な顔でヤれヤれ言わんでくれ頼むから……。そういうコトの前にまずは人並みの恋愛ってものを経験したいよ。てかそれ絶対さ、他の肉体労働もさせられる流れだよね。体力の落ちてるヘナチョコを舐めんなよと。
――気が付けば俺は、広い庭を眼下に眺めるどこぞの応接間に座らされていた。世話役らしきメイドさんに茶を出されたものの、なにを訊ねても応えてはくれず、一切の口を聞いてはもらえなかった。
いま現在突っ立っているここに連れて来られる際も目を伏せたまま無言で茶を没収され、なにかと思えば顎で合図して踵を返し、無言の背中によって(着いてこい)と言われたので着いて行ったら、長々と待たされた挙げ句、今に至る。
遅れてやって来た女王様と最初に顔を合わせた際、どこか怪訝な眼差しで見下されたのが印象的だった。
ともあれ、一体いつ意識を失い、この見知らぬ場所に連れて来られたのかは不明だが、今までの短い時間で分かったのは、王家と言うからには此処は王宮であり、使用人の人数からしてもかなり裕福な暮らしをしているということ。
左右の採光窓に嵌め込まれているステンドグラスには聖人ではなく樹木や小鳥などが多く描かれており、格調高い内装をはじめ、銀の装備やメイド服と、服装だけを見ても異国情緒に溢れていた。
「おい聞いて……」
何にしても、細かい説明も無く結論だけを聞かされても訳が分からない。おそらく納得しようがしまいが最初から従わせることを前提としており、こちらの事情など端からお構いなしなのだろう。きっと俺はその程度の身分として扱われているのだ。まだ二言三言しか交わしていないが、それだけは察せられた。
「聞いておるのかと申しておろうが」
「え? あはい」
「まだ分かっていないらしいな。再度事情を説明する。よく聞け、二度はない」
今からが二度目なのだから正確には三度目では? というツッコミは止して、返事の代わりにコクコクと頷く。
あまり考え事をしていると機嫌を損なわせてしまうかもしれないので、一言一句記憶するつもりで意識を集中させることにした。流石にまた呆けてなんかいたら、それこそ本当にキレられてしまうかもしれない。怖いのは御免だぜ。