赤駒と深大寺蕎麦が繫ぐ御縁
3枚目の赤駒のイラストは、幻邏様より頂戴致しました。
挿絵である人物の立ち絵を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
4枚目のざる蕎麦の挿絵を作成する際には、「Gemini AI」を使用させて頂きました。
私こと王白姫が夫や娘達と一緒に暮らしている台南市の一戸建の居間のタンスの上には、稲藁で出来た馬の工芸品が家内安全の縁起物として鎮座しているの。
かれこれ二十年近くも変わらずに飾っている事もあり、この藁細工は何時の間にやら存在しているのが当たり前の感覚になってしまったみたい。
この頃では何かの拍子に視界に入っても、特に気にも留めなくなってしまったわ。
それを改めて意識するようになったのは、今年で中学二年生になる娘の質問が切っ掛けだったの。
「ねえ、お母さん?あのタンスの上に飾ってある藁細工って、何処で買ってきたの?」
中学校から帰宅するなり開口一番に質問するだなんて、珠竜ったら余程に気になってたのね。
部屋着に着替える事なく中学校の制服のままで詰め寄ってくる点からも、その事は一目瞭然だったの。
「えっ?いきなりどうしたの、珠竜?藪から棒にそんな事を聞いちゃって…」
「いやさ…改めて見てみると、『なかなか珍しいなぁ…』と思っちゃってね。馬を再現したあの藁細工、鞍に見立てた赤いリボンが特に良いセンスだよ。リボンに書いてある字が繁体字じゃないから、日本の品物だって事だけは分かるけどね。」
タンスの上で鎮座する藁細工を観察する珠竜の視線には、純粋な好奇心の光が宿っていたの。
確かにこの台湾島で生まれ育った珠竜には、日本式の藁細工は物珍しく感じられるのかも知れないわね。
「そうよ、珠竜。この藁細工は赤駒と言って、東京の調布市にある深大寺の御土産なのよ。婚約旅行として東京を訪れた時にお父さんからプレゼントされて、それ以来こうして我が家の玄関に縁起物として飾ってあるの。」
「へえ…それじゃあタンスの赤駒は、お父さんとお母さんの青春時代の生き証人って事になるんだね。」
何とも気取った物言いだけど、こうして興味津々と身を乗り出してくる娘を無碍にするのも気が引けるわね。
そこで私は深大寺に纏わる婚約時代の思い出を、次女の珠竜に聞かせてあげる事にしたの。
ちょうど輸入雑貨店で買い求めた日本産の蕎麦茶もある事だし、夕方の茶飲み話にするには悪くないわね。
東京府調布市深大寺元町。
この地に天台宗の寺院として建立された深大寺には、愛し合いながらも引き裂かれた男女が深沙大王の御利益によって結ばれたという伝説が語り継がれており、二十一世紀の現代では縁結びの聖地として沢山の人々に親しまれているわ。
当時の私とお父さんは学生時代からの恋愛関係を婚約にまで発展させて間もない頃だったから、恋愛成就の御利益で名高い深大寺を東京旅行の目的地に選ばない手はなかったの。
それに深大寺の位置する東京の調布市には、梅や桜の名所として知られる神代植物公園や著名な建築家によって設計されたコンクリート建築の外観も美しい東京アートミュージアムといった名だたる観光スポットが幾つも点在しているから、じっくり腰を据えて見て回るにはうってつけな土地と言えるわね。
確かに銀座や原宿のような華やかな繁華街をブラブラするのも楽しいけど、古き良き武蔵野の情緒が現代に残る深大寺周辺は、散策していると癒やされるのよ。
若き日の私とお父さんも、植物公園で季節の草花を愛でてから境内に歩みを進めたの。
「深大寺に祀られている深沙大王は砂漠で放浪中の三蔵法師を御救いした深沙大将の別名でもあるんだよ。まあ、パンフレットの受け売りだけどね。」
「深沙大将といえば、確か『西遊記』に登場する沙悟浄のモデルとなった神様ね。不思議な物よね、田小竜君。華人である私達なら子供の頃から慣れ親しんだ『西遊記』と、こうした形で繋がるだなんて。」
当時は「小竜君」と呼んでいたお父さんに応じながら、私は参拝を終えたばかりの深沙堂を振り返ったの。
十種勝利と四種果報を司る事で名高い深沙大将だけど、ここでは特に縁結びの御本尊として年若い男女に親しまれている。
それを思うと、何とも不思議な感じがしたのよ。
また、深沙大王が水神としての側面もお持ちという事もあってか、深大寺周辺は良質な清水の宝庫としても知られているの。
境内の不動の滝は東京の名湧水五十七選に数えられているし、地元民の尽力で蘇った水車小屋は名所として親しまれているし。
そして水の綺麗な深大寺周辺は蕎麦処としても有名で、門前町には今でも蕎麦屋さんが何十軒も軒を連ねているの。
私達が昼食を取る為に暖簾を潜ったのも、そんな深大寺蕎麦を供してくれる御店の一軒だったわ。
「江戸時代の日本では、こうした御蕎麦屋さんで一杯引っ掛ける『蕎麦前』というのが粋だったんですよ。とはいえ僕も試した事は無くて、学生時代に日本へ留学していた父親の受け売りなんですけどね。」
「今回はレンタカーで来ているからお預けだけれど、次の機会には小竜君と一緒に蕎麦前を試したい所ね。日本では引越しの御挨拶に蕎麦を配るそうだけど、側にいる者同士の仲は細く長く円満にいきたいものよね。」
香り豊かで口当たりも良好、オマケに喉越しも心地良くて関東風の濃い口な麺汁との相性も素晴らしい。
そんな深大寺蕎麦を笊から手繰り寄せていると、何とも満たされた気持ちになってくるの。
しかも座敷席の向かいでは意中の人が熱燗代わりの蕎麦湯を啜っているのだから、その喜びと満足感も一入と言えるわね。
運命の赤い糸とはよく言うけれども、この時の私達の小指には目に見えない深大寺蕎麦が結ばれていたのかも知れないわ。
そうして深大寺蕎麦でお腹を満たした私達が赤駒と出会ったのは、門前町の散策中に立ち寄った一軒の御土産屋さんだったの。
深大寺蕎麦の蕎麦粉を用いた蕎麦パンに、藤の花をベースにした百花蜜。
それらの御土産も、負けず劣らずに素敵だったわ。
だけど当時の私には、深大寺名物である藁細工の方が一層に魅力的に感じられたの。
それを後押ししてくれたのは何を隠そう、若き日のお父さんの解説だったのよ。
「苗栗県の特産品として有名な藺草の工芸品に似ているけど、こっちは稲藁で作っているのね…」
「日本だと藺草は畳に加工するのが一般的だからね、白姫さん。神社の注連縄とかお正月の注連飾りもそうだけど、こういう藁細工は日本の伝統的な工芸品なんだよ。」
その博識さと親日家振りに、当時の私はすっかり感服してしまったんだ。
だけど本当に驚くのは、これからなの。
「赤駒を山野にはかし、取りかにて。多摩の横山、徒歩ゆか遣らむ。これは『万葉集』に収録された防人の妻の和歌で、出征する夫の無事な姿での帰郷を願って詠まれた物なんだよ。」
「へえ…小竜君、万葉集の和歌にも詳しいのね。」
私も日本最古の歌集として題名だけは知っているけれども、流石に和歌の大意まではね。
「学生時代に、少しね。そして防人の妻の和歌に因んで作られた赤駒の藁細工も、家族や愛する人の無病息災や幸福を祈願する縁起物なんだ。白姫さんは僕にとって大切な人だから、この赤駒を受け取ってくれると嬉しいな…」
照れ臭そうに笑う若き日のお父さんの申し出を、私は何も言わずに受け入れたって訳。
そうして私が話を締め括った頃には、茶碗の中の蕎麦茶はすっかり温くなっていたの。
私も珠竜も話に夢中になるあまり、御茶どころじゃなかったみたいね。
「それ以来、あの赤駒は我が家の縁起物としてタンスの上で祀られているのよ。」
「そっか…この赤駒は私達家族が安全で幸せに過ごせるようにと、こうしてずっと居間で見守っていてくれたんだね。」
感極まったかのように漏らした珠竜の一言は、正しく我が意を得たりという物だったの。
深大寺の門前町で赤駒を買った時には未だ此の世に存在すらしていなかった珠竜も、もう今では立派な中学二年生。
光陰矢の如しとは、正しくこの事だわ。
あの赤駒には今後とも、私達家族の事を温かく見守って頂かないとね。