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苦手な方はご注意ください。

BL

甘い恋の生活

作者: 相沢ごはん

pixivにも同様の文章を投稿しております。


(ゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)

「賢治くん! ねえ、今度の日曜日、臨海公園へ遊びに行こうよ!」

 画面の向こうの蒼海ゆうなちゃんがかわいらしい声で言う。

「だって、あたし、もっともっとキミと同じ時間を過ごしたいんだもん」

 蒼海ゆうなちゃんとは、恋愛シミュレーションゲーム、『ハイスクール・シュガーライフ』の攻略対象キャラクターのひとりだ。ショートヘアが魅力的な、ボーイッシュなキャラクターのはずなのだが、俺がスキル上げをがんばったおかげで、今では俺にベタ惚れである。そのため、こんなふうにデレデレの台詞を聞かせてくれるのだ。

「やっぱ、フルボイス版を買ってよかった……」

 俺はよろこびを噛みしめながら、思わず呟いた。しかし、いつまでもゆうなちゃんとイチャイチャしているわけにもいかない。そろそろバイトへ行かなければ。俺はゲームをセーブして、出かける準備を始める。

 中学生のころに、お年玉で購入したゲームソフトのひとつ、恋愛シミュレーションゲームがきっかけだった。気が付いたら坂道を転がり落ちるようにオタクになっていた。そのころは、自分の好きなものを隠そうという発想が微塵もなかったため、俺は当時ドハマりしていた恋愛ゲームの攻略対象の女の子たちのマスコットチャームをペンケースのファスナーに自慢げにじゃらじゃらとぶら下げていた。好きなものに囲まれて幸せな中学校生活だったはずなのだが、その幸せは、同じクラスの女子の口から発せられた一言で崩壊することとなる。

「え、キモ……」

 俺の席の横を通りかかった女子が、俺の机の上のペンケースを見て、思わずといった感じで静かにそう言ったのだ。地味で平凡で目立たない俺の学校生活は、その一言で一変した。それまで俺を遠巻きにして、放っておいてくれたクラスメイトたちも、表立って俺をキモオタ扱いし迫害するようになった。おかげで、中学生活は地獄だった。そうなってみて、俺はようやく気付いたのだ。俺の好きなものは、隠しておかなければいけないものなのだ、と。隠しておかなければ、俺だけでなく、俺の好きな彼女たちまで否定されてしまう。

 高校に入学してからは、自分がオタクだと公言したりすることはなかったが、同じ中学のやつらからの伝聞で俺がオタクだということを知ったらしい親切な同類が話しかけてくれたりもした。そのため、中学の時ほど地獄ではなかった高校生活だが、しかし自分で作ってしまった壁を壊すことができず、付かず離れずの距離で接し続けてしまったため、彼らとはついに親しくなることはなかった。自分のせいとはいえ、俺は教室のすみっこにひっそりと隠れるようにして、三年間をオドオドと過ごしてしまった。せっかくリアルに高校生活を送ることのできるチャンスが三年もあったのに、俺は三年間を、画面の向こうの架空の高校で決して触れることのできない女の子たちと恋愛しながら楽しく過ごしたのだ。まあ、そういうゲームが好きなので、それが不満なわけでは決してないのだけど、ちょっともったいなかったかな、という気持ちもないわけではない。

 だから進学先は、知り合いがいなさそうな地元から遠い大学を選んだ。心機一転、オタクであるということを隠し、大学生活を楽しんでみようと思っていたのだ。それなのに、一人暮らしを始め、さらにはバイトを始めると、箍が外れたように、俺は恋愛ゲームを買い漁ることとなる。俺は、大学生になってまで架空の高校で過ごしているのだ。それはそれでめちゃくちゃ楽しいのだが、現実では普通にぼっちである。しかし、迫害されているわけではないので、心は安らかだ。ゆうなちゃんを始め、画面の向こうの彼女たちと楽しく恋をするため、バイトに励む生活。きっと、大学でも友だちはできないだろう。


   *


「おはよう、名瀬くん」

 教室で次の授業の準備をしていると、同じ学部の結城くんが隣に座った。結城くんは大学入学以来、よく俺に話しかけてくれる親切な人である。温和そうな顔立ちをしていて、どことなくポメラニアンに似ている。かわいらしい雰囲気の人だが、美形の部類に入るだろう。

「おはよう」

 あいさつを返しながら、俺は蒼海ゆうなちゃんのことを考えていた。『ハイスクール・シュガーライフ』は、プレイヤーの名前だけでなく誕生日も登録することになっており、誕生日当日にゲームの電源を入れると、攻略キャラクターたちが俺への誕生日おめでとうメッセージをくれるのだ。ところで、今日はまさに俺の誕生日だ。そういうわけで、今日はこの授業が終わったらさっさと帰って、ゆうなちゃんに誕生日を祝ってもらう予定なのである。今朝、誘惑に負けて、ついゲームの電源を入れてしまいそうになったが、なんとか我慢した。慌ただしい朝に、大切なゆうなちゃんのメッセージを雑に受け取るものではない。時間を作ってゆっくりと味わうべきだ。そうでないと、ゆうなちゃんにも失礼だろう。今日はコンビニで小さいケーキでも買って帰って、午後からはゆうなちゃんと素敵な誕生日をゆっくりと過ごすのだ。

「どうしたの、名瀬くん。にこにこして、うれしいことでもあったの?」

 表情には出していないつもりだったが、心の中のニヤニヤが漏れ出てしまっていたらしい。結城くんにそう指摘された。

「あ、うん。ちょっと」

「えー、なになになに。なにかあるの?」

 俺のことになんか興味があるわけがないだろうに、結城くんは気を遣ってくれているのか、つぶらな瞳をきらきらさせて話題を拡げようとしてくる。気持ちはありがたいが、困ってしまう。

「あ……ええと。俺、実は今日、誕生日で」

 隠すべき情報とそうでない情報を頭の中で慎重に吟味しながら、俺はおそるおそる言葉を発する。

「えっ、名瀬くん、今日がお誕生日なの!?」

 友人に祝ってもらう予定だから楽しみで……などと適当な嘘をつこうとする前に結城くんが素っ頓狂な声を上げた。

「僕、お祝いしたい!」

「え」

 結城くんの反応が意外すぎて、思わず戸惑いの声が漏れた。

「いや、ご、ごめんね。今日は予定あって」

 そして、反射的に断っていた。そもそも今日は友人に祝ってもらうという設定なので、断る方向で間違いない。大丈夫だ。

「そっか、そうだよね」

 結城くんは、我に返ったように冷静に頷いて、

「あの、もう誰かに祝ってもらう予定が入ってるんだよね?」

 などと確認してくる。

「うん、そんな感じ」

 ゆうなちゃんに祝ってもらう予定なので、これは嘘ではない。

「それって、あの、こ、恋人……とか?」

 結城くんはやけに突っ込んで聞いてくる。妙にもじもじしている結城くんを見ながら、俺の頭の中には、選択肢が浮かんでいた。


 うん。恋人だよ。

 ちっ、ちがうよ。ただの友だちだって。


 まずい。頭が恋愛シミュレーションゲームに支配されてしまっている。

「ううん、友だちに祝ってもらう予定」

 俺は、迷わず「友だち」を選択する。『ハイスクール・シュガーライフ』は、攻略対象のキャラクターと想いが通じ合い、卒業式の日に晴れて恋人同士になったところでエンディングを迎える。なので、ゆうなちゃんとは高校生活の三年間、ずっと友だち以上恋人未満の間柄なのだ。なので、友だちというのは決して間違いではない。それに、恋人がいるなんて安易で虚しい嘘をついても、いいことなんてひとつもない。まあ、祝ってくれる友人も現実世界にはいないので、友人がいるという嘘も虚しいと言えば虚しい。少し悲しくなってきた。

「じゃあさ、今日じゃなくても明日とか別の日でも、僕、名瀬くんのお誕生日のお祝いしたいんだけど、いい?」

 俺の誕生日にご丁寧に「お」を付けて「お誕生日」にしてくれる結城くんはやさしいな、となんとなくそんなことを思ってしまった。しかし、そんなに親しいわけでもないのに、ぐいぐいくるので驚く。結城くんは、祝いごとが好きなのだろうか。たしかに、パリピっぽい感じで陽の雰囲気を纏った外見ではある。

「今日じゃなければ……うん、いいのかな」

 この展開についていけず、なんだか曖昧な返答になってしまったが、もう今日でなければなんでもいい。ゆうなちゃんと過ごす初めての誕生日は誰にも邪魔させない。

「じゃあ、明日にしよ!」

 結城くんはこちらに身を乗り出すようにしてそう言った。俺は身体を後ろへ退きながら、「わかった。明日ね」と頷く。明日は、ちょうどバイトも入っていない。そこで、周囲を見渡してみて、誰もいないことに気付いた。

「ところで、先生こないよね。教室、誰もいないし」

 俺の言葉に、

「名瀬くん、掲示板見てないでしょ。今日はこの授業は休講になったんだよ」

 結城くんはなんだかうれしそうに言った。

「なにそれ。早く言ってよ」

 俺は脱力し、机の上に出していたテキストやノートをリュックサックにしまう。

「あれ? じゃあ、なんで結城くんはここにいるの?」

「名瀬くんがいるかと思って」

 結城くんは言った。

「きょ、今日は……名瀬くんと同じ授業がこの一コマだけだったから、あ、会えたらいいなと、お、おも、思ったん……でした」

 妙にたどたどしく、そしてもじもじしながら先細りな声で結城くんは言った。

「そうなんだ」

 イケメンは、素で恋愛ゲームみたいな台詞を吐けるのだな、と妙な感心をしてしまう。それに結城くんはポメラニアンに似ているので、そういう仕草がかわいく見える。俺が女だったら、ちょっとキュンとしていたかもしれない。

「そういう台詞は、俺じゃなくて好きな子に言ってあげなよ」

 その結城くんは、やはり自分の台詞が恥ずかしくなったのか複雑そうな表情で頬を桃色に染めている。

「あ、そうだ」

 俺は肝心なことに思い至り、

「誕生日、祝おうとしてくれてありがとう」

 結城くんにちゃんと礼を言う。なんだか変な言い回しになってしまった。

「え、いや。ただ僕がお祝いしたいだけだから」

「……ねえ、明日って大人数になったりする? 俺、できれば結城くんとふたりだけのほうがいいんだけど」

 まさかとは思うが、もしかしたら結城くんが気を遣ってくれてパリピ仲間を呼ぶかもしれないので一応そう断っておく。俺と違って、結城くんの周りにはいつも誰かしら人がいる。友だちが多いのだ。その中の誰かを呼ばれでもしたら、とても気まずい。よく知らない人に自分の誕生日を祝ってもらうのも微妙だし、大勢で遊ぶということにさえ慣れていないので、できればそんな危険は回避したい。

「ううん! 最初から、名瀬くんと僕のふたりだけのつもりだったよ!」

 結城くんは力強く、そしてなぜかうれしそうに言ってにっこりと笑った。

「なら、よかった」

 そして、明日の打ち合わせを簡単にし、スマートフォンの連絡先を交換して、俺は自宅で待ってくれているゆうなちゃんのもとへ急いだ。帰路の途中、コンビニでケーキを買うことも忘れなかった。俺とゆうなちゃんのふたり分だ。


   *


 次の日、待ち合わせをして結城くんと会った。結城くんが連れて行ってくれた店は、雑誌にも載るような有名な店らしく、店内はスマホを構えた女性客で賑わっている。

「お祝いだからね。名瀬くんはお誕生日様だから、今日は僕がごちそうするね」

「ありがとう」

 礼を言って、にこにこしている結城くんの顔を見る。今まで、結城くんの顔をまともにまじまじとは見たことはなかった。結城くんはいつも俺に話しかけてくれていたけれど、俺はあまり結城くんに対してちゃんと向き合って受け答えをしてこなかったな、と思う。結城くんの顔を見ているうちに、なんとなく既視感を覚えた。同じ学部の人なので、言ってしまえば既視感だらけではあるのだが、そういうのとは違うなにかを感じたのだ。ポメラニアンに似ているというのとも、もちろん違う。

「名瀬くんは、休みの日とかなにしてるの?」

「ゲームかバイトだなー」

「そっか、ゲームが好きなんだね。僕はゲームとかやらないから……」

 少し残念そうに結城くんが言う。俺と趣味が合わないくらいで大袈裟なと思わなくはないが、仲良くしようとしてくれているのがわかって、少しうれしくもある。

「でも、名瀬くんがやってるなら楽しそうだから僕も教えてもらおうかな」

 結城くんは気を遣ってそんなことを言ってくれる。しかし、俺のやっているゲームは、そういう、ふたりでできるようなゲームではない。ひとりでこっそりとやるゲームなのだ。返答に困った俺は、

「結城くんは、休みの日はなにしてるの?」

 結城くんの質問と全く同じ質問をする。

「僕もバイト。あとは友だちと買いもの行ったり、冬は結構スノボとか行くよ。最近はキャンプも楽しそうだなって思ってて」

「そうなんだ」

 結城くんとは決定的に合わない、と感じた瞬間だった。結城くんは、めちゃくちゃアウトドアな人だった。インドアな俺とは相容れないような気がするのに、こんなふうに誕生日を祝ってくれているのが不思議でならない。そう思っていると、

「でも、バイトない日はだいたい寝てるかな」

 結城くんがぽつりとそう言ったので、

「あ、それは俺も」

 些細な共通点がうれしくなった。

 見た目も味も凝ったケーキが目の前に運ばれてきて、「おいしいね」と言い合いながら、俺たちは暫しケーキに集中する。他に話題がないので、「おいしいね」しか言うことがないのだ。

「名瀬くん、初めて会った時のこと、覚えてる?」

 ケーキを食べ終わり、コーヒーを飲みながら結城くんが言った。

「ええと、いつだっけ」

 そう言われてみれば、全く思い出せない。いつからか、結城くんがずっと話しかけてくれていたのだ。

「僕は覚えてるよ」

 結城くんは言う。大学に入学したばかりのころ、教科書販売の会場で結城くんの紙袋が破れてしまった。結城くんの用意していた紙袋は、教科書の重さに耐えられなかったらしい。その時、教科書をいっしょに拾い、ガムテープで補強してある頑丈な紙袋を結城くんにあげたのが俺だった、ということらしい。

「あ。それなら覚えてる」

 俺は言う。確かにそういうことがあった。オタクの荷物は、たまに重い。主に同人誌即売会等のイベントで戦利品をゲットした時である。その時用の紙袋を俺は教科書販売の際

に持参していたのだ。

「あの、ありがとう。お礼になにかごちそうするよ。どこかでお茶しない?」

 うろ覚えだが、そんなことを言われたので、この後、親にもらった教科書代をちょろまかしてゲームを買いに行こうとしていた俺は、「お礼されるほどのこと全然してないから」と言い残して、急いで帰ったのだ。そんなだから友だちができないんだぞ、と俺は当時の俺を情けなく思う。

「そっか。あの時の人、結城くんだったんだね」

「そうだよ。授業で会っても、名瀬くん僕のこと全然覚えてないみたいだったから、ちょっとショックだったな」

「ごめんね、忘れてて」

「でも、こうしてごちそうもできたし、お誕生日もお祝いできたから、うれしい」

 にこにこ顔の結城くんをぼんやりと見ていたその瞬間、俺は不思議な既視感の正体に気付く。結城くんは、ゆうなちゃんに似ているのだ。濃い茶色の短い髪の毛や、きらきらとした形のいい少し大きな目、顔のパーツの配置バランス。改めて見ると、とにかくそっくりだった。つまり結城くんの顔は、俺の好みドストライクなのだ。そう気付いてしまったら、急に結城くんの顔が気になり始め、なぜかどきどきしてしまう。俺の様子を変に思ったらしい結城くんが不思議そうな顔をする。見つめ合ったまま妙な時間が流れた。その時、

「あー、結城じゃん。すごい偶然」

 先ほど店に入ってきたらしい女の子ふたりが、結城くんに手を振りながら声をかけてきた。結城くんは一瞬、本当にほんの一瞬だけ、しまった、というような表情をし、それを隠すように笑みを浮かべた。

「本当、偶然だね」

「てか、結城もこういうとこ来るんだ。あ、ねえ、いっしょしていい?」

 俺の存在を完全に無視した女の子の誘いを、

「ありがとう。残念だけど僕ら、コーヒー飲み終わったらもう行くんだ。ほら、せっかくあっちの壁際のゆったりした席にどうぞって言われてるんだし、ふたりは女の子同士でゆっくり楽しんだほうがいいよ」

 結城くんは丁寧に断っている。言っていることはなんだかふわふわしているが、断っているということはわかる。そんな結城くんの横顔を見ていると、ゆうなちゃんの横顔もこんな感じかもしれないと思ってしまい、結城くんがいつもよりも素敵に見えてしまう。ちなみに、ゆうなちゃんの横顔を俺は知らない。横顔のスチルがないのだ。つまり、結城くんの横顔はゆうなちゃんの横顔かもしれないという意味ではレアだ。結城くんのふわっとした言葉に納得したらしい女の子たちは、「わかったよー、じゃあね」と、気を悪くしたふうでもなく軽く言って、壁際の席に行ってしまう。結城くんは、ふっと息を吐くと再び俺のほうを向いた。

「どうしたの?」

 顔を凝視されていることに気付いた結城くんが不思議そうに言う。

「ああ、ええと。結城くん、俺の好きな子に顔が似てるから、なんかつい見ちゃってたっていうか……なんか、ごめん」

 慌ててしまって、俺は、嘘のような本当のような微妙に正直なことを口走ってしまう。

「え、好きな子?」

 そう呟いて、結城くんは黙ってしまった。笑顔もすっかり消え失せている。心なしか顔色も悪い。

「あれ、どうしたの?」

 体調でも悪くなったのかと思って尋ねると、

「そういえば昨日、名瀬くん、コンビニでケーキを二個買ってたよね。その子と食べたの?」

 結城くんはそんなことを言う。確かに昨日はケーキを二個買った。ゆうなちゃんと俺の分だ。しかし、食べたのは俺ひとり。だって、ゆうなちゃんは画面から出てきてくれないのだから、ケーキを食べられない。なので、ゆうなちゃんの分のケーキは今日の俺の朝ごはんになった。つまり今日、俺はケーキばかり食べていることになる。この間抜けな状況を、どう結城くんに説明すればいいのだろう。結果、俺は「うん」と頷くだけになる。些細な嘘だが、とても心苦しい。

「そっか」

 結城くんは力が抜けたように言った。やっぱり、顔が青白いように思う。

「ねえ、本当に大丈夫? 体調悪い?」

「ううん、全然。大丈夫」

 そう言った結城くんは、弱々しく笑顔を浮かべている。

「ところで、ケーキのこと、なんで知ってるの? 結城くんもあのコンビニにいたの?」

 俺の問いに、結城くんは今度はにっこりと笑って、「うん」と頷いた。

「声かけてくれたらよかったのに」

「その前に教室で会ったばかりだったから、ちょっと気まずいかなと思って」

「あ、確かにそうだね」

 社交的でパリピっぽい結城くんでも気まずいとかあるんだな、と思いつつ、残り少ないコーヒーを飲もうとカップを持ち上げると、

「ねえ。今度、名瀬くんの好きな子紹介して」

 結城くんが唐突に言い出したので、

「それは無理」

 俺は思わず即答してしまう。

「なんで。どんな子か見てみたいよ。名瀬くんにふさわしい子かどうか、僕がちゃんとチェックしてあげる」

 などと冗談ぽく言う結城くんに、

「だって、まだ彼女でもないし……」

 俺はしどろもどろに口ごもってしまう。友だち以上恋人未満だし。それよりなにより、ゆうなちゃんは画面の中の住人だもの。絶対に無理。

「そうなんだ」

 言いながら、結城くんは少し安心したように表情筋を弛緩させた。

「まだ恋人じゃなくてもさ、でも、友だちなんでしょ。友だちとして紹介してよ。なにか僕にも協力できることがあるかもしれないし」

 親切にも結城くんは、そんなことを言ってくれた。しかし、

「いや、いい。そういうのは大丈夫」

 申し訳ないけれど、実際、結城くんに協力してもらうことなどなにもないのだ。

「えー、他の男には会わせたくない感じなの? 名瀬くん、ガード固いなあ」

 結城くんは笑っていたけれど、どこか必死な感じがあって俺は不思議に思う。それに、生身の女の子なら、結城くんに紹介した途端、結城くんのことを好きになってしまう可能性が高いのではないかと、ふと思う。そりゃ、ガードも固くなるだろう。いや、ゆうなちゃんは絶対大丈夫なんだけど。生身じゃないから。

「あ。でも、その子と僕が似てるってことはさ、名瀬くん、僕の顔は好きってことだよね」

「え、うん? うーん、そうなるのかなあ」

 実際、結城くんの顔がめちゃくちゃ好みだと気付いてしまった俺は、しかしそれを正直に言うことに抵抗があり、曖昧な返事をする。

「結城くんこそ、彼女とかいるんでしょ?」

 ごまかしたくて、俺は矛先を結城君に向ける。

「いないよ」

 結城くんは即答した。

「意外。結城くん、モテそうっていうか、絶対モテるのに」

 実際、さっきもモテていたし。

「そう言ってくれるのはうれしいけど、僕も好きな人がいるから」

「そうなんだ」

 結城くんに好かれているなんて、どんな素敵な女性なんだろう、と本気で思ってしまう。

「紹介してほしくない?」

 結城くんが言う。

「紹介してくれるの?」

 好きな子って、そんなほいほい友だちに紹介するものなのかな、と、さっきからのやり取りを疑問に思いながら俺が言うと、

「その時がきたら、ちゃんと言うね」

 結城くんは、なんだか意味ありげに笑った。


   *


 結城くんに誘われて、買いものへ行くことになった。と言っても、俺は結城くんの買いものについて来ただけの状態になっている。外出すると、その間、家でゲームができないので断ろうかとも思ったのだが、そんなだから友だちができないんだ、と思い直し、俺は結城くんの誘いを受けたのだ。

「名瀬くんは、どっちが好き?」

 ショッピングモールのお洒落な洋服の店で、結城くんは俺の意見を求めてくる。そういうファッションに関することは俺ではなく、いつも結城くんがいっしょにいるようなセンスのいい人たちに聞いたほうが絶対いいと思うのだが、「名瀬くんの意見が聞きたい」と結城くんが言うので、俺はがんばって結城くんの持つ洋服を見比べる。

「俺はこっちが好きだけど……でも、結城くんにはこっちのが似合うかも」

「えー、そんなのますます迷う」

 結城くんは、本気で迷っているようで、姿見の前で交互に洋服を当てている。そもそも結城くんが選んで手に取った時点で、その洋服はきっとお洒落に違いないのでどちらを選んでも正解なのではないかと思う。

「じゃあ、聞き方を変えるね。名瀬くんは、どっちを着てる僕が好き?」

「なにそれ。どっち着てても好きだよ」

 妙な聞き方に笑いながらそう答えると、結城くんは顔を真っ赤にして、急に黙ってしまった。

「どうしたの? 暑くなった?」

 確かに店内は暑いし、結城くんは何度か試着をしていたので、のぼせてしまったのかもしれない。

「大丈夫? どっかで休もうか」

「うん、でもこれ買ってから」

 結城くんは赤い顔のまま、今持っている洋服を両方、カウンターに持って行ってしまった。

「両方買ったの?」

「うん。名瀬くんが好きなのと、名瀬くんが似合うって言ってくれたの」

 結城くんは俺の意見を必要以上に重要視してくれたようだ。そんなに俺の言葉に重きを置かなくてもいいのにと思うが、でも、少しうれしくもある。

「お金なくなっちゃったな。またバイトがんばろ」

 そう言いながらも、結城くんは楽しそうだ。

「ねえ、お金もないし、これから僕んちで遊ぼう? ていうか休もう?」

 お金ないのは僕だけだけどさ、と結城くんは笑いながら言った。

「名瀬くんちから近いし、ちょうどいいよ」

 どうして俺の家の場所を知っているのだろうと一瞬思ったが、近いのなら偶然見かけたかどうかしたのかもしれない。

「うん。じゃあ、お邪魔します」

 単純に友だちの家に遊びに行くというイベントがうれしくて、俺は頷いた。

 結城くんの家は、物がないわけではないけれど、シンプルな感じだった。カーテンも寝具も一切柄がなく、どれも無地だ。俺は自分の部屋にある寝具、ゆうなちゃんの等身大抱き枕のことを思う。もし結城くんを俺の家に呼ぶなら、ああいうものは全て見えない場所に片付けておかねばなるまい。

「座るところないから、ベッドにでも座って」

 俺は床に座ってもよかったのだが、結城くんがそう言うので、遠慮なくベッドの上に乗って壁にもたれて座る。

「ペットボトルのだけど」

 結城くんがお茶を持って来てくれたので、一口飲んで息を吐く。ちょっと落ち着いた。慣れないことをしたので、実は結構疲れていたらしい。

「コップはそこのテーブルに置いてくれたらいいよ」

 言われた通り、ローテーブルにコップを置き、俺はまたベッドに戻る。結城くんもベッドに上がってきて、なにを思ったのか俺の太ももに頭を置いて寝転がった。いわゆる膝枕の状態だ。結城くんも疲れているのかなと思い、俺は太ももに結城くんの頭を乗せたそのままの状態でじっとしていた。

「好きな子とは、どうなってるの?」

 下から俺の顔を見上げて結城くんが言う。

「どうしたの、急に」

「僕、名瀬くんのことずっと見てるけど、そういう子と会ってる様子もないし、どうなったかなって思って」

「どうもなってないよ」

「どうして?」

「どうしてって……」

 困って目をそらした俺の様子を勘違いしたらしい結城くんは、「諦めちゃうの?」と問いかけてくる。その問いには答えず、

「諦めるとか、そういう感じじゃなくて……最初から住んでる世界が違うんだもん」

 俺は言う。結城くんは起き上がって、俺の隣にぴったりとくっついて座る。そして、俺の肩を抱き寄せて、俺の頭に自分の頭をこつんとくっつけてきた。

「僕、今すごくひどいこと考えちゃった」

 結城くんが言った。

「ごめんね、名瀬くん」

 結城くんはなぜか謝罪の言葉を口にした。

「どうして謝るの?」

「名瀬くんの恋が、うまくいかなければいいのにって思っちゃったから」

 どうしてそんなことを思うのか不思議だったけど、結城くんがしょんぼりしているので、

「そんなこと、別にいいよ。いくらでも思ってくれて」

 俺は慌ててそう言う。

「よくないよ。全然よくない」

 結城くんは泣きそうな表情で、ぶるぶると首を振っている。

「大丈夫。もう、諦めるんだよ。決めたんだ。だから、結城くんがそんなこと気にしなくていいんだよ」

 俺のついた嘘に対して、結城くんが心を痛めているのを見ていられなくて、俺はまた嘘を重ねてしまう。

「本当に、諦めてくれる?」

 結城くんは、なんだか変な角度の質問をしてきた。

「うん、諦める」

 俺は結城くんに元気になってほしくて、そう言った。

「ごめん。でも、よかった」

 結城くんがうれしそうに笑ってくれたので、俺は安心する。


   *


 あれ以来、結城くんは俺を度々遊びに誘ってくれるようになった。俺を元気づけてくれているつもりなのだろう、遊びに誘ってくれて、その度にかいがいしく世話を焼いてくれる。明らかにインドアな俺に気を遣っているのか、行き先はこの前みたいなショッピングモールや美術館など、とにかく室内、箱物だ。今日は、なにを思ったのか歴史博物館に来ている。

「結城くんは、この町の歴史に興味があるの?」

 尋ねてみると、

「なくはない。けど、すごくあるわけでもないな」

 うーん、と唸って結城くんはそう言った。もう箱物のレパートリーが尽きてきたらしい。どうやら苦肉の策のようだ。

「俺も同じ。俺がアウトドア苦手だから、いつもこういう室内の場所に誘ってくれてるんでしょ?」

 いつでも相手の好きそうなデートスポットを選択する結城くんは、恋愛ゲームに向いているかもしれない。そう思ってしまってから、これはデートではない上に、結城くんは普通にモテてきただろう人なので、他人に対して、当たり前のことを当たり前にしているだけなのだと気付く。そう思ったら、現実世界で生身の人間相手に選択肢を決定していくことを俺はしてこなかったな、と、また情けない気持ちになった。

「いつも、俺に合わせてくれてありがとう」

 途端に、結城くんの気遣いがとてもありがたく思えて、感謝の言葉を口にすると、

「それもあるけど、行ったことのない箱物探してたら、なんか楽しくなっちゃって。興味なくてもなんでも行ってみようって気になって。それに、名瀬くんとふたりだったら、どこでも楽しいから」

 結城くんはそんなことを言った。結城くんがそんなふうに思ってくれていたなんて、素直にうれしい。俺は、大学でやっと友だちができたんだなあ、と今日、しみじみと実感した。それに、結城くんは、いっしょにショッピングモールに行った時に買った洋服を、頻繁に着ている。気に入っているみたいだ。そんなふうに俺の意見を普通に取り入れてくれているのが、友だちとして尊重されているみたいで、やはりうれしい。

 展示されている石器などを眺めたり、簡易の砂場で土器の欠片を発掘したり、昔の鎧と同じ重さのレプリカを身に着けることのできるコーナーで写真を撮ったり、さほど興味のなかった歴史博物館も遊んでみると結構楽しい。

「俺、今すごく楽しい。本当だね。本当に、ふたりだと楽しいね」

 俺は、思わず結城くんに向かって言った。結城くんは少し驚いたような表情をした後、うれしそうに笑ってくれた。歴史博物館を出たところで、

「見て見て。壁紙にしちゃった」

 そう言って結城くんが見せてくれたスマートフォンには、鎧兜のレプリカを身に着けた俺の写真がある。満面の笑みではしゃいでいる様子がめちゃくちゃ恥ずかしい。

「わ、やめてよ。こんなの壁紙にしないで」

 慌てて言うと、「じゃあ……」と結城くんが言い、俺の肩をぐいっと自分のほうに抱き寄せた。

「いっしょに撮ろ」

 突然の密着に固まってしまう。結城くんのほっぺたと俺のほっぺたがくっついているのだ。シャッター音で我に返り、

「ちょ、だめ。どきどきする。どきどきするから」

 俺は、密着した結城くんの身体を押し返す。上擦った声を出してしまい、顔が熱くなる。恥ずかしい。

「え、本当?」

 そんな俺の様子を見て、結城くんはどことなくうれしそうだ。そこからあからさまに機嫌のよくなった結城くんは、やはり俺にべたべたとくっついてきた。写真も何度か撮られてしまう。

「ちょっと、結城くん。ここ外だって」

 周囲の目を気にしながら、遠回しに拒否の言葉を伝えたつもりなのに、

「外じゃなかったらいいの?」

 結城くんは楽しそうにそう言うのだ。結城くん、絶対おもしろがっている。

「この前は、僕の部屋に来てくれたけど、今度は僕も名瀬くんの家にも遊びに行きたい。お泊り会とかしようよ」

 密着した状態で、だけどとても普通のトーンでそう言われ、

「うん、いいよ」

 俺も普通のトーンで返事をしてしまう。


   *


「名瀬くん、僕どこで寝ればいい?」

「え、泊まってくの?」

「うん」

 今日の授業が終わり、大学のカフェで、結城くんと夕方までだらだらと過ごしていた時だった。

「ねえ。これから、名瀬くんちに遊びに行っていい?」

 結城くんがそう言ったので、俺は快諾した。先日の結城くんの言葉で、もしかしたら近いうちにこういうことがあるかもしれないと思い、ちょうど部屋を片付けたばかりなので、見られたらやばそうなものはだいたいクローゼットにしまってある。ゲーム機は置きっぱなしなのでテレビ前の定位置にあるが、結城くんはゲームをやらないので、中のソフトがどんなものかなんてわからないだろう。

 定食屋で食事を済ませ、ジュースやお菓子を買って、ふたりで俺の部屋へ帰る。友だちが遊びに来るなんて、小さいころを思い出す。それにしても、今日はやけに荷物が大きいな、と思っていたら、そういうことだったのか。

「今日、最初から泊まるつもりだったの?」

「うん」

 結城くんはあっさりとうなずいた。

「前に、お泊り会しようねって話してたし、名瀬くん、わかってるんだと思ってた」

 結城くんはケロッと言う。

「ああ、うん」

 俺は思わずうなずいてしまった。

「うんうん、わかってた」

 本当はわかっていなかった。内心焦っている。遊びに来るだけならまだ対応できそうだが、いきなりお泊り会になるとは難易度が高い。

「じゃあ、結城くんがベッド使っていいよ。俺は床でいいし」

 俺が言うと、結城くんはにこっと笑って、「ううん」と首を横に振った。

「駄目だよ、結城くんを床になんて……」

 言いかけると、

「そういうことじゃなくて、仲良くベッドでいっしょに寝ちゃおうよ」

 人好きのする笑みを浮かべて、結城くんは言うのだ。

「いっしょにって。せまいよ、すごく」

「大丈夫だよ。男同士だし」

「そういうもんかな」

「そういうもんだよ」

 結城くんは、にっこりと頷く。とはいえ、眠るにはまだ早い。お互い部屋着に着替え、「なにして遊ぶ?」と切り出せば、「映画でも見ようか」と結城くんは言う。

「わかった。配信されてるの、なにか観よう」

「うん」

 パソコンをローテーブルに置き、ふたりベッドを背に並んで座る。

「あ、でも、こわいのは嫌だよ」

 そう言って、結城くんは俺の腰に腕をまわし、甘えるように俺の身体をぎゅっと引き寄せた。かわいいな、と思う。結城くんの顔は、ゆうなちゃんに似ている。つまり、俺好みの、とてもかわいい顔をしている。それで、時々こういうかわいい仕草をなんの計算もなしにするものだから、そのたびに、俺の心臓はきゅっと縮まるような心地がする。思わず、結城くんのサラサラの頭に手が伸びた。そのまま、髪の毛をくしゃくしゃと撫でると、くすぐったそうに目をぎゅっと閉じて、結城くんは笑った。邪気のなさそうなその顔を見て、なぜだか泣きそうになった。慌てて、結城くんから目をそらす。

「名瀬くん?」

「なんでもない」

 結城くんが観たいと選んだ映画を観ながら、そのあまりのつまらなさに途中でうとうとしてしまう。耳もとで結城くんがお菓子を食べる音をサクサク聞きながら何度も意識が飛びそうになった。

「名瀬くん? 眠たいの?」

 結城くんの声でハッと目が覚めた。本当に意識が飛んでいたらしい。結城くんの肩にもたれて眠ってしまっていたようだ。パソコンのモニターには、もうエンドロールが流れている。

「いや、ごめん。ちょっと予想以上に退屈な内容だったものだから」

 結城くんとは映画の趣味も合わないようだ。そんなことを考えていると、

「悪びれているようで、全然悪びれてないよ、それ」

 結城くんが呆れたように言う。

「せっかく結城くんが遊びにきてくれたのに、もったいないことしたな」

 そう言った瞬間、結城くんが目を見開いて俺を見る。なにか変なことを言っただろうか、と不安になる。

「名瀬くんて、時々すっごくかわいいこと言うよね。躊躇いなく素直っていうか」

 目をきらきらさせて結城くんが言った。

「いや、別に……」

 そんなつもりはなかったが、そういえば、結城くんには嘘ばかりついていたような気がする。素直とは程遠い。なので、そんなふうにはしゃがれると、むずむずと照れくさくて、どうしたらいいのかわからなくなる。

「シャワー行ってくる」

 俺はこの場から逃げることにして、バスルームへ向かう。

「僕も、あとでシャワー借りるね」

 背中に結城くんの声を聞く。俺がシャワーからあがると、交代で結城くんがバスルームへ向かう。なんだかそわそわしてしまう。結城くんがシャワーを浴びている間、俺は一体なにをしていればいいのだろう。先にベッドに入るというのも違う気がする。とりあえず考える前にやるべきことを先にやろうと、歯を磨き、テーブルの上を片付け、さっきの退屈な映画のあらすじやレビューを確認するためにパソコンを操作していると、

「シャワーありがとう」

 結城くんが、ほかほかになって出てきた。なんだか、乾燥機から出したばかりの洗濯物のようだと思い、結城くんに近寄って首のうしろの匂いをかいでみた。

「え、え、なに?」

 なに、と聞かれても、なんでこんなことをしたのか自分でもよくわからない。俺は黙り込んでしまう。

「おんなじ匂いがした?」

 結城くんが、にこにこと言った。

「ん?」

「僕と名瀬くん、同じ匂い?」

 そうかもしれない。

「うん」

 俺は頷いた。結城くんはなんだかうれしそうだ。うれしげに、キッチン借りるね、と言って歯を磨き始めた。結城くんの横顔に普通に見惚れてしまう。

「寝よっか」

 俺が言うと、

「うん」

 頷いた結城くんが俺のうしろについてくる。ポメラニアンみたいで、かわいい。ふたりでベッドに入ると、

「ぎゅってさせてね」

 結城くんは言い、俺が返事をする前に、やんわりと俺の身体に腕をまわしてきた。

「ん……」

 結城くんに抱かれて目を閉じていると、とても気持ちがいい。

「ぬくい」

 思わず呟いた。

「うん?」

 結城くんが問い返してきた。

「結城くんの体温は、気持ちがいいね」

 微睡みながら、俺は言葉を返す。意識は夢と現を行き来していて、ちゃんと発音できているのか、ちょっとあやしい気もする。

「結城くんみたいな友だちができて、うれしい……」

 俺がうとうとする意識の中でそう言った途端、

「……やっぱり、友だちかあ」

 結城くんが急に強張った声を発した。夢うつつだった頭が一気に冴えた。俺はなにか、間違ったことを言ったのだろうか。もしかして、

「え……ちがう、の?」

 結城くんは、違うのか。俺を友だちだと思ってくれていないのか。結城くんの口から、友だちじゃない、なんて言葉を聞くのが恐ろしくて、俺は思わず両手で耳をふさいでいた。その手を、結城くんは困ったような笑顔を浮かべながら、そっと外す。

「名瀬くんが友だちでいたいなら、それでもいいんだけど」

 耳元に、結城くんの息遣いを感じて、身体が震えた。

「ただ僕は、名瀬くんと、もうちょっと、その……エッチなこともしたいかなって」

 その言葉に、俺はある単語を思い浮かべてしまい、妙に悲しい気持ちになった。エッチなことをする友だちなんて、それしか思い浮かばない。

「せっ」

「せ?」

「セックスフレンド?」

 思いきって尋ねると、

「ちっ、がっ、ちがうよ! もう、なんでそうなるんだよ!」

 結城くんが口をぱくぱくさせながらも力一杯否定してくれたので、

「あ、ちがうんだ。よかった」

 一応は安心する。

「僕は、名瀬くんの恋人になりたいんだよ」

 すっかりしょげかえったような声で、結城くんは言った。

「恋人?」

 俺の頭の中は、すでにこんがらがっていた。恋人というのは、あれだ。恋の相手。恋愛中の交際相手のことを言う。ということは、結城くんは俺のことを好きなのだろうか。そうなると、俺は? 俺は結城くんのことをそんなふうに思っているのか? いくら恋愛ゲームをやり込んでいても、リアルの自分のこととなると、当たり前だけど勝手が違う。全くわからなくなる。

「名瀬くん、ふたりきりになると妙に素直だし、うれしいこと言ってくれるし、僕がさわっても全然本気で嫌がんないし、今日だってここまで許してくれてるんだから、これはイケるんじゃないかって思うじゃん。それなのに、友だちだなんて。僕だって、ちょっとショックだよ」

「だって、男同士でしょ?」

 男同士だから大丈夫だ、と、さっき言ったのは結城くんだ。

「ああ、それ。名瀬くんて、あまり人に慣れてないみたいだから、そういう部分をありがたく利用させてもらっちゃってた。ごめんね」

 結城くんは、全然ごめんと思っていないような表情で、俺のことを野生の動物がなにかみたいに言う。

「え、あの……前に言ってた結城くんの好きな子って……」

「名瀬くんだよ」

 やわらかい、でも、きっぱりとした口調で結城くんが言った。

 結城くんの手が、いつの間にそこに移動したのか、俺の臀部をやわやわとなでさすったものだから、驚いて、喉からヒュッと空気がもれたような音がした。結城くんのティーシャツの胸元をぎゅっとつかみ、そこに、おそらく赤くなってしまったであろう顔を押しつけて隠す。

「ん、ごめんね。こわがらせちゃったね」

 結城くんが悲しそうに言った。

「大丈夫、こわくない。結城くんのことが、こわいわけがないんだから」

 結城くんを悲しませたくなくて、早口にそう言うと、

「本当? 今この瞬間だって、僕、名瀬くんとキスしたいとか、セックスしたいとか思っちゃってるんだよ?」

 そんなことを結城くんは言うものだから、やはり少しこわくなってしまう。

「……セックスなんか、こわくないよ」

 したことなんてないけれど。強がってそう言うと、結城くんは心配そうに、

「いいの? 強がってない?」

 などと、妙に察しのいいことを言ってくる。頭の中は洗濯機みたいにぐるぐるに渦巻いていて、顔は火が出そうに熱い。この熱を、発散させなければ。

「お、俺は、常日頃から、結城くんのことをかわいいって思ってた。すごく……すっごく好みの顔だから」

「え」

 不意をつかれたのか、結城くんはきょとんとした表情で俺の顔をまじまじと見た。

「結城くんといるとどきどきするけど、でも安心する。こんなふうに抱きしめられると気持ちがいい。結城くんの悲しむ顔は……見たくない」

 それはつまり、そういうことなのだと思う。

「俺、結城くんのこと、たぶん好き。好きになっちゃってた」

 一気に吐き出して、浅く呼吸を繰り返す。

「だから、こわいことなんて、なにもないよ」

 結城くんの顔が赤く染まる瞬間を、俺は見た。勝った、と思った。なんの勝負かはわからないけれど。

「名瀬くん」

 結城くんが弱々しく俺を呼び、その声とは反対に力強く抱きしめられる。

「だいすき」

 切羽詰まったようにそう言われて、泣きそうになってしまった。

「名瀬くんみたいな恋人ができて、うれしいな」

「恋人って、今からなるの? 今日から?」

 混乱が解けきっていない頭で、なんだか変な質問をしてしまい、

「うん、今から」

 結城くんに笑われてしまった。そして、

「だからもう、僕のエロいとこ、名瀬くんには全部見せちゃうね」

 そう言って結城くんは、いつものやさしそうな笑顔とは違う表情で、にんまりと笑ったのだ。やっぱり、ちょっとこわいかもしれない。

 恋愛シミュレーションゲームは、攻略対象の女の子と恋人同士になった瞬間、そこでストーリーは終わる。恋人になった後のことなんて、俺は知らない。でも、もう引き返せない。だって、俺はもう、結城くんの恋人になってしまったのだから。なので、俺をやさしく組み敷いて、覆いかぶさってきた結城くんに、俺は全てを任せることにする。ゆっくりと丁寧なキスをされ、半開きの唇から結城くんのやわらかい舌が侵入してきた。頭がぼんやりと舌先の快感を受け入れ、キスって気持ちがいいんだな、と俺は思う。こんなこと、今まで知らなかった。

 恐れていたような痛いことはされなかった。ただ、すごく気持ちのいいことをたくさんされたので、身体が溶けてしまうんじゃないかと思った。気持ちがよくて、本当に気持ちがよくて、結城くんに甘えるみたいに、俺はぐずぐずと泣いてしまった。

「最後までしなくていいの?」

 俺の間抜けな問いに、「今日はね」と結城くんは言う。準備も足りないし、と。

「ここから先は、名瀬くんがしたいって思ってくれたらでいいよ」

「……うん」

 結城くんの気遣いに、俺の胸はきゅんと詰まる。

「あのね。名瀬くんの好きな子……その人のことは、本当にもういいの?」

 お互い裸で抱き合ったまま、心配そうに小声で言う結城くんに、そんな嘘をついてしまったことすら忘れていた俺は、急に罪悪感がむくむくと膨らんでしまう。

「名瀬くん、僕のこと好きって言ってくれたし、その子じゃなくて僕のことちゃんと好きになってくれたんだって信じてる、けど……でも、どうしても気になっちゃって」

 不安そうな結城くんの言葉に、俺は覚悟を決め、自分の秘密を結城くんに打ち明けることにする。嫌われてしまうかもしれない。しかし、このまま隠し続けても、きっとどこかで嘘が破綻してしまうだろう。なにより、結城くんに対して誠実ではない気がする。それに、結城くんはそんなことで他人を嫌うような人ではないとも思う。もし嫌われてしまっても、さっきまでの気持ちのよかった思い出を胸に、きっと俺は残りの人生も、恋愛ゲームと共に生きていける。そんなふうにごちゃごちゃと考えて、俺は、ベッドから抜け出して床に落ちていたパンツを穿いた。そのままテレビの前に移動すると、テレビとゲーム機の電源を入れた。コントローラーを操作してセーブデータを呼び出す。

「賢治くん!」

 画面の中のゆうなちゃんが、元気いっぱいにかわいらしい声で俺の名前を呼んだ。俺は結城くんのほうを向いて正座をすると、テレビ画面を示す。

「紹介します。この子は蒼海ゆうなちゃん。この子が、いつか言ってた俺の好きな子です」

 おそるおそる言うと、上半身を起こし、ぽかんと口を開けた状態でテレビの画面を見ていた結城くんが、「二次元?」と呟いた。

「うん、そう。二次元。住んでる世界が違うんだ」

 俺は、恥ずかしいのか申し訳ないのか、なんだかよくわからない気持ちで、結城くんの反応を見守る。

「僕、似てるかな……」

 結城くんが、ぼそっと言った。似てるよ、と思ったが、俺は黙っていた。

「名瀬くんはさ、僕とこの子、どっちが好きなの?」

 はっきりとした声で結城くんが唐突に言った。見ると、結城くんの顔は笑っている。だけど、その笑顔がなんだかこわい。

「ねえ、どっち?」

 俺は答えに詰まり、ごくりと甘い唾を飲み込んだ。



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