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007

 アリシアは血がのぼった頬に両手をあてて、扉から目を逸らした。

 逸らした先に、もう一人の王子の姿があった。

 ……同じ血を受けた兄弟とは、思えない。


 日に焼けた浅黒い肌。

 背は、それほど高くない。

 目線がアリシアと、ほとんど変わらない。

 額や耳元や襟足にまとわりつく、縮れた赤い髪。

 深い深い暗緑色の瞳……眼光の鋭さ自体は兄に劣らないが、第一王子と彼との決定的な内面の相違を、如実に表していた。


 洗練された物腰や辛辣なユーモアなど、人を惹きつける術を呼吸すると同じくらい自然に操る第一王子とは正反対に、今アリシアの前に立つこの王子には、装飾的な華やかさは微塵もなく、無骨な鎧をまとったような硬質な空気をその身の内から醸し出していた。


 アリシアには、容易に想像がついた。

 二人のこの差は、生まれ持った特質もさることながら、育った環境の違いこそが、より大きな原因であろうと。


 きらびやかな宮殿で、当然のように人々に傅かれ、身に余るほどの愛情を注がれて、のびやかに成長した第一王子スープラック。

 逆境の中、様々な圧力を常に耐えていなくてはならなかった第二王子イーダス。


 与えられる限りの恩寵を、一身に受けた兄。

 余計なものはすべて、そぎ落とされた弟。

 対照的な二人。

 そのどちらにも、アリシアは同等の魅力を感じた。


 ……おふたりの力になりたい。

 反発しあうお二人の、架け橋になってさしあげたい。


 殊に、孤独なイーダスに、アリシアは同情心をそそられた。

 かつて、養父の書斎に横たわるオオカミの毛皮に抱いたと同じ憐れみが、彼女の胸に湧き上がってくる。


 淋しいオオカミのような方。

 スープラックさまの乱暴をとどめる為、窓を乗り越えていらしてくださった。

 淋しい、優しい、手負いの獣のような方。


 アリシアは、ぎこちない笑みを浮かべた。

 そして、さきほどの礼を述べようと口を開きかけた、すると。

「きみを助けようと思ってしたことじゃない、誤解するな」

 赤毛の王子はこういい捨てると、先刻彼が侵入してきた窓辺に足早に近づいていった。


 アリシアは勇気を奮い起こして、その背中に叫ぶ。

「あなたのお気持がどうであれ、わたくしが救われたという事実に変わりはございませんもの。どうかわたくしに自己紹介をさせてくださいませ、イーダス・レムノスク王子さま」


「自己紹介なんか、無意味さ」

 イーダスは、にべもなく言い切った。

 お情け程度に振り返り、付け加える。

「どうせきみも尼僧院入り希望者なんだろう。異端の王子の妃になるよりは、一生を神に捧げて暮らしたい清らかな魂の持ち主なのだろうさ。案ずるには及ばない、こちらからきっぱりお断りしてさしあげるよ」


「いいえ、イーダス王子さま!」

 アリシアはその場に跪いて懇願した。

「どうか、お願いです、後生ですからどうか、そんなことはなさらないで!」


 アリシアの剣幕に、第二王子は目を剥いた。

 次に口をついた言葉には、彼女自身も、たじろいだ。

「あなたに退けられるならば、この場で死を選びます!」


「なにを……言ってる」

 困惑を満面に表して、立ち尽くすイーダス。

「わたくしは本気です! 本当に死にます!」

 感情が高ぶりすぎて、熱い涙が溢れてきた。

 ふたつの紫水晶の瞳からこぼれ落ちる、透明水晶の雫。

 羞恥と混乱の作用で紅潮した頬の表面を幾筋も伝って、床にはじける。


「……どうかしてるんじゃないのか」

 努めて抑制をきかせた声音で、イーダスはつぶやいた。

 けれど動揺は隠し切れず、語尾が震えた。


「泣くな、みっともない!」

 第二王子は声を荒げた。

 アリシアは黙り込み、うつむいて泣きじゃくる。


「……拭けよ、ほら、早く」

 仕方なくイーダスは、つかつかと彼女に歩み寄り、自分の首に巻いてあった白いタイを、ぶっきらぼうなセリフとともに彼女の右手に握らせた。

 涙の洪水に見舞われた、少し下ぶくれ気味の丸顔が王子を見上げた。


 たちまち王子はそっぽを向いて、その場を離れた。

 窓枠に手をかけ、振り向かずにこう言った。

 渋々、という感じで。


「……わかったよ。そんなに言うなら、返事はもう少し待ってやる。頭を冷やして、自分が今言ったことをもう一度、よく考えてみるのだな。気が変わって後悔するようになるまで、しばらく宮殿見学でもしてるといい。どうせそれほど長くはかからないだろうから」


 言い終えるなりイーダスは、窓枠を蹴って手近の枝に飛びついた。

 アリシアは座り込んだまま、白いタイに顔をうずめた。

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