006
乱暴に扉が押し開かれた。
白い緞子に金銀の刺繍を贅沢にちりばめた上着のすそを、優雅にひるがえしながら部屋に押し入ってきたのは、肩をかすめる程度の長さにまっすぐ伸びた金髪と、刺すような鋭い光を宿す、淡い水色の瞳を持った長身の少年。
豹。
アリシアがもしも、この南国の猛獣の存在を知っていたなら、彼を一目見るなり連想したにちがいない。
空気を切り裂くような身のこなし、金色の毛並、人を射すくめる眼差し、生まれついての王者の威厳。
「あいつにはもったいないような美少女だ」
アリシアを遠慮のない視線で値踏みした後、彼は、さも楽しげなくすくす笑いをもらした。
「もっとも、わたしとあいつとでは、だいぶ好みが違っているからね。きみの容姿はあいつには気に入らないかもしれませんよ……ご存知ですか、きみ」
彼はふたたび真顔に戻る。
まさに豹変。
そして、ずい、と近づいてくる。
アリシアは我知らず、後ずさった。
たちまち壁に追いつめられる。
「あいつは大嫌いなのですよ。わたしやきみのような、うすい色の髪と瞳の持ち主がね。まったく、馬鹿げている……わたしはね、きみ、あいつの外見のことであいつを蔑んだ覚えは一度もないのだ。いいですか、一度もですよ!
それだのにあいつは、金髪碧眼というだけでわたしを毛嫌いしている。この外見のせいで、あいつはわたしが嫌いなのですよ。愚かだとは思いませんか。あいつがあいつ自身の責任であんなふうに生まれついたのではないのと同じ理屈で、わたしだってなにも、好きで王族の典型として生を受けたわけではない。
こだわっているのは、あいつのほうなのですよ。周囲の偏見を拒もうとしながら結局それに呑まれ、同調して、あいつはあいつ自身を縛りつけているのですよ!」
「な、何故そのようなお話を、わたくしに?」
やっとの思いで、アリシアは口を挟んだ。
彼女は目をつぶり、両手で頭を庇うようにかざし、震える声で問いかけた。
「……あれ?」
王子は拍子抜けしたような声を出した。
アリシアはその声に誘われるように、顔を上げた。
「アリシア・カノーラ嬢ではないのですか、きみは」
「たしかに、わたくしはアリシア・カノーラでございますが……」
「だったら、そんな的外れな質問をするものではありませんよ、カノーラ嬢。もしかして、わたしが何者かご存じないと?」
「まさか、あなたを存じ上げないなどとは……レムノン王家第一王子、スープラックさま」
アリシアは腰を軽くかがめ、遅ればせながらの挨拶をした。
「それならば、わかるはずだね。先刻からわたしの話している『あいつ』というのが、誰のことか……そう、きみの夫になるかもしれぬ男のことですよ、カノーラ嬢。そしてわたしは、きみの夫となるかもしれぬ男の兄だ。ここまではよろしいか?」
アリシアは当惑しつつ、頷いた。
「さきほどの話の内容を、おぼえている?」
今度は慎重に、頷く。
「……いつか伝えてもらいたいのですよ、あいつに」
第一王子はおもむろに、アリシアに背を向けて、つぶやいた。
「わたしは、あいつを憎んでも嫌ってもいない。外見の違いにこだわらず、ただ、まともにぶつかってきて欲しいだけなのだと……」
この方は。
これだけのことを言うために、あんなに強引に押し入ってきたのかしら。
驚くやら、呆れるやら。
気が緩み、アリシアは王子の背中に、微笑みかけた。
「わたしの意固地な性格でね」
スープラック王子は、さっと顔をあげて向き直り、持ち前の強い眼光でもってアリシアを正視した。
アリシアの微笑は、消えた。
獣じみた王者の瞳は、本人が無意識のうちにも、視線を注がれた者に、ある種の威圧感を抱かせずにはおかない。
かまわず、王子は続ける。
「それほど寛容な性質でもないし、敵意まるだしで毛を逆立てられると、どうしてもこちらも、ついムッとして、想いとはうらはらな言動に走ってしまう……血が近いせいだろうか、仲たがいにも年季が入っていてね、やさしい女性の仲介にすがろうという次第です」
スープラック・レムノスク。
冷徹な印象をさえ与える、氷のような瞳、皮肉っぽい物言いの影に、少年らしい感性を隠し持つ……金色の毛皮に豪華な斑紋を散りばめた、高貴な獣。
「ああ、そんなに買い被ってはいけない、カノーラ嬢」
王族は直観力に優れている。
スープラックとて、もちろん例外ではない。
彼は子供っぽいほどのプライドの持ち主でもあった。
アリシアが彼に対して、そこはかとない好意を抱いたことを鋭く察知し、そして、謂れのないきまり悪さを覚えたのだ。
第一王子は妙に芝居がかった大袈裟な身振りで、言い放ち、そして、窓の向こうを横目でちらりと伺った。
けれどアリシアは、彼の目配せに対し、なんの意味も汲み取ることができなかった。
「わたしは意固地であまり寛容にできていない上に、相当な天邪鬼でもあるのだ。そんなに無邪気な任せ切った顔をされると、意地悪をしたくなってしまうのだよ。
きみはわたしを誤解している。それはしあわせな誤解だ。ではわたしも、きみに対してしあわせな誤解をしても良いかな? きみはわたしに好意を持った、そうだね?」
怜悧な薄青の瞳に、獲物をいたぶる猛獣の残忍さが宿った。
アリシアの心臓は、えもいわれぬ恐怖に高鳴り始めた。
「あいつの妃候補など辞めて、わたしのほうに乗り換えないか? そうだ、いっそそのほうが、君のお父上もきっと、お喜びになるに違いない!」
言うが早いか第一王子は、アリシアの右手首を掴んで引き寄せた。
アリシアは悲鳴をあげた。
相手の豹変ぶりに、ただただ仰天し、捕らえられた魚のように王子の腕の中でけなげにもがく他、術がなかった。
突然、王子の暴力的な行為がピタリと止んだ。
おそるおそる王子を見上げたアリシアは、彼がいたずらっ子めいた微笑を浮かべているのを認めた。
彼の冴えた水色の瞳は、アリシアを見てはいなかった。
彼は横目で背後を見つめていた。
彼の肩を掴んでいる、手の主を。
「……彼女はぼくの妃候補ですぞ、兄上」
声変わりを終えたばかりの、かすれた低い声。
オオカミのうなり声にも似た迫力を漂わせて。
「とんだ道化を演じてしまったようだな」
落ち着き払って、スープラックは答える。
キン、と張り詰めた空気が二人の王子の間に生じた。
第一王子には、まだ若干の余裕があった。
先手を仕掛けた者の余裕だった。
彼は窓の外、大樹の枝葉の間からこちらの様子を覗き見ている弟の気配に気づくと同時に、弟をこちらに飛び込んで来させる計略を思いつき、まんまと成功をおさめたという訳だ。
ここで初めて、アリシアは先程、第一王子が窓際に目を走らせた理由に思い当たった。
『まあ、スープラックさま、なんということを。
あなたは、弟ぎみが止めに入るのを計算した上で、わたくしにあのような乱暴を働いたのですか?
弟ぎみがこの場に介入してくるよう、仕向けるためだけに?』
王家の兄弟の仲のこじれようの凄まじさを、アリシアは痛感させられた。
「よろしい、悪者は退散するとしよう。正義の味方に叩き出される前にね……ああ、カノーラ嬢」
扉に手をかけ、第一王子は振り向いた。
皮肉な笑みが、片頬に浮かぶ。
「この続きは、いずれまた」
片目をつぶって見せ、身をひるがえす。
上着の裾が残像を描いた。
しなやかな豹の尾そのもののように。




