CAVE02:統合府
/// 自由都市サン・ジューゴ / 中央区 / 統合府本部庁舎前 ///
統合府。それは自由都市サン・ジューゴの行政府であると同時に、洞窟迷宮の調査・採掘及び洞窟兵の管理をも担う都市の中枢機関である。
統合府の本部は、中央区のさらに中央にそびえるひときわ大きな建物だ。周りの建物が小さいため相対的にそう見えるというだけだが、それでも五階建ての庁舎はなかなかに立派だった。
「人、多っ……」
登山列車と路面電車を乗り継ぎ、ようやく門前までまかり越したマルーイだったが、そのあまりの混雑に絶句していた。庁舎の前でしばらく眺めているだけで、膨大な数の人間が吸い込まれ、また同じくらい膨大な数の人間が吐き出されてくる。
あれに混ざんのか、と思うと辟易するのも無理はない。マルーイはいままで、せいぜいが百人かそこらの共同体の中でしか生きてこなかった人間だ。門の前の入場列や電停で人ごみに慣れた気がしていたが、これはその比ではない。ちょっと気持ち悪くなってきた。
しかし、意を決せねばなるまい。ここで尻込みするようでは、洞窟迷宮など挑めようはずもない。この一歩はマルーイにとって小さな一歩だが、マルーイにとっては大きな一歩なのだ。
マルーイはふんすと鼻息一つ、大股でその一歩を踏み出した。
/// 統合府本部庁舎 / エントランス ///
いざ大衆にまかれてしまえば、あとは流れでどうとでもなった。いささか拍子抜けだ。マルーイは役場の窓口へと続く人の流れからいったん抜け出して、ほっと一息胸をなでおろしていた。
庁舎のエントランス・ホールは広々と2階まで吹き抜けていて、無機質ながら開放感があった。もっともそれはこのごった返す人波が台無しにしているのだが、それでも圧迫感を受けない程度には面積がある。
マルーイは肩掛けカバンをまさぐり、一冊の古びた手帳を取り出す。パラパラとめくってしばらく、探し出したページには「名所(必見)」の付箋が貼られていた。
マルーイが手帳から顔を上げる。彼女の目線の先、エントランス・ホールの中央には円形の台座が組まれ、その周囲にはまばらな人だかりがあった。台座に据えられていたのは金ぴかの球体から手足の飛び出た5メートルばかりの物体で、降り注ぐスポットライトの光をぬるりと反射させている。それは強く、マルーイの目をひいた。
「これが原型機……」
辛抱たまらず駆け寄ったマルーイは、周囲にめぐらされた柵に手をつき、身を乗り出すようにしてその物体をつぶさに観察した。金の球体の上部はわずかに透けていて、微かに窺える内部では一人の青年が眠っている。
「こいつが、天秤崩し……!」
そのなんの特徴もない青年をその目で見られて、マルーイは非常に興奮していた。なにせそこで静かに眠るのは、幼少から何度も読み返した英雄譚の主人公、つまり英雄サンジェロ・サン・ジューゴその人であるからだ。そしてこの金色の球体こそ、すべての機械化洞窟兵の基礎となった原型機スフィアに他ならない。
洞窟兵を志す者ならば必ず一度は憧れ、追い越してやりたいと夢想する、伝説のヒーロー。外見からはまるで想像できないが、一度は世界をも救った救世主である。
愛書の挿絵が盛りに盛ってあったことに気づいてしまったのは若干残念だったが、しかしそれでも実物は迫力が違い過ぎる。質量をもった立体物というのはそれだけで心を揺さぶるものだ。マルーイはさらに身を乗り出そうとして――
「ハイそこまで。それ以上入っちゃダメよ、お嬢ちゃん」
身を乗り出そうとしたマルーイの肩に、ポンと軽い調子で手がかかる。軽い所作だが、すごい力だ。ピクリとも前に進めそうにない。マルーイが恐る恐る振り返ると、いい笑顔を浮かべたマッシヴなお兄さんと目が合った。全身むっちりと鍛え上げられた筋肉と、薄化粧を施された華やかな顔面はあまりにミスマッチ。明らかな男性でありながら、女言葉。オカマだ。マルーイは直感した。初めて見た。
「アッハイ、サーセンッシタ」
「やだもう、そんな怖がんなくてもいいわよ」
マルーイがこわごわと(カタコトで)頭を下げると、マッシヴなお兄さんは笑ってマルーイの肩から手を放し、天に掲げて見せる。そのおどけた姿に、マルーイの警戒度は少しだけ下がった。
「今どき初代様にそこまで興味津々な子なんて珍しいわね。お嬢ちゃんはどこから来たの?」
「アッハイ、テッペ村っス」
「テッペ……たしか南の方のそこはかとない辺境村よね。長旅だったでしょ」
「ご存じなんです?」
「ま、こういう仕事をしてるとねぇ」
マルーイが驚いた顔を見せると、マッシヴなお兄さんはくすくすと笑った。テッペ村は悲しいかな、たいして知名度もないありふれた村である。迷宮都市まで名が聞こえるようなことはまずない。この人何の仕事してんだろ。マルーイはいぶかしんだ。
マッシヴなお兄さんはそういった不躾な視線に慣れているのか、気にするそぶりもない。彼はマルーイのつま先から頭のてっぺんまでをざっと一瞥すると、納得したように頷いた。
「それじゃ、ついてらっしゃい。洞窟兵の登録に来たんでしょ?」
「ええまあ、そうですけど……」
マルーイは怪訝な目を向けた。この街の人間はこんなふうに初対面からグイグイくる奴ばかりなのだろうか。カルチャーギャップに眩暈がしそうだ。
「心配しなくても大丈夫よ。ワタシ、ここの職員だから」
マルーイの態度から警戒心を見てとったお兄さんは、パツパツの制服の胸に留めつけられたバッジを見せる。それは自由都市サン・ジューゴの紋章と人名が彫金されたバッジで、確かに目に入る職員がみな身に着けているものだった。
――というかあまりにはちきれんばかりだったので気がつかないでいたが、そもそもこのお兄さん制服着てんじゃん。マルーイは得心がいった。
「えー……と、ペンタグラさん?」
「あら、文字が読めるのね。手間が省けて助かるわ。ペンタグラ・ジューゴよ。洞窟兵の窓口担当。これからよろしくね、お嬢ちゃん」
お兄さん改めペンタグラは、そういってウインクを飛ばした。バチーンと音がしそうなほど豪快なやつだ。彼は踵を返すと、ついてこいと背中で語りながら受付窓口の方へずんずん進んでいく。
マルーイはそのえもいわれぬ迫力におされてしばし呆けていたが、すぐに我に返ってペンタグラの後を追った。
/// 統合府本部庁舎 / 受付窓口 ///
「あーの、ペンタグラさん。いいんスか、こんな横入りみたいな……」
「いいのいいの、気にしないで。どうせワタシの窓口には、ほとんど誰も並ばないんだもの。暇すぎて、さっきみたいに見回りに出てるくらいよ」
なんでかしらね、とカウンターに頬杖を突き、憂いのあるため息を漏らすペンタグラ。彼に「その風貌のせいでは」という正論をぶつけないだけの優しさがマルーイにはあった。代わりに、苦笑いで誤魔化す。窓口の人間がそう言うのならば、他の窓口に並んでいる列は無視できるのがマルーイという女だった。
しかしオカマというだけでここまで避けられるものなのだろうか。であれば、このような都市でもこういう人種は珍しいのだろうか。マルーイがそんな益体もないことに頭を巡らせていると、ペンタグラは一枚の紙をカウンターに乗せて差し出した。妙に決まった所作だ。マルーイはちょっとかっこいいなと思いつつ、その用紙に目を落とす。
「洞窟兵の志願申請書よ。ここに名前と性別、年齢、血液型を書いてちょうだい。出来るわよね?」
「おお、これが」
マルーイはその一枚の紙っぺらに、少なくない高揚を覚えた。さらさらとペンを走らせる。その様子に、ペンタグラは感心した様子だった。
「あら達筆。村では書き物の仕事でもしてたの?」
「そんなんじゃないんスけど、養父が村長だったもんで、その仕事を手伝ったりはしてたんスよ」
マルーイは書き終えた手で鼻の下をこすった。誇らしさとも懐かしさとも違う表情は、どちらかといえばバツが悪いという表現が近い。
ペンタグラはその機微に気づかなかいことにして、受け取った用紙をさらりと検分した。
「ふうん、なるほどねぇ。……マルーイ・テッペ、14歳、血液型はA。ん、問題はないわね。手続してくるから、ちょっと待っててちょうだい」
「え、これで終わりなんスか?」
「拍子抜けしちゃった?」
「……まあ、ちょっぴり」
マルーイが答えると、ペンタグラはころころと――いうにはいささか豪快に――笑う。そして悪戯っぽい笑みを作って言った。
「まだまだ始まったばかりよ。次は学科の講習と考査……要するに、入隊試験を受けてもらうわ」
「え"っ」