CAVE01:新天地
「でっけぇー……!」
自由都市サン・ジューゴの街門を見上げ、手庇を作った少女が感嘆の息を漏らした。
少女の名はマルーイ・テッペ。ギリギリ辺境の、そこはかとない寒村を、我が身ひとつで飛び出してきた向こう見ずの14歳だ。
門には入場待ちで大勢の人間が並んでいたが、彼女の堂に入ったおのぼりさん仕草を笑うものは少ない。なぜなら初めてその門を見る者は、皆揃って彼女と同じような間抜けヅラを晒してしまうからだ。笑うにしても好意的なもの、つまり微笑ましげにその光景を見守るものの方が多いくらいだ。
地平線の向こうに頭を出した時からでかいでかいと思ってはいたが、近づけば近づくほどその威容に圧倒される。全高30メートルを誇るサン・ジューゴの外壁を初めて目の当たりにしたものは、みな口をそろえてそう語る。
(来てよかった……!)
もっとも嘲笑を向けられたとして、今のマルーイがそれを意に介すかといえば、否だろう。彼女は眼前の巨大構造物を拝めただけで、村を出た甲斐があったと胸を熱くさせていた。
故郷のテッペ村を飛び出して、苦節三月と十日。決して楽な道のりではなかった。旅半ばで路銀も食糧も尽き果て、死を覚悟したのも一度や二度ではない。結構な頻度であった。具体的には七日に一度程度の頻度で。
マルーイは地頭こそ良かったが、出たとこ勝負の向こう見ずであった。
それでもこうしてなんとか目的地に辿り着き、故郷では見ることのかなわない文明の威容を目の当たりにした感動はひとしおだ。
「街に入って人心地ついたら、お前もしっかり労ってやるからな」
少女は股ぐらの下に敷いた相棒の首筋を撫でる。鉄と樹脂と、それから少しの生体部品で組み上げられた相棒は応えず、ただひんやりとした手触りだけを返す。エミューと呼ばれるこのマシーンは、かつて地上を闊歩していたと言われる陸生の鳥を模したタフネスな移動機械だ。
家のエミューをかっぱらってこなかったら、きっとこの旅路は数倍苦しかったにちがいない。さいあく道半ばで屍を晒すことになったろう。何度か路銀調達のために売っ払おうとしたのはご愛嬌だ。今となっては、手放さなくて本当に良かった。マルーイは順番待ちの暇つぶしに、過酷な旅を共にしてきた相棒をなでさすって慰撫した。
列はゆっくりと、人々を街の中へと飲み込んでいく。
/// 自由都市サン・ジューゴ / 外縁区画 / 大通り電停前 ///
「まさかエミュー持ってるだけで税金が取られるなんてなぁ……」
さっきまで相棒だったものが入った革袋を片手でもてあそびながら、マルーイは独り言ちた。
苦楽を共にした相棒は今や、数枚の紙きれといくらかのコインに化けて、きっと今後も自分を助けてくれるだろう。マルーイは自分の行いをしれっと正当化して、今は中央区画へ向かう路面電車を待っていた。
マルーイがエミューを容易く手放したのには、この路面電車の存在が大きい。自由都市サン・ジューゴには都市の隅々にまで架線が張り巡らされ、数本の路線を乗り換えるだけでどこへだって行けた。きわめて便利だ。まさに文明都市である。
もともとは兵員輸送のために敷設されたものだそうだが、今では広く市井に供されている。いまマルーイが待つ電停は門に一番近い場所だけあって、多種多様な人物がごった返していた。
「お嬢ちゃん、旅の人だね。中央区へ行くのかい?」
「ああ、そうだよ」
隣のベンチで電車を待っていた老婦人が、おもむろに話しかけてきた。マルーイもちょうどいい暇つぶしだとばかりに応じる。老婦人は恰幅の良い体を揺らし、妙にギラついた目でマルーイのつま先から頭のてっぺんまで舐め回すと、にやりと笑んだ。
「その恰好、行商じゃないね。お嬢ちゃん、志願兵かい?」
「へえ、わかるの?」
「そりゃ、この街に何十年も住んでりゃ、ちょっとはわかるのさ。お嬢ちゃんみたいな、目をぎらぎら光らせた連中は、何人も見てきたからね」
「そいつはすごいや」
確かに複数ある電停のうち、中央区に向かうものだけ、少し客層が違う。具体的には女子供が少なくて、屈強な男どもが多い。
「洞窟は怖いところさ。何人もの新兵が食われて、生き残ったやつも大半は逃げ出しちまう。お嬢ちゃんは、それでも志願するのかい?」
「そりゃ、わたしだって洞窟がヤバいのは知ってるよ。本と伝聞でしか知らないけどね。だから見てみたいんだ。だから潜ってみたい。世界一の洞窟迷宮だぜ? ワクワクするじゃん」
老婦人の探るような物言いを、マルーイは力技で突っぱねた。老婦人はそれを聞いて、くつくつと笑う。
「バカだって思う?」
「ああ。お嬢ちゃん、向こう見ずだねぇ」
「へへ、よく言われる」
言われて怒るでもなく、むしろマルーイは鼻を鳴らして、誇らしげに胸を張った。養父にはよく窘められた。義兄には羨望交じりの呆れ声で、妹には諦めたような声で、悪友には大笑いされながら、皆がマルーイを指して向こう見ずという。だから、その言葉はもはやマルーイの体現なのだ。だからこうして、堂々としていられる。
マルーイはだいぶ図太かった。
「気に入ったよ、お嬢ちゃん」
老婦人は懐から取り出した小箱をマルーイに握らせると、とても愉快そうに笑った。
「もし洞窟から生きて帰ってきて、それでもまだ洞窟兵を続けようってんなら、ウチの店においで」
「なーんだ、営業? ま、気が向いたら寄ったげても――」
良いけど、と言いかけたマルーイの軽口に、老婦人は何も言わず不敵な笑みを作った。まるで歴戦の猛者を思わせる、凄みのある笑みだった。その言い表せない圧迫感に、マルーイは総毛だった。
「……婆さん、あんたナニモノ?」
マルーイは口元をひきつらせながら問う。しかしその返事を得ることは叶わなかった。ちょうど到着した路面電車から人が吐き出され飲み込まれる濁流のさなかに、老婦人の姿は忽然と消えていたからだ。
「……と、都会ってこえー」
人並みの引いた電停のベンチに取り残されたマルーイは、早速の洗礼にぐったりと背もたれに寄り掛かった。そして、じっと手を見る。
手のひらにあったのは、凝った紋章と共に「レディ・トライアの店」という屋号が印字された、小さなマッチ箱であった。
「なんの店だよ……」
マルーイはすっかり出鼻をくじかれた思いで、途方に暮れながら次の路面電車を待った。
/// 自由都市サン・ジューゴ / 外縁地区終端域 / 展望台 ///
「はぁー、すっげぇー……」
眼下に広がる景色に、マルーイの語意はご臨終していた。
謎の老婦人との遭遇でごっそりそがれた意気も、むくむくと復活しているのを感じる。
彼女はいま、中央区をすっかり見渡せる高台に設えられた、展望台にいた。
いや、高台というのは少々語弊があるか。なにしろ中央区は、すり鉢状の巨大な窪地であるからだ。外縁区の地盤面から、およそ40メートルは下がった位置に、綺麗な円形をした中央区の街並みが広がっている。
展望台は、すり鉢のへりにぐるりと張り巡らされた防壁の上に設置されていた。この防壁自体も高さは20メートルちかくあるので、後ろを振り返れば外縁区の街並みをも展望できる。この都市の観光資源の一つであるようで、狭い防壁の上にはそこそこの数の観光客がひしめき、景色を楽しんでいた。マルーイもその中の一人だ。今は、まだ。
「これが、『迷宮都市』……!」
中央区の街並みは、外縁区のそれと比べて地味である。高い建物も大きい建物もなく、地面にへばりつくように建っているものばかりだ。華はない。一見すれば、故郷の村の方が立派な建物があったんじゃないかとすら思えるほどだ。
だが、違う。
この、胸を焦がすようなワクワクは何だ。いそいそは何だ。マルーイは自前の双眼鏡にかじりついて、都市を俯瞰から隅々まで観察する。たしかに、中央区には華が無い。似たような低い建物が、碁盤の目のように敷き詰められている。しかし華が無いというのは、それは裏を返せば質実剛健ということ。無駄をそいで、規格化し、機能に特化した街並みは、ひとえに――。
「ひとえに、戦うために創られた都市であるからだ」
村にいる時、暇があれば読んだ本の、すっかり覚えてしまった一節が口からこぼれる。それは勇壮で、好奇心を煽るに足る一節だ。幼いマルーイを突き動かし、遂にはここまで足を運ばせた一節だ。
マルーイは、ぞくぞくとした興奮を覚えた。街並みは本の挿絵と少し変わっているが、それでも大きな違いはない。ならばあの一番大きな建物が統合府の本部であることは明白で、その横にぽっかりと口を開けている大穴が――洞窟迷宮の入り口。
「この街の地下に、あるんだ……!」
いてもたってもいられなくなる。いつしかくじかれた出鼻は完全復活して、いつよりビンビンにそそり立っていた。
マルーイは肩に食い込むザックを担ぎなおして、一目散に展望台の階段をかけ下った。
目指すは統合府本部。そして――洞窟迷宮だ。
なお、階段を駆け下っているところをを展望台の係員に強めにとがめられ、せっかく復活した出鼻がまたくじかれたことを、余談としてここに記す。