幼馴染でよかったよ
「そっか、じゃあ友達できたんだ」
放課後、帰る道中に寄ったコンビニの前で莉乃は意外そうに訊いてきた。
「いや、友達というか……まだ知り合ったばかりというか……」
「そこで友達って言い切れないのが実に拓海らしいね」
俺が睨むと、莉乃は笑いながら「ごめんて」と口にする。
けど軽々しい言い方、本気で謝罪しているわけではないのだろう。「あ、美味し」と言いながら、購入したデザート飲料を楽しんでいた。
「で、その瀬戸くんってのはどんな人なの? 同じクラスだけど話したことないから分かんないや」
「どんな人? うーん、そうだな……」
冷ましていたラテをようやく口に含む。舌先に馴染むような滑らかさ。エスプレッソの強烈な苦味にミルクが溶け込み、甘さを際立たさせる。この後味は悪くない。
「……優しい人だよ。最初はちょっと変な人だなって思ったけど、話してみたら意外とシンパシー感じてさ」
いつもは緊張して固まってしまうのに、瀬戸くんと話している時はそうならなかった。彼も似たような様子だったし、それが分かった途端、同士とさえ思えた。
「(……今度、また話してみようかな)」
高校生になって初めて友達になれるかもと思えるような人に出会えて、少々浮かれているのかもしれない。自然と笑みがこぼれる。
「……でもさ、急に話せるようになるなんて変じゃない? 拓海って自分から話しかける時、いつも緊張してモアイ像みたいになるじゃん」
「モアイ像て、そんなわけ……」
「多分皆そう思ってるよ。いきなり話しかけてきたと思ったら今度は直立不動になるし。イースター島から脱出してきた像だって噂も流れてたし」
酷い言われようだ。あまりにも風評被害過ぎる。
「てか、お前が挨拶しろって言うからやったのに……悪目立ちしてるの絶対莉乃のせいだろ」
「だからごめんて」と謝罪する莉乃。だがやはり口元がニヤついていた。どうせ俺をからかっているのだろう。
「それで? 結局のところ、なんで急に仲良くなれたの? 訊いた感じその子も自分から話しかけるタイプじゃなさそうだし、ちょっと気になる」
「それは……」
さり気なく視線を向ける。が、すぐに逸らした。こればかりは興味本位で覗いて良いものではない。
「……内緒」
「え、なんでー? 協力してあげたんだから訊く権利くらいあるのにー」
「おい、なんで仕方なく協力してやった感出してんだよ。お前はむしろ提案した側だろ」
「そんなの関係なーい、さっさと教えろー」
一方的な開示請求だが、そんなものは関係ない。こればかりは流石に話すこと自体が禁忌だと理解している。
迫りくる質問攻めを退け、どうにか体面を守ることができた。
「なんでそんなに頑ななの……ちょっとくらい良いじゃん……」
ことごとく突きつけられた敗訴、莉乃は機嫌を損ねてしまった。
だが、こちらとしても守りたいものがあるのだから仕方がない。泣き寝入りしても言うつもりは毛頭なかった。
その態度にようやく諦めたのか、「ちぇっ」と口にすると、莉乃は残っていたデザート飲料を余すことなく吸い上げる。中身がなくなった後でも吸い続けるその様子は、まるで今のやりきれない気持ちを表しているようだった。
「(…………)」
目線を外し、俺は再びラテを口に含む。すっかり冷めてしまったラテの味は、いつもよりほんのりと苦く思えた。
「……ねえ、私って役立たずだった?」
唐突にそう訊いてくる莉乃。垂れ下がった右手には、僅かに力が籠っているように見えた。
「いや……なんでそうなるんだよ。誰も役立たずなんて言ってないだろ」
「でも協力するとか言っておいて結局なんにもできてないし……これなら私がいなくても友達作れてたじゃん……」
莉乃は笑みを浮かべるが、それが取り繕ったであるとすぐに分かった。
「なあ、そんな悲しそうな顔すんなよ……」
「全然悲しくないし……いじけてるだけだし……」
「それなら尚更じゃねえか……」
その言葉に莉乃は返事をせず、代わりに顔を背けて溜息をつく。
確かに莉乃の言葉通り、その姿はまるで自分の思い通りにならずにいじけている子供のようだった。
「……」
正直、莉乃は可愛いと思う。
ルックスはさることながら、性格も悪くない。皆から好かれているし、現に
保育園の時も、小学生の時も、中学生の時もそうだった。そしてこれからも、莉乃を悪く思う人は一生現れないだろう。
でもそれは、彼女が笑顔であればこそ。今のように俯いたままでは彼女の魅力は失われてしまう。
そんな姿の彼女を俺は喜べない。莉乃には笑顔が一番似合う。そう思うのは決して悪いことではないはずだ。
「……莉乃、一つだけいい?」
依然として顔を背けている莉乃へ、俺はそう訊く。莉乃は口を尖らせながらも「なに」と返してくれた。
「莉乃は自分のことを悪く言うけどさ、俺はむしろ感謝したいくらいなんだよ」
「……なんで感謝? 私、なんもしてないのに」
「してるよ。実際、友達作ろうって言ってくれたのは莉乃だぞ? それのどこが協力していないって言えるんだよ?」
少し考える素振りを見せ、そして莉乃は振り返った。
「いや、それは詭弁じゃない……?」
「え、そうかな?」
「そうだよ、あー危なかった……もう少しで騙されそうになった」
言葉のレトリックだと思ったらしい。確かに、言われてみればペテン的にも受け取れる。
「まあ、でもさ……実際に莉乃が言い出さなかったら俺は友達作ろうだなんて微塵も考えなかったと思うよ」
初めから友達作りを意識しなければ、そもそも他人に話しかけようともしなかった。それは俺が一番よく分かっている。
単純に他人と話すだけなら俺でもできるが、他人と仲良くなろうと意識するとどうしても身体が強張ってしまう。
他人の領域に踏み入る勇気が出ない、それが俺自身のコンプレックスになっていた。
「だからさ、莉乃がそのきっかけをくれたことに感謝してるんだよ。ちょっとは苦手意識もなくなったと思う」
最後に「ありがとう」と付け加え、俺は残っていたラテを飲み干す。あんなに強く感じられたエスプレッソの苦味は全くしなかった。
「あはは、拓海の顔、すごく赤いね」
「……うるさい」
にやにやしながら覗き込んでくるので、俺は逃げるように顔を背けた。これではさっきと立場が逆だ。
「(くそ、素直になるんじゃなかった……)」
今後ずっと莉乃にからかわれ続けるかもしれない、そう思うと後悔が押し寄せてきた。ああ、早く離れてほしい。
「……まあでも、その詭弁とやらに騙されてあげますかな」
そう言うと莉乃は姿勢を戻し、その後手を差し出してくる。意図を察し、俺は空になったカップを手渡した。
「せっかく別のプランも考えてたのになー、なんか肩透かし」
手に持っていたものを捨てて戻って来ると、莉乃はそう口にした。
「別のプランって……挨拶以外にも考えてたのかよ」
「もちろん、提案者としての責務だしね。例えば私の仲良いグループに交じってどこか遊びに行くとか―――」
とんでもない計画だった。想像するだけでなんとも恐ろしい。
「それはちょっと……荒療治過ぎないか?」
「このくらいまで追い込めば他人の気持ちが理解できるようになるかなって」
「え、俺の気持ちは……? 俺の気持ち全然考えてなくない……?」
「冗談だって」と言いながら、莉乃は笑みを浮かべる。でも今度は違う。取り繕ってなどいない、本物の笑顔だった。
「……はぁ」
口ではそう溜息をつく。でも感情は正直で、いつも俺は詭弁に甘えてしまう。
やっぱり莉乃には笑顔が似合う、そう思うと笑みが零れてしまう、嬉しくて自然と口角が上がってしまう。
「(…………)」
莉乃は多分気づいていない。俺の幼馴染はそこまで裏表がある異性ではない。
だからこのまま気づかないでほしい。変わらずに、いつまでもそのままでいてほしい。
幼馴染でよかったと、そう思えるから。
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