第34話 闇の中へ
「な、縄! 縄をほどいてくだされば! 自分で走って逃げますから!」
エミリアは抱えたローザの言葉を無視して、階段を飛び降りた。
「きゃー!」
ローザは悲鳴を上げる。守られているのはありがたいが、もう少し丁重に扱ってほしいと思うのはワガママなのだろうか。
「こ、これでも一応姫なのですけれども!」
「あはは!」
エミリアは聞いていない。笑いながら出口に向かい、何かにつまずいて思いっきり転んだ。
「ぎゃー!」
「きゃー!」
しかしそこはさすがにローザを取り落とさないだけの分別はあった。ローザはエミリアの上に乗っかる羽目になった。
「ぐえっ!」
「だ、大丈夫ですか……?」
「大丈夫……あ、サミュエル、何死んでるのよ!」
「し、死んでるのですか!?」
エミリアは自分がつまずいたのが、サミュエルの巨体であることに気付いた。
「ぎゃー、めっちゃ血がついた! ごめんなさい、ローザ姫、私、コイツ引きずらなきゃいけないので、あなたを運べるのはここまでです」
「わかりましたから、縄をほどいてくださいまし……」
エミリアが起き上がり、ローザの縄に手をかけたその時、扉がさらに開いた。
「おお! オリバーかな!? あいつにしちゃいいタイミング……じゃないな、誰だね、君は」
エミリアが問いかけた相手は、ジョセフ少年だった。
「……ローザ様」
「ジョセフ! あなた……ひとりでここに来ましたの!? 危ないことを……」
「ローザ様を離せ! この!」
「あ、いや……ちが……」
ジョセフがエミリアに殴りかかる。ローザが止める隙もなく、エミリアは殴りかかる拳をひらりとかわし、ジョセフをサミュエルの上に引き倒した。
「こらこら、死にかけのサミュエルにとどめを刺すような真似はやめたまえ」
「いえ、サミュエルさんにジョセフを押し付けたのはあなたですよね……」
ローザは呆れてそう言っていた。
「離せ……離せよ……!」
「あの、エミリアさん、ジョセフは大丈夫です。わたくしの味方ですから、その襲いかかったことは謝りますので、離してあげてくださいます?」
「そうもいかないんですよねー、彼……飲まれてますよ、闇に」
「は?」
「闇魔法の使い手みたいです、この子」
「ジョセフが……?」
闇魔法、それは光魔法と並ぶ使い手の極めて珍しい魔法だ。
光魔法は治癒魔法であることがよく知られているのに対し、闇魔法については半ば伝説と化し、正確なことを知っている者は少ない。
一説には、闇魔法を発現した者は迫害された歴史があり、そのため闇魔法の使い手はそれをひた隠しにするのだという。
「じょ、ジョセフ、本当なの? で、でも、だとしても……ジョセフは大丈夫ですわ、悪用なんてしませんもの、ねえ、ジョセフ」
「いえ、悪用したくなくとも、悪用できるのが闇魔法です。闇魔法は闇を召喚したり、人を眠りに誘ったりできますけど……その一番の効能は、自分への狂化付与です」
「きょ、きょうか……?」
「理性を飛ばす代わりに、強い力を発動させることができるんですよー。いやーこれのおかげでどれほど私が生き延びてきたか」
「え?」
「あ、はい、私も闇魔法の使い手です」
ことのついでのように、エミリアはそれを明かした。ローザはあまりの衝撃に口をぽかんと開けることしかできなかった。
そしてエミリアが呑気に話をしている間に、ジョセフの体から黒いモヤのようなものが溢れてきた。
「え、エミリアさん!? ジョセフがなんか黒くなっていきますわ!?」
「これが闇魔法の使い手の暴走状態ですねー」
「と、止めてくださいませ!」
「光魔法による浄化か、本人が気を鎮めない限り無理ですね」
「そ、そんな……」
ローザはジョセフに近寄る。その間にエミリアはようやくローザの縄をほどく。そしてエミリアは二人を放って、サミュエルの怪我を確認する。ずいぶんな深手だった。
「私、こいつの止血しますんで、その間に呼び掛けとかしてあげてください。もし無理だったらその子の首を切り落とします」
「なっ!?」
「そうじゃないと、止まりませんよ、闇魔法。光魔法の使い手は一番近くて王都ですし、到底間に合いません」
「ジョセフ! ジョセフ! 気をしっかりなさい!」
ローザがジョセフを揺り動かすが、ジョセフの目の焦点は合っていない。
「おーい、サミュエルー、ちょっと痛いぞー!」
一方、エミリアはサミュエルの傷を脱いだ制服で抑える。
「まったくー、何やられてるんだ、図体がデカいだけの役立たずめえ」
「わたくしといっしょに転がされてた方の言うことですか!?」
ローザはジョセフの体を揺らしながら、エミリアの非道な言葉に思わず振り返った。その瞬間、ローザの体を闇が包み込んだ。
「えっ」
「えっ」
思いがけない事態にエミリアが手を伸ばすより早く、ローザは闇の中に沈み込んだ。
「えー……えーと……どうしよ」
ジョセフ少年の体は完全に闇に飲み込まれていた。
「……切れないじゃん、これじゃ、首」
心底困りながらもエミリアは止血の手を止めなかった。