第33話 戦う騎士団長
余計なことは考えない。サミュエルがああ言った以上、誰が敵でも驚いてはいけない。
階段を細心の注意を払って上がっていくが、特に細工はされていなかった。
明かりはまるで誘い込むように一部屋に向かってついていた。
「…………上等だよ」
無言で扉を蹴り開けた。
その中には転がるローザ姫とエミリア副隊長がいた。
「ローザ姫! エミリア!」
「ダン……あなた本当に……」
ローザはダニエルが自分を姫と呼んだことに特に驚きはしなかった。ただ何かを確信して彼を見上げた。
「ダニエル!」
エミリアが叫ぶ。その声に込められた忠告にダニエルは足を止める。
そしてローザとエミリアのさらに奥から、一人の男が姿を現わした。
「……なんで、あなたが」
ダニエルは、驚いた。決意をしていても驚いた。
そこには剣を構えたハロルド教官がいた。
厳しい顔でこちらを睨みつけている。その姿は、間違いなく敵のものだった。
「よく来たな、ダン。いやはや、まさかお前がダニエル騎士団長だったとは……左遷されたウィーヴァーから暗号文で知らされたときは驚いたぞ」
「……あんたほどの人がウィーヴァー隊の腐敗を見逃していたのには違和感があったんだ。それは職分を越えないためだと思っていたが……共犯、だったのかよ」
「大事の前の小事……というやつだ、ダニエル騎士団長」
ハロルド教官は表情の変わらぬ厳めしい顔でそう言った。
「南部暴動という大事の前には、小さな町でどれだけ騎士が腐敗しようとそれは小事だと?」
「まあ、そうだ」
「……反吐が出る言い草だな」
ダンは吐き捨てた。
「人の営みに大きいも小さいもあってたまるか、等しくこのテラメリタに生きる人々を脅かすものは……俺の敵だ。大きいも小さいもない」
「だが……あなたこそ大事をなした故にそこにいるお方ではないか。西部国境戦の英雄よ」
「……そんないいもんじゃない」
ダニエルは苦々しくそう言った。
「俺はただの……お飾りだ。体のいい英雄を掲げて騎士団を正したかった陛下の意向に従っただけだ。国境戦の英雄? ただの生き残りのひとりだよ、俺もエミリアもサミュエルも……」
西部国境戦。そこでダニエルは地獄を見た。誰もが地獄を見て、勝ち残った。多くの仲間の屍の上に生き残った。
だからこそ、彼らは必死で今も騎士として勤めている。
だからこそ、南部暴動は許せない。
「この国を揺るがすというのなら、誰であろうと、戦うまでだ」
「ああ、そうだな……お前は……お前達は立派な騎士だ……立派な騎士が……死んでいく」
ハロルド教官は苦痛に顔を歪めた。教え子達のことを言っているのだろうと、ダニエル騎士団長には痛いほどそれがわかった。
「だから一からだ。陛下は間違っている。お前を頭に据えたくらいで変わるものか。一から……国家からやり直さなければ、変わりはしない。変えるのだ、この国を」
「詭弁だ」
「手駒は手に入った」
ハロルド教官はローザ姫を見下ろした。
ローザ姫は悲しげに目を伏せた。
「……わたくしには、政治のお話はわかりません」
小さな声でローザはそう言った。
「戦争のお話もわかりません。お父様はそれをわたくしに近付けようとしなかった……同じ王宮にいてもなお、騎士団長の顔すら知らないくらい……私は何も知らなくて……だから、ここにいるのです……知りたかったから。ここにいるのに……わたくしは結局、この国の足を引っ張ることしかできないのでしょうか、ダニエル騎士団長」
その声には涙がにじんでいた。
「いいや、そんなことはありませんよ、姫殿下」
ダニエル騎士団長はこの建物に足を踏み入れて初めて笑った。
「あなたがいる。あなたを守ろうと思える。俺たちの仕事の動機はそういう事の積み重ねです。そこのエミリアだって……軽薄でおっちょこちょいで失態をしましたが……あなたを守ろうとはしたでしょう?」
「…………ええ」
「いいじゃないですか、自分で自分を守れるお姫様。そういうの、カッコいいと思うぜ、ローザ」
ローザの前でダニエル騎士団長はダン訓練生に戻っていた。
「ダン……」
ローザが涙に濡れた目を上げる。
「だから今は、まだ駆け出しの君を俺たちが守ろう」
そう言ってダンは床を蹴った。ローザとエミリアの上を飛び越えて、ハロルド教官の頭上めがけて、剣を降り下ろした。
ハロルド教官は真っ向からその剣を受ける。切っ先が振り払われる。
後ろでエミリア副隊長がなんとか立ち上がろうとする気配がした。
「火の精よ、我に力を!」
ダンが火魔法を唱えると、エミリアを拘束していた縄が燃えた。
「ありがと!」
手短に礼を言うと、エミリアはローザ姫を抱え上げた。
「きゃあっ!」
ローザから悲鳴が上がる。
「ほらほら、逃げますよ!」
「逃がすか! 四大精霊よ、目覚めたまえ。風の精よ、我に力を」
ハロルド教官が風魔法を発動させる。
「ぎゃー!」
エミリアが緊張感のない悲鳴とともに転がっていくのに少し意識を持って行かれそうになりながら、ダンはハロルドの足元を狙って足払いをする。
ハロルドはそれをひらりと避けると、剣を構え、ダンの顔を狙った。
(神速のハロルド! の突き!)
初めて出会ったあの試験の時の鋭い突きを思い出し、ダンの頭が警鐘を鳴らす。
しかも今ふたりが構えているのは真剣だ。当たれば、死ぬ。
木剣ですら命の危機があったというのに。
ダンは顔を狙ったそれを紙一重でかわす。
「ぐぅっ……!」
突きでハロルドは手を止めなかった。
そこからさらに剣を横薙ぎに払う。次に狙われているのは首だった。
ダンは急いで剣を挟む。高い金属音、首の直前でハロルドの剣はダンの剣に阻まれた。
ダンはひやりとした金属の錯覚が首に触れたような気がした。
「ふははっ」
そしてダンは、笑った。
「あー、これこれ、これだ」
「……何がおかしい」
「そうだった、忘れてた、怒りのせいで忘れてたけど……あんたには悪いが、俺はこれが望みで訓練生にまで下りていったんだった」
ダンはハロルドの剣を押し返すともう一度笑った。
「人が死ぬのは嫌いだが、自分が死にそうになるのは、実はそこまで嫌いじゃないんだ、俺は」
「……お前も、そういうイカレた側か、残念だよ、ダン」
ハロルドは嫌悪を剥き出しにそう言った。
「ここであんたらが飼ってたごろつきどもよりはマシでしょうよ。あいつら俺の頭を思いっきり棒っきれで殴りやがりましたからね。なんか気付いたら半日で治ってたけど」
「……化け物か? いや、お前……何か、かかってるな、魔法が」
「あー、アリアか」
どうやらあの有能な光魔法使いの副官はこっそりダニエル騎士団長の体に自然治癒の魔法をかけてくれていたらしい。
今の今まで気付かなかったのはさすがに鈍感がすぎるだろうか。部下の献身に対して申し訳ない気持ちになった。
「つまり……怪我し放題、か」
ダンはニヤリと笑うと、ハロルドの剣を弾いた。
「さあ、来いよ、神速のハロルドとやら、あの日に見せられなかった俺の実力、お見せしようじゃねえか」
「…………ああ」
嬉しそうなダンに、ハロルドはあくまで苦渋の表情で向かい合った。