第31話 混乱
「ただいまー、飯できてるー?」
サミュエルと一旦別れて、訓練場に戻り、つとめて軽い声で食堂に入ったダンは、自分が何かを間違えたことに即座に気付いた。
食堂の中の雰囲気は最悪だった。キャサリンがシクシク泣いているのを、リリィなだめている。
「え、ええと、なんかあった?」
「あ、ダン……それが、ローザちゃんがどこにもいないの……」
リリィが困ったような顔でそう言った。
ダンは慌ててジョセフを探す。ジョセフは食堂の中にはいなかった。
「ジョセフは!? いっしょか!?」
「ジョセフくんはフレッド達といっしょにローザちゃんを探しに行ったわ。ふたりと他何人かは訓練場内を、アベルとベンジャミンたちは訓練場を出て町まで探しに行った……」
「ローザの……最後の足取りは!?」
「お皿を洗うって井戸に行ったんだけど、そのお皿が井戸のところに割れて落ちてたの……」
リリィの顔がいちだんと暗くなった。
「井戸を覗き込んだけど、さすがにそこに落ちてはいなそうだった。でも……心配よね、お皿が割れてる状態でいなくなるなんて……何かあったとしか思えないわ」
「あ、ああ……」
(ローザ姫……! 俺がいない隙にまさかこんなことに……! エミリアとサミュエルに助けを求めるしかないか……?)
「は、ハロルド教官には報告したのか?」
「それが、教官室にいないのよ……」
「……そうか、出掛けているのか?」
まだダンはハロルド教官を疑うまでには至らない。
エミリアと違ってウィーヴァー隊のことをダンはほとんど何も知らない。
エミリアがウィーヴァー隊の中に裏切り者がいないのではないかと疑い始めていたことを、ダンは知らなかった。
そんな中、食堂の裏口から訓練生数人が戻ってきた。
「ジョセフくん! フレッド!」
リリィが彼らに声をかける。
ジョセフは顔が真っ青だった。
フレッドが頭を横に振りながら、口を開いた。
「見当たらない……んだが、ちょっとおかしなところを見つけた」
「どこだ!?」
ダンは即座に食いつく。
「武器庫なんだが……どうも扉が壊された形跡があるんだ。その後、乱暴に直した跡もあった」
「武器庫……」
ローザ姫が何故そのようなところに行くのだろう?
何か落とし物でもしたのだろうか。だとしても扉を強引に壊すとは考えがたい。
ローザならハロルド教官に素直に申し出るだろう。
しかし、もしそれが言えないものだとしたら、たとえば王家にまつわる何かを落としたのだとしたら、言わずに探しに行くかもしれない。
「……いや、それでも扉を壊すのはローザの行動らしくないな……」
そもそも壊す腕力があるかも怪しい。
ふと、エミリアの顔が浮かんだ。エミリアならそういうことをしかねないが、しかし今度はエミリアが訓練場の武器庫に用がある理由がない。
「…………」
ジョセフは顔を真っ青にしたまま、空中を見た。
「……ローザ様……」
この状況、一番困っているのはジョセフだろう。
ジョセフはダン達がローザの正体を知っていることを知らない。
ひとりで姫君が行方不明だという事実を抱え込んでいる。
ダンはいっそここでローザの正体を知っていることを明かすべきかと思案した。
しかし人前で言うのも問題がある。
「……ジョセフ、ローザの出自について何だが……」
ジョセフは弾かれたようにこちらを見た。その目には戸惑いが浮かんでいる。
「……人前では言いづらい、外で話そう」
「おい」
フレッドが止めに入った。
「いい加減、話してくれても良いんじゃないか。こうなったら、別にローザの正体が何でも俺たち驚かないし、言わねえよ!」
「フレッドさん……」
ジョセフが迷う。ダンも困る。これは言う言わないの問題ではないのだ。
(お姫様がこんなところで身分を隠して騎士の訓練なんぞに明け暮れていた。それを知られたら……王家への信頼だってどうなるか……)
そこにさらなる混乱の種がやって来た。
「失礼する!」
勢いよく食堂の表から入ってきたのはオリバー副隊長補佐だった。カールとキドニアを後ろに連れている。
「また何の用だ、お前ら!」
フレッドが即座に牙を剥く。
「危急の用だ! エミリア副隊長を見なかったか?」
見なかったか? と言われても訓練生のほとんどはエミリア副隊長の顔など知らない。
地元民であるアベルやベンジャミンなら知っていたかもしれないが、今は外に出ている。
唯一知っているダンが大声を上げた。
「まさかエミリアも行方不明なのか!?」
「な、なんだ貴様、呼び捨てにして、エミリア副隊長に対して馴れ馴れしいぞ」
オリバー副隊長補佐はダンの勢いに戸惑いながらもそう言った。
「ん? エミリア『も』と言ったか? 他に誰か行方不明なのか?」
「それが……訓練生のローザが行方不明だ。あんたがからかったあの女の子だ」
「あ、ああ、あの生意気な……。お前ら見たか?」
問われたカールとキドニアが頭を横に振る。
「あ、あと、サミュエル監査官と行き会わなかったか?」
「それならすれ違った。盗賊団のアジトに監査に行かれるそうだ」
「そうか……」
盗賊団のアジトは森の中だ。今から追いかけて探すのはいささか骨が折れそうだった。
そうして迷っているうちに外はどんどんと暗くなっていく。たとえ姫君でなくとも、少女一人を外に放り出すのには心配になる時間帯だった。
(くそっ、何からだ。何から手をつければいい? エミリアの行方不明とローザ姫の行方不明は同じ問題か? 別問題か? どこから……ああ、こんなときにアリアがいれば……!)
アリアは入り組んだ問題を整理するのがとてもうまい。ダンの苦手な頭脳労働は彼女が一手に担っていると言っていい。
「……あの!」
ジョセフが意を決して声を上げた。
(言うのか……ジョセフ)
ダンは彼に任せた。
ローザのことを何より知っているだろう彼がバラすのなら、それは任せる他ない。そう思った。まさか、ジョセフの続く言葉がそれとはまったく違うことであるなど想像もせずに。
「ローザ様は! そこのダンが他国のスパイであることを見抜いておられました! そのせいでそいつにさらわれたのかもしれません!」
「はあ!?」
思いもがけない疑いに、ダンは大声を上げた。
(よりにもよって俺が他国のスパイ……!? 悪い冗談も良いところだが……いや、疑われるのは無理もない、か……にしたって最悪の状況だぞ、これは!)
ダンは己の行動を省みてそう思う。高すぎる実力、それを隠そうとする素振り、怪しまれるのは仕方ない。
(くそっ、かえすがえすもサミュエルかエミリアがいれば……!)
そう悔やむダンに疑いの目は鋭く突き刺さっていた。
オリバー副隊長補佐はすでに腰元の剣に手を当てている。カールとキドニアも警戒態勢。
「ま、待てよ、ジョセフ。落ち着け」
フレッドがジョセフの肩を掴む。
「ダンはさっきまでサミュエル監査官といっしょに討伐任務に当たってたんだ、そのサミュエル監査官が無事なのだって、そこの騎士が確認しているだろ!?」
「……そのサミュエル監査官だってスパイの可能性は」
ダンはジョセフの表情を探る。
その顔は真剣そのものだ。状況が状況なだけに、これが正しいと一旦思ってしまえば、それを矯正するのは不可能そうであった。
今のジョセフなら、ダンがスパイであることを補強する論をいくつでも思いつけるだろう。
(となればここで議論を尽くすことに意味はない!)
その判断はあちら側も同じだったようだ。
「水の精よ、我に力を!」
オリバー副隊長補佐の後ろからカールが水の塊を放つ。
勢いはあまりない、ただそれは真っ直ぐにダンの顔に向かって放たれていた。
(目くらまし! つまりここからくるのは……!)
ダンは一歩飛び退いた。
さっきまでダンがいた場所を、オリバー副隊長補佐の剣がかすめていく。
「……話を聞く気はなさそうだな! オリバー副隊長補佐!」
「話は拘束してから聞かせてもらう! おとなしく捕まってくれるなら、ローザ訓練生とエミリア副隊長の居場所を吐くのなら、悪いようにはしない!」
「……そりゃ知ってりゃなあ!」
駄目だ。話す余地がない。
(ここはもう……逃げの一手!)
ダンは入り口を固めているオリバー副隊長補佐たちに背を向け、一路裏口へと走り出した。
オリバー副隊長補佐がさらに踏み込んでくる。
剣が空を切る音を頼りに、背中を押そう剣を避ける。
「くっ……地の精よ、我に力を!」
ダンの呪文によって食堂を形成している木が、活性化する。
オリバーの剣をがんじがらめにして取り上げた。
「待て!」
ジョセフが叫び、そして詠唱を続けた。
「四大精霊よ、目覚めたまえ。風の精よ、我に力を。空を切り、飛べ。対象を、吹き飛ばせ。魔力解放、全開放出!」
ジョセフが第五小節詠唱で呪文を唱える。
(次の一発を考えない、膨大な魔力を乗せた大魔法!)
「きゃああ!」
リリィとキャサリンが悲鳴を上げた。
ダンの足元は風にすくわれ、大きくすっころぶ。しかし彼はそのまま受け身を取り、前へ転がる。風はダンを追いかけ、料理の支度ができている調理場に吹き込んでくる。皿が割れ、食事が散乱する。
(ハロルド指導教官が見たら雷だな……!)
そのままダンは裏口を壊す勢いで外に出た。
「追え!」
食堂からオリバー副隊長補佐の声が聞こえる。
ダンは急いで走り出した。