第22話 訓練生の日常
翌朝。
「……あれ、なんか、傷もう治ってるな」
起きた瞬間、ダンは頭に手を回した。
昨日、棒で殴られた傷がすでに治癒していた。
痛みも引いている。かさぶたひとつない。
「んー、我ながら丈夫だな、俺」
そうつぶやいて、今日もまた皿を数える以外に仕事のないだろう食堂に彼は向かった。
今日もまたハロルド教官の声が訓練場に響き渡る。
「今日の午前は乗馬の訓練である!」
「はー……」
ダンの隣でフレッドが大きなため息をついた。何しろ乗れる馬がいないのだ。乗馬の訓練などフレッドには自由時間という名の拷問である。
「あー、フレッド、無言で脇に寄ろうとするな」
ダンから昨日のうちに返却された剣を腰に提げなら、ハロルド教官がフレッドに声をかける。
「今日は元ウィーヴァー隊のエミリア副隊長から馬を貸し出してもらっている。ダンが盗賊団の討伐に協力してくれたお礼だそうだ!」
「マジか。あ、いや、本当ですか!?」
フレッドが嬉しそうに叫ぶ。
移動した乗馬場には一頭の凜々しい馬がいた。他の馬たちより一回り体が大きく、フレッドが近付いてもピクリともしない。
「……よろしくな」
そうフレッドが声をかけると、馬はヒヒンと高らかにいなないた。
ダンはエミリアに頼んだ甲斐があったと頬を綻ばせた。
フレッドの乗馬の成績はなかなかであった。物怖じしない性格がいいのだろう。
同じく物怖じしない馬との相性が合っていたし、乗りこなすだけの膂力もあった。
未経験だったはずのフレッドが、あっという間に馬を乗りこなす姿に訓練生たちは大いに力づけられ、やる気を出し始めた。
その日の乗馬訓練は活気づいたいい訓練だった。
昼、いつものように皿洗いとテーブル拭きを終えて、食卓についているダンに、アベルが話しかけた。
「そうだ、ダン。昨日はいろいろあって言いそびれたんだが、町に行ったときにたまたま会った隊商が、お前にお礼を言いたいから訪ねて来られないかだってさ」
「あー……別にいいのに、そんなの」
ダンは照れたように笑った。
「明日はちょうど週一の休息日で、ハロルド教官の許可が下りれば外出可だし、会いにいってやったらどうだ?」
「……下りるかなあ、許可」
思わずダンはぼやくようにそう言っていた。
自分が訓練生として優等生ではない自覚はさすがにある。
素行が悪いから駄目だと言われれば、受け入れる他ない。
「……下りるかなあ」
言い出しっぺのアベルも苦笑してそう言った。
「隊商との接触……!」
「今度は何ですか、お嬢様」
ダンの背後で聞き耳を立てていたローザが小さくつぶやく。
ジョセフはもう慣れた様子で聞き流す体勢に入っていた。
ジョセフにはもうダンが他国のスパイには見えなかった。
ちょっとデビューが遅れただけの新人騎士。
そういう認識になりつつあった。
ローザがダンに近付いていくことの方がよっぽどジョセフにとっては問題だった。
「隊商から国内の情勢を聞き出すつもりでは……!」
「ああ、それで思ったんですけど、そもそもスパイなら拘束時間の長い騎士見習いなんて選びますかね?」
ジョセフは冷静にローザの「ダン他国のスパイ説」の瑕疵を指摘する。
ジョセフはこれ以上ローザにダンのことを考えさせるのはいけない気がしていた。
「……長い計画なのでしょう」
「そうかなあ……」
「ジョセフもいうようになりましたね」
ローザはどこか嬉しげにそう言った。
「わたくしの言葉に逆らうなんて、かつてのあなたでは考えられないことではありませんか」
「…………ま、まあ、こんな状況ですからね。ひめ……お嬢様の無茶や無謀をお止めするのも俺の仕事です」
「うふふ」
ローザは嬉しそうな顔を崩さず、昼食を口に運んだ。
相変わらず彼女はそれをおいしいとは言わなかった。
午後は基礎体力の訓練だった。
ひたすら訓練場を周回する走り込みである。
「ぜえ……はあ……」
いち早くローザが脱落して、地面に転がった。ジョセフが列を離れてローザに駆け寄る。
「お嬢様ー!」
「水を飲ませてやれ、ジョセフ」
冷静にハロルド教官が指示を出す。
「は、はい!」
皮革でできた水筒でジョセフが水を運ぶ。
「ごく……ごく……も、もう大丈夫ですわ、走り込みに戻りなさい……」
「は、はい……」
次にリリィが脱落。
その後はジョセフが、そして徐々に男性陣が脱落していった。
最後まで残ったのはダンとフレッドだけだった。
「そこまで!」
「ふー……」
肩で大きく息をして、ダンは背筋を伸ばした。
「いやー、疲れたな、フレッド」
「そうだな……」
そんなふたりを膝を抱えて地面に座りながら、じっとローザが見ていた。
「やはりあの体力……スパイ……」
「はいはい」
ジョセフはサラッと流した。
「解散! 明日は休息日だ! 外出を希望するものは食堂に行く前に私の前に列を作れ!」
アベルとベンジャミン、他数名の地元組が列に並ぶ。彼らは実家に一度帰るのだろう。
「……ダン、いかなくていいのか」
「フレッドこそ」
「俺はいいんだ。もう家族はいないし」
あまり気にした様子はなくフレッドはそう言った。
「そっか……」
「隊商との縁は一期一会だろう。次にいつこの町に来るかもわからない。会ってやれよ」
「……うーん」
ダンが迷っていると――。
「ダン!」
ハロルド教官の方がダンを呼びつけた。
「は、はい!」
「先日の剣を手入れに出していたんだが、町の鍛冶屋にとりに行ってくれるか? ついでに隊商にあいさつしてこい」
「はい、わかりました」
ハロルド教官の命令とあれば仕方ない。ダンは素直にうなずいた。
「…………ジョセフ、私達も外出許可をもらいに行きますわよ!」
「…………というと」
「ダンを見張るに決まっているでしょう!」
「はいはい」
ジョセフはすっかりローザの言葉を受け流していた。鼻息荒くハロルド教官へ向かうローザの後ろ姿を、ジョセフは苦笑しながら追いかけた。