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短編集(短編及び短め連載完結)

婚約破棄ですか、とっても嬉しいです!~婚約者に蔑ろにされた伯爵令嬢は初対面で貴公子に連れ去られる~

作者: と。/橘叶和

 恋とは、詰まらなく矛盾に満ちていて傲慢で汚らわしく自身には一切の価値がないものだと、ロゼッタ・ヴァイス・ブルーメンガルテンは断じていた。


 ロゼッタはブルーメンガルテン伯爵家の五人いる娘の末であった。両親は政略結婚にしては非常に仲が良く皆が皆、口をそろえて褒めそやしていた。しかし中には結婚以外の恋を知らぬ、詰まらない男女よと陰で言う者もいた。子どもの内はそれらの悪意にいちいち反応しては悲しみを感じていたロゼッタであったが、社交界に出始めてやっと彼らの言っていた意味が理解できた。両親のように仲の良い夫婦がいない訳でもなかったが、そうでない人々も多くいた。そして、その中の一人に彼女の婚約者も名を連ねていた。


 ロゼッタの婚約者は侯爵家の跡取り息子で、ローガン・ヴァイス・アストといった。ロゼッタより早く成人した彼は先に社交界に入るといち早く浮名を流し始めたのだ。あまりにも激しい女遊びはすぐにロゼッタの耳にもブルーメンガルテン家の耳にも入ったが、ブルーメンガルテン家は伯爵位である。父は直談判をしたらしいが、侯爵位のアスト家によってほぼほぼ門前払いにされたらしい。“婚姻前のお遊びくらい好きさせろ”というのが言い分らしかった。このことに父は更に腹を立てたが、ロゼッタはこれ以上はいいのだと父を宥めた。



「お父様、もう良いのです。わたくしはあの方に恋など致しません。ただ貴族としての役割を果たすだけなのです」

「ロゼッタ…」

「ただ、一つだけお願いがあるのです」

「何だい、何でも言ってごらん」

「わたくしが子どもを生んで、その子が成人しましたら田舎に引っ込みたいのです。領地の隅でよいので、そこで暮らしてもよいでしょうか」

「それがお前の望みなのかい? ローガンとの婚約破棄でなく?」

「ええ、貴族として定められた結婚は果たします。子どもも生み育ててみせます。ですから…」

「分かった、そうか。考えておこう」

「ありがとうございます、お父様」



 父はロゼッタを憐れんだのか、ひどく悲しそうにのろのろと執務室へ帰って行った。末っ子として可愛がられていたのに、婚約者と良い関係が結べなかったことを申し訳なく思いながらその後もロゼッタは日々を過ごした。ローガンの女遊びは酷くなる一方で、醜聞として社交界でも話されていた。けれど本人はどこ吹く風で、男の嗜みだなんだと友人たちに語っていた。


 しかし、そんな二人にも刻限は近づく。結婚という名の刻限である。アスト家の言った通り“婚姻前のお遊び”であるならば、後数ヶ月で行われる結婚式の為にそれらを清算してしかるべきだろう。父はそれとなくアスト家に釘を刺したらしいが、取り合っては貰えなかったらしい。


―――


 そして、本日。ローガンは夜会のエスコートを断り、別の女性を横に侍らせて朗らかに笑いながらエスコートなしに夜会に出ていたロゼッタの前に現れた。



「ああ、ロゼッタ。君も誰か別の人にエスコートを頼めばよかったのに。未練たらしくエスコートなしで来たとしても、僕は君のエスコートはできないよ。こんなに美しい人がいるんだ」

「こんばんは、ロゼッタ様。良い夜ですね、私はカミラと申します」

「こんばんは、ローガン様、カミラ様」



 ローガンにしな垂れかかりながら、確かに美しい人がにこりと笑った。けれど貴族としての礼はとらない。ロゼッタを下と見てする必要がないと思ったのか、それともそもそも礼のとり方を知らないのか判別がつかなかった。


 これにはロゼッタも、驚きや怒りよりも先に呆れが勝ってしまった。例えばお互いに相性が悪く、嫌い合い憎しみ合っているのならばまだ言い訳が立つものを、ロゼッタに疵瑕が無いのが分かりきっている場でそんなことをしでかすだなんて。


 ロゼッタとて、この婚約者の悪癖に悩みだしてからというもの、何もしていなかった訳ではない。もしこれ以上の何か、例えば婚約を違法に破棄されたり、結婚後に虐げられたりした時の為に策を練っていたのだ。この悪癖はあくまでロゼッタには汚点はなく全てはローガンの女好きから起きていること、爵位の序列によって黙っていなければならない状態であること、ロゼッタの誕生日にプレゼントの一つも贈らない薄情さなどをさりげなく社交界に流していたのだ。全て本当のことであったし、ロゼッタに近しい人たちの方がこのことに対して怒っていたので広がるのは早かった。少しだけ、ほんの少しだけそれが抑止力となって、ローガンが遊ぶのを止めてくれるのではないかと期待したのは秘密である。


 異様な空気を察して、いや、そもそもローガンがカミラという人をエスコートして現れた時からかもしれないが、周りの貴族たちがこそこそとこちらを見ていた。



「君、最近変な噂を流しているだろう」

「変な噂…。何のことでしょう?」

「とぼけるなよ。僕が楽しく女性たちとお話ししているのが気に食わないからといって、侯爵家は傲慢だとか、贈り物一つ贈る財産もないのだとかデタラメを吹聴しているだろう」

「まあ、それはそれは」



 ロゼッタは扇の下でこっそりとため息を吐いた。くらくらする頭をどうにか奮い立たせながら、ローガンの言ったことのどこに偽りがあるのだろうと不思議に思った。侯爵家の傲慢さも贈り物一つ贈る財産もないのも本当だろうに。


 普通の婚約者というものは相手をここまで悩ませる程の女遊びなんてしない、したとしてもここまでではない。侯爵家の傲慢さはブルーメンガルテン家に対すること以外にも元々話題になっていたことである。また夜会毎に女性にドレスを贈るのは暗黙の了解であるし、誕生日にプレゼントやメッセージカードすら贈らない男性などローガン以外に聞いたことがない。


 何だかロゼッタは、目の前の男が本当にどうでもよくなってきた。



「君は結婚に対してものすごく高い理想があるんだね、君のご両親のような」

「はあ」

「そんな所は少し可愛いと思うよ、少女のようでね。しかし社交界は大人の世界だ。ご覧よ、こんなにも美しい人がたくさんいるんだ」



 ローガンが腕を開いて周りを示した。会場にいる着飾った貴族令嬢たちのことを指しているらしい。彼女らが小さな悲鳴をあげ自身の婚約者や親兄弟の背に隠れたり隠されたりしたのは、ローガンの悪癖が轟いているからであるが気にはならないらしい。



「まあ、ローガン様ったら、今夜は私と遊んで下さるって仰ったでしょう?」

「ああ、ごめんよ、カミラ。勿論、今日は君だけさ。ほら、ご覧、ロゼッタ」

「はあ」

「こんなに美しい人カミラでさえ、僕のことを独占するのは今夜だけだ。君は将来僕の妻になるのだから、そろそろ弁えるんだ。何、僕は寛容な男だからね。他の男の子どもを妊娠さえしなければ、君にも恋人を作ることを許そう。おっと、ただしその際にはきちんと申告をしてくれよ。侯爵家は伯爵家と違って狙われている事業も多い、君が騙されて我が家の大事な機密を持ち出したりなんてしてしまってはことだからね」

「はあ」



 この頭に虫でも湧いていそうな男はどうやったら死ぬのだろうかとロゼッタは真剣に考えた。真剣に考えすぎて、返事が全て“はあ”になってしまう。



「それが分からないというのなら、可哀想だが今夜でこの婚約は破棄するしかない」

「しましょう」

「それは嫌だろ…。ん?」

「是非致しましょう、婚約破棄。とっても嬉しく思います」



 会場内から音が消えた。ロゼッタは背筋を伸ばして、にこりと笑って見せた。この愚か者と縁が切れるならなんだってよかった。ただ“貴族としての役割を果たす”と父に啖呵を切ったのにこれではさすがに叱られてしまうかもしれないと、それだけが心配だった。



「何を言ってるんだ。君が困るだけだぞ」

「そうかもしれません。ですが、ローガン様は困らないのでしょう?」

「そ、それは」

「でしたら一つの問題もございません。破棄しましょう、婚約」

「な」

「本当!? ローガン様、婚約者いなくなっちゃうの? でしたら次は私を婚約者にして下さいな」

「カミラ、君は平民だろう。僕の婚約者にはなれないよ。それに君とは今夜限りで…」

「何を言っているの、君に恋してるって言ったじゃない!」

「君のことは好きだし、恋もしているけど、結婚は」

「ぶ、くく…あ、ははは! もう駄目だ! 堪えきれん!」



 カミラとローガンが何やら揉み合っていたが、それもどうでも良かった。しかし話は終わったとロゼッタが踵を返そうとした時に聞こえた笑い声には、そうも言っていられなかった。



「ルーカス・シュヴァルツ・ベルク様、何故こちらに」

「いやあ、この夜会に出れば面白い物が見られると占いに出てね。半信半疑で来たものの本当にこんな面白いことが起きるだなんて!」

「え、格好いい…。あの方はだあれ?」

「カミラ! 頭を下げるんだ、あの方は隣国の大公様のご子息だぞ、不敬があってはいけない!」



 この夜会は比較的に若い貴族たちが集められるような気安い会だ。だからこそ平民であるカミラもローガンの同伴者である、として特に尋問も受けず入れた。隣国の大公の三男坊であるルーカス・シュヴァルツ・ベルクが来るような会ではない。彼は国賓である。大公の後は長男が継ぐ予定で、それを次男が支え三男であるルーカスは主に外交を担っているそうだ。優秀な三兄弟の評判は上々で、かの国は更に栄えるだろうと皆が確信していた。


 隣国はこの王国よりもはるかに広大で豊かな国だった。何か不手際があれば、それこそ十日と持たず王国は攻め滅ぼされてしまうだろう。皆、頭を下げ礼をとった。カミラもローガンに押さえつけられてとりあえず頭を下げている。



「ああ、皆いいんだ。年齢的には参加しても良いらしかったので来てみたのだが、気を遣わせてしまったな」

「と、とんでもないことでございます! 是非楽しんでいって下さいませ!」

「いや、もう見世物は終わったようであるし私は帰る」



 コツコツと足音がロゼッタに近寄って来て、その傍で止まった。ロゼッタの下げた視界に隣国の伝統的なデザインの靴が入り込んでいる。ロゼッタは唇を噛みしめ冷や汗を流した。



「貴女は、ロゼッタ嬢、というのかな」

「はい、ベルク様。わたくしはブルーメンガルテン伯爵家のロゼッタと申します」

「綺麗な名だ。貴女のような凛とした女性にはぴったりだと思う」

「光栄でございます」

「私のことは、どうかルーカスと呼んでくれ」

「は、いえ、ですが」



 ロゼッタは非常に焦っていた。ルーカスが何故自分に声をかけたのかが、分からなかった。ルーカスの言う“見世物”が、先程の婚約破棄騒動であることは確かだ。はしたないと叱られるのだろうか、それとも不快にさせたからと何か罪に問われるのだろうか。つい先程まで気分よく家に帰ろうとしていただけに、ロゼッタはこの現状が情けなくて泣けてくる。


 そんなロゼッタに構わず、ルーカスは彼女の手を取り立たせた。突然のことにロゼッタは驚いて体勢を崩してしまった。

 


「おっと」

「きゃ、あ、も、申し訳ございません!」

「構わないよ、私が急に立たせてしまったからだしね。すまない、大丈夫かな」

「はい、問題ございませ」



 ロゼッタが思わず上げてしまった顔のすぐ傍にはルーカスの整った顔があった。体勢を崩し、胸に飛び込んでしまったらしいので、仕方のないことではあるし予測しうることである。けれど色んな意味で男性に慣れていないロゼッタの頬は、一瞬で朱色に染まってしまった。



「そうか、良かった。では行こうか」

「え、え?」

「お、恐れながら、ベルク様! ロゼッタをどこにお連れに!?」



 今の今まで空気であったローガンが声を上げたことで、やっとロゼッタは息を吸い込んだ。無意識に止めていたらしいが肺に新鮮な空気が送り込まれると、やっと彼女にも思考が戻ってくる。けれど何故ルーカスに抱きとめられているのかは分からない。



「一緒に帰るんだよ。私も帰るし彼女も帰るみたいだし、彼女はエスコートがいないようであるし私も同伴してくれる人がいなかったから丁度いい。寂しく一人で帰らないで済む」

「ロゼッタはわたくしめの婚約者でございます、そのような…」

「うん? 違うだろう?」

「は…?」

「私はしっかとこの耳で聞いたぞ。君は彼女に婚約破棄を提示し、彼女はそれを受けた。君たちは既に婚約者同士ではなく、赤の他人だ」

「いえ、それは…!」

「私の前で虚偽を申した訳ではないだろう? ロゼッタ嬢、貴女は既に彼の婚約者ではないね?」

「…ええ、その通りでございます」

「ロゼ」

「いくら格下の家のご令嬢であったとしても、婚約者でもない未婚の女性の名前を呼びつけるのは良くないね。君は確かローガンというのだったか、アスト家の子息だったね。…覚えておこう」



 誰が聞いても良くない意味での“覚えておこう”であった。ローガンはそれ以上何も言えずに黙り込む。ロゼッタはさりげなくルーカスから距離を置こうとしたが、腰をがっちりと掴まれて身動きがとれなかった。



「では、ロゼッタ嬢。行こうか」

「畏まりました。ですが、あの、ベルク様」

「ルーカス」

「恐れながら、ルーカス様」

「恐れないで欲しいなあ、まあ、いいか。何だいロゼッタ嬢」

「少し、その、近すぎるのではないかと」

「エスコートの距離感としては、全く問題ないと思うよ。さあ、行こう」



 これ以上の反論は許さないとばかりにルーカスは強引に、しかし丁寧にロゼッタをエスコートした。強制的ではあるが、乱暴に腕を引かれて痛むこともない。ロゼッタが歩きやすい速度を保って歩いてくれているらしく、ローガンのエスコートとは雲泥の差であった。しかし会場を抜け、国賓が使用する馬車に乗せられてしまいロゼッタは困惑した。



「強引に連れて来てしまってすまない。見世物としては極上だったが、あの男のいる空間に可愛い貴女を留めておきたくなくて」

「それに関しては感謝致したいくらいでございますが、あの、どちらに向かわれているのでしょう」

「うん、王宮に」



 ごとごとと車輪の鳴る音が響く車内は二人きりで、ロゼッタは緊張してばかりもいられなかった。向かい合わせに座っているルーカスは一緒に帰ると言ったけれど、馬車の向かっている先にロゼッタの家は無い。それでも王宮に行けば家の者を呼ぶこともできるだろうと、ほっと胸を撫で下ろした。



「国王に会いに行こうよ。婚約破棄の件を呑んでもらわないと」

「え」

「大丈夫、貴女の御父上はご存知だから」

「え?」

「むしろ貴女の御父上の画策だから」

「ど、どういう…」



 ロゼッタはパニックになりかけていた。何故ルーカスの口から父のことが飛び出すのか、何をどう画策したのか分からないことだらけだった。



「ああ、そんなに不安そうにしないで。大丈夫、私が全て良いようにしてあげるよ。ただ、条件があってね」

「は、はい…?」

「私と結婚して欲しいんだ」



 ルーカスはロゼッタの隣に座り直して、彼女の手をもう一度取り口付けた。



「私は三男坊だし外交官であるから、兄たちのように国内で婚約者を定めていなくてね。国外のご令嬢で自身の意見がはっきりと言えて、社交が得意そうな人をずっと探していたんだよ。いなかったらいなかったで、その時はその時とも思っていたんだ」

「え、あ、あの…」

「さっきの夜会では知らない振りをしたが、貴女の評判はこちらまで届いていたから、気にはなっていたんだよ。噂の使い方も上手だと思っていた。貴女の御父上や姉君の夫君とも話す機会があって、色々と聞いたよ。実際に見るのと聞くのでは大違いで、実物の方がよほど素晴らしい人だったけれど」

「そ、んな」



 ルーカスがロゼッタの手の甲に口を付けながら話すので、ロゼッタは話どころではなかった。兎に角、現在求婚を受けている、ということだけは理解していたがそれ以外は理解不能だった。今夜はずっとそうである。ロゼッタは頭の悪い方でないと自身で自負していたので、これには困り果てた。



「お願いだ、ロゼッタ嬢。貴女のような、いや、貴女をずっと探していたんだ。初めて会ってこんなことを言う男など信用できないかもしれないが、どんなに時間がかかっても証明してみせるから。どうか私を選んで欲しい」



 普通に考えて、ロゼッタがルーカスの求婚を断ることなどできない。しかし。



「家格が釣り合いません、わたくしは伯爵家の者でございます。とてもベルク大公家のご子息に嫁げる身分ではございません」

「まさか、ブルーメンガルテンと繋がりが持てるなら、父も兄たちも喜ぶ」

「確かに我が家は外交を行っていますが、それでも」

「貴女だって御父上に連れられて国外に出たことはあるだろう。ブルーメンガルテンと言えば大体の国で交渉が許されている大家だ。我が公国も何度も貴女の家にこちらに移るよう持ちかけていた」

「それは、存じておりますが」



 ブルーメンガルテン伯爵家は昔から外交を任されていた。元々、侯爵位や公爵位は国内の情勢を整えるのが主な仕事で、外交は伯爵位の仕事だった。その中でもブルーメンガルテン家は何代にも渡り評判が良く、色々な国からお呼びがかかったり引き抜きに誘われることがあったのはロゼッタも知っている。ただ、先祖代々仕えた王国を捨てることはできないと今までずっとこの国に居続けたのだ。それがブルーメンガルテン家の忠誠の表れであるのだと両親も祖父母も自慢げによく話してくれた。



「家格に問題はない、それにそれを言うなら私だって三男坊だ。…長男がよかった?」

「そんなことはございません、ですが」

「ですが?」

「わたくしよりもよっぽど、お相手に相応しい方がいらっしゃいます」

「例えば?」

「え」

「例えば、誰がいる? 貴女のように賢く貴族としての矜持を持っていて、身持ちが堅く外交にも社交にも慣れていて、他国の文化にもそこそこ精通している婚約者のいないご令嬢。誰か思いつく?」

「…いえ、いらっしゃいません」



 ロゼッタのように外交を任せられている家のご令嬢なら国内外に何人も知り合いはいる。けれど皆、既婚者か婚約者がいる身である。ルーカスの提示した条件に合う令嬢など、ロゼッタには咄嗟に思いつかなかった。



「初対面で求婚されても困るのは分かる、あんな男の後だし特にね。だが、私とあれを一緒にしてもらっても困る。自分で言うのもなんだが、私はそれなりに優秀だと評判なんだ。後悔はさせない、どうか私と結婚して下さい」



 ルーカスはロゼッタの両手を取り、彼女の足元に跪いてもう一度求婚した。ロゼッタは、本来なら跪くことさえ止めねばならないというのに、ぼうっとその一連の動作に見入ってしまった。これまでローガンにされた煩わしいことが頭の中を素早く横切ったが、ルーカスの真摯な眼差しがそれら全てを打ち砕いた。


 ロゼッタは今まで恋とは、詰まらなく矛盾に満ちていて傲慢で汚らわしく自身には一切の価値がないものだと、そう思っていた。きっと今でもまだそう思っている。それでも。



「わたくしで、よければ」



 目の前のこの人を少しだけ信じてみたくなったのだ。



「本当だね、偽りはないね、絶対だよ」

「ございません」

「良かった…! 断られたらどうしようかと思っていたんだよ、誘拐は犯罪だしね」

「…えっと」

「冗談だよ、半分は。ブルーメンガルテンを敵に回すと大変だから」

「ルーカス様…?」

「ああ、嬉しいなあ。愛しい人に応えて貰えるってこんなにも幸せなんだね。愛しているよロゼッタ」



 喜々として隣に座り直し肩を抱くルーカスとは対照的に、ロゼッタはもしかしてとんでもない人との結婚を了承してしまったのではないかと不安になった。その不安は概ね当たっているのだが、そのことをまだロゼッタは知らない。


―――


 王宮に着くとすぐに国王陛下と謁見することとなり、ローガンとの婚約破棄とルーカスとの婚約が正式に決まった。その場には何故か父や叔父らも居てブルーメンガルテン家は正式に公国に移ることとなった。公国での爵位は侯爵であったが、変わらず外交を任されている。


 ロゼッタが後から聞いた話であったが、父や親戚は彼女の受けている屈辱に対し何度も王にも侯爵にも抗議していたらしい。それを軽く考えた王と侯爵はあまり深く取り合わなかった。侯爵に至っては伯爵家如きが煩いことを言う、としか考えていなかったし、王も若いうちは少し遊ばせておけ、と宣ったそうだ。そこで父はかねてより親交のあったルーカスに目を付けた。あの夜会の場を整えたのも父である。父の目論みは全て上手くいったらしい。



「いやあ、私と私の恋女房の末っ子があんな目に遭うような国なんて本当に潰えてしまえって思ってさあ。でもまあ、無辜の民に被害が出るのは可哀想だから、とりあえずあの侯爵家だけでも痛い目に遭わせないとと思って」



 と、茶目っ気たっぷりに言った父の笑っていない目を見るのはロゼッタには恐怖以外の何物でもなかった。


 ちなみにアスト侯爵家はお取り潰しとなったらしく、ローガンやその父であったアスト侯爵やその近親者は今では田舎に引っ込んで農業に勤しんでいるそうだ。慣れない農業に苦戦しているだろうけれど、ロゼッタには既に関わりのないことだ。


―――


「ロゼッタ、駄目じゃないか。一人で出歩くなんて!」

「あらルーカス様、一人ではありませんのよ。メイドも一緒ですわ」

「メイドが一緒でも騎士を連れていても駄目だ、いつ生まれてもおかしくないんだよ?」

「庭を少し歩いただけです。それにこの時期は安静にしてばかりでも駄目だそうですわ」

「だけど、何かあったら」



 ロゼッタが公国に来て数年が経っていた。ルーカスと正式に結婚してからは彼と共に国外を飛び回っていた彼女であったが、七ヶ月程前に判明した妊娠の為に今は静養中である。もういつ生まれてもおかしくない、と医者に告げられてからというものそれまでも過保護であったルーカスは更に過保護になって口やかましかった。ロゼッタは大きなお腹を撫でながらそんな夫を笑う。



「ふふ、貴方のお父様は本当に心配性ですね」

「ロゼッタ、もう戻ろう。ね、良い子だから」

「うふふ、もう、分かりました。戻りますわ」

「そうしよう、それがいい」

「ねえ、ルーカス様」

「うん?」

「わたくし幸せですわ」

「ああ、ロゼッタ、私も幸せだ。これからももっと幸せにしてみせるよ、愛しい人」

「わたくしも貴方のこともっともっと幸せにして差し上げますわ。…愛しています」



 二人が唇に触れるだけの口付けをすると、ぽこりとお腹の中が動いた。その鼓動を感じてロゼッタはまた幸せだと笑った。


読んで頂きありがとうございました。


婚約破棄もののテンプレを書きたい書きたいと思っていましたが、やっと形になりました。たのしかったです。


作中ではあまり出せませんでしたがロゼッタのお姉ちゃん四人は既に国内外の外交官たちと結婚していたので、ロゼッタの為に外交ルートを色々使ってお父さんに協力していました。ルーカスがロゼッタのことを知ったのは、一番上のお姉ちゃんの旦那さん経由。


ルーカスは理想が高く中々条件に合う人がいなかった為、本当は少し困ってました。家族にはせっつかれるし、国内の貴族からは令嬢を売り込まれるし面倒なことこの上なかった。ロゼッタはルーカスの条件にぴったりハマった上に見た目もかなり好みだった為、もしあの場で婚約破棄されていなくてもどうにかして連れて帰るつもりでした。お互い幸せになれてヨカッタネ!


評価、ご感想やご指摘、誤字脱字の訂正

ありがとうございます。

作者は文字での自身のコミュニケーション能力に不安がございますので、個別にお返事は致せませんが大変嬉しく思っております。本当にありがとうございました。


21/7/15日間異世界〔恋愛〕ランキング2位

ランキングにお邪魔致しました。

皆様のおかげです!ありがとうございました!


ここまで読んで頂きありがとうございました。

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