幕間その二
ガラガシャン!
今井家二〇代目当主、今井 燕爾が、書斎机に載っている物を左腕でなぎ払い、散らばっていった。
そしてドン! と両腕を机に叩きつけ、「逃がしたというのか! 逃がしたのか! この役立たずが!」机の正面に立つ兵士に怒鳴りつける。
エンジは、小太りな体をわなわなと震わせ、白髪交じりの頭は乱れ、顔は真っ赤である。
「申し訳ございません!」
怒鳴られた兵士は、恐怖におびえながら謝る。
「こんなことなら小隊を送り込めば良かったわ!」
怒りの治まらないエンジは、熊のように右へ左へ動き回る。
「まあまあ、落ち着いてください。目立った行動は避けると言って、精鋭一班のみとしたのは旦那様ではございませんか」
エンジの横に立っていた妙齢の女性――エンジの夫人である鈴蘭が、なだめるように言い、エンジの肩にそっと触れる。
スズランは、齢五十を超えるはずだが、二十代後半とも三十代前半とも見える容貌である。
胸の開いた黒のドレスを着こなし、細身で赤いフレームのメガネをかけている。
「くそ、なんのためのI・S・T・Fだ! こんなときのための特殊部隊だろうが!」
エンジは、唯一なぎ払われずに机に残っていた灰皿を、兵士に投げつける。
「たかが三人だぞ! たかが三人程度の陰陽師に、返り討ちに遭ってどうするんだ! 代々栄華を極めてきた今井家を、儂の代で終わらせる訳にはいかんのだ! 先祖の笑いものなんぞだけは、なりたくはない!」
ひとしきり喚いたエンジは、はあはあはあと息を荒くしていた。
「旦那様、お水を」
スズランは、ミネラルウォーターをコップに注ぐ。エンジはそれを奪い取るようにして、ゴクゴクと飲み干す。
そして再び兵士を睨みつけ、「今、奴は陰陽庁長官の家にいるらしいな」と言った。
「は、はい」
兵士は、蛇に睨まれたカエルのように、直立不動な状態で固まっている。
「いかがなさいますか、旦那様。中隊規模であれば、さすがに長官邸とはいえ落とせるでしょう」
スズランが提案すると、エンジは首を振る。
「いや、さすがにその数を動かすと隠しきれん。後々が面倒になる。そうだな……」
エンジは少し考え込むと、顔を上げ「しかたない、あいつにやらせるぞ」とスズランに言う。
その言葉にスズランは心配そうな顔をした。
「よろしいのでございますか」
「かまわん、あいつも次期当主になる身だ。いつまでも遊ばせている訳にはいかぬ。ここへ連れてこい」
スズランは、床に落ちていた受話器を取り、内線先へ用件を伝えた。
それから五分ほど経つと、ガチャッと執務室の扉が開く。
「んだよ、良いとこだったのによ」
そういった男は、髪は茶髪、左耳に三つの、右耳には四つのピアスを付けていた。さらには舌にもピアスを付けているようである。
さらに服装は、虎柄のワイシャツに紫のスーツ、首と腕には金色のネックレスとブレスレットを付けている。これぞまさにチンピラという風貌だった。
その男は、文句を言いながら執務室に足を踏み入れた。
「雀羅(ジャクラ」
エンジが呼びかけると、ジャクラと呼ばれた男は茶色に染めた髪を手でかき上げる。
「親父。今、拾ってきた女を犯してたんだ。あとちょっとでイけそうだったのによ。しょうもねえ用で呼んだわけじゃねえだろうなあ?」
エンジはため息をつきながら、「誰に似たんだが、甘やかせすぎたか」とつぶやく。
「今後も贅沢をしたければ、言うことを聞け」
「あん? いきなりなんだよ。倒産でもしたのかあ? ありえねーよな、そんなこと」
とジャクラは、いかにも面倒くさそうに言った。
「うちに捕らえていたアヤカシが盗まれた」
エンジのその言葉にジャクラは、驚き固まる。
「は? どうやって?」
「潜り込まれ、結界を破られた」
エンジは、悔しそうに机を叩く。
「はーはっはー! そいつは傑作だなあ! おい! おまえもそう思うだろ?」
ジャクラは、腹を抱え、嗤いながら近くの兵士に語りかける。
「笑い事ではないわ!」
エンジはジャクラの元へカツカツと歩き、彼の胸ぐらを掴む。
「いいか? 我が今井家は、あのアヤカシがいたからこそ、贅沢に暮らせていたのだぞ! それが今、いなくなったということは、どうなることかわかるか! 間違いなく全ての事業がしくじり、潰れ、財閥は解体されるだろう。そして惨めに儂やおまえは野垂れ死ぬんだぞ! このままでは必ずそうなってしまうのだ! あのアヤカシは! そういう特性を持つアヤカシなのだ!」
ジャクラはエンジの怒鳴り声をうるさそうに耳を塞いでいた。そして、面倒くさそうに「んなの盗んだ相手はわかってんだろ? 殺せばいいじゃん」とぼやく。
その言葉に、エンジはさらに怒鳴り声を上げる。
「I・S・T・Fに追わせたわ! だが結果は、わかるか? 失敗したんだ! だから儂がおまえを呼んだんだ!」
ジャクラはそれを聞き嗤う。
「はーっはっはっはっは! これは愉快だなあ。虎の子の特殊部隊使ってしくじったのかよ。やるじゃねえか。伊達にこの場所へ土足で入り込むだけのことはあるなあ」
エンジは、いらだたしく言い放つ。
「不本意だが……アヤカシの奪還をおまえに任せたい」
ジャクラは、その言葉にニヤニヤしながら返す。
「やだね、親父の尻ぬぐいなんて誰がやるかよ」
ジャクラの言葉に、スズランでぴくっっと反応した。
スズランは、ジャクラに近づき――
パチン!
と引っぱたいた。
そして、胸ぐらを掴んでいたエンジの手にそっと触れ、離させると、ジャクラを抱きしめる。
「ジャクラ……良い? 旦那様に逆らうなんてわたくしが許しませんよ」
スズランが抱きしめる力を強める。そして両手をジャクラの顔に持って行き、自身の顔を近づける。
スズランとジャクラは見つめ合う状態となった。それから一分ほど経つと「ち……」とジャクラが舌打ちする。
「分かったよ。離せ、やってやる」
その言葉を聞くとスズランはジャクラを開放した。
「ただし、条件がある」
ジャクラは、いやらしい笑みをすると、「いっぺん、アヤカシを犯してみたかったんだよなあ」と言い放つ。
そして、エンジを睨み、「あのくそ童女を捕まえたら、犯させろ。飲んでくれれば受けてやるぜ」と言った。
エンジは、拳の作り、一歩足を踏み出す。しかしそれは横からスズランの細腕で制された。
「旦那様」
スズランは、エンジの目を見て頷く。
「良いでしょう。旦那様に変わり、このわたくしが許します」
「は! 交渉成立だな。小隊連れて行くぜ」
「かまいません、必ず捕らえなさい」
ジャクラはスズランを見て、投げキッスをすると、懐に忍ばせていたS&W M五百を抜く。
すると、直立不動のままだった兵士に銃口を向け、引き金を絞った。
ドゴン!
おおよそ、ハンドガンとは思えない爆音が響き、兵士の頭は吹っ飛んだ。兵士の体はビクビクッと脈打ちながら地面に倒れ込む。
床の絨毯に血を染みこませながら。
「んじゃ、行ってくるわ」
そう言い残し、ジャクラは部屋から去って行った。
「スズラン」
エンジは、「なぜ勝手なことを」という目でスズランを見た。
「旦那様。優先順位は、アヤカシを奪還することです。奪還さえすれば、約束なんて、どうにでもできるじゃありませんか」
スズランはエンジの足から体へ手を忍ばせ、抱きしめる。
「それはそうだが……」
「それに、あのアヤカシが犯されようとも構いませんじゃありませんか。どうせわたくしたちの糧なのですから」
スズランはそう言うと妖しく嗤うのであった。