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【加筆修正版】イノチノバショ  作者: 蘭 ネリネ
2/5

第一幕

 二〇二十年六月深夜、東京都世田谷区立世田谷公園。


 閑静な公園にパララッ! パララッ! と甲高い銃弾を連射する音がこだまする。

「いーひっひっひ! 無駄じゃ! 無駄無駄無駄! 無駄じゃ!」

 顔……というにはあまりにも規格外ではあるが、五メートルはあろうかという巨大な顔だけのアヤカシが嗤う。この顔だけのアヤカシは、髪はぼさぼさ、白粉とお歯黒で化粧している。まるで平安時代を思い浮かべる女性である。本来であれば、絢爛豪華な十二単を着ているのだろうが、顔しかない。

 その顔と対峙するのは、まだ高校生ほどの容貌を持つ少年。上に来ている黒いジャケットの背中には日輪の模様がある。ズボンはスラックスという、高校生にしては大人びるような服装である。その両手には、P90というPDW(個人防衛火器)がある。

 さて、事の発端は一週間前。世田谷公園で首だけのアヤカシが人間を食らうという事件が起きていた。今日は、その調査にやってきたのだが、まさか初日で出遭うとは運が良いのか悪いのか、考えさせられることではある。

 今度は、パララララララッ! と長めにトリガーを引く。

 その弾丸は顔に命中するも、効果は無いようだ。

「無駄無駄無駄じゃ!」

 ニタニタと嗤いながら少年に迫っていく。

「そりゃそうだ。そんだけでかけりゃ、五.七ミリ弾なんて銀玉レベルだな」

 公園内を走りつつ、少年――立花タチバナ 飛鳥アスカはぼやく。

 P90に装填される五.七ミリ弾は、小型化したライフル弾の形をしているのが特徴で、貫通力が高められている。しかしそれは人間サイズを想定した場合だ。

「まったく、文献ほど当てにならないものはないな。ろくろ首は人の顔サイズに描かれているのに……」

 ろくろ首は、首が長くなるアヤカシと思われがちだが、飛頭蛮のように顔だけ宙に浮く種類もいる。とはいえ、人間の頭程度の大きさに描かれていることが多い。

「食らってやる食らってやるぞ!」

 顔だけのアヤカシ、ろくろ首が加速し、襲いかかってくる。

 その攻撃をアスカはサイドステップで避けつつ、P90を連射するが、ずぶずぶと顔に弾が刺さるだけで、まるで効果はないようだ。

「こりゃダメだな……サイズが規格外過ぎる。シャル、聞こえるか」

 アスカは、インターカムに話しかけながら、木々が茂る方向へ走り出す。

 ろくろ首は、「にぃがぁすかぁ!」と歯をガチガチ鳴らし、木々をなぎ倒しながら、アスカを追っていく。

「聞こえます、兄様」

 インターカムに応答したのは、シャルロット 秋桜コスモス プチ 立花タチバナ

「遺憾なことだが、俺の武器じゃ歯が立たん。誘導するから頼む」

「はい」

 アスカはパララララララッ! と全弾ろくろ首に打ち込む。そして弾切れになったP90をろくろ首に投げつける。

 アスカは、よっこらせっと言いながら、ジャケットの背中に仕込んだペラッチ製のショットガンを取り出す。ペラッチは上下二段式のショットガンである。

「備えあれば憂いなしってね。スラッグ弾ならどうだ」

 バゴン! バゴン!

 爆音を鳴らしながら、ショットガンからスラッグ弾が発射される。

「ぐおおおおおおおおお! 痛い痛い痛い!」

 ろくろ首の額に二発、スラッグ弾が命中。たまらずろくろ首はもがき苦しむ。

 アスカは、手際よくカートリッジを排出し、再装填。再び狙いを付けためらわず二発撃ち込む。しかしろくろ首は、その巨顔に似合わずひらりひらりと避ける。

「おいおい、いくらスラッグ弾の初速が遅いとはいえ、その顔で避けられるのかよ」

 唖然とした表情で、ぼやくアスカであった。

「許さぬぞ許さぬぞ! 食ってやる食ってやる食ってやる!」

 アスカは、襲いかかってくるろくろ首を避けながらショットガンもろくろ首に投げつける。

 そして今度は腰からファイブセブンを取り出す。ファイブセブンはP90用のサイドアームでP90と同じ五.七ミリ弾を使用するハンドガンだ。アスカは、木々の合間を走りながら、ファイブセブンを乱射。シャルが待つ場所へ駆ける。

「シャル、そろそろ着く!」

「はい、お待ちしておりました」

 アスカの目先には、ロリータファッションをまとい、手には太刀を持ち、腰に鞘を下げ、片膝の状態で八相の構えを取った見目麗しい少女――シャルが待機していた。

「いーひっひっひ! 増えた! 人が増えおった! 貴様も食らってやる食らってやるぞ!」

 アスカは、立ち止まり、ろくろ首を引きつける。

「よいっしょっと!」と言いながら、右に飛ぶ。不安定な姿勢ではあるが、近距離から横っ面にありったけの五.七ミリ弾を撃つ。弾丸はろくろ首の両目に当たり、目を潰した。

「ぐおおおおおおお!」

 ろくろ首は、苦しみながらもそのまままっすぐ、気配の感じる方角へ突き進む。そして顎が外れんばかりに大きな口を広げ、シャルに襲いかかった。

「シャル!」

 

 カチャ。

 

 シャルが、太刀を握る手を強めると、鍔が鳴った。

「タイ捨流免許皆伝――シャルロット 秋桜 プチ 立花、参ります!」

 シャルが、閉じていた目を開く。その目は宝石のような碧眼。

「食らってや――」

「やあああああああああああ!」


 斬!


 ろくろ首が口を閉じる瞬間、シャルの太刀が振り下ろされた。振り下ろされた太刀は、ろくろ首の顔を斬り割いていく。五メートルもあった顔が、一瞬にして二つに割れた。まさに一刀両断とはこのことである。

「斬られた斬られた斬られた! ばかな! たかが人ごときに! ああ……ああああ……死にたくない……死にたく……ぎゃあああああああ……」

 シャルは、大きく太刀を振り、刀身に付いた血を払うと腰まである金髪のポニーテールがシャルの動きに合わせなびいていく。

 

 チン。


 シャルが納刀をすると、ろくろ首は灰となって散っていった。

「シャル、怪我はないか」

「はい、わたしは大丈夫です。兄様がろくろ首の勢いを削いでいただいたおかげです。ですが、兄様の腕が……」

 アスカは、ろくろ首と交錯する際に左腕を大きく切り裂かれていた。地面には、ぽたぽたと血が落ちる。

「大丈夫だ。すぐ治る」

 シャルは心配そうな顔をしてアスカを見つめる。その様子を見たアスカは、安心させるためにシャルの頭に手を乗せ、わしゃわしゃとなでる。

 シャルはくすぐったそうに目を細める。シャルは、アスカが髪をなで終えるのを待つとポニーテールをほどき、首の後ろで束ねた。

「よし、無事討伐も終わったことだ。報告しておこうか」

 アスカは、ポケットから陰陽師専用端末を手にすると、「ろくろ首討伐完了」と入力をする。

「よし、帰るか」

「はい、兄様」

 二人の陰陽師――シャルとアスカは、公園を後にしたのであった。


 陰陽師には、陰陽庁から発行される陰陽師免許を取得することでなれる。

 第二次世界大戦時に国力の低下に伴い、資源の徴収や空襲などで各地にあったアヤカシの封印が解け、爆発的に増殖。

 日本政府は、アヤカシの対応で戦争どころではなくなり、各国と終戦調停を結ぶこととなった。戦勝国は、日本の植民地化を画策したが、アヤカシ問題に莫大な費用がかかるため、植民地化を行わず独立を認めた。

 そこで日本政府は戦後、その世界各国ですら投げ出したアヤカシ問題を解決するために、公的機関に陰陽庁を発足。陰陽庁は旧大田区にある紅葉くれは特別区に置かれ、人間に害するアヤカシの殲滅および、人間に益のあるアヤカシの保護、研究を目的とする。

 陰陽師は、あらゆる武器と兵器、道具の携帯、使用、運用が許可され、アヤカシに関することに対しては、権限が警察、自衛隊などの公的機関よりも上位に置かれる。

 公園での報告時にアスカが使った陰陽師専用端末では、アヤカシの出没情報や討伐、保護報告などが行える道具である。こういったアヤカシに特化した道具の開発も陰陽庁で行っている。


 翌朝、立花家。

 アスカは、ベッドからのそのそと起き出す。

「眠い……」

 時計を見ると長針と短針が上下に一直線に並んでいた。普段起きている時間通りの六時である。クローゼットにかかっているシャツと制服を取り出し、着替える。ネクタイを締め、ジャケットと鞄を手に持ち、障子を開ける。部屋を出てすぐの縁側には、小鳥が二羽いた。小鳥たちは、チュンチュンと鳴く。アスカが一歩踏み出すと、廊下がきしむ音が響く。その音を聞くと小鳥たちは飛び立っていった。

 立花家は、時代が時代なら大名屋敷に引けを取らないほどの武家屋敷だ。庭には池があり、ししおどしが鳴り響く。部屋の数は両指でも足りない。それだけ広大な屋敷であるものの、三人しか住んでいない。

 アスカは時折、掃除する身にもなってくれと嘆きたくなるが、それが贅沢な悩みだと言うこともわかっている。

 長い廊下を歩き、食堂に着くとアスカより早く起きるのが珍しいシャルが座っていた。それもただ座っているだけでなく、ご機嫌そうに鼻歌付きだ。

 アスカはそんなシャルを見て、「おはよう、シャル」と挨拶をする。シャルも笑顔で「おはようございます、兄様」と返してくる。

 アスカは、そんなご機嫌なシャルを(なにか良いことがあったのかなあ。まあ、なにはともあれ、機嫌が良いのなら重畳なことだ)と不思議そうに思いながら台所へ向かう。

 アスカが冷蔵庫を開けると、なぜかスカスカな状態であった。

(あれ……こんなに少なかったか……? まあ、最近忙しかったし、姉さんが使ったのかもしれないな)

 アスカは、とりあえず簡単なもので朝食を作ることとした。立花家では、ほぼアスカが料理を作るのである。

 まず、台所にかけてあったうさぎ柄でピンクのエプロンを着用。そして、冷凍しておいたご飯をレンジにかけ、サケの切り身をグリルで焼き、トマトなどの野菜を切っていく。みそ汁は、豆腐とわかめでシンプルに。みそ汁にみそを溶かすところで、アスカは、シャルに話しかける。

「シャル、もうすぐご飯できるから、姉さんをたたき起こしてくれ」

「わかりました」

 食堂からシャルが答えるとそのまま廊下に遠ざかる足音。

 アスカは、みそ汁が沸騰する直前に火を止め、盛りつけし、食堂のテーブルに並べていく。そうこうしていると食堂の障子が開き、女性がふらふらと入ってきた。

 その女性は、透き通るような銀の髪をし、全てを見透かすような赤い目をしている。さらに突出している点は、アスカよりも背が高く、だぼだぼの寝間着を着ていながらも、すらっとしていながら、出るところは大きく出ていることがわかるプロポーションであることだ。

「おはよう、姉さん」

 姉さんと呼ばれた女性――フレイヤは、のそのそとアスカの元へ。

「姉さん?」

 戸惑うアスカ。

「おっはよーーー! アスカくーーーん!」

 がばっと、まさにがばっとという表現が適しているような勢いでアスカを抱きしめる。アスカはその勢いに負け、床に倒れてしまった。

「姉さん! ちょっま!」

 アスカは抵抗もむなしく、フレイヤの為すがままとなっていた。そこにシャルが戻ってくる。

「フレイヤ……兄様になにしてるの……?」

 食堂の空気が凍り付く。

 フレイヤは、アスカを解放すると、じりじりとシャルの方へ近づく。そして、

「シャルちゃああああああん!」

 と両手を広げてシャルに駆け寄るが、避けられて柱にゴツンと頭をぶつける。

「いったーい……なんで避けるのよ……」

 その様子を見ていたアスカが立ち上がり、「姉さん、ばかやってないで、そろそろ食べないと遅刻するよ」と注意する。

「あらあら! さ、シャルちゃんも座って食べましょ。お姉さんの膝の上でもいいのよ」

 フレイヤは、膝をパンパン叩きながら言うが、シャルは定位置であるアスカの隣に座った。フレイヤは「お姉さん悲しい」と呟き、みそ汁に手を伸ばすのであった。


 食事を終えたフレイヤは、「それじゃあ、行ってくるわね。アスカくんもシャルちゃんも遅刻しないようにね」と愛用の車である、プジョーRCZで出勤していった。

 シャルとアスカも、食器の片付けをして学園に向かう。

 二人が通う紅葉学園は、陰陽庁長官であるフレイヤが理事長を務める陰陽庁直轄の国立学園。また、陰陽庁庁舎も兼ねている。またアヤカシの研究施設もあり、広大な土地を所有している。

 後期中等教育――いわゆる高等学校レベルの教育機関で、日本唯一の陰陽師育成学園である。

 しかし、陰陽師育成学園とはいえ科目に陰陽師関連の授業が増えているだけで、卒業すれば陰陽師の免許を貰えるというわけではない。もちろん陰陽師を目指さない一般生徒も入学できる。むしろそちらの方が多い。

 理事長の方針で、学園運営自体は生徒会が行い、理事長は承認のみで、教師は生徒のサポートを行う。表向きは生徒の自主性をうんたらかんたらと謳っているが、フレイヤが仕事したくないだけという見方もできる。


 通学途中、アスカはシャルの制服を見る。その目線に気づいたシャルは「?」という顔をした。

 紅葉学園には指定制服があり、それを着ることが校則で決められている。女子用の制服は、ブレザーに普通のスカートだが、シャルは制服を改造している。

 ひらひらのスカートに、リボンネクタイ、そして胸が強調されるような、言わばロリータファッション制服バージョンである。

 その金髪碧眼の容姿でさらに余談だが、シャルは胸が大きいこともあり、良く似合っている。

(まあ、制服を改造してもなにも言われないのは、良くも悪くも姉さんのおかげだろうが、やはり目立つな……)

「お、アスカとシャルちゃんじゃねーか」

 後ろからジャイアント製のロードバイクに乗った茶髪の生徒が話しかけてくる。

「おはよう、コン」「おはようございます」とアスカとシャルが挨拶を返す相手は、六条ロクジョウ コン。シャルたちと同じクラスの生徒である。

「おっすおっす」

 コンはそう言うと、自転車から降りるとシャルたちの歩く速度に合わせて歩き出す。

「なあ、アスカ」

「ん?」

 コンが真面目な顔をし、アスカを見る。

「理事長は?」

「先に行ったよ」

「そうなのか……」

 コンは、がっかりしたような顔をし、うなだれる。

「俺はな、アスカ……」再び顔を上げるコン。

「うん」

「夢があるんだ……」とコンは拳をぎゅっと握りながら言う。

「うん」

「いつか……いつか……あの理事長の胸に顔を埋めたい! だから理事長の兄妹であるアスカと友だちになったのだ!」

 高々と宣言したコンに、周りの人はいぶかしげな視線を送る。

「あれ、俺たち友だちだったっけ?」とアスカはまじまじと言うと、「そうさ! 友だちさ!」と両腕を広げながら高く挙げる。勿論、手で支えていた自転車はガシャンと倒れてしまうが、さすがに倒れた自転車がトラックに轢かれるというイベントはなかった。とはいえ、ロードバイクは、そうそう倒していいものではないだろうに。

 そんな様子を気にせず先に行くシャルとアスカであったが、コンが「ちょっとまってまてまてって!」と追いかけてくる。

 周りの視線が痛いなあ思うアスカであった。

「だがな、アスカ」

 そんなアスカの気持ちを無視して、コンは語り出す。

「おまえと友だちになった理由はもう一つある」

 アスカは、救いを求めるようにシャルに顔を向けると、シャルは静かに首を振る。

「それはだな! シャルちゃんの胸にも顔を埋め……」とシャルに向かって抱きつこうする。しかしそのコンは、いつの間にかふわりと空中にいた。

 コンは「え……?」という声を出すとそのまま地面に激しく打ち付けられた。

 シャルが、小手返しで投げたのである。

「さ、兄様。遅刻しますよ」

 アスカの手を取り、先に行こうと促すのである。アスカは、コンを見て

(これが無きゃモテる容姿なのになあ)

 と思いつつ先を急ぐのであった。

「ちょっと……待って……あ、痛っ! あれ、立ち上がれない!?」

 シャルは投げた際に腰から落とし、腰に力が入らないようにしたのであった。

「ちょっとーーーーーー! アスカーーーーー! シャルちゃあああああん! 謝るから! 遅刻しちゃうから! 今日一時間目小テストだからあああああ!」

 コンの叫び声が木霊すると同時に無情にもチャイムの音が鳴り響くのであった。


「そうなんだ、そんなことがあったんだ」

 昼休み、屋上に向かう道中で、ミディアムウェーブの女の子、祐乗坊ユウジョウボウ スミレが言う。

 スミレは、コンの幼なじみでシャルたちと同じクラスメートである。幼なじみとはいえ、スミレは小学生の頃に福岡に引っ越しているため、コンともそこまで長い付き合いではない。

 そして今も実家は福岡にあり、スミレだけがこちらに戻り寮に住んでいる。

 普段からシャル、アスカ、コン、スミレの四人で昼食を摂る。紅葉学園の屋上は、学園の就業時間中は解放されている、。床は人工芝ではあるものの、花壇やベンチなどが置いてあり、憩いの場としてそれなりに人気がある。

 雑談をしながら、屋上に出たシャルたちは、眺めの良い場所を見つけシートを敷くと、

「梅雨入りした途端に天気が良くなったよね」

 スミレが快晴の空を見て言う。

「そうだね。梅雨入りする前は雨ばっかだったのにね」

 アスカも釣られて空を見上げる。

「でも明日から、天気が悪くなるらしいぜ」

 コンがそう言うと、スミレが「そっか、じゃあしばらくここでご飯食べられなくなるかもね」と残念そうに言う。

「ま、とりあえず飯にしようぜ飯に。スミレ弁当くれ弁当」

 コンが急かすようにスミレに言う。

「もう、はしたないんだから」

 スミレはぼやきつつ、コンの弁当を出す。

 コンの両親は早くに他界し祖父母の家に住んでいる。その祖父母も高齢なため、二人の負担を減らすためにコンはいつもパンなどを買っていた。

 しかしスミレがそれでは栄養が偏ると、コンの分まで弁当を作るようになったのである。

「へへ、サンキュー。アスカたちは弁当か?」

「いや、食材がなかったからパンとかを持ってきてるよ」とアスカは、弁当袋を取り出すと重さがおかしいことに気づく。

「あれ……なぜ重箱が?」

 朝、弁当袋にパンを入れたのは覚えている。ふとシャルを見ると、まぶしいくらいの笑顔でニコニコとしている。普段あまり感情を表情に出さないシャルが珍しい。そんな姿御見ると嫌な予感しかしないとアスカは思った。

「兄様、開けないのですか?」

「いや、パンを重箱に詰めた覚えはないから、この重箱はなにかなと思ってるんだけど」

「それはですね、兄様……」

 シャルが、人差し指を立てて言う。

「たまにはわたしが兄様のお弁当を……と思った次第なのです」

 アスカは固まった。

 シャルの言葉に驚いたコンとスミレは、

「おおおお、シャルちゃんの手作り弁当か!」

「シャルちゃんも料理できるんだね、今度一緒に作らない?」

 はしゃぐ声でスミレは言った。

(なるほど……朝から機嫌が良いなと思ってはいたが、こんなトラップが待ち受けているとは……)

「兄様……?」

 シャルが不思議そうな目線をアスカに送る。アスカはその目線に耐えられなくなり、開けることを決意する。

(鬼が出るか鬼しか出ないのか、むしろその程度済むのか)

 アスカが震える手で弁当箱を開くと、シャル以外の空気が固まった。あのはしゃいでいたコンとスミレですら、なんとも言えない顔をしている。

 まず、ご飯は、固いというのを通り越して、一切の水を含んでいない状態でぎっしりと詰まっていた。美味しいご飯は立つというが、これはコロンブスですら立たせるのが難しいだろう。

 その横の敷居には黒くてとろみのある液体状のなにかがある。固形ですらないとそれがなにかがわからないのがすごい。

 そしてさらに最後の敷居には黒いごろごろとした固まりがある。備長炭でも詰めたのかな?

「兄様、ちょっと見た目は悪いですが、大丈夫です。味はばっちりです」

 このちょっとどころじゃない見た目なんですか? という言葉を飲み込むアスカは、とりあえず、まず料理の正体を聞くことにした。

「シャル、なにを作ったのかな?」

「え、わからないんですか?」

 逆に聞き返されてしまった。想定外の解答にアスカは戸惑いを隠せない。変な汗が出てくる。

「さあ、兄様、おいしく召し上がってください」

 アスカは、シャルが怒ってこの弁当を出している訳では無いことを知っている。シャルは、料理が下手だ。下手というより、刃物を扱うこと以外は、致命的なくらいに不器用なのである。

 アスカは意を決して、シャルの弁当を食すことにした。コンとスミレを見ると、蒼白な顔をしてアスカを見ていた。アスカはそんな二人に首を振って応え、箸を付ける。

 ポリポリという音が聞こえる。アスカも生煮えの米というか、ただ温められた生米を食するのは初めての経験であった。この重箱、無駄に保温機能も付いている。

 違和感はあるが、米の味である。米の甘みもへったくれもない、雷おこしを分解して一粒一粒食べている気分だ。しかし、これ、何合あるんだろうな……と思ってしまう、アスカであった。

 その様子を見ていたシャルは、

「兄様、ご飯にカレーはかけないのですか?」と不思議そうに尋ねた。

「カレー……?」

 カレーの要素はどこだと、脳みそフル稼働で考えるアスカ。そして黒くてとろみのある液体を思い出す。

 そう、まさしくそれがカレーだった。なるほど、世の中には様々な種類のカレーがある。例えばバーモンドカレーなどのオーソドックスな日本のカレーやバターチキンカレー、グリーンカレーなど。

 だがしかし、こんな真っ黒なカレーは見たことがない。いや、世界のどこかにはあるのだろうが、こんなカレーの匂いがしないカレーは初めてだ。

「はい、兄様」と差し出されるスプーン。

 一瞬受け取るのがはばかれたが、スプーンを手に取ろうとすると、シャルが思いついたように「あ、わたしが食べさせてあげますね」と言い、黒くてとろみのある液体を米にかける。

 この重箱の中で、唯一まともに食べられそうだった食べ物が汚染されていく。この重箱に救いはなくなった瞬間であった。いや、まだ食べていないから、最後に希望は残っているかもしれない。このパンドラの箱はどう転ぶのか。

 シャルは、スプーンいっぱいに黒いカレーと生米を温めた物体をすくうと、アスカの口元に持って行き、「あーん」と言う。

 アスカは、一瞬躊躇をしたものの、意を決して口を開き食べる。

 変な汗がだらだらと出た。

 決して辛かったわけではない。だが止めどなく汗がでるのは、なぜだろう。

(無心だ。無心で食すのだ)と心の中で念仏のように唱え続けるアスカ。

 かろうじて飲み込むと、シャルは次に黒いごろごろとした固まりを箸で掴もうとしていた。

 するとスミレが、その行動を遮るように、助け船を出す。

「シャルちゃん、味見ってした?」

 と聞く。しかし、シャルは黒い固まりを箸で掴み、「してませんよ? 必要があるのですか?」と至極当然のように言う。

 その助け船は、取り付く島が無かったようだ。

「いや、味見は必要だとおもうよ、シャルちゃん……」

 頑張って島に取り付こうとするスミレ。

 アスカは、心の中でスミレの助け船を引き寄せるために、ロープを必死に投げる。

 シャルはスミレの言葉に、箸を置き、

「なにを言っているのですか。昔から愛情は最高の調味料と言います。愛情さえあれば、どんなものでもおいしくなります。なるはずではありませんか。なので兄様が最初に口にしてほしい食べ物を味見とはいえ、先に食べられるわけがないではありませんか」

 と反論するのであった。

 スミレは、「そっか、そうだよね……ははは……」諦めたように、乾いた笑いを返すのみであった。

 残念、ロープは届かなかったようだ。

「さ、兄様。たくさん食べてくださいね」

 そしてこの日、アスカはシャルに対し、台所接近禁止命令を出すこととなったのは、また別の話。


 放課後、シャルとアスカは、不幸な事故にして消えていった食材の補充に、商店街で買い物をしていた。

「シャル、夜はなにが食べたい?」

「そうですね……夏野菜を使ったものか、アユが旬なのでどちらかが良いです」

「アユか、じゃあ、スーパーではなく、魚屋さんに行こうか」

「はい」

 と歩み始めた時に、アスカは花屋に目が行く。正確には花屋の店員に目が行ったのである。アスカの視線に気づいた店員が話しかける。

「なにかお探しのお花がありますか?」

 アスカは話しかけられたことも気づかず、ぼーっと店員さんを見る。

「お客様?」

 店員が不思議そうに尋ねると、アスカははっとして、「あ、いえ、また今度にします」と言ってそそくさとその場を離れる。

 その様子をシャルは悲しそうな顔で見つめる。

「兄様……大丈夫ですか?」

「ああ……大丈夫。ごめんな。いつまで経っても慣れることはないな」

「慣れなくても良いのです。わたしがいつまでも兄様と共にいますから」

 シャルは、アスカの怪我をしていたはずの左腕を取り、ぎゅっと抱きしめる。

「そうだな」

 アスカは、反対の手でシャルの頭を撫で、商店街を後にするのであった。


「たっらいまああ!」

 玄関でご機嫌な声が響く。フレイヤが帰宅したのである。

「おかえり、姉さんって酒臭い」

「ひどーい、おんにゃのこに向かって臭いってひどーい」

 へべれけになりながら、フレイヤはブーブーと抗議する。

「はいはい、女の子って年でもないだろう」

「おんにゃのこはいつまでらっても、おんにゃのこなんれすよー!」

 そういうとバタンと玄関に倒れ込むフレイヤであった。

「ほら、こんなところで寝ないで」と起こしながら言うと「えい!」とアスカを抱きしめる。

「アスカきゅーん」

「はあ……」

 アスカはため息をつきながら、フレイヤを引き摺ることにした。出るところが出ているせいか見た目に反して結構重い。

「シャルー! 水をいっぱい持ってきてくれないか」と家の中に向かい叫ぶ。

 アスカはずるずると引き摺り食堂に行き、フレイヤを椅子に座らせる。

「今、水を持ってくるから待っててね」と台所に向かおうとした瞬間、障子が開きバケツを持ったシャルが入ってくる。

 そしてシャルはためらうことなく、フレイヤに水をぶっかけた。

 一連動作にまるで隙が無い。

「シャル!?」

 アスカは戸惑いながらシャルに声かける。今日はどれだけ惑わされればいいんだろうか。

「いえ、台所接近禁止命令があったのと、水をいっぱいと言われたので、てっきり水を頭からかけるのかと」

 白々しく、シャルは言い切った。

「冷たーい!」

 一方フレイヤは、一瞬で酔いが醒めた。そして水浸しでスーツが大変なことになっている。

「姉さんは風呂入りな、ここの片付けは俺がしておくから」

「いえ、兄様。フレイヤにやらせるべきです」

 いやいやとシャルをなだめながらアスカは片付けをする。その傍らで「シャルちゃんの愛が冷たい……しくしく」と泣きながら、フレイヤは浴室に向かうのであった。

 今日も一日、平常運転な立花家であった。唯一の例外である希望が入っていなかったパンドラの箱を除いて。


 そして皆が寝静まった深夜。フレイヤは自室にいた。

 その部屋は、黒いカーテンが窓にかかり、壁には杖が西洋の剣がかけられ、燭台がある。武家屋敷に相応しくない光景が広がっている。

 フレイヤは、黒いフードを被っていた、そして目を瞑り集中している。

 両手を前に出し、手と手の間には十六個の水晶が輝きながら、ぐるぐると回り宙を浮いている。

 フレイヤが目を閉じながら、顔を上げていく。すると水晶の回転速度が上がっていく。そして、カッと目を開くと、回る水晶の一つを掴んだのである。

 掴んだ水晶以外は床に落ち転がりながら、消滅していった。

 手に取った水晶には、ユルのルーン文字が刻まれていた。

「ふふふ……ふふふふ……ついにあの子が解放されるのね。ふふふ……楽しみだわ。さあ、これは始まりの終わりかしら。それとも終わりの始まりなのかしら。シャルちゃんとアスカくんはどう動くかしら」

 フレイヤが微笑むと、窓の外ではぽつぽつと雨が降り始めたのであった。

 

前に書いていた文章読むと中々に誤字脱字があったりと校正が甘すぎるのを痛感しています。

そして加筆修正しても地の文が安定しませんね。

困ったものです。

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