在るものと求めるもの
カシャンカシャンと、鎖がうごめく音が響く。
月明かりも入らないこの時間帯にこの部屋で、囚人たちの寝息と一緒に稀に聞こえる音と言えばそれだけだ。
消灯時刻はとうに過ぎたらしいが、いかんせん現在時刻など計りようもない。
「ねぇ」
珍しく高い音色が耳に届いた。
それは妙に心地よいものだったが、はて、何の音だっただろうか。
「この世に“不老不死”というものが本当にあるのなら、あなたは欲しい?」
随分と突拍子もないこと聞いてくるものだ。
『老いず』『死なず』永遠の時を過ごすという不老不死。
そんなもの―――――
「あるとは思いませんが、そうですね…。実際にあるのなら、体験してみたいとは思います」
素直に思ったことを口にすれば、今度はクスクスとまた心地よい音色で笑われた。
ようやくはっきりしてきた頭で考えてみれば、この音は向かいの牢獄に繋がれている女の声だ。
何をしてここへ来たのか、知りたくないと言えば嘘になるが、そんなこと知ったところで自分がここから出られるわけでもない。
だから今まで、“お向かいさん”とは言え特に会話などなかった。
ここでは、生を諦めた者ばかり。死刑勧告を受けた者などいないにも関わらず、誰もここから生きて出ようなどとは夢にも思っていないのだろう。
そんな中で不老不死とは。永遠にここから出るなと言いたいのだろうか。
「フフッ…私もそんなもんかなぁ。あるならすごいと思うけど、手に入れるのに苦労しそう」
「強大な力を得るには、それ相応の努力が必要になるでしょうからねぇ」
「楽して手に入れられればいいんだけどね。でも、私はてっきり、貴方は興味ないのだと思ってた」
初めて交わした言葉だと言うのに、さも自分を昔から知っていたかのような口ぶりに少し疑問に思った。
何を持って、自分がそんな人間であるという考えに至ったのだろうか。
自分は女のことなど微塵も記憶にないというのに。
「…私はどこかで貴女にお会いしていましたか?」
「ううん、全然。なんで?」
あっけらかんと答えられ、面食らった。
なんで?はこちらのセリフだ。
「私のことを、知っている風でしたので」
「あー、そりゃあね。だって、お互い面識なくても、貴方は有名だもの」
「…そうでしたか」
牢獄生活が長いせいか、自分がなぜこんなところにいるのかさえ忘れてしまっていた。
ただただ軽犯罪を犯しただけの者が、こんな絶望の渦中にいるはずがないのだ。
しかし、それは彼女も同じはず。気付いた時には彼女がお向かいさんになっていた。
あまり他人に興味がある方ではなかったので、彼女が自分より前からいたのか、後から来たのかもわからない。
「で、どうして不老不死になってみたいの?」
飽きもせず、彼女は問いかけてくる。おそらく深夜だと思われる時間だと言うのに、彼女の声は楽しそうだ。
ふぁ…と1つあくびをしてから、無視をしようと寝返りを打つと、しばらくして少し拗ねたような声で同じ質問を投げかける。
「ねぇ、無視しなくてもいいじゃない。たまにはレディとお話ししておかないと」
「意味が分かりませんね。そして、私が貴女の質問に答えなければならないという義務はない」
「そうだけど。気になるの」
「なぜ?」
間髪入れずに、しかし背を向けたまま、今度はこちらから問いかけてみた。
「なぜって…有名人の考えることって興味あるじゃない?」
やはり意味がわからない。女とはゴシップにしか興味がないのか。しかもこんな場所でも。
「やはり理解し兼ねますね。私には関係のないことです。明日も早いですから、寝かせていただきますよ」
律儀に返答する必要もなかったのだが、一応断りをいれて今度こそ無視を決め込んだ。
しばらくは「ねぇねぇ」とうるさい女だったが、自分に答える気がさらさらないとわかると、今度は独り言を言い始めた。
「もういいや。答えなくていいから聞いててよ。……私ね、気持ちにも飽きが来ると思うの。どんなに好きな食べ物でも、24時間365日食べ続けてたら、さすがに嫌になってくるでしょ?すっごく好きな人、愛した人でも、たぶん24時間365日一緒にいたら飽きると思うのよねー。だから貴方も、不老不死になっても、これまでと同じことするんでしょ?そうなると飽きちゃうと思ったから、飽きると知っていると思ったから、貴方は不老不死なんか興味ないものだと思ってたの」
ベラベラと聞いてもいないことを聞かされる身にもなってもらいたいものだが、確かに一理ある。
相変わらず背は向けたままだったが、自分がこの話に興味を持ったことを察したのだろう、意気揚々と女は話を続けた。
「貴方の大好きなものも、普段から手に入るものじゃないから、止められなかったんでしょ?欲しくて欲しくてたまらないけど、やすやすと手に入れることができないから、それを求めていた。手に入れることができれば、得も言われぬ快感があったから………殺しをやめられなかった」
空気が変わったと、久しぶりに肌で感じた。
牢獄生活で久しぶりに感じたこの感覚。ピリピリと日に焼けた時のように、殺気が肌を撫でる感覚。
殺気に火傷した自分の昂りは、背筋を通って脳天までをゆっくり這い上がっていく。
この女、本当になぜこんなところにいるのか。
「やはり、どこかでお会いしませんでしたか?私に恨みがあるのでしょう?」
「えぇっ?そんなことあるわけないじゃない!というか、やっぱり起きてたのね。だったら、相槌くらいしてくれても言いのに」
「話を聞いてあげていたでしょう。ですから、私の質問にも真面目に答えてください」
今度はしっかり起き上がって、暗闇に呑まれている彼女の瞳を見据えた。
虚ろでもない、生気に満ちているわけでもない、ましてや殺気など微塵も含んでいない彼女の瞳。
ただただ純粋な興味と、自身の見解を話していただけだと言うのか。
ただし、こちらに返答するときにやや不服そうな色は見て取れた。
「ちゃんと真面目に答えてるわよ。本当に、正真正銘、貴方とは初対面です。私が一方的に貴方を新聞で見たことはあるけどね」
「嘘は感心しませんよ。服役中とは言え、食事の時間や自由時間に、私は貴女に接触する事はそう難しくないのです」
睨みつけてやっても、彼女はどこ吹く風。やれやれと肩をすくめて呆れてみせた。
そんな余計な動作が、こちらに不信感を与えていることに気付かないはずがないだろうに。
「なにそれ脅し?やーね」
「随分と余裕なのですね…面白い」
「だって、貴方がこんなことで警戒心を露わにする人だと思ってもみなかったもの。あーあ、残念だわ」
そう言って今度は彼女が自分に背を向けて眠ってしまった。
こちらが何度呼びかけても、無視を貫き、仕舞いには寝息まで聞こえてきた。
今彼女を問い詰めるのは無理だと悟り、少し乱暴に布団代わりの布を被った。
明日になれば、必ず真相を暴いてやる。その後は、どうしてやろうか。
「…久しぶりに笑った気がしますよ」
明日が楽しみだと、心躍らせながら眠りについた。
「起きろ!!起床時刻だ!!!」
けたたましい看守の目覚ましで眠い目をこすりながら、縮こまった体をほぐす。
そして、あいさつでもしてやろうと向かいの牢獄に目をやると。
「…!」
そこには、まるで昔から誰もいなかったかのように、きれいに掃除された無人の空間があるだけだった。
なんか、ラストは燃え尽きました。というか浮かばなかった。すいません、中途半端で。
しかも、投稿後に読み返してみて、なんか違う…となったので、あとで時間ある時に修正します。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。