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東の魔女  作者: 松本真希
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 天を焦がすかのように、黒煙の分厚い雲が立ち上り、刻一刻と風に流され形を変える。赤々と燃え上がる帝城が、夜の帝都を不気味に照らし出す。


 これが栄華を誇った帝都なのか。帝都の通りをエドは、がむしゃらに走っている。何かに怯え、何から逃げるように走り続ける。途中で何回も転び、膝からは血がにじみ、服はあちこち破けている。

 

 最初に転んだときには痛みを覚えたが、もう既に何も感じなくなっている。自分を守ってくれる騎士も、付き従ってくる人もいない。帝城の近くにあった、公爵邸も既に焼け落ちている。


 時たま、買い物に出かけた大通りも、昔の面影はない。大勢の人々が馬車に混じり、行き交った、喧噪に満ちた通りには、今は誰もいない。きれいに敷き詰められていた石畳は、所々剥がれ、黄土色の土が露わになっている。道の上には石の塊やレンガが散乱し、近くの瓦礫の山から飛び出した角材は、黒く焼け焦げ、白い煙が上がっている。


 守りたいと思った人達は、もう誰もいない。父も母もジークも、そして私が愛した人も。その人達の骸の上に自分は、まだ生かされている。自身の不甲斐なさと、情けなさが混ざり合い、視界が歪んだ。

あ、と思った瞬間、体が空中に投げ出された。目の前にあった段差に気付かなかったらしい。

それを見計らったように、建物の陰から、抜剣した一人の兵士が飛び出してきた。


 「こっちにいたぞ。」


 大声を挙げ、兵士がエドを指差して叫んだ。


 もう走る気力も残っていない。エドは、その場にへなへなと倒れこんだまま、わらわらと路地から兵士が出てくるのを、ぼんやり眺めていた。捕らえられた人達がどのような仕打ちをされるのかは、痛いほど知っている。けれども、これ以上逃げ続けることを、拒絶する自分がいた。


 周りを大勢の兵士に囲まれ、地面にずいぶんと手荒に後ろ手に組み伏せられた。痛みで、うめき声が漏れる。


 「トスッ。」


 一人の男が黒毛の馬からヒラリと飛び降り、近づいてきた。周りの兵士の装備と比べて、この男はずいぶん、立派なものを身に付けている。馬にしても、足の筋肉は隆々としており、たてがみは、帝城の炎を反射して艶に夜の薄明かりの中に栄えている。最近では、人でさえ食べるものに困るというのに、この馬はきちんと食事が与えられているようで、妙な違和感がある。身動きできない体で、首だけをなんとか動かし、男の顔を見上げた。


 「き、君は確か、北部の…レ、レス…。」


 エドの言葉を遮って男は答えた。


 「よく覚えていな。お前みたいな南部の連中は、俺らのことを、ゴミみたいにしか、見てないのかと思っていたよ。」


 男は嘲りに満ち、薄汚い笑みを見せた。


 エドは、この男のことを覚えている。何度か帝都での夜会で、顔を合わしている。立ち話程度はした記憶がある。帝国の北東部を治める、レスランド伯爵家当主アーサー・レスランドだ。帝国の北東部は山脈に近く、荒涼とした大地が続く、貧しい地方として有名だった。


 ここ数年、夏に長雨が続き、北部では農作物があまり育たなかったと聞いていた。けれども、北部が反乱を起こすほどひどい状況になっていたとは、露も思っていなかった。


 「な、なぜ帝国に弓を引く。帝室の援助で、南部の食料が回って来ていなかったのか。」

 

 エドは不思議に思い尋ねた。確か、いくらかの食料を北に送った記憶がある。


 「あんなに少ない援助で何ができると思うのだ。南部の連中が食料の拠出を渋っていたのを知らないか。これだから南部の連中は嫌いだ。」


 アーサーはフンと鼻を鳴らし、心底バカにした表情を浮かべた。


 「帝室が援助の見返り、何を求めいたのかも知らないのか。十分な兵糧を送ったのだから、兵を出せときたものだ。この状況で兵を出せると思うか。こんな中でも、隣国と戦争を起こそうと考える皇室も皇室だ。」


 アーサーは早口でまくし立てる。皇室への不満も覆い隠す気も無いらしい。

 

「な、ならば、帝都に火をつける必要も無かっただろう。罪のない人々を路頭に迷わして何になる。」


 精一杯の虚勢を張ったが、語尾が震える。


 「黙れ、黙れ。何を今更、偽善者ぶりやがって。南部の連中が、食料の拠出を渋ったせいで、何人の北部の人達が死んだと思っている。昔から、この国はそうだった。この帝国は、膿を出し切らなければ、もうどうにもならない。帝都の民は、お前らみたいな選民思想に、汚染された最たるもの達だ。それを南部の貴族と共に、葬り去って何が悪い。」

 

 そう言ってアーサーは笑い出した。狂ってしまっている。エドはそう感じた。昔、立ち話した時には、どこか胡散臭さはあったが、その中に聡明さがにじみ出ていたが、今では何も感じられない。憎しみはここまで人を変えてしまうのか。いや、前会った時は、あののっぺりとした笑みの仮面の下に、隠し持っていただけかもしれない。

 

 「エドワード・ラーンブルク、お前には、俺が直々に、手にかけてやろう。」


 アーサーは、口の端をニヤリと上げ、剣を高々と上げ、勢いよく振り下ろした。

意識が暗闇の中に吸い込まれていく中で、エドが最後に見たのは、風にはためく隣国のヘレルブルク王国の旗だった。


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