十章 四 『雷沢帰妹』
四
俺は学校のグラウンドに続く階段に座っていた。ここは先日行った天花寺の学校、日比谷高等の校庭だ。時刻は夕暮れ。隣には現実世界と同じ姿の古城戸が座っていた。古城戸は一度パーグアではなくなっているのでもう夢の中でも十三歳の姿ではなかった。
ここは、先日行った学園祭の夢。グラウンドでは生徒達がキャンプファイヤーの準備をしている。シラノ・ド・ベルジュラックの演劇を見たすぐ後だろう。この学校の中庭にある屋台の水槽に、『藤柄八山勾玉』の欠片があるはずだ。
「もう一回、高校生したいな」
隣の古城戸はそんなことを言った。どうやら古城戸は俺のことは思い出しているようだ。だがここが夢だと自覚はしていない。大仰に因果を起こしてもらったはずだがまだ完全にパーグアではないのかもしれない。俺もまだ古城戸の因果を感じなかった。まさか失敗したのだろうか。
夢を夢だと自覚していない人間に「これは夢だ」と言って理解を得られたことはない。だから、今古城戸に「これは夢だ、もう学園祭は終わっただろ」と言っても無駄だろう。なんとかパーグアとして覚醒させるしかない。この場は会話に応じることにする。
「何かやり残したことがあるのか?」
「たくさんあるわよ……由井薗君は無いの?」
「あるかもしれないが、やり直したいとは思わない」
「どうして?」
「……その時の自分を否定したくないから、かな」
「後悔したことないの?」
「後悔するし反省もするけどな。でも『自分は正しい』って自分自身が信じてやらないで誰が信じるんだ?」
古城戸は少し目を見開いて俺を見る。夕暮れの風に古城戸の髪が流れ、美しいシルエットを見せた。
「……そっか……私、バイクに乗ってばかりで恋愛も部活もしなかったけど、正しかったのかな」
俺は吹き出す。
「あ、笑った!」
古城戸は頬を膨らませて怒った。
「悪い。俺は古城戸がバイクに乗ってたおかげで助けられた。それに、あの楽しさを教えてくれた」
古城戸はくすぐったそうに微笑んだ。
その時、グラウンドのスピーカーからオクラホマミキサーが流れ始め、生徒は我先にとキャンプファイヤーに群がる。俺は古城戸の手を取る。
「行こうぜ」
あの時と同じセリフ。古城戸は尻を払って立ち上がり、俺に手を引かれてダンスの列に混ざる。先日踊ったばかりなので俺はすんなりと踊る。古城戸も身体が覚えていたのか、すぐに周りを見なくても踊れるようになった。
右足、右足、左足、左足、右足、左足、右足、左足、前、後ろ、くるりと回ってお辞儀。たったこれだけだ。
楽しいダンスはあっという間に一周。俺と古城戸は列を離れる。
俺はそこで右手を古城戸の腰に手を回し、引き寄せる。その勢いに驚いた表情の古城戸は俺の胸の中に収まった。俺は左手で古城戸の頭を一度撫でる。やわらかくつやつやの髪。
俺は顔を古城戸の顔に近づける。古城戸は俺の行動を察したのか、顔を上げて目を閉じた。
果てしなく柔らく甘い、気持ちのいいキス。一度離し、目と目を合わせる。それからもう一度キス。古城戸も俺の背中に手を回す。三度目のキスは舌を使うと古城戸も恐る恐る舌を絡め、四度目のキスはお互いを貪るようなキス。
俺の後頭部は甘く痺れ、心臓は強く鼓動を打つ。胸の中に強く古城戸を抱きしめ、耳元で囁く。
「愛してるよ」
古城戸は耳を真っ赤にして俺の胸に顔を押し付ける。可愛い。やがて顔を上げた。
「私も、愛してる」
そう言った古城戸はまた顔を埋めてしまうが、俺は左手で古城戸の顔を上げ、五度目のキス。舌は使わず、やさしく撫でるように。
二人が離れた後、古城戸は両手で顔を覆う。恥ずかしいのだろう。十三の時に延行と関係して以来、そういったことが一切なく、恋愛もしてこなかったのだから無理もない。
「ごめんね」
突然、古城戸が謝った。あまりいい予感はしない。
「何が」
「やっと、思い出したわ。私は殺されたのよね」
俺は内心安堵した。思い出したのならパーグアとして覚醒もできそうだ。
「利用したようで悪いが、殺されてもらった」
俺は歩きながら石橋が考えた作戦を話す。延行を取り返すと古城戸が高確率で殺されること。そうすることで海那岐姫が分離され、古城戸を連れて煉獄に向かうこと。その先で俺の姉、六渡夕子や大仰さんと合流すること。
パーグアでなくなった古城戸を、燭陰を斃せる因果に覚醒しなおすこと。
やがて俺たちは学園祭の出店がほぼ片付けられたあの写真の現場に来ていた。そこで水風船が入っていた水槽の前で足を止め、しゃがんで中を覗き込む。
「……あった」
俺は水槽の中から藤色の勾玉の欠片を拾い上げた。それはただの藤色ではなく覗き込むと「色」という単語には収まらない輝きを放っている。間違いない、『藤柄八山勾玉』だ。俺は玉を摘まんで古城戸に見せる。
「勾玉の使用許可は二回だ。俺が目を覚ましたら、全力で『雷沢帰妹』を使い古城戸を蘇生する。残りの一回は燭陰を斃すために使う。それが石橋の作戦だ」
「人間を『雷沢帰妹』で出したことはないわ」
「できる。俺は確信している。今の俺にならできる。愛する女の魂を喚ぶくらいなんでもない」
「……それに、私が燭陰を斃す因果に覚醒できるかわからない」
「確率は一.五パーセントだ。余裕だろ?」
古城戸はまた俺の胸に顔を埋める。
「滅茶苦茶だわ。絶望的よ」
「できる。俺にはわかる」
「私の何が、わかるのよ!」
そう言って古城戸は右拳で俺の胸を叩いた。
「さっき言ったろ? 俺は自分の気持ちを否定しない。俺が愛したなら、俺はそれを信じる。だから冬美、自分を信じろ」
冬美はまだ俺を叩く。
「……知ってた」
「……?」
「由井薗君、名古屋のホテルで私にキスしたでしょ」
「……起きてたのかよ」
「とっても気持ち良かったの。ズルいわ、あんなの反則よ」
冬美は両手で俺を叩く。
「信じる。私も愛する人を。雄太を」
俺は冬美の頭を撫でる。
「よし、心は決まった。俺は起きる。すぐに『雷沢帰妹』で喚ぶから」
「うん」
俺は冬美の夢を去り、起きる。
ビジネスホテルで目を覚ました時、すでに石橋と延行は起きて食事を採っていた。食事といってもコンビニ弁当だ。
「お、由井薗起きたか。うまいこといったか?」
「怖いくらいにな。逆に不安になってきた」
石橋は笑う。事態をよくわかっていない延行に説明する。
「よーするにですわ、お兄さん。この男が冬美さんのハートを射止めたっちゅうわけですわ」
「そうなんだ? 冬美も大人になったんだね」
「ちょっと静かにしてくれ。すぐに喚ぶからって言ってあるんだ」
俺は精神を深く集中する。あの藤色の輝き。複雑で同じ表情を二度と見せることのない不思議な石を俺は『雷沢帰妹』で引き出す。
この手には『藤柄八山勾玉』が顕れていた。
俺は勾玉を手に、真理に触れる。強烈な力の波動が俺の魂を吹き飛ばしそうになる。これならば完全な『雷沢帰妹』が使える確かな手ごたえ。
熱く滾るその気持ちに嘘偽り無し。冬美の心を喚ぶ。魂を観測し、量子から物質に変換する。抱きしめたあの細く柔らかい身体。甘い唇。絹のような髪。唯一無二の存在。来よ。
「おぉ!?」
石橋が歓声。
「うぉおお!」
延行が感嘆の声。
俺が目を開くと、そこには冬美がいた。
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