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特別国庫管理部  作者: 安曇 東成


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九章 三 シラノ・ド・ベルジュラック


 校内の展示や仮装を一通り楽しんでいるといつの間にか十六時になろうとしていた。俺と古城戸は体育館に向かう。体育館の前には看板が出ており、演目の内容が目に入る。


「『シラノ・ド・ベルジュラック』……知ってるか?」

 

 俺が古城戸に尋ねると古城戸は頷いた。


「そうか。俺は知らないな」

「ネタバレしようか?」

「やめて! ホントにやめて」


 古城戸はくすくすと笑うと体育館の中に入っていったので、俺も後を追う。

 

 体育館の中は照明が消されていて、映画館のように暗かった。外との明暗差に目が慣れず、真っ暗に感じる。古城戸は無意識に俺の腕を掴んでいた。いつぞやの饕餮の闇の中を思い出す。


 館内にはパイプ椅子が並べられていたので、真ん中付近の空いている席に古城戸と横並びで座る。やがて目が慣れてくると周囲の様子が見えるようになった。

 

 開演前の館内は独特の緊張に包まれた空気で満ちており、俺も不思議な高揚感に包まれる。館内の座席はいつの間にか満席になっていて、何故か俺まで緊張してしまった。

 

 やがて大きな音でブザーが鳴り響くと照明は完全に落とされ、真っ暗になる。数瞬後、舞台中央の緞帳(どんちょう)にスポットライトが当てられ、中世ヨーロッパの町娘風の恰好をした一人の女子がその中に入った。天花寺(てんげいじ)だ。


「これはある一人の男の物語。その男は生まれつき大変醜い顔をしており、その醜さは家族すらも避けるほど。しかし、心は清く美しい。男の名前はシラノ・ド・ベルジュラック。彼は従姉妹のロクサーヌに恋をしています。果たしてシラノの想いは届くのでしょうか? それでは、はじまり、はじまり」


 天花寺(てんげいじ)はそう言ってお辞儀をし、スポットから消えていく。会場からは盛大な拍手とともに、緞帳が昇っていく。俺と古城戸も拍手をした。天花寺の出番はあれだけなのだろうか。演劇部ではないらしいから、そんなものなのかもしれない。


 物語は始まった。シラノは従姉妹のロクサーヌに恋をしていたが、ロクサーヌの初恋はクリスチャンという男。そのクリスチャンという男もまたロクサーヌが好きで、シラノにその想いを相談する。クリスチャンはロクサーヌに告白をしたかったが、口下手で頭も回らない自分にはできない、という内容だった。そこでシラノは一つの妙案を提示する。

 

 クリスチャンはロクサーヌを呼び出してうっとりするような言葉で告白をし、ロクサーヌもそれを受け入れた。実はこの時クリスチャンは口パクで、後ろでシラノが見事な機転で言葉を紡いていたのだ。


 やがてクリスチャンとシラノは騎士として戦争に旅立っていく。シラノは戦地からも危険を顧みずロクサーヌにクリスチャンの名前で愛を綴った手紙を出し続け、ロクサーヌはその言葉に励まされ、愛を深めていく。


 戦争で重傷を負ったクリスチャンは故郷に戻されロクサーヌと再会する。そこでロクサーヌから手紙の話を聞かされたが、自分には身に覚えがなく、ロクサーヌは手紙に記されたあの美しい言葉に夢中なのだと失意のまま死んでいく。

 

 戦争が終わり故郷に戻ったシラノは修道院でひっそりと暮らすロクサーヌに時折会いに行っていた。やがて十年という長い年月が過ぎたがシラノは手紙のことについては口にしなかった。

 ある日、シラノは暗殺者に刺され重傷を負うが、そのままロクサーヌに会いに行く。

 そこでロクサーヌは昔クリスチャンからもらったという手紙をシラノに見せる。シラノが暗い教会の中でそれを音読するのを聞いたロクサーヌは、かつての告白と手紙の主が誰だったのかを知る。しかし重症だったシラノはそのまま息絶えてしまったのだった。


 最後に出演者が全員舞台に現れ、横一列で手を繋ぎながら礼をし、拍手と歓声の中、幕が下りた。俺も拍手をしながら古城戸に話しかける。


「悲劇なんだな」

「そうね。でも最後に想いが伝えられてよかった」

「シラノはもし自分の容姿が普通ならもっと早くロクサーヌに告白したかな?」

「どうかしら。ロクサーヌの初恋はクリスチャンで、シラノもその気持ちを知っていたんでしょう? しかも二人を取り持つキューピッドまでしてしまった。つまり身を引いたってことなんだから、引いた以上は告白できない、っていう考えだったのよね?」


 そう言われて俺は少し考える。


「まぁ、そうだな。取り持っておいて告白はできない」

「でも最後にロクサーヌが愛したのが手紙の主だって気づいたから気持ちを伝えたってことでしょう?」


 シラノはロクサーヌが手紙をクリスチャンのものだと信じていたからずっと気持ちを秘めていたが、そうではないとわかったから伝えることができたのだ。


「じゃあやっぱり容姿関係なく、自分のとった行動に責任を感じていた、ということか」

「そうね。ある意味ロクサーヌを騙してきたわけだしね」

「この物語に限らず、他の小説やアニメでもキューピッド役が実は、というのは結構あるよな」

「あるある。友達から『誰それが好きだから、告白を手伝ってくれ』とかいうの。でもって自分も好きなのよね」

「それ。でも結局後々修羅場になったり泣きを見るパターンがほとんどだよな」

「由井薗君がシラノだったらどうする?」


 古城戸にそう言われて心臓が跳ねる。古城戸は自分の兄のことを愛していて、それを助けようとしている。俺はそんな古城戸を手伝い、一緒に古城戸延行を助けようとしている。その状況はまるでこの『シラノ・ド・ベルジュラック』を思わせた。古城戸はこの質問で俺の気持ちを量ろうとしているのだ。


「意地の悪い質問だ」

「そうかしら」


 古城戸はそういうと不敵な笑みを浮かべて俺の左肩に寄り掛かる。


 俺は右手を古城戸の顎に添え、顔を近づけると古城戸は目を閉じた。


「あのう……」


 座席の後ろから突如を声を掛けられたので、二人して飛び上がって後ろを見ると町娘の恰好をした天花寺(てんげいじ)が立っていた。


「一度体育館を閉めるので、すいませんけど出てもらえますか?」


 俺たちは慌てて体育館を出る。折角の雰囲気がブチ壊しだ。だが回答にはなっただろう。古城戸は耳が少し赤いが平静を保っていた。


 時間は十七時半を過ぎたが、まだキャンプファイアーまでは時間がある。太陽は少し前に沈んでいるが、まだそこまで暗くはない。校庭に行くと実行委員達が焚き上げの段取りをしているところだった。俺たちは校庭の階段に座り、準備に忙しなく動く学生たちを眺める。天花寺(てんげいじ)はクラスメイトと片付けなどをしているのだろうか。


 俺と古城戸は他愛ない雑談をしながら準備を眺める。やがて十八時になり、放送がかかった。


『ただいまより校庭でキャンプファイヤーを開始します』


 しばらくすると多くの生徒や外来の参加者のほとんどが校庭に集まっていた。校庭中央の段組みにされた焚火に点火され、炎が高く昇っていくと、周囲からは歓声があがる。これほどの規模の焚火はそうそう見られないので俺も興奮した。


 それと同時にオクラホマミキサーの曲がスピーカーから流れ始め、生徒たちがわいのわいのと焚火の周りに殺到した。


『ダンスは二列で行います。内側は交代しながら、外側は同じペアでどうぞ。ダンスタイムは三十分です』


 早速生徒たちは二列になってダンスを始めていく。生徒たちにとっては貴重な青春の体験だ。しばらく火と影を楽しんでいたが、やはりここは俺たちも踊らなければ。


「行こうぜ」


 俺は立ち上がって古城戸を誘う。古城戸も尻を払って立ち上がる。高校生のような甘酸っぱい感情は無いが、それでも楽しいことには違いない。俺たちは外側の輪に入って踊り始める。


 こんなフォークダンスはそれこそ学生以来だが、周りの見様見真似ですぐに覚えられた。古城戸もすぐに合わせて踊る。今日は特にめかしこんでいないラフな格好だが、それでも周りの目を引くほど美しかった。やがて一周を終え、列を離れる。


「いやぁ、たまにはいいもんだな」

「楽しかったね」


 チケットをくれた天花寺には感謝だ。古城戸とオクラホマミキサーで踊るなんて想像できなかった。


 やがてダンスタイムは終了し、火を囲んでの合唱が始まるようだった。生徒たちは火を囲んで体育座りをしている。実行委員は歌詞カードを配布しており、俺と古城戸は二人で一枚のカードをもらった。見ると歌詞は「遠き山に日は落ちて」だった。ドヴォルザークの交響曲第九番第二楽章。日本では「家路」や「遠き山に日は落ちて」として歌詞がつけられている。


『ただいまより合唱を行います。 二回流しますので、大きな声で歌いましょう!』


 スピーカーから案内が流れ、伴奏が始まる。生徒は恥ずかしがる様子もなく楽し気に歌いだす。毎年のことだから知っているのだ。新入生もこうやって祭りの雰囲気を学んでいく。


遠き山に 日は落ちて

星は空を ちりばめぬ

きょうのわざを なし終えて

(かろ)く 安らえば

風は涼し この夕べ

いざや 楽しき まどいせん

まどいせん


やみに燃えし かがり火は

炎今は 鎮まりて

眠れ安く いこえよと

さそうごとく 消えゆけば

安き御手(みて)に 守られて

いざや 楽しき 夢を見ん

夢を見ん


 二周目はさらに大合唱になった。一周目で怖気づいていた生徒たちも勇気を奮って参加したのだ。生徒たちのテンションはますます高まり、炎が燃える音も掻き消される。

 俺と古城戸も歌った。やがて曲は終わり生徒たちは拍手。中には感極まって泣いている生徒もいる。


「思ってたより盛り上がったな」

「うん、すごいわね。合唱って楽しい」


 俺たちは片付けを始める生徒達を後に、学校を去る。



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この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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