一章 六 夢で自分が何歳か考えたことがあるか
六
いよいよ潜行が始まった。
遠い光を目指す。その頂を目指すことしか考えない。昔誰かに聞いたことを思い出す。後ろには望天吼がいるから振り返ってはいけないと。
光の中に入ると黙となる。俺が俺である何かがそこでは全て。そうして、溶けあい、繋がる。
俺たちは眠りについても意識を明瞭に保ったままにできる。そして、その状態からは周辺で寝ている人の夢に侵入することができるのだ。
古城戸は夢の中では十三歳の姿となる。これはパーグアとして覚醒した時の年齢だ。俺は二年前なので、ほぼ現在と変わらない。
一般人は、夢の中では自分の精神年齢に近い姿になっているのが普通で、だいたい実年齢とかけ離れることはない。ようするに、精神が子供のまま大人になっている人は意外と少ない、ということだ。
古城戸はスーツ姿で、髪はいつものハーフアップだった。随分と若いが化粧をしていて、十三歳には見えない。身長もリアルでは百六十五センチだが、夢でも百六十センチ近くはあるので大人でも通用する。胸や尻も十三歳とは思えない色気があって、妙な気持ちになった。
俺がいつぞや、夢で写真に収めた女がそこにいた。この瞬間はいつも初心に帰る。
「さて、ここはどこかしら。さっさと探すわよ」
俺たちは姫路の夢に侵入したが、どんな夢かは夢の主である姫路に決定権があるため、俺たちは状況を選べない。だから事前に作戦を決めておくことが難しく、その都度考える。藤原には姫路と書類についての打ち合わせをしてもらったから、姫路はおそらく書類関連の夢を見る。
広大な建物に、たくさんのゲート、トランクを持つ人達。俺たちが侵入したのは、大阪国際空港のようだ。
「伊丹空港だな」
大阪国際空港のことを「大阪国際空港」と呼ぶ大阪人はいない。いたとしたら、移住者か変態だ。俺は大阪出身だから伊丹空港と呼ぶ。古城戸も周囲の看板や景色をみて把握したようだ。この広大な空港で、ターゲットである姫路幹夫を探す必要がある。ついでに空間投影式の時計を見ると去年の七月だ。姫路は須賀長官の部下だから、合意書類が完成した後、日本に持ち帰った頃に違いない。
「二〇二三年の七月。去年だな」
古城戸も掲示板をみて気づいたようだった。夢には時間の概念が無いから、過去や未来の場合も当然ある。昔の夢を見たことがある人は多いだろう。中には予知夢とも言える未来の夢を見たことがある人すらもいるのだ。
今回の場合だと、姫路は合意書類を持ち帰った時の夢を見ているに違いない。
「搭乗ゲートのほうに来るのか、到着ゲートのほうに来るのかわからないわね」
「手分けするしかないな。俺が搭乗ゲートのほうを見よう。そっちは到着ゲートだ」
「わかったわ。次の到着は、十九時十分ANA037。ゲートは何番かしら」
古城戸は到着ゲートを見張るため、時刻表と便を調べだす。俺も搭乗ゲートの便を調べなければ。飛行機は同時に飛び立ったり同時に着陸することは無いからゲートを同時に見る必要はない。
「あ、これ」
古城戸が小型カメラ付きのヘッドセットを渡してきた。古城戸はヘアピンに仕込んであるようだ。これでお互いの映像と音声をリアルタイムで通話しながら確認できる。映像はスマホにブルートゥース接続で表示されるが、基本音声だけでいいだろう。現在十九時前だから、到着本数はそれほど多くはない。
「十九時四十五分に成田からと新千歳の二便が到着するみたい。見れるかな?」
古城戸から通話が入る。
俺は空間投影式スクリーンを見ながら答える。
「多少ずれるだろうから大丈夫だろう。可能性が高いのは成田かな」
「わかった。成田のほうを先に張るわ」
俺が見る搭乗ゲートは、基本的にニ十分前が締切となっているので余裕がある。荷物検査場で俺は警察のパスを見せた。それでゲートは通り抜けられる。俺たちは特別な公務員扱いで、警察の身分証を持っているのだ。
十九時三十分の羽田行きを見送り、いよいよ残りの便もわずかだ。次は鹿児島行きが十九時四十分か。東京羽田行きは二十時ニ十分と時間が空く。古城戸が十九時四十五分の二便を気にしていたから、鹿児島行きをチェックしたら到着ゲートのほうに行こう。
十九時四十分発はもう荷物検査ゲートの締切時間が終わっている。だから今出発ゲートにいる人をチェックすればいい。二、三分でチェックしたが、こちらはハズレだったようだ。
俺は古城戸に通話。
「十九時四十五分の到着便、俺も手伝うよ。そっちはJAL3007便を頼む。俺はANA780便を見る」
数瞬の間を置いて、古城戸から返事。
「わかったわ。ここまできたらもう成田が本命ね」
「だろうな」
やがて古城戸から成田からの到着便に姫路が現れたと通話があった。俺はすぐにそちらに移動を開始する。
目的の到着ゲートにあるソファに古城戸は座っていた。俺が隣に座ると目で姫路を指す。俺が指された方向を目で追うと、一人の中年が立っていた。写真で確認した姫路幹夫に間違いない。姫路はグレーの高級そうなスーツに銀色のアタッシュケースを手に持ち、誰かを待っているようだった。腕時計をたまに見ながら、出口のほうを頻りに気にしている。
「あのケースかな」
俺がそう言うと古城戸は頷く。
「あれね。誰かを待っているのかな? 普通降りたらさっさとモノレールかバスに向かうわよね?」
「政治家先生だからな。運転手なんかが迎えに来るんじゃないか」
「そっか。一般人じゃないものね。車で迎えが来ているのが普通か」
その時、姫路と同じアッシュケースを持つ男が姫路の背後から近づくのが見えた。嫌な予感が頭を過る。さらに別の男が逆側から姫路に向かっている。古城戸は後者側の男に気づいたようだ。
「誰か来たわよ」
「もう一人同じケースを持った男がいる」
そうこうしているうちに、姫路はその男に何やら話しかけられている。会話の内容はここからではわからないが、男が話しているのは日本語ではなかった。
その時、男が盛大にくしゃみをして鼻汁を姫路にブチ撒けた。男はたどたどしい日本語で謝りながらハンカチで姫路のスーツを拭く。高級スーツを鼻汁で汚され、さらにハンカチで擦られて余計に悲惨なことになっている。姫路は喚きながらケースを置き、スーツを脱ぎ始めた。
その一瞬で、背後の同じケースを持った男が近づき、姫路のものと入れ替えた。
古城戸も警戒していたらしく俺を見た。
「入れ替えられたな」
「どういうことかしら。盗まず入れ替えるなんて」
俺は思考する。書類が欲しいならわざわざ同じケースを用意して入れ替える必要はない。某国に出張していたとみられる姫路が書類をどのケースに入れたかを事前に調べていて同じケースを用意した上で伊丹で入れ替える、など通常の窃盗犯が行う手口ではない。組織ぐるみだろう。つまり、狙いは姫路に偽物を掴ませる事に違い無い。
「偽物を掴ませるのが目的か」
古城戸もそれで気づいたようだ。
「まさか最近某国が日本に会談を申し入れたのは」
俺が続きを言う。
「入れ替えたことを某国が知っていたとしたら」
古城戸は怒りに目が燃えている。
「やってくれるじゃない」
日本政府はハメられようとしていたということだ。
「秘書作戦は中止だな。あいつらから取り返さないと」
奴らは仕掛ける側で、仕掛けられることを警戒していないはずだ。今ならチャンスはある。
古城戸は俺を肘でつついて聞いてくる。
「姫路はどうする?」
「もう用は無いだろう。本物は俺たちが持って夢を出ればいいわけだし」
まだスーツのことで騒いでいる二人だったが、ケースを入れ替えた男は足早に去っていったので俺と古城戸はその男を追う。空港からの移動手段など、モノレールかバスか車しかない。となるとおそらくは車だろう。車に乗られてしまうと取り戻す難易度は上がりそうだから、早々にケリをつけなければならない。
男は茶色がかった頭髪に、サングラスをかけ紺色のスーツを着て入れ替えた銀色のアタッシュケースを持っている。あいつからアタッシュケースを奪えばいいわけだが、俺も古城戸も荒事が得意ではない。俺たちは一応警察という身分だからそれを利用することも考えたが、相手が外人の場合、話はややこしくなる。ただ、ここは夢の中なので国際問題になろうが関係はない。それでも書類を手に入れることを最優先するなら、やはりここは隠密に進めたい。
ケースを持つ男は三十歳程度で身長は俺と同じくらいだから百八十少々というくらいだ。取っ組み合いになった場合でも容易に倒せそうにない。男は歩を進める。やはり車があるようだ。ふと横を見ると古城戸がいなかった。
「おい? どこに行った?」
俺がヘッドセットで通話すると、応答。
「すぐ戻るわ。あいつを張ってて」
男は一階に降り、駐車場へ間もなく辿り着く。最悪強引にいかざるを得ない。突撃するかギリギリのところを迷っていると息を切らせて古城戸が戻って来た。手には銀色のアタッシュケース。そういうことか。
「秘書作戦は続行したわ。姫路からケースを預かって来た。これで一杯食わせてやりましょう」
「優秀な秘書がいて助かるよ」
作戦はもう決まっている。意趣返ししかない。
古城戸は『雷沢帰妹』でバナナのスムージーを出した。俺はアタッシュケースを持って男の背後を狙う。古城戸はスムージーを持って男の正面に回り込む。
男が駐車場に入ろうかというタイミングで古城戸はダッシュで飛び出す。
出会い頭に男にぶつかり、スムージーを男のスーツにブチ撒けた。
「ああっ! ごめんなさい!」
男は最初、腹を立てたが古城戸を見て顔が緩んだ。そして古城戸にされるがまま上着を脱いでいく。上着を脱ぐには当然アタッシュケースを置く必要があった。俺は素早く背後からケースを入れ替えて持ち去る。成功。
男はまだニヤついていたが、古城戸は俺が立ち去ったのを見て、もう用は無いとばかり適当に謝って離脱した。男は若干不満そうではあったが、俺が置いたケースを持って駐車場へ向かっていく。
俺と古城戸は空港二階のトイレ前で合流。
「自分たちと同じ手口にあぁもハマるとはね」
「目的の物は手に入れたし、もうここに用は無いわ。行きましょ」
俺はアタッシュケースを開け、書類の写真を念のために撮る。
「そんなの役に立たないでしょ」
古城戸は呆れたように言うが、言い返せない。古城戸はそのまま書類を背負っていた小さいリュックに入れ、長い階段で一階に降りる。あとはこの夢から脱出すれば任務完了だ。
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