八章 二 海那岐姫(みなぎひめ)
二
延行が涙を流しながら冬美達を見つめていると、父親が立ち上がった。続いて冬美が立ち上がり、最後に母親が立って冬美の手を取った。
「冬美! 行くな! 母さん、離せよ!」
延行は絶叫したがその声は届かない。 気が付くと、丘の上にはガラスのように透き通った階が現れ、遥か遠くの天上からは和装の美少女が降りてきているのが見えた。歳の頃は延行と同じ程度、肩までに切り揃えられた美しい黒髪の中には小さく氷のように白い顔。延行は女性の顔をみて息を飲みこんだのは初めてだった。胸元には見つめるだけで心がチリチリとするような藤色の輝きを放つ宝玉が下げられている。
「あれは誰だ……」
延行が誰に問うでもなくつぶやくと、夕子が答えた。
「あれは、海那岐姫……煉獄への引率者……」
煉獄への引率? まさか、あれがお迎え? 死神? そんな考えが頭を過る。
やがて美少女は丘の上に降り立ち、冬美の小さな手を取った。海那岐姫は降りてきた階を再び登り始め、冬美も手を引かれて階に足をかける。
「やめてくれ! 連れて行くな! 冬美ィ!」
延行は喉から血が出んばかりに吼えた。夕子は拳を握りしめると、覚悟を決めたかのように冬美を睨んだ。
延行はパーグアではなかったが、夕子から放たれる強烈な波動を感じた。延行が夕子を振り返ると、その決死の表情から何かを悟った。
「夕子!? 何をする気だ!」
六渡夕子は微笑むと因果を発動する。
「ノブ君……私が『雷火豊』で彼女と同化する」
「同化!? 夕子はどうなるんだ!」
「もうこれしかない! お願い! 冬美ちゃんを幸せに、そして私たちの夢を叶えて!」
夕子は手を伸ばすと『雷火豊』を発動。冬美に白い電撃が伸びる。
しかし、電撃はあと一歩というところで静止した。海那岐姫の胸の宝玉が怪しく輝く。
「雷水解!? そんな!」
夕子は雷水解を受けながらも抵抗をつづけた。雷水解を受けると一時的にパーグアで無くなってしまい、能力は霧散してしまう。
夕子はまさに命を振り絞って抵抗した。噛みしめた唇からは血が噴き出し、目から血の涙を流す。
「ゆうこぉぉ! くそぉぉ!」
延行は二人の強力な波動に巻き込まれ、ついに自らの因果に触れることに成功。『山沢損』が暴力的に発動。
「抵抗するなッ!」
延行が命令すると海那岐姫が一瞬硬直。雷水解は霧散し、夕子の『雷火豊』の白い稲妻が冬美に触れるまさにその瞬間、海那岐姫が身を翻して冬美を抱きしめるような恰好。そこに『雷火豊』が着弾した。
白い稲妻が着弾すると強烈な閃光とともに周囲は完全に光に包まれた。
「うわァ!」
延行は腕で顔を庇う。重力の感覚がなくなり、自分がどこにいるかもわからなくなった。
延行が気付いたとき病室にいた。ベッドには冬美が静かに眠る。その表情は穏やかで落ち着いていた。延行が隣を見ると一緒に夢に入ったはずの夕子はいなかった。
「夕子……嘘だろ……」
ふと冬美を見ると胸元には海那岐姫が身に着けていた宝玉を発見。しかし玉は夢の中で見た時と異なり、一部が欠損していた。延行は欠けた勾玉を取るとポケットにしまう。
翌朝、冬美は目を覚ました。延行はすっかり細くなった冬美を抱きしめ、涙を流す。
「兄さん……ずっとお母さんとお父さんの夢を見てた」
「……お前が目を覚ましてくれて、本当に良かった」
延行はそれ以上の言葉が見つからなかった。
やがて、冬美は体調も回復し無事退院することができた。
それから半年ほどが経過したころ、冬美は最近姿を見せない六渡夕子について兄に質問をした。
「最近、あの人を見ない」
「……夕子か? 別れたんだよ」
「……そうなの? ごめんなさい」
「いいんだ。もう終わったんだ」
そう言って延行は微笑んだ。冬美が退院して以降、兄は沈みがちなように見えた。だが、冬美と話すときはいつもの兄だったし、夕子がいなくなってからも孤児院はきちんと運営されているようだった。
冬美は急激に大人びた成長を始めた。胸は大きく膨らみ、身長も伸びた。もともと美少女と言える顔立ちだったが、大人らしい表情を身につけて小学六年生になる頃には大人の男性でも(年齢を知らなければ)十分に虜になる美貌を放っていた。一方で延行は成長が止まった。だが、十六歳頃にはほぼ成長しきっていたこともあって、年齢よりは幼く見える、という程度であった。
延行は年に四回ほどのペースで中国の孤児院に行き、冬美はその半分だけ同行した。
兄は孤児院で大変慕われており、老師と呼ばれていた。子供たちは二十数人預かっていて、畑と牧畜、木や竹、石の細工で生計を立てていた。延行は建物の維持や周辺の環境にだけ手を出し、生計には直接かかわらないようにしていた。金銭面で生計を支援してしまうと、彼らの自立心を萎えさせてしまうと考えていたようだった。
王子涵と黄浩宇は延行を父とすると、施設の長男・長女のような立場で働き、年下の面倒をよく見ていた。この二人は特に延行を崇拝し、三人で何やら話し込むことも多かったが、冬美はその話し合いには参加させてもらったことはなかった。
ある時、冬美は突然施設の自分と同じくらいの歳の子供に話しかけられた。施設では日本語も教育しているのか、子供は拙いながらも日本語を話した。
「八卦って知ってる?」
「占い?」
「そっちじゃないよ」
「ごめんなさい、知らないわ」
そう答えると子供はつまらなさそうに走り去った。
「何か別の意味があったのかしら……」
兄にその事を聞いてみたが、「なんだろうね」と冬美の頭を撫でるだけだった。
延行が十八歳になったとき、一台のバイクが納車された。白と青のカラーリングで美しいフォルム。デイトナ675スペシャルエディションの二〇一一年モデルだった。 冬美は当然まだバイクの免許は持っていなかったが、一目見て、「世界で一番カッコいい」と確信した。
「ようやくこいつに乗れる。冬美、乗せてやるよ」
「ほんと? てっきり忘れてると思ってた」
延行がバイクに跨り、冬美を促す。冬美は慌ててヘルメットをつけ、えいや、と飛び乗る。初めて乗るバイクの後席は思ったよりも視線が高く、座り心地はよかった。延行はエンジンをかけると、二回空ぶかしをする。身体に電流が走るかのような心地よい音と振動。デイトナ675独特の吸気音が脳に快楽物質を放出させる。冬美は大胆に延行に抱きついた。この時なら、遠慮はいらない。
延行はどこか緊張した様子で発進。
「わぁ! 動いた!」
二人はすでに風になっていた。冬美の声はかき消され、延行には届かない。だがそれを寂しいとは思わなかった。もっと強く抱きついたからだ。バイクで受ける風は冬美に新しい世界を吹き込んだ。海沿いのワインディングはリズミカルに、長い直線は力強く。そこにはただ、感動があった。
ツーリングを終えたあとも興奮覚めやらぬ冬美は、こっそり兄のデイトナに跨ってみたりグローブを嵌めてみたりと十六歳になったら絶対免許を取ろうと決心するのだった。
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