八章 一 六渡夕子(ろくどゆうこ)
一
都内の小さな寺では除夜の鐘が鳴っていた。近年暖冬と言われる中、二〇一〇年の大晦日は雪となり、初詣に向かう人たちは白い息を吐きながら列を作る。
高校生と思わしき青年と小学生らしき少女が賽銭箱の前で手を合わせる。後ろの列を気にしながら青年は少女の手を取り左側へ動き、場所を譲った。
「なんてお参りした?」
青年は少女に尋ねると女児は笑いながら答えた。
「兄さんのバイク」
「俺のバイク? だめだめ、あげないぞ。あれはこの前、俺の十六の誕生日に免許を取って買ったばかりなんだから」
少女が首を振ると肩まで伸ばされた髪が広がる。
「兄さんのバイクの後ろに乗せてもらえますようにって」
「なんだ、お安い御用だよ。でも免許を取って一年は二人乗り禁止だから当分無理だ」
少女は俯く。
「一年経ったら、あの人を乗せるでしょ?」
「夕子のことか? 冬美も乗せてやる乗せてやる」
冬美と呼ばれた少女はやや不満そうにしながらも頷く。
「兄さんはなんてお参りしたの?」
「いい夢を見られますように、だよ」
冬美は驚いたように青年を見上げる。
「そんなお願い?」
「お金が欲しいとか、綺麗になりたいとか、歌手になりたいとか、そんなのは"願い"じゃない。ただの欲望だよ。神様はそういうのは叶えない」
「お願いって何でもいいんじゃないの?」
「願いは自分で叶えるものなんだ。でも夢だけは神様が見せてるんだよ」
「そうなの?」
「そうさ。だからお参りするときは夢のことを願うんだ」
冬美は兄の言葉を信じられないというようにつないだ右手を振り回す。
「上手くごまかされた気がする」
「実は俺も信じてはいないんだ。夕子がそうだって言ってたんだよ」
「あの人が? だったら絶対信じないもん」
冬美は露骨に顔を顰めた。
「冬美はほんと夕子が嫌いだな。いいやつだぜ?」
「嫌いだから嫌いなの!」
「あいつちょっと不思議なんだぜ。 超能力みたいなことできるしな。 手品かもしれないけど」
「あの人の話はもう終わり!」
そう言って兄妹は境内の玉砂利を踏みながら今年食べたいものや行きたい所の話をしながら帰って行った。
初詣から一週間後の夜、青年は炬燵で暖を取る妹に話しかけた。
「なぁ、冬美。 父さんと母さんが三月にこっちに来るらしいぞ」
「お父さんが転勤で北海道になって、家事ができないからってお母さんもついていっちゃったきり、全然帰ってこなかったのに」
「車で来るらしい。飛行機にすりゃいいのに」
「お母さんが飛行機ダメなんでしょ」
「北海道からフェリーで青森まで渡って、そこから車だってさ」
「ふぅん」
冬美は適当な返事をし、つまらなさそうにテレビのチャンネルを変えた。
そうして、両親が帰ってくる三月十一日の十四時頃、それは発生した。東京でも震度五を記録した東日本大震災は、多くの日本人に衝撃を与えた。テレビで流れる津波の映像、蒸気を噴き上げる原子力発電所はまさに終末の映像そのものだった。
冬美が通う小学校もただちに帰宅の指示が出され、十六時には兄妹ともに自宅でテレビ映像に見入っていた。
やがて、その日の夕方に東京に到着予定の両親と連絡がつかないことに焦り、兄は警察に捜索願を届けた。
震災から一週間後、両親の車と遺体が見つかったと警察から連絡があった。被災地からは少し離れていたが、道路の一部が崩落しており、両親の車はそこから山を転落してしまったらしい。
見るに堪えられない姿となった両親を前に冬美は号泣し、延行もまた妹を抱きしめて震えた。遺体は傷んで腐敗がはじまろうとしていたため、すぐに葬儀を行い火葬された。
幸い父親は生命保険金のほか、ある程度の資産を遺していたし、延行自身もすでに資産家だった。
延行は高校生ながらに高レベルのエンジニアで、投影式スクリーンの他、様々な新技術の開発に携わり、企業から巨額の研究費が支援されていた。
金銭面では生活に困ることはなかったが、小学生の冬美には両親の死は堪えたようだった。
ある日、冬美が家に帰ると見慣れない靴が玄関に何足か並んでいた。冬美が居間を覗くと、延行の他、三人の客人がいた。
「……ただいま」
「あぁ、おかえり」
冬美がそう声をかけると延行が反応する。三人の客人のうち、知っているのは一人。兄の恋人である六渡夕子。あとの二人は初対面だ。見た限りは三人とも兄と同世代。
「冬美ちゃんおかえり」
「お邪魔していまス」
「……」
中国語訛りの日本語で挨拶をした女と、無言で頭を下げた男。どちらも中国人に違いない。
「ノブ君、この二人は 王子涵さんと黄浩宇さん」
「どうも」
夕子がそう言って二人を紹介すると延行は頭を下げる。
「それでこの二人が希望している孤児院の話だけどね……」
夕子が話を始めると、冬美は居心地の悪さを感じ自室に閉じこもった。小学生の自分には難しい大人の話のようだ。冬美は自室でめそめそと泣いた。両親は普段、家には居なかったとはいえ、もう会えないという事実が未だに胸を締め付けていた。
やがて客人は帰り、延行は中国に孤児院を作ることに決めたようだった。
夕飯時に、冬美は兄に質問をした。
「どうして孤児院なんて作るの?」
「慈善事業は嫌いか?」
「ううん……立派だとは思うけど」
「俺には似合わない?」
「わかんない」
「……正義に目覚めたんだよ」
冬美は、すべての元凶は六渡夕子だと思っていた。両親を失くし、兄まで彼女に夢中になって言いなりに孤児院を作ろうとしているように見えていた。そのことを指摘したかったが、孤児院を作ること自体は善行であることも理解できたので、喉まででかかった言葉を飲み込んだ。
両親を失って以降兄の生活は乱れ始め、家に帰らない日も増えていた。冬美は自宅で一人、泣きながら兄を待っていた。
やがて冬美は身体を壊し、衰弱していった。
部屋で死んだように眠る冬美に、兄と六渡夕子が話しかける。
「すまん冬美、お前がそこまで思いつめていたとは」
「冬美ちゃんしっかり」
夕子は冬美の額に手を当て、やさしく撫でた。
「寂しかったのね」
「ここのところ、家を空けすぎたからな。冬美はしっかりしてるが小学生だ。流石に堪えたんだろう」
それ以降、延行はなるべく家にいるようにしていたものの、冬美の体調は悪化していき、家や学校で倒れることが増え、ついに意識不明となり入院することになってしまった。
病室のベッドですっかり痩せてしまった妹を見て、延行は拳を握りしめた。
「冬美……お前まで戻らなかったら……俺はどうすりゃいいんだ」
一緒に見舞いに来ていた六渡夕子も冬美の細くなった手を取る。
「ノブ君……」
「夕子、連れて行ってくれ」
「冬美ちゃんの夢に入るの?」
「それしかない」
延行はまだパーグアではなかったので自分では冬美の夢に入ることはできなかったが、六渡夕子は強力なパーグアだった。
延行が八卦について知ったのはつい最近のことだ。両親が亡くなって以降、気力を失いがちだった延行に新たな希望を与えたのは八卦だった。
不思議な夢の世界を体験し、その名の通り夢中になった延行は日々の手解き等で家に帰る時間が減ってしまっていた。が、それが結果的に妹を一人にしてしまっていたのだ。
延行は病院に、泊まらせてくれるよう頼みこんだ。
「夢で冬美に会いたい」
「……わかった」
そうして、二人は冬美の夢に侵入した。
延行が気づいたとき、あたりは薄暗い草原にいた。どうやら夜のようだ。夕子も近くにいたので声をかける。
「ここが冬美の夢か?」
「ええ。冬美ちゃんはあっちね」
夕子は草原の奥、丘の上に伸びる一本の木を指差した。二人は並んで草原を進む。
見上げた夜空には一面の星とともに美しい満月が輝いている。その月明かりを受けた蒼く輝く草原には、ニチニチソウの小さな花が無数に咲き乱れ、まるで宇宙に浮かんでいるかのような錯覚すら感じさせる。
「なんて美しい夢なんだ……」
「私もこんな夢は……」
夕子は息を飲む。延行は夕子の手を取り、丘の上の木を食い入るように見つめながら歩いた。
丘の上に着いたとき、延行は木の根元に三人の人影を認めた。そのうちの一人は冬美だ。
「ふゆ…」
声をかけようとした延行を夕子が制し、二人は草むらに身を潜めた。
延行が冬美のほうを注視すると、冬美の他にいる二人はなんと両親だった。母親が冬美を膝枕で寝かせ、父親がやさしく見守る光景だった。
「父さん! 母さん!」
草むらから飛び出した延行は三人のもとに駆け出した。が、三人には声は届いていないようだった。延行は走ったが、いくら走っても距離が縮まらない。まるでベルトコンベアの上を走っているかのようだった。
「どうなってるんだ!」
延行が怒鳴ると、背後から夕子が答えた。
「心の距離が遠くなっているわ。冬美ちゃんの魂が遠くに行こうとしている」
「……まさか冬美が死ぬっていうのか?」
「夢には入れた。だから今日明日ということはないと思う。でも……」
「なんとかしてくれ! 頼む!」
延行が夕子の肩を掴んで揺さぶるが、夕子は無言のまま項垂れた。
それから毎晩、延行は冬美の夢に入り必死に呼び掛けを続けた。だが一向に三人が反応することはなく、延行が近づけることもなかった。
ある日、冬美の夢に侵入した直後に夕子が延行に告げた。
「冬美ちゃんの夢に入るのはもう限界……多分これが最後になると思う」
「……嘘だろ? これで死んじまうのかよ!」
延行は必死に両足を動かしたが、むしろ三人が遠ざかるような気すらしてきた。絶望のあまり両手両膝をついた延行は嗚咽を上げ、地面を叩く。
そしてついに、その時が来た。
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