七章 六 本物はそれ自体で詩となる
六
鳴神が亡くなって以降沈みがちだった天花寺だが、学園祭というイベントのため級友たちと準備をするうちに気持ちは切り替わりつつあるようだった。今日、明日と学園祭に集中して、少しでも前向きになって欲しい。
学園祭は今日からのようだが、古城戸は明日行くと言った。今日は雨で明日は晴れの予報だから、というのもあるだろうが、二日目の夜はキャンプファイヤーを焚き上げて盛大にやるらしい。どうせ行くならそっちのほうが楽しいだろう。
やがてその日の業務が終わり、外食を済ませて家に帰る。自宅マンションの扉を開けて玄関をあがり、廊下を歩いて居間に出ると違和感。ソファに知らない女が座っていた。
女はこちらに背を向けていたが、立ち上がってこちらを振り向く。
「古城戸?」
顔は古城戸に似ている。だが、『雷沢帰妹』を感じないから他人だとわかった。因果も感じないから『沢火革』で誰かが変身しているということも無い。
「いや、違うな。始祖夢魔か」
「その通り。貴様には魅了が効かないようだな」
夢魔は俺のリストバンドをちらりと見た。始祖夢魔は男の前で真の姿を現した時、その男を魅了することができるが、イエスの血を含んだリストバンドが俺を魅了から守っている。
「何の用事か知らないが、一つ聞いていいか? 古城戸に化けたのは自分の意思か?」
「姫の姿になっているなら、それが貴様の理想だからだ」
「姫?」
「冬美様のことだ。 私は誰に変身するかは選べない。相手の理想を映すだけ」
ということは俺の理想は古城戸なのか。確かに古城戸に好意はあるが、理想と言われると自分でもそこまで自覚はしていなかった。
夢魔は古城戸と話す時は「冬美」と呼び捨てにするが、古城戸のいないところでは「様」をつける。冬美と呼び捨てにするのは、恐らく古城戸本人からそうしろと言われたのだろう。
「今日来たのは他でもない。冬美様をお守りするにはもっとも近いところにいる貴様が適任と判断したのだ」
俺は高速道路で始祖夢魔が話していたことを思い出す。確かもう一つ使命があると言っていた。
「もう一つの使命は古城戸の護衛なのか?」
「護衛が使命、というわけではないが、そうとってもらっても構わない」
始祖夢魔はソファの背もたれに美しい曲線の尻を預け、腕を組む。
「それなら別行動せずに俺達と一緒に行動したほうがいいんじゃないか?」
「それは愚策だ。一つに固まるとまとめて始末される可能性がある」
「応龍か?」
「応龍も強力な神使だが、もっと危険な奴がいる。正直戦力が足りない」
「その話で思い出した。追加された神使は何体いるんだ?」
「便宜上十年前の神使を一期、今回のを二期と呼ぶが、二期は十二体だ。使命は一期とは多少異なる可能性がある」
十二体なら二期は一期より一匹少ない。使命については基本明かさないそうだから、訊いても答えは得られないだろう。そもそも二期の神使と戦いになっているのは、古城戸延行の山沢損によるものだ。そちらをなんとかすれば戦わなくて済むはずだ。
「古城戸延行を倒せば山沢損の支配が解けて問題は解決するんだよな?」
古城戸の顔をした魔物は頷く。
「その通りだが、当然あちらも延行を守っている。それに彼を殺せるか?」
俺は考えてみたが、いかなる状況になっても古城戸の愛する兄を殺すことはできないだろう。石橋の雷水解も、発動してしまった八卦は打ち消せないから山沢損を止めることはできないし、やはり子涵を直接叩くしかない。いや、もう一つ方法があった。
「それなら古城戸延行に『もう子涵を守るな、命令に従うな』と神使に命令を出してもらうしかないな」
始祖夢魔はそうだと頷く。
「そうだ。だから私は延行を魅了すべく接近を試みている。だが見つかって逆に騰蛇を奪われた、ということだ」
戦闘を回避するには始祖夢魔のやり方が一番手っ取り早く確実だ。俺もその方針に異論はなかった。つまり、始祖夢魔自身は古城戸延行を狙うから、俺には冬美を守って欲しいということだろう。だから一緒に行動はできないと言ったのだ。もし、古城戸と夢魔が一緒に行動しているとわかれぱ延行を護衛している強力な神使がこちらに差し向けられてしまう。始祖夢魔が別行動しているからこそ、子涵は延行の護衛を外すことができないのだ。
「話はわかった。言われなくても古城戸は守るつもりだ」
「今の貴様では大した戦力にならないから鍛えてやる。そのつもりで来たのだ」
「鍛える?」
「そうだ--刑天」
始祖夢魔がそう呼び掛けると身長二メートルはあろうかという偉丈夫が現れた。中国風の鎧を身に着け、長い髪を垂らしている。古城戸が以前話していた、煉獄で会ったという魔物の一体だ。たしかナンバーは006。
「こいつが貴様に体術や戦術を叩き込む」
「ちょっと待て、今ここでか?」
「もちろん夢の中だ。一晩で一ヶ月くらいはいけるだろう?」
「……了解だ、お手柔らかに頼むよ」
そう言うと始祖夢魔は古城戸の顔で笑う。
「たっぷり絞ってやれ」
刑天にそう声をかけた始祖夢魔は溶けるように透明になり、姿を消した。
「まだ風呂にも入ってないんだ、その後にしてくれ……」
俺は刑天にそう声をかけると巨漢は鼻を鳴らしてソファに横たわった。
俺が風呂を出て、ベッドに横になると違和感。布団が暖かい。まさか、と思った瞬間背中に柔らかい感触。それと同時によく知っている声。
「私は定期的に男の精気を摂取しなければならない。これまでは井関という男で我慢してきたが、たまには若い男も必要だ」
俺はぎょっとして背後を確認すると古城戸の顔をした始祖夢魔が布団にいた。そう言えば以前古城戸に見せてもらった始祖夢魔に関する資料の中に、性に異常な興味を示すとあった。これはマズい。
「まだいたのかよ」
「安心しろ、精気を抜かれて死んだりしない。貴様の元気を分けてもらうだけだよ……」
俺が安堵の息を一つ落とす。始祖夢魔は小さく笑うと背後から手を伸ばし、俺に触れる。
「や、やめろ……」
「遠慮することはない。貴様の理想の姿で気持ちよくさせてやると言っているのだ。なんなら冬美様のフリをしてやろうか? 由井薗クン……」
古城戸がいつも俺を呼ぶように名前を呼びやがった。後頭部の痺れが俺の理性を破壊しつつある。始祖夢魔の右手が俺をやさしく撫でる。
理想の女が俺の首筋をちろちろと舐めた時、甘い電撃が走り俺は身体を回転させて女に覆いかぶさる。
俺は思わず女の唇を奪う。暴力的なまでに甘くやさしい感触に脳が支配されかけたが、俺の中で急速に何かが冷えた。俺は唇を離し、仰向けに転がる。
「……どうしたの?」
唇を離した俺に夢魔が問う。
「……やはり本物とは違うな」
その言葉で夢魔は察したようだ。顔は古城戸だが、あいつの唇の感触は言葉には表現できない幸福感があった。それは差と呼べるほどのものではないのかもしれないが、俺には受け入れることができなかった。
「生憎この姿は貴様の理想だ。いっそ別の姿ならよかったかもな」
「……短い間だったが、楽しかったよ」
俺がそう言うと夢魔は上体を起こし、小さく笑う。
「そう言えば、魅了されていない男と同衾するのは初めてだったかもしれない。振られたのも初めてだ」
「勉強不足だな。男心は難しいんだよ」
「……そのようだな」
俺が嫌味を言うと、夢魔は自嘲気味に笑い溶けるように姿を消した。もう少しやさしくしてやってもよかったかもしれないが、あまり深い関係を持ちたくないのも本音だ。夢魔も恐らくそれは察しただろう。
一気に疲れた気がするが、本番はこれからだ。夢に入って鍛錬を受けねば。
俺が夢に入ると見覚えのない広い公園にいた。刑天はすでに俺を待っていたようだ。刑天の足元には大きめの段ボール箱があり、中には多くの武器や道具が詰まっている。
「貴様が雷沢帰妹でどの程度の重量のものまで出せるか知らんが、最低限このくらいの武器は出せるようにしておけ」
刑天はぶっきらぼうに言い放つ。
「盤古だって喚べるんだ、重量の面ではあまり心配はいらないな。大分コツもわかってきた。だが時間だけは伸ばせない」
神使の一体である盤古は巨体であり、その重量は一般的な自動車の重量よりも大きい。だが俺の雷沢帰妹ではあの重量のものは十秒程度しか出すことができない。レシートのような紙切れの場合はほぼ制限時間はないので、質量に応じて時間が決まっているようだ。
今までの夢で武器を持ち帰るなんてことはしていなかったから、今回刑天が用意している武器を持ち帰らせてもらおう。
俺が箱を漁ると、ナイフ、剣、拳銃、サブマシンガン、インパクトグレネードなどの一般的な武器に加えてアイスピックや暗器、手裏剣にヌンチャク、トンファーなどがある。
「手裏剣なんて役に立つのか?」
「備えあれば憂いなし。優先度は低いが練習しろ」
刑天はそう言うと俺に何か武器を取るよう顎で示したので、俺は軽量なナイフを取る。刑天は俺にかかってこい、と言った。刑天は帯刀しているが抜く気はなさそうだ。
「いきなりそんなことを言われてもな……刺していいのか?」
「刺せるものならな。素人に刺されるようなら私もお役御免だ」
「ろくすっぽ使ったこともないんだぞ……」
俺はそうぼやきながらも刑天に向かい合う。
「ナイフを構えるときは刀身を見せないように構えろ。右手に持つなら右手を背後に隠せ。あと逆手に持つのもダメだ」
そう言われて俺は右手を背後に隠す。
「こんな格好で戦えるのかよ」
「刀身が見えていると間合いが読まれる。逆手は軌道を読まれやすい」
刑天が近づいてきたので俺はナイフを突き出す。が、あっさり左手で掴まれ、捻られる。
「いでで!」
刑天はすぐに手を放してくれた。
「正面から突いて刺せる相手ならそれでもいいが、普通は無理だ。相手の死角を突く、気を逸らす」
刑天の言葉は途中だったが俺は何かに気付いたように一瞬右を見る。
刑天も俺の視線を追う。俺はその一瞬で右手を突き出す。
刑天は一瞬で反応しやがった。おれの右手はあっさりと捉えられる。が右手にナイフは無い。持ち替えた左手が本命だ。だが、左手も刑天の右手に掴まれ、同時に膝蹴りが俺の顔面に飛ぶ。
「ぐえっ!」
膝蹴りをまともに食らった俺は後方に飛ばされる。
「なかなかいい。だがやるなら左を見るべきだったな。右では私の視線が戻る時に貴様の右手の動きが見える」
「いてて……そういえばナイフは刺すのではなく切る、と聞いたことがあるが」
俺が起き上がり砂を払いながら言うと刑天は答える。
「人間相手なら切るのは有効だろう。特に相手の武器を持つ手を切られればな。魔物相手には有効とは思えんな」
「どうでもいいが、神使って神の僕なんだろ? なのに魔物なのか?」
「光は闇と切り離すことはできん。光に仕えるのは闇でなければならないのだ」
他にも色々聞きたいことはあったが、雑談ばかりもしていられない。この後も刑天の指導を受けながら俺は戦闘訓練を続ける。俺自身の格闘だけでなく、盤古などの神使を使った戦闘についても戦術を仕込まれていく。雷沢帰妹のインターバルについても特訓によって以前よりは短くすることができるようになるだろう。
夢の中では寝る必要もなく腹も減らないので、一ヶ月の間猛特訓を続けられる。俺は自身が強くなる程刑天の強さを思い知ることができた。この魔物は本当に強い。味方なら頼もしいことこの上なかった。
やがて、長かったようで短い一ヶ月の訓練を終え、俺は目を覚ます時が来た。
感想お待ちしております。励みになります。
やや過激な描写がありましたので改稿。
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