七章 四 十市皇女
四
気が付いたとき、俺は先ほど古城戸と歩いた島の荒れ地にいた。だがセイタカアワダチソウは咲いておらず、風景は現実の島よりも殺風景だ。
十三歳の姿の古城戸もいつの間にか現れて、荒れ地を歩き回る。
「いる……」
「え?」
「兄がいる。感じる」
「見える範囲にはいないな。小屋に行ってみるか」
「そうね」
俺達は岩山を下り、小屋に向かう。心なしか古城戸は早足だ。見えてきた小屋は、現実のものよりも綺麗で新しい。随分と過去の夢なのだろう。小屋まであと百メートルといったところで強烈な風に身体が流される。
「うぉ!?」
「ヤバいわね」
俺と古城戸が立ち止まったとき、背後から女の声。
「あれほど警告したのにこんなところにまで来るなんて、よほど死にたいのね」
背後を振り返ると以前夢で会った中国人の女、子涵。赤い仮面の浩宇も後ろに控えている。女は十三歳の古城戸よりも若干年上、女子高生程度だが格好は大人らしい服を身に着け、長い黒髪は美しい艶を放つ。
「子涵、あの玉は人間が持っていていいものではないのよ。もう探さないで」
古城戸が言うと子涵は嗤う。
「誰がそんなことを決めた? 神か? 私は神など怖くない。私が新たな神となるのだから」
「八卦をそんなことに使ってはいけないわ」
「いいえ、むしろそのためにあると断言するわね。創造者たるものの力よ」
「……あなたの理想の世界って何?」
創造者たるを自称するならば己の矜持と理想を語らねばならない。子涵はこの質問から逃げることはできない。
「地球を太陽の逆側にもう一つ作る。そして選ばれた者のみがその地球で暮らす」
衝撃の発言だ。別の地球を作るだと?子涵は続ける。
「今の地球を私一人の力でどうにかしようとは思わない。そこまで傲慢ではない。だから、私はこの地球を離れ、自分の地球を作りたい。それならば誰にも迷惑をかけることも無いでしょう? 新たな地球で理想の世界を作るには人間の寿命では足りない。だから『藤柄八山勾玉』で不老不死になる必要があるわけ」
別の地球に移住するなどとんでもない話だが、八卦の力で実現できるのかもしれない。太陽の向こう側にもう一つの地球がある、いわゆる「反地球」は過去のSFなどでもしばしばネタにされてきた。宇宙旅行に行った主人公が事故で墜落したのは地球だったが、文字がすべて逆向きだったりしたことで別の地球だとわかった、というストーリーだ。
通常、地球の公転軌道上に地球ほどの質量を持つ天体が出現した場合、重力の影響で公転軌道に影響を及ぼす。例えば、木星は太陽系で太陽の次に質量の大きい天体だが、その質量が巨大であるため、太陽系の重心は太陽の中心ではなくやや木星側に偏っている。つまり、地球ほどの質量の惑星がいきなり増えれば、周囲の天体の軌道やバランスに多少なりとも影響がでるし、それが僅かなものでも地球の環境変化は避けられない。
だが、ラグランジュポイントというものがあり、数学的にバランスの取れる位置であれば軌道に影響を及ぼさない箇所が数か所存在する。ラグランジュポイント的には真反対であれば公転は安定するため俺達が住む地球に影響が出ることもない。だが、地球の公転軌道は正円ではないため、太陽の向こう側にある別の地球がいずれ観測されてしまうだろう。
古城戸は信じられないという様子で話を続ける。
「理想の世界って?」
「あの孤児院よ。あれこそ理想の世界の縮図だった。だから延行様と新しい地球でやりなおすの」
「兄さんはそんなこと! いるなら話をさせて」
「太陽を挟んで逆側がこの地球から観測不能となる冬至の日にもう一つの地球を『天雷无妄』で作る。さらに『火天大有』で今後観測される確率をゼロにする」
子涵は古城戸の言葉は無視して計画を話した。冬至は日本の気候では冬だが、楕円を描く地球の公転軌道上、太陽との距離は一番近い日だ。(厳密には近日点は一月)『天雷无妄』は観測されていない先を操作できる因果だから、太陽の向こう側が観測できない冬至の日に新しい地球を作るつもりなのだ。
「印南と山路のことか?」
「その後、『天雷无妄』の力で反地球への扉を作り、選ばれた者たちだけ移動する」
子涵がやろうとしていることは単に地球から脱出するだけであって、今の地球をどうこうしようとするつもりはなく、悪意は感じられなかった。案外行かせてやってもいいのかもしれない。
「印南は『天雷无妄』の使い手だが、地球ほどの質量があるものを作れるとは思えない。反地球への扉も距離的に三億キロメートルにもなるんだぞ」
俺が子涵の計画の穴を突くと子涵は口に手を当てて笑う。
「『藤柄八山勾玉』があれば全ての八卦の力を極限まで使える。あの小僧の『天雷无妄』に頼るまでも無い。あの二人に声を掛けたのは保険のため。延行様は太歳の顔を見て死んだと思われていたけど、玉の力で焼かれた灰から少しづつ再生してようやく蘇えったのよ」
延行は浩宇が蘇生したものと思っていたがそうではく、自力で再生したらしい。『藤柄八山勾玉』の欠片も始祖夢魔の情報ではどちらが延行が持っていたのかわからなかったが、夢の中に隠したのが八卦を使える方のようだ。
「話はわかったわ。でも兄を連れて行くのは許せない」
「あなたの許可など要らないの。何故ならここで死ぬからね! 孟章、監兵、陵光、執明!」
子涵がそう叫ぶと影から四体の魔物が現れる。一体は天花寺と一緒の際に戦った白い虎。あとは初めて見るもので、背中に甲羅のあるティラノサウルスに近い巨大な爬虫類。三体目は緑色の鱗に覆われた長大な蛇、いや龍か。俗に言う中華龍という風貌で、細長い顔は鰐に近く二本の長い角がある。最後の一体は灰色の梟で、目が真紅。いずれも巨体ということもあり、俺達に影が落ちる。前回、白い虎と俺が喚んだ盤古が戦ったときは盤古が優勢だったとはいえ今回は四体もいる。盤古だけでは抑えられない。
「饕餮!」
古城戸は怯んだが、どうにか悲鳴は上げずに堪えて饕餮を呼ぶ。古城戸の影が爆発し、俺達は闇に包まれる。こうなってしまったら、音は聞こえず、視界はゼロ。あとは祈るしかない。俺は古城戸がいるであろう方角にゆっくりと歩き、手を伸ばすと古城戸の肩らしき部分に触れる。手で肩を引き寄せ、二人でその場にしゃがんだ。
永遠とも思える時間が暗闇の中で続き、気が狂いそうになったとき視界が晴れた。そこには以前見たときよりも一回り大きくなった饕餮の姿と、食い散らかされた四体の魔物達。饕餮が全て喰ったらしい。
子涵は驚いた様子で饕餮を見た。
「そんな化物がいるなんてね……快来! 応龍!」
子涵の声に応えて顕れたのは白く羽の生えた巨大な龍。龍が大きく吼えると俺の全身が震え、脳を揺らす。
「うわ!」
俺と古城戸は耳を押さえてその場に伏せる。龍の咆哮を前に、饕餮は怒りの目。ついに仇敵に出会ったのだ。再び闇が世界を支配する。
しばらくした時、俺達は全身に衝撃を受け吹き飛ばされる。それが巨大な津波だと気づいたのは水を吸い込んでからだ。この暗闇で水の中に放りだされたら確実に溺れる。
饕餮は暗闇を解除。完全に島から流されて海の中にいるようだ。俺は『雷沢帰妹』で盤古を喚び、俺と古城戸を海面まで運ばせる。
「ぶはっ!」
海面に顔を出した俺と古城戸だが、応龍の起こした津波がもう一波押し寄せ、大きな衝撃とともに吹き飛ばされた。古城戸とも逸れてしまう。盤古はもう時間切れで消滅している。海水を飲み、呼吸が一気に苦しくなる。夢の中で呼吸ってなんだよ……と思いながら意識が薄れる。
気が付いたとき、俺は砂浜にいた。古城戸が俺を覗き込んでいて、俺が目を覚ましたのを見て安堵した様子だ。俺は上半身を起こすと濡れた髪を撫でつける。
「由井薗君、大丈夫?」
「ああ……死んだと思ったぜ……」
「あの人が助けてくれたの」
そう言って古城戸が示した先には、和服の美少女がいた。歳の頃は十三歳の古城戸とほぼ同じ程度だ。
「十市と申す」
十市と名乗った豪奢な和服の美少女は古城戸の小さな手を取る。
「十市……皇女……様」
古城戸が皇女と言って、俺も記憶が掘り起こされた。天武天皇の時代、西暦六百五十年頃に日本の皇族だった人物だ。天武天皇の娘であり、天智天皇の息子に嫁いだという。天智天皇と天武天皇は実の兄弟だったから、弟の娘が兄の息子、すなわち従兄に嫁いだということになるが、当時は両親が同じ兄妹でない限りは婚姻可能だったし政治の道具としての意味合いも強かった。兄の息子に自分の娘を差し出すのは忠誠の証として十分だっただろう。
古城戸は十市と聞いて皇女と言ったので俺が思い出した人物と一致しているだろう。古城戸は皇女を見ながら息を吐き出すように言った。
「十市皇女が伊勢神宮に向かった途中で腰を下ろした切り株の下からは温泉が湧き、手を触れた岩の裏からは金脈が現れたと聞いたことがあるわ」
俺は一つ思い至った。
「まさか、『雷沢帰妹』か?」
「そういうこと。十市皇女は天智天皇の息子と結婚したけど、異母兄妹である高市皇子と禁断の恋をしたのよ。だから『雷沢帰妹』が使えても不思議は無いわ」
史実では不義は無く、十市皇女の夫である大友皇子が死亡された後に逢瀬があったとされるが、実際はそうではなかったということだ。古城戸と同じ『雷沢帰妹』の因果の持ち主同士引かれ合って夢に現れたに違いない。
「大神がお怒りにあらせられる」
大神とはすなわち天照大神のことだろう。
「俺達が一体何をしたと言うんです」
心当たりは色々あるが、明確な罪と言えるようなものは無いはずだ。和服の美少女は俺に冷ややかな目を向けて美しい唇を開く。
「『雷沢帰妹』は神の力の一部とされるもの。只人がこれを使うことは能わず」
『雷沢帰妹』は、量子的状態にあるリソースをコントロールしてどんなものでも生み出すことができる。俺は最近までその原理がわからなかったが、『天雷无妄』や『火天大有』などの因果に触れていくことで『雷沢帰妹』がどういうものか理解を深めるに至った。確かに神の如き創造の力だ。
「あの男は大神に誅されるであろう」
「あの男?」
和服の美少女、十市皇女は俺の質問はさらりと無視。大神はどうやら俺達にお怒りではないらしい。あの男とは、古城戸延行か、浩宇か。
「其方とわらわは姉妹のようなもの。いつも案じておる」
そう言うと背を向けて歩き出す。姉妹と言ったが古城戸が皇族のわけがない。同じ雷沢帰妹の使い手という意味で言ったのだろう。
すると古城戸の影から饕餮が現れた。
「忌まわしき龍に勝つにはまだ力が足りぬ。供物を捧げよ」
その一言だけを残して消えてた。四体の魔物はいとも簡単に片づけた饕餮だったが、応龍には及ばなかった。あの龍はもはや天災と同等だ。
俺と古城戸は砂を払って立ち上がり、十市皇女の後を追う。
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