七章 三 愛とは何か
三
「ここは夢の中だ。夢だという自覚はあるか? パーグアとして覚醒するには最低限夢だという自覚がなければならない」
俺はそう言うと回りの新人を見渡す。天花寺はすでにパーグアなので余裕の表情だが、梵、宇薄、児玉は緊張している。
今日は訓練で新人を連れて夢に入っている。少しでも経験させ、こいつらを戦力にしなければならない。折角覚醒した鳴神を失ったのは痛手だ。
今、夢の中で自動車学校にいる。
「お前たちは今、古城戸に言われて教習所に通っているだろう? 夢の中でも練習してみろ」
俺はそう言ってズラリと並ぶ教習車の前に立つ。
「ヘルメットは?」
梵が寝ぼけたことを言った。
「夢なんだからそんなのいいじゃん」
「……あぁ、そっか」
天花寺は梵の肩を叩いて真っ先に教習車に向かう。身長一五五センチの天花寺だが、つま先立ちでスタンドを払い、エンジン始動。四気筒エンジンはスムーズに吹け上がり、機械的な音色を奏でる。アクセルを少し開け、半クラッチからの発進。
「上手いじゃないか」
それを見て、梵達もエンジンを始動させていく。梵は原付に乗っているだけあって中型バイクも普通に乗れていた。残った宇薄、児玉の二人は発進はできるようだが操作はおぼつかない。俺も練習するか、と思いナナハンの教習車に跨り始動していく。ミッションは久しぶりだったが、走り出せば問題はなかった。
俺が先頭に出て、後輩達を誘導していく。スラローム、一本橋、クランク、八の字を走行し、車と同じ教習コースに出ていく。右左折時は合図を出し、左右を確認して曲がっていく。坂道では坂の中腹で停止し、ローギアにした上で右足のブレーキを踏みこみながらアクセルを開ける。半クラッチにしつつ右足のブレーキを緩めると坂を登る。天花寺と梵は課題をこなせているようだが、あとの二人は一本橋で落ちたりクランクで曲がり切れないという具合だ。まだ練習がいるだろう。
俺が出発地点に到着すると、天花寺、梵も追い付いてきた。
「天花寺、上手いじゃないか」
「ありがとうございます! 実は夢で練習してるんですよ」
「あっそれズリーな」
天花寺はパーグアだから夢で練習することができる。夢の中なら時間の経過も遅いし怪我をする心配もない。練習にはもってこいだ。
やがて追い付いてきた宇薄と児玉。
「あたしやっと一段階の見極めなんですよぉ~バイク超重くてマジダルなんです~」
児玉が文句を垂れる。宇薄も似たような教習度合いだろう。
「二人はもう少しバイク用コースでクランクとか練習したほうがよさそうだな」
「一本橋半分くらいは落ちちゃう~」
「遠くを見ろ。あと、何か歌を歌うとリラックスできるぞ」
「歌ですか~? 東野カナとかでもいいんですか~?」
「好きにしろ。でんでんむしとか、もしもし亀よ、がお勧めだぞ」
「あたし、それどっちも最後まで歌えないし~」
言われてみれば俺も最後まで歌えないかもしれない。
「いいんだよ。一本橋なんて十秒程度の話だろ? その間だけ歌えればいいんだ」
「そっかぁ~! やってみます~」
そう言って児玉はバイクコースを走り出す。宇薄が俺を熱い眼差しで見つめている。
「……」
こいつも何かアドバイスが欲しいらしい。
「宇薄は背中を丸めないで胸を張っていけ。あとニーグリップができていないから腕に力が入るんだ」
「……」
宇薄は無言で頷き、児玉の後に続いた。
「由井薗先輩、私たちには何かないんですか?」
天花寺と梵が俺のアドバイスを待っていた。
「二人は大丈夫そうだな。 夢で練習できるなら一発試験でもよかったんじゃないか?」
「みんなと通うの楽しいですから」
「そうか。それもそうかもな」
免許証の取得は高校生や大学生にとって人生の中でもビッグイベントだ。一生でそう何度も取るものではないし、自分で勉強して身につける必要があるから生徒も基本的に真剣である。
「車の免許の方が欲しいですけどね」
梵はそうボヤく。
「バイクの免許を取れば、車は学科試験無しだから楽だぞ」
「技能は?」
「技能は、教習所の卒検に合格すれば免除になる。試験場では書類提出だけで免許書き換えって具合だ」
「へぇ。それはいいですね」
「航空車も取ったほうがいいぞ。難しいけどな」
「パーグアになったら夢で練習します」
「それがいいな」
その日はしばらくバイクの練習をして実習を終える。見た感じ、皆それなりには順調のようだからそのうち卒業できるだろう。夢の中での動き方や自己の保ち方についても慣れてきたようだ。
古城戸は今日は休暇にしたようで、登庁はしていない。俺が自席で暇そうにしていると天花寺が話しかけてきた。
「今日は所長がいなくて寂しいですねぇ」
天花寺がニヤニヤしながら俺に言うのを聞いて俺は焦る。先日のホテルの出来事を風天小畜でこいつに見られたら何を言われるかわからない。しかしまぁ、俺も子供ではないし見られてもいいだろう。その時は開き直るだけだ。
「寂しいな」
「おっ? 素直ですね」
意外な反応だとでも言わんばかりの表情で天花寺は笑う。
「天花寺がいなくても寂しいんだよ?」
「はは、そう躱すんだ。 じゃあ私と付き合いますか?」
「いいよ。今三人付き合ってるけどいいかな?」
「いいわけないですよ! 最低です!」
そう言って一瞬怒った天花寺だが、すぐに笑った。
「でも本気ならいいですよ?」
そう言い残すと俺の言葉を待たずに小走りに去っていく。最後の一言は、俺があれで心を動かされる事は無いし天花寺もそれは分かっているが、俺にあしらわれたのが悔しくて強がっただけだ。本気で俺と付き合うつもりなどないだろう。単に大人と子供でじゃれあっただけのやり取りだ。
翌日、古城戸は登庁していた。今日の髪型はいつものハーフアップではなくお下げにしていたのでいつもより子供っぽく見える。他にはまだ誰もおらず、部屋は俺と古城戸の二人だけだ。
「もういいのか?」
「うん。昨日はごめんね」
「あぁ、寂しかったよ」
「あらそう? 私も寂しかったわ」
「いいことを思いついた。俺達付き合おうか」
「もっといいことを思いついたわ。付き合わないでいましょう」
俺は笑う。俺は本気で言ってないし古城戸もそれはわかっている。俺の話に乗ってくれただけだ。もし俺が本気だったら古城戸はどう応えるだろうか。
「なんで今日はお下げなんだ? 珍しいな」
俺が話題を変えると古城戸はお下げを人差し指でくるくると回す。
「風邪で寝てたから。そのまま来ちゃった」
そう言ってお下げを解く。はらりと散った髪は三つ編みの型が残り、ゆるやかなウェーブとなっていた。いつもと違う髪型の古城戸を見るだけで何故か俺は胸を打たれた。
古城戸は手元の資料を手に取る。
「今日はこれから石橋君と天花寺さんで霞ヶ関に行ってもらうわ」
「霞ヶ関? 政治家か」
「えぇ、野党が与党議員の一人の不正を来週あたりの国会で取り上げるつもりのようなの。野党がどこまでネタを持っているかわからないけどね」
「ふむ、その与党議員を天花寺が見て真偽を確認するということか?」
「そういうことのようね」
「なら夢には入らないんだな。 しかし、こんなことをしている場合か?」
「一応公僕だし、兄のことは私事だからね」
「それはそうだが」
「というわけで、私と由井薗君は兄を探したいのだけど?」
「そういうことか。心当たりはあるのか?」
古城戸は首を振る。
「残念ながらないわね。だから夢で探すほうが早いかもしれないわ」
古城戸延行の魂に近づけるなら夢で探したほうが早い。だが言うほど簡単な事ではないはずだ。
「リアルで探すよりかはマシという程度だろ? 何のあても無く探すのか?」
「昔、兄と行った八丈島の近くの島に行きましょう。そこならきっと何かあるわ」
「そうか。だが危ないことはしないからな?」
古城戸は十年前に八丈島付近の島で事件を起こした。だからその島でなら古城戸延行の魂に近づける可能性がある。
ただ、古城戸延行の夢には子涵達がいるはずだ。夢の中で殺されてしまったら、浩宇の八卦で死亡したことを現実にされてしまい本当に死んでしまう。あくまで情報収集が目的だ。
飛行機や船でいくのかと思ったが、古城戸は『ドア』を出した。地図にも載らない島で、船や飛行機が来ることも無いらしい。
ドアを抜けるとそこは美しい島だった。空は東京よりも高く広く青い。海は東京湾のような灰色の海ではなく、鮮やかな青。十月になったとはいえ、潮風は心地よく暖かい。もう少し暖かければ海で泳いでいただろう。
古城戸は砂浜からほど離れた岩山に向かう。後をついて行くと小さな小屋があった。その小屋は相当使われていないのか、あちこちが傷んでいる。
「昔この島にいたときの拠点よ」
「さすがにボロいな」
「十年ほったらかしだったからね」
小屋は八畳ほどの広さで、カビ臭い。中には大きめのベッドと小さな棚があるだけで他に家具と言えるものはなかった。このベッドで古城戸とその兄が寝ていたと考えると俺は複雑な気持ちになる。ベッドには布団はなく、古びたマットレスだけが置かれており、この上に寝る気にはなれない。
「ここで寝るのか?」
「さすがにイヤね。後で寝袋か何か出しましょうか」
「綺麗な布団があればそれでもいいが」
「じゃあそうするわ。 でもまだ寝るには日が高いわね」
俺達が今寝ても、古城戸延行が寝ていなければ夢で会うことができないので意味がない。子涵達も昼間から寝ていないだろう。
「そうだな。島でも観光するか」
「小さい島だからそんなに見る所はないわよ」
そう言いながらも古城戸は小屋を出てゆるやかな斜面を登る。かつて事件があったであろう場所は政府が整地したのか、土砂で覆われ荒れ地となっている。荒れ地一帯はセイタカアワダチソウが茂り、黄色い花を咲かせていた。
さらに荒れ地の向こうには背の低いミント系の植物が茂り、潮の匂いの中にほんのりとハーブの香りが混じる。
「綺麗な島だ」
俺はそう言ったが、古城戸は黙っていた。ここで過去発生した事件は多くの人を巻き込み命を奪っている。複雑な心境だろう。
「この島にはよく来るのか?」
「ううん、何回か来ただけ。ここで兄の夢が見られるか何度か試したけど、無理だった。でも、今なら……見られる気がする」
古城戸と島を散策しながら歩く。古城戸は俺を見上げ、一言発する。
「由井薗君は、愛ってなんだと思う?」
「いきなりだな」
古城戸の目は真剣だった。はぐらかすことは望まれていない。俺は自分の思うところを話すことにする。
「そうだな。俺にとって『愛』は『尊敬』に近いと思う。例えば夫婦関係になっても、お互い尊敬できるところがないと長く続けるのは無理じゃないかな」
「尊敬……そうね。 言われてみればそうなのかもしれないわ」
古城戸は俺の答えに納得したような表情だった。
「単に好きという気持ちは動物としての本能が相手を選んでいるんだろう」
「遺伝子を残す本能?」
「そう。愛があるかはまた別の話だよな。もちろんそれが同じ相手ならベストだが」
「私は『絆』とか『信じること』だと思っていたのだけど」
「正解なんてわからんさ。『自身の延長』とか『忍耐』とかいう意見もあるし、それらが間違っているとも思わないが、俺にとっては『尊敬』が一番しっくり来るってだけだ」
「そうね。言われて納得したわ。今まで思いつかなかったのが不思議なくらい」
「気に入ったか?」
「うん。変なこと聞いてごめんね」
「まさか古城戸と愛について語らうとはね」
俺が笑うと古城戸も笑った。
「勉強になりました」
やがて夕方になり二人で岩山から海に沈む夕陽を眺め、都会では見られない広大な星空がその姿を見せようとしていた。俺達は小屋に戻り、古城戸が出した携帯食を齧る。
古城戸は布団を用意し、マットレスの上に敷いた。そろそろいい時間になったので、二人は布団に横たわる。十月なので掛布団が無いと寒いため、薄めの布団を掛けると布団の中で古城戸の体温を感じた。だめだ、あまり意識すると眠れなくなる。
遠い光を目指す。その頂を目指すことしか考えない。昔誰かに聞いたことを思い出す。後ろには望天吼がいるから振り返ってはいけないと。
光の中に入ると黙となる。俺が俺である何かがそこでは全て。そうして、溶けあい、繋がる。
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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