六章 二 祭りの夢で見た女の写真
二
週明けの月曜日、古城戸が自席に天花寺ゆりを呼び出した。俺も斜め向かいの席だから一緒に話を聞く。古城戸は胸の部分に茶色いニチニチソウの刺繍が入ったベージュ色のシャツに白いパンツだ。天花寺は高校の制服姿で、紺色のブレザーにグレーのスカートだった。古城戸は大人の女性らしい甘く心地よい匂いがするが天花寺からはコンビニ等で手に入るデオドラントの匂いがする。高校生だから体育の授業でもあったのかもしれない。
「今日は天花寺さんにお仕事をお願いするわ」
古城戸が自席から天花寺を見上げながら言うと天花寺はやや緊張した面持ちとなった。天花寺は新人の中でも唯一のパーグアで、能力も実用性が高い。
「は、はい」
「大阪の豊中警察署に行って捜査に協力してきて欲しいの」
「どのような捜査でしょうか」
「安納総理の側近の一人、山根不二彦の息子がひき逃げの容疑で捕まったのよ。ただ、本人は否定していて父親もそれを信じているの」
「はい」
「そこで、あなたにお願いするのはその息子が無罪であることを確認し、それを証明できる証拠を手に入れることよ」
「……はい」
「報道されると困るから、一刻を争うわ。ひき逃げ容疑で起訴されないうちになんとかしないとね」
「……はい」
天花寺の声は小さくなっていく。無茶な内容だと思ったのだろう。俺も横から質問してみる。
「その息子が捕まったからにはなんらかの証拠を警察が持っているってことだろ?」
古城戸は俺の方に向き直り頷いた。
「ええ。ひき逃げをした車の後ろの車のドライブレコーダーが提供されて、それに息子の車のナンバーが映っていたようね」
「ドラレコの映像があるなら、やったのは間違いないんじゃないか?」
ドライブレコーダーにひき逃げの瞬間が映っているならそれは決定的な証拠になる。無実を晴らすことなどできるのだろうか。
「普通はそう思うわよね。 私も映像を見たわけじゃないからなんとも言えないんだけど。だから天花寺さんに息子本人を見てきて欲しいのよ」
俺は天花寺を見る。
「だそうだ」
俺がそう言うと古城戸は軽く吹き出した。
「由井薗君も行くのよ」
「俺も行くのかよ」
「天花寺さんは高校生なのよ? 一人で大阪に行かせて強面のオッサンを相手にするのはかわいそうじゃない」
天花寺は首を縦に振っている。古城戸は続ける。
「それに証拠集めに夢に入るかもしれないでしょ? 由井薗君もそろそろ私が近くにいなくても『雷沢帰妹』が使えると思うのよ」
俺は今まで近くのパーグアの能力しか使えなかったが、練度も上がってきたので何度も使っている『雷沢帰妹』なら使えるのかもしれない。実際『風天小畜』は使った実績がある。ただ、古城戸と同じように物を出すのは難しそうだ。
「女同士、古城戸が行けばいいのに」
大阪への出張は日帰りとはいかないだろう。宿泊も伴うなら男の俺より女の古城戸が一緒に行くほうがいい。
「私も暇じゃないのよ……こっちは政府に報告に行くんだから」
始祖夢魔対策を手に入れたり、饕餮を味方にしたことで脱走した魔物の確保を行う算段がついたことを報告に行くのだろう。対策を手にしたとはいえ政府関係者も女性だけになっており、男性に対しては情報は漏らさないことになっているようだ。
「それならしょうがないな……行くか。この前関空に行ったばかりなのにな」
古城戸は俺の方を向いて指を向けた。
「女子高生に手を出しちゃダメだからね」
「やきもちか?」
「なんでよ!」
「なら別にいいじゃないか」
「よくないです!!」
たまりかねて天花寺が叫んだ。古城戸は一つ息を落とすと首を振る。
「でも言われてみれば私が言えた話でもないわね。お二人に任せるわ……」
古城戸はそう言って手をひらひらさせた。古城戸は十三歳の時に十九歳の兄貴を誘惑して手を出させているので、俺が高校生の天花寺に手を出すことに口を出せる立場ではない。もっともそんな釘を刺されなくとも手を出すつもりは無いのだが。俺は頭を掻きながら天花寺に言う。
「家の人にはしばらく大阪に行くと伝えておけ。このまますぐに出発だ」
「えっでも着替えとか」
「下着なら大阪のコンビニで買え。経費で落ちる」
天花寺は慌てた様子で頷き、携帯電話で家に連絡するため部屋の外に出て行った。俺も出る準備をしにかかる。急な話だから古城戸も先約を優先しているのだろう。天花寺はまだ新人だし俺がちゃんとしなければ。
俺と天花寺は東京駅から新幹線に乗り、大阪までの二時間半を過ごす。D席とE席に座った俺達は共通の話題もあまり多くないから自然と古城戸の話になった。
「所長ってステキですよね」
「古城戸か? まぁ綺麗だが」
「顔ちっちゃいし。なんだかいい匂いもするし。胸おっきいし」
「中身も褒めてやれ」
「もちろん、中身も素敵です! 男性から見て所長はどうなんですか?」
「いい女だと思うよ」
「やっぱり男性でもそう思うんですね」
「でも弱点の一つでもあったほうが可愛げもあるってもんだが」
「弱点かぁ。蜘蛛が苦手とかですよねぇ?」
「そうそう。古城戸が蜘蛛を見て、『キャー』とか想像できるか?」
「ふふ。できませんね」
「だろう? あぁ、でも前に暗闇に入ったときは俺にくっついてきたな」
「へぇー意外です。案外暗いところが怖いのかもしれませんね」
「あの暗闇は特殊だったからな……」
「ちょっと見てもいいです?」
天花寺の因果『風天小畜』は他人の人生をビデオの用に再生して見ることができる。だからあの時の俺の体験を見たいと言っているのだ。だが、夢で体験したことまでは見られない。
「いや、夢でのことだからな。それに真っ暗だから見られたとしても何も見えない。触覚とかまではわからないだろ?」
「そうですね、見る、聞くだけですね」
「古城戸も見たのか?」
天花寺は人の人生を覗き見する、少し趣味の悪い能力だが、覗かれている側は当然それに気づかないので天花寺は覗き放題のままこれまで能力を使ってきた。それを俺が見つけて特別国庫に勧誘したのだ。
「ええ。『雷沢帰妹』って随分罪な因果ですね。所長は素敵だけど、中身は獣です」
「獣か」
どういう意味の獣か知りたかったが、古城戸がいないところでこういう踏み入った話をするのはあまり俺の趣味ではない。
「ええ。とても強い……ちょっと怖い獣です」
「ライオンみたいな?」
「ライオン……そうですね。ジャッカルとか狼のほうがあってるかな」
ライオンやチーターのような猫科の肉食獣はまず獲物の首を噛み、窒息死させてから食べるが、犬科の肉食獣は獲物が生きたままでも食べる。大抵は臀部から内臓を引きずり出して食べる残虐な食べ方をする。猫系でなく犬系だというなら猫系のような上品な狩りはしないという意味で言っているのだろう。
ここで俺は一つ気になっていたことを訊く。
「そういえば、天花寺は出会う人を全員能力で見ないよな? 俺なら出会う人間全て見そうだが」
天花寺は、先日初対面の神子島や湊口に対して出合い頭に能力で人生を覗き見しなかった。良心的なものなのか、あるいは何か制限でもあるのだろうか。
すると天花寺は頭を振る。
「最初は片っ端から見ていましたけど。今はあまり見ませんね」
「それは、良心が痛むとかか?」
「ええ。一方的に相手のプライバシーを覗き見るのってやっぱり相手に悪いなって」
「なんだ。そんなことだったのか。もっと下衆い理由かと思ったんだが」
天花寺は聞き返す。
「げすい?」
「……わからなければいいんだ」
俺の予想では、『びっくり箱の中身は知らないほうが楽しい』だったのだが、どうやら俺の心は荒んでいるらしい。女子高生相手だと古城戸のように会話は噛み合わないようだ。ジェネレーションギャップだとは思いたくない。
静岡付近ではD席、E席から富士山がよく見えた。天花寺は携帯で写真を撮る。同じように写真を撮っている人がいるのか、車内からはシャッター音がいくつか聞こえる。新幹線から富士山が見えるのは山側で、大阪側からでも東京側からでもD席、E席と決まっているのだ。古城戸なら俺があえて富士山が見えるように席を取ったと察するだろうが、天花寺にはまだそれは難しいようだ。
やがて新大阪に到着した。十五時ののぞみだったから新大阪に着いたのは十七時半だ。ここから御堂筋線に乗り桃山台駅に向かう。そこにパトカーを迎えに来させている。
桃山台駅の隣にはアズール桃山台という大きなショッピングモールがあり、千里のベッドタウンに暮らす主婦たちで賑わっている。駅の西側にあるバスターミナルに着くとパトカーが停まっていた。ドアの外には私服の刑事らしき男が立っていたので、俺と天花寺は近づき、声をかける。
「本庁の由井薗です」
「ああ、こんにちわ。豊中警察署の猪山です」
俺は特別国庫と名乗らず警察の管轄名で名乗る。特別国庫を名乗っても恐らく存在など知らないだろうし、どういうものか説明するわけにもいかない。
「この子は高校生ですが警察関係者です。今回の捜査に同行させます」
「それはそれは」
天花寺は猪山に向かって頭を下げる。
「よろしくお願いします」
「警察官を目指しているの?」
「犯罪心理学を勉強していまして」
「なるほど」
天花寺が言った犯罪心理学うんぬんは全くの出鱈目だが、とっさのアドリブでそう言ったのだろう。こう言った機転が利くのは大事なことだ。猪山は何を疑うこともなく運転席に向かった。俺達が後部座席に乗り込むとパトカーはサイレンは鳴らさず発進する。
「パトカー乗ったの初めて」
天花寺が俺の服を引っ張って言う。
「普通の車と変わらないだろう」
「なんだか周りの車が緊張しているような気がしますね」
俺は窓から外の車を見る。
「そうだな。少なくともスピードは出してない」
「出したらすぐ捕まっちゃいますもんね」
実際スピード違反で取り締まるには一定の距離を測定しなければならないからほぼ捕まる心配はない。だがそれを説明するのは面倒だったので聞き流す。やがて豊中警察署に到着した。豊中警察署は新宿警察署と比べて随分と古い建物だった。官公庁全般に言えることだが、どこか学校に近い雰囲気がする。廊下も塩化ビニール製だし扉や階段が木製だ。
俺達は交通一課の部屋に案内された。この部屋の床は板張りになっていて、歩くと懐かしさを感じさせる独特の音が響く。部屋に並んだ机はやはり学校の職員室を思わせた。実際、学校からのお下がりだったりするのだろう。資料は雑に散らかり、壁には交通安全ポスターやら覚せい剤禁止のポスターが所狭しと並んでいた。
「その辺使ってもらってええですよ」
猪山は顎で空席を示す。俺と天花寺は手持ちの荷物をその机の下に放り込む。
俺達が荷物を下ろしたのを見て、猪山は近くの机に尻を預けた。
「山根はだいたい二ヵ月前にひき逃げ事故を起こし、一人重傷者が出とります。先週後ろを走っていた車からドライブレコーダーの映像が提供されて、それが証拠で昨日逮捕されたんですわ」
「話は聞いてます。本人に会えますかね」
「ええ、ちょうどもうすぐ次の取り調べ時間ですわ」
猪山は腕時計を見て机から尻を離すと部屋を出ていく。俺と天花寺もついて行くと廊下の突き当りに取調室があった。だがまだ中には山根はいないようだ。室内は一畳程度の広さしかない。こんなに狭いと俺達は部屋には入れなさそうだ。
「うわ、ドラマで見る部屋より随分狭いですよ」
天花寺は俺の後ろで背伸びしたり脇の下から部屋の中を見る。
「ここでやるんです?」
「いつもならそうなんですが、この部屋に四人は無理やから別の部屋にしましょか」
猪山はそう言って階段を昇り一つ上の階の一室に俺達を案内した。
「ここに連れてきますんで、ドラレコ映像でも見ておいてください」
そう言って猪山はノートパソコンを置いていった。
天花寺がノートパソコンを見ると電源は入っていてプレイヤーが起動していた。指でパッドを操作しプレイヤーの再生ボタンを押すとドライブレコーダーの映像が開始される。
片側五車線の道路を進行中で、前には白いX-TRIALが走っている。やがて、そのX-TRIALが左折する際に歩行者を巻き込こむ。車はそのまま走り去り、ドライブレコーダーの主が車から降りて救助に向かう様子が映っていた。話に聞いていた通りのシチュエーションだ。
「これを見たら確かに疑いようがないよな」
「ええ、完全にやってます」
天花寺も映像を見て感想を漏らす。これがねつ造だとしたらよくできたものだ。
やがて猪山ともう一人別の刑事が山根を連れてきた。山根は手錠はしておらず、白いワイシャツにスラックスで、無精ひげが伸びている。もう丸一日帰っていないからだろう。
部屋にはロの字に配置された長机とパイプ椅子があり、刑事は山根を一番奥の椅子に座らせると山根の前にノートパソコンを置き、ドライブレコーダーの映像を見せた。山根は食い入るように映像を見ていたが歩行者を巻き込んだところで目を見開き、首を振る。
映像が終わると刑事はノートパソコンを閉じ、部屋の壁際にある棚に置く。
猪山はやさしい口調で諭すように山根に声をかけた。
「七月十一日の二十一時二十分、これ山根さんの車ですよねぇ? 轢いたってことで間違いないですか?」
後ろで八卦行使の気配。天花寺が山根を見ている。天花寺は見た人物の人生をビデオのように回想できる。これだけで本人の証言が正しいかはすぐにわかる。
「何べんも言うとるけど、俺は轢いてへん。左折はしたけど、まだ人は後ろにおったわ」
山根は猪山に荒い剣幕で言う。
「しかしねぇ、ドラレコの映像見たよね? あれあなたの車でしょ」
「こんなんねつ造や!」
「あれはあなたとはまったく関係ない一般の方から提供されたものなんですよ。ねつ造する理由なんてないんよ」
「そやかてありえへんわ。俺はやってへんことは認めへんぞ」
猪山は席を立ち、俺と天花寺の背中に手をやって、一緒に部屋を出る。そして頭を掻きながら愚痴った。
「とまぁ、ずっとこうなんですわ。間違いなくクロやと思うんですけどねぇ」
俺は天花寺を見る。天花寺は全て見たようで、首を横に振った。シロだということだ。つまりあのドライブレコーダーの映像は山根の言う通りねつ造されたものということか。
「冤罪になっては大阪府警のメンツに傷がつきますからね、映像のほうも少し調べますか」
俺がそういうと刑事は乗り気ではなさそうだった。
「ナンバーもあってるし、ねつ造する理由も無いからほぼ確実やと思いますがねぇ。親父が大物やから認めるわけにいかんのでしょう」
確かにひき逃げを認めてしまったらそれはたちまちマスコミに取り上げられて父親の進退に影響する。息子もそれで頑なになっているように見えてもおかしくない。
だが、俺と天花寺だけはひき逃げの事実が無いことは分かっているので山根を助けなければならない。刑事には、「超能力で見たらシロでした」などと言っても変人扱いされるだけなので言う必要は無いが、完全にクロだと思い込んでいるから上手く誘導する必要がある。
「まぁそのセンも当然ありますが、もう少しだけ時間を使いましょう。送検されるのは明日ですか?」
「ええ、このままだと明日の夕方検察に引き渡しになります」
ひき逃げで逮捕された場合、四十八時間は警察の取り調べにより供述調書が取られる。この間は家族であっても面会できないし解放されることはない。特にひき逃げの場合は一度現場から逃げた実績があるだけに逃亡の可能性を考慮して解放されないのだ。ひき逃げの検挙率は全体では五十パーセント程度だが、死亡事故における検挙率は九十八パーセント、重傷事故で六十九.六パーセントとなっている。警察は死亡事故などの重いものの捜査に重点を置くので軽傷のものや掠った程度のものの検挙率はまだ低い。
警察の捜査、取り調べが終わり、検察に引き渡されると通常二十四時間以内に起訴される。そのため検察まで行くわけにはいかない。
「わかりました。今日はもういいでしょう。明日は私が話してみていいですかね?」
そう言うと刑事はややムッとした表情になる。「自分ができないことをお前ならできるのか」とでも思ったのだろう。だが俺が本庁から来たことは知っているので露骨に反発はしない。
「おんなじやと思いますけどね」
「今日は山根はどこに泊まるんですか」
「そうやね、一応拘置所があるからそこやと思います。昨日もそこでしたから」
「僕らもその付近で寝ていいですかね」
「一応部屋は空いてますので使ってもらっていいですよ」
「わかりました。今晩お借りしますね」
「あんまりええ布団ちゃいますけど」
刑事は俺と天花寺を見た。高校生の、しかも女の子の天花寺もここに泊まるのかという表情だった。しかし警察署の中で女子高生に何かする奴がいたとしたら相当頭がイカれている。猪山もそう思ったのか、俺をそういう目で見ることはなかった。
「お気遣いなく」
そう言って俺と天花寺は一度外へ出る。人気がない建物の裏に回って天花寺に確認。
「シロなんだろ?」
天花寺は首を傾げる。俺が思った反応と違ったので不安になる。
「あの人、麻薬中毒者です」
「なんだって!」
天花寺の報告に俺は驚く。
「事故当時もかなり酩酊していたようで、私が見てもよくわからない状態でした」
「そういうことか……ますます不利になったな」
「ひき逃げに覚せい剤取締法違反までついたらもう……」
「本人はもちろん、父親も政界での活躍は望めないだろう」
天花寺は暗い表情。初めての仕事がこんなことになっているのだから無理もない。
山根はひき逃げの容疑で捕まっているので、まだ覚せい剤のことについては警察は動いていないが、早めに終わらせないと感づかれてしまう可能性がある。
覚せい剤のことは古城戸にメッセージを入れておいた。
「どうしたらいいんでしょう……」
「まだひき逃げではない可能性はあるさ」
「無理ですよ!!」
天花寺は頭を抱えてしゃがみ込む。メンタルはあまり強くないようだ。
「まだ諦めるな。それに失敗したっていいんだ。世界が滅びるわけじゃなし」
「私には無理です」
「俺がいるだろう。俺はそんなに頼りないか」
天花寺は自分の弱音が間接的に俺を傷つけるのだと気づいたようだ。だが大人になるためには俺にそのセリフを言わせる前に気づいていく必要がある。
天花寺はしゃがんだまま俺を見上げた。目には涙が浮かんでいる。
「山根の夢に侵入する。おそらく事件当日の夢を見るだろう。それで真実がわかるさ」
天花寺は涙を拭きながらも頷いて立ち上がった。多少気力を持ち直したようだ。それからは宿泊に備えてコンビニへ行き、下着や歯ブラシなどを買い込む。夕飯もコンビニ弁当だ。外食してもいいが、天花寺はとても外食を楽しめる状態ではないだろう。俺は警察署に来て無性に食べたくなったカツ丼を買う。天花寺はおにぎりだけのようだ。
拘置所の一室を借りた俺達は、食事を済ませ布団を敷いて待機する。あとは夜になって山根が寝るのを待つだけだ。天花寺を見ると、膝を抱えて暗い顔をしている。
「昔の話だが」
俺がそう言うと天花寺は僅かに頭を上げて俺に「聞いている」と無言で伝えた。
「俺を逆ナンした女がいてな。その女とホテルに行ったんだが」
そこまで話すと年頃の天花寺の目に興味の光が見えたので俺は続ける。
「ホテルについて、さぁというときに鞄から鞭を取り出しやがったんだ。ピュアッピュアだった俺は驚いてな。逃げ出してしまった」
天花寺は呆れたような笑いを浮かべている。
「だがな、今思えば多少のSMプレイくらい受け入れてもよかった」
「SMなんて変態じゃないんですか?」
「俺も経験が浅い時はそう思っていたけどな、恋人ができて行為を重ねるとだんだんマンネリになるんだよ」
「マンネリ」
「そう。そうするとだんだん色々なプレイにチャレンジしだす。大体のカップルはまずコスプレとか、青姦にいく」
「アオカン?」
天花寺はそっちの知識はあまりないようだ。
「外ですることだよ。公園とか」
「外!?」
「珍しいことじゃない。高校生カップルでもしてるくらいだ。ホテル代が無いって理由もあるだろうが」
「見られたらどうするんですか」
「マンネリになると、『いつもと違う』刺激がないと盛り上がらないんだよ。SMもその延長だ。目隠しや手を縛ったりするのが初級編だ」
「やだぁ」
「そのうち鞭みたいな道具が出てくるわけだ。世の中のカップルはこの辺くらいまでは大体やるもんだぞ」
「確かに、今まで『見た』人は大体それっぽいことをしていました……変態ばかりだと思っていたんですけど、あれが普通なんですね……」
「ああ。だから鞭が出たくらいで逃げ出すなんて子供だったなと思うわけだ」
天花寺は俺のくだらない話に笑った。だが、これは本来他人に期待してはいけないことだ。辛いからと鼻水を垂らして泣いても解決することなどない。赤ん坊の頃は泣き叫べば母親という存在がすべて助けてくれたかもしれないが、大人になってからはそうはいかない。辛いことがあっても不敵な笑みを浮かべて立ち向かってこそ、逆境を跳ね返すことができる。俺はあえてそこまで説明はしない。いつか気づいてくれればそれでいい。
自身を無くしていた天花寺だが、話す気力が戻ってきたのか、一言俺に尋ねた。
「由井薗先輩はどうして特別国庫に?」
天花寺は俺を一部しか『風天小畜』で見ていないので、どういう経緯で俺が特別国庫に入ったかは知らない。
「そうだな、どこから話すか……俺が国庫に入るもっと前からのことなんだが」
俺は思い出しながら話す。
「例えるなら俺は『福の神』のような存在だった。俺がいるだけで周りはなんでも上手くいった。俺が通っていた高校は有名大学への進学率が飛躍的に伸び、スポーツにおいても特待生を出し、芸術面でも高校生ながらに本屋大賞を取るほどの小説を書いたやつもいた」
天花寺の目には生気が戻り俺の話に集中している。
「俺がバイトをしていた店は満員御礼で、俺が通っていたジムからはオリンピックのトレーナーも出た。そんな感じで俺の周りは幸福で満ちていた」
「それって、『風雷益』の影響なんですか?」
俺は頷いて、続ける。
「だが、誰もそれを俺のせいだとは思っちゃいない。本人の努力、チームワークがよかった、あるいは単なる運だと思っていた」
「誰も八卦のことなんて知りませんから」
「あぁ。俺も当時は自分の能力など無自覚だし因果のことなど想像すらしていなかった。だからいつもそういう連中を羨ましく見ていたんだ」
「先輩本人は良くなかったんですか」
「俺か? 俺は良くも悪くもなかったな……でな、俺は薄々と気づき始めていた。それは高校を卒業し大学生になった時だ。俺が通っていた高校が荒れ出した。スポーツ特待生はつまらない犯罪に手を染めて逮捕された。本屋大賞を獲った作家は次作が盗作であることが判明して姿を消した。俺がバイトをしていた店は不振に陥り、通っていたジムはもう無い」
天花寺は手で口を覆った。あまり胸糞のいい話ではない。
「でもそれは、先輩のせいじゃないでしょ?」
「もちろん俺が直接手を下したりしたわけじゃない。だが俺の『風雷益』の因果の影響で上手くいっていた連中はその反動が特に大きかったんだろうな」
「福の神がどっかに行っちゃったから……」
「何かがバランスを取ろうとしているかのように反動は必ずあった。俺はそういう光景を山ほど見てきた。最初のうちは心を痛めていたが、それをやがて楽しむようになった」
「それ」
「人が転落していく様だよ。人の不幸は蜜の味というやつだ。それはまさに俺にとって愉悦だった」
天花寺はモラルとしてはよくないと自覚しながらも気持ちはわかると同意した。
「栄華を極めた連中が堕ちていくのを見るのは実に痛快だった。先月まで高級車を乗り回していたやつが黒塗りの高級車に乗せられていくんだからな」
天花寺は俺の冗談ともつかない話に苦笑いした。
「人として人の不幸を楽しむなど最低ではあるが、とどのつまり俺はそういう奴だ。俺は恣意的に『それ』をするようになった」
俺は天花寺が硬直したのがわかった。
「女と仲良くなったら仮想通貨のなにそれを買うといい、と勧める。すると大抵の女は大金持ちになり、高級ブランドバッグを爆買いしたりホスト遊びにハマるようになる」
天花寺は口を開けて話を聞く。
「それを見計らって関係を断つと面白いように転がり落ちていく。この遊びは今でもたまにしている。俺が直接手を下すわけじゃないから罪悪感も無い」
「先輩が何かするわけじゃないけど……悪意があれば、ダメでしょう」
「ま、そうかもな。古城戸も俺がこの遊びをしているのを知っているから俺を嫌っている。だがな、いろんな人間を見てきた俺に言わせれば、こういう連中は俺がいてもいなくても糞のような奴らなんだ。俺の因果に負けないような奴も中にはいた」
「そうなんですね。だからって上げて落とすのを楽しむ理由にはならないと思いますけど。でも私もあまり人のことは言えないかも」
天花寺も能力で多くの人間の人生を覗き見してきた。多くの人間の糞っぷりを見てきたのは天花寺も同じだ。古城戸も自らの恋のために我を通してきたはずなので俺に説教をしたりはしない。
「そんなある日、祭りの夢を見た」
「お祭りですか?」
「そう。ごく普通の出店が並ぶ祭りだ。夜ではなく、昼間だったが」
天花寺は相槌を打つ。
「その祭りの写真を何気なく携帯で撮った。目が覚めて携帯を見たら、その写真があって鳥肌が立ったのを覚えている」
「それって『雷沢帰妹』ですか?」
「ああ。あとで知ったことだが古城戸が偶然大阪に来ていたらしい。あぁ、俺は当時大阪にいたからな」
当時俺は大阪に住んでいたが、古城戸が大阪に来ていて俺の自宅近くのホテルかどこかに泊まっていたのだろう。それで夢を共有したのだ。
俺は携帯を操作して一枚の写真を天花寺に見せる。その写真には人が疎らな祭りが写っている。
天花寺はその写真を見て、一点を指さす。その先には赤みのかかったロングヘアーでハーフアップの美少女がこちらを見ていた。
「この女の子、所長に似てませんか?」
「気づいたか。それは古城戸本人だ。あいつは夢の中では十三歳だからな」
「十三歳?」
「パーグアになると夢の中ではその時の年齢のままになる。あいつは十三歳だ」
「そうなんですね。めっちゃかわいい」
「俺は写真を現実に持ち帰られたのは直感的にその女が関係していると思った。それで探しまわって古城戸に行きついた」
「それで勧誘されたんですね」
「最初は断った。俺と関わるとそのうち不幸になるからと言ってな。古城戸はそれは八卦という力で、コントロールできるようになると教えてくれた。あいつの『雷沢帰妹』を知ったときは本当に驚いたよ」
「私もびっくりしました。完全にファンタジーですよね」
「俺が上手くコントロールできなかったらお前を不幸にしてしまうぞと言ったら、あいつは『私は勝手に幸せになる』と言った。それで決めた」
俺がそこまで話すと天花寺はなにかに吹っ切れたようだった。人の不幸を笑うしか出来なかった俺が、ようやく人のためになろうとしている。天花寺も自身と重ねたに違いない。
やがて消灯時間となり俺と天花寺は準備にかかる。
遠い光を目指す。その頂を目指すことしか考えない。昔誰かに聞いたことを思い出す。後ろには望天吼がいるから振り返ってはいけないと。
光の中に入ると黙となる。俺が俺である何かがそこでは全て。そうして、溶けあい、繋がる。
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
記載されている会社名および製品名は、各社の登録商標または商標です。




