六章 一 闇を味方に、光に立ち向かう
一
研究所のロビーで待機していた俺は、帰り支度を終えた古城戸達と合流。古城戸が俺に黒いリストバンドを渡す。受け取った俺は古城戸を見る。
「これは?」
「そのリストバンドにイエスの血が染みついているわ。だからそれをしておけばイリナちゃんに魅了される心配はないわよ」
「なるほど、これで毎日天花寺のチェックを受けずに済むわけだ」
それを聞いていた天花寺が両手を口に当てて笑う。
「残念です」
「お前な」
「……そのリストバンドがあれば、魅了を逆手に取れるかもしれないわね」
「なるほど、魅了されたフリをするってことか」
古城戸は頷いた。始祖夢魔がこのリストバンドの正体を知らなければその手も有効だ。俺は左腕にリストバンドを着ける。
「今回は随分長かったな」
古城戸がロビーのソファに勢いよく腰を降ろすと豊かな胸が弾んだ。
「四ヵ月はいたわよ」
「四ヵ月もか。こっちでは丸五日間寝てたぞ」
「五日かぁ。色々あったわよ。応龍も出たし、イリナちゃんにも会ったし」
さらりと言ったがとんでもないことだ。
「マジかよ。よく無事だったな」
「イリナちゃんと少し話したんだけど、彼女が言うには中国の施設の話、前にしたでしょ?」
そう言って古城戸は前かがみになる。胸の谷間が俺を引きつけた。本人は特に気にした様子はないのが少し頭にくる。
「ああ、兄貴がやってた施設を引き継いだんだろ?」
「ええ、どうやらそこの子の一人が私を逆恨みしているようなのよ」
「逆恨み? あぁ、兄貴が死んだのを古城戸のせいだと思っているのか」
「そう。それで魔物を私にけしかけているって」
「始祖夢魔が言ってたのか?」
「そうよ。彼女の目的は、兄を蘇生して手に入れることだって」
「恋のライバル出現じゃないか」
そういうと古城戸はムクれた。
「ライバルなんかにならないわよ。こっちの勝ちは確定しているんだから」
「大層な自信だが、古城戸も似たような目的だろ? 協力しあってみたらどうだ?」
「向こうは私を始末するつもりなのよ? 協力なんて無理よ」
「じゃあ利用するつもりか? しかし、蘇生できるならとっくにしてるはずだよな?」
「案外もう蘇生されているのかしら」
古城戸はそう言って首を傾げる。確かに古城戸の兄が蘇生されているのだとしたら、説明がつくこともある。なんらかの方法で拘束・監禁されているかもしれない。
俺は質問を変える。
「そもそも始祖夢魔は敵なのか?」
「応龍から助けてくれたのは、イリナちゃんとNo.006なのよね」
「古城戸が敵なら応龍から守る必要はないわけだが……」
「そうね。でも味方なら逃げたりしないはずだし」
古城戸が四ヵ月もかけて始祖夢魔対策を手に入れてきたが、無駄になったのかもしれない。今の俺の言葉で古城戸も同じ思考に至ったようだが、自分で無駄を認めたくないのか、そこまでは口にしなかった。
古城戸は椅子の上で一つ伸びをすると膝の上に手を置いた。
「そういえば、以前皆本の夢で盤古を倒したじゃない?」
「ああ、饕餮がな」
「あれからどうもね、私も盤古を喚べそうなのよね」
「『雷沢帰妹』でか?」
「そう。おそらく、私の所有物である饕餮が盤古を食べたから私が持ち帰ったことになったんじゃないかしら」
そう言われて俺も思わず『雷沢帰妹』の因果に触れ、探ってみる。
「驚いたな。今気づいたが、俺も盤古を喚べる気配がある」
「由井薗君も? 私と一緒に帰ったからかしら」
「おそらくそうだろう。ただ俺の場合はそうだな、……十秒で消えてしまうだろうな」
古城戸が喚び出した生物は死ぬまで消えないが、俺の能力は劣化コピーなので十秒程度しか喚び出せないだろう。もっとも盤古を喚んだところで俺達の言うことを聞くはずがない。だから喚ぶこともないと思うが。
「あと、イリナちゃんから面白いことを聞いたんだけど」
古城戸はソファの背もたれに背を預け、頭の後ろで手を組む。俺は肘を膝の上に乗せて続きを待つ。
「饕餮は蚩尤の首だって言ってたのよ」
「シユウ?」
「ナザレにいる時に調べてみたんだけど、蚩尤というのは不死身の戦士でそれはそれは強かったらしいのだけど、黄帝時代の戦争で応龍に敗れてその首が饕餮になったらしいのよ」
それを聞いて俺に黒い思考。
「それは使える話だな」
「使える? まさかろくでもないこと考えてない?」
「最高の考えだよ」
俺の不敵な笑みで古城戸も察したようだ。俺は立ち上がりロビーから出口に向かう。古城戸や離れた場所で話し込んでいた天花寺、鳴神もついてきた。
研究所を出た所で、鳴神は名残惜しそうに振り返る。
「モウバちゃん、また会えるかな」
「可愛かったね」
「うん。ほんとすごい冒険だったよ、ゆりちゃん」
翌日、俺と古城戸は饕餮の研究所がある関西国際空港に向かう。驚くことに、空港の地下、海の中にあるというのだ。
新幹線とバスを使って関西国際空港に着いた俺達は職員に案内されて地下へ行くためのエレベーターに向かう。そこで、空港スタッフと研究所の人間が交代。空港スタッフには何も知らされていないに違いない。俺達はエレベーターに乗り込み、地下へと移動する。三分以上もエレベーターは動き続け、扉が開くと巨大な施設が目の前にある。
饕餮の研究所はこれまで見てきた研究所のどれよりも巨大で堅牢だった。六メートルの正立方体の部屋には分厚い防弾ガラスの窓があるが、中は完全な暗闇で何も見えない。立方体の一部には通路が設けられていて、何重ものエアロックが設置されている。
出迎えてくれたのは研究所の所長らしき白衣を着た五十代の男だった。
「はじめまして。由井薗です」
「所長の真田です」
「先日は饕餮をお借りしまして。助かりました」
「ああ、新宿の時の。お礼には及びません」
簡単に挨拶を終えると、古城戸が真田に申し入れる。
「今日は饕餮と交渉しに来たんです。場合によっては連れて帰ります」
その発言に真田は目を白黒させた。
「え!? 連れて帰る?」
「どうなるかわかりませんが」
「大丈夫なんですか?」
真田は到底無理だと思っているのか不安しかないようだ。これまで多くの人間が饕餮の闇から帰ってきていないのだから当然の反応だろう。本当は古城戸を止めたいだろうがそもそも饕餮の持ち主だし、好きにさせるしかないと諦めたようだ。
俺は窓に近づいて漆黒のガラスを覗き込んでみるがやはり何も見えない。宇宙空間でさえ彼方の星々の光は見えるというのに、ガラスの向こうはまさに暗黒の世界だった。
「中に声が届くなら、ここから交渉すればいいじゃないか」
俺はそう言ったが古城戸は首を振る。
「中に入って覚悟を示さないと。向こうもそれは汲んでくれる」
「俺は入らないぞ」
そう言うと古城戸は髪を振り乱して振り返り、怒りを露わにする。
「なんでよ! 来てよ!」
「古城戸は飼い主だからともかく、俺は食われるかもしれないだろうが」
「私だって怖いわよ! それに由井薗君のアイデアでしょ!」
「そうは言ってもな……」
俺がそう言うと古城戸は俯く。
「……触ったくせに」
「なんだって?」
「前に、胸に触ったくせに!」
盤古を倒すとき、饕餮の闇の中でしたセクハラを覚えていやがった。ここでその話をしてくるとは。それに乳の一揉みで命を懸けられない。
「あれは夢の話だし、古城戸も蹴り返したからお相子だぞ」
「変な写真も撮ったくせに!!」
「ぐっ、何故それを……」
虚王の研究所で古城戸が気絶した時に悪戯して撮った写真のことだろうが、あれは俺を『風天小畜』で見た天花寺しか知らないはずだ。あいつめ、言いつけやがったな……俺の脳裏でニヤニヤ笑う天花寺が浮かぶ。あの写真がこんなところで仇となるとは。
「お願い!」
古城戸に涙目で訴えられたらしょうがない。俺は美人の涙に弱いのだ。正直漏らしそうなほど怖いが、ここで拒否したらがっかりさせてしまうだろう。
「まったくしょうがないな……死んだら虚王使えよ」
そう言って二人でエアロックを進み、いよいよ最後の入口の前に立つ。
「中に入ったら声は聞こえない。交渉は任せるからな」
「……うん」
古城戸はそう言うと俺の手を取った。頼りにされていることに少し胸が熱くなる。俺は空いている左手で目の前のボタンを押すと、無音で目の前の扉が開き、たちまち闇に包まれた。以前体験した時と同様に、視界も聴覚もゼロだ。俺は古城戸に手を引かれ部屋の中に入っていく。すると、息がつまりそうな闇の中、頭に声が響く。
「我ヲ喚ビシ者ヨ、何用カ」
以前は中国語だったが訛りのある日本語になっていた。意外と親切な奴だ。古城戸は何か話しているのかもしれないが、声は聞こえないよな、と思っていると周囲の闇が晴れ、部屋の壁が見えた。六メートル四方の部屋は想像より狭い。饕餮は以前新宿の地下で見た時と同じ、牛頭に人間の胴体、馬の脚をしている。窓から見える研究所の職員達は皆、初めて見るその姿に口が開いたままのようだ。
「饕餮、あなたと一つ取引があるの」
「取引ノ余地ハナイ。オ前ハ死ヌ」
その言葉で肝が冷える。作戦失敗か。もう暗闇は晴れているが、古城戸は俺の手を痛いほど握る。
「応龍と再戦ができるとしても?」
「アノ忌マワシキ神ノ龍ノコトカ」
古城戸は一つ深呼吸する。
「あの龍に負けて首を斬られたんでしょう? 私に従うなら再戦を約束する」
なかなかに強気で挑発的な交渉だ。この煽りで逆上することは饕餮の誇りが許さないだろう。
「再戦ノ保証ハ」
饕餮は再戦への確かな保証が欲しいと言った。確かに存在すらしない龍との再戦を餌に従うのは馬鹿らしい。そこまで要求してくるとは。俺は心臓が痛いほど鳴っている。古城戸は『雷沢帰妹』で何やら小さな白い板のようなものを出した。
「応龍の鱗よ。あなたが見間違えることはないでしょう?」
古城戸の手にあるのは応龍の鱗らしい。煉獄で遭遇した時に手に入れることができたのだろう。饕餮は古城戸の手にある鱗を凝視する。
「取引ヲ受ケヨウ。龍トノ再戦マデ我ガ力ヲ貸ソウ」
饕餮は受け入れた。俺はもう一つねじ込むことにする。
「俺からも一つ頼まれてくれないか」
本来は俺からの頼みなど聞く義理は無いはずだが、便乗できると確信。饕餮は無言のままだ。
「先日あなたが喰った盤古を俺達は喚び出せるが、俺達の命令をきくようにあなたの力を借りたい」
饕餮は首肯した。どうやらできるようだ。
「我ハ汝ノ影ニイル。必要デアレバ呼ベ」
そう言うと怪物の姿は溶けて黒い液体のようになり、やがて古城戸の影と混ざる。古城戸は自分の足を上げたり下げたりして問題がないことを確認。俺の手を放すと、今度は正面から抱きついてきた。柔らかな髪の匂いが鼻腔を抜ける。わずか二秒ほどで古城戸は離れて、「あー、怖かった」と言う。
「俺もさ」
俺の声は少し震えていたと思う。
「でもこれで、色々安心ね。あっちょっと待った」
古城戸はそう言うと部屋の隅にいた亀を指さす。No.005、盧亀だ。誰も見ていないと精神を乗っ取られて自殺するという魔物だ。壁をすり抜ける性質があるから饕餮の闇に捕獲していたんだった。
「饕餮、あいつも影に連れていって」
古城戸がそう言うと同時に影が伸び、亀を包みこんだ瞬間その姿が消えた。エアロックを引き返した俺達は職員達から拍手で出迎えを受ける。
「たまげました! 饕餮の姿を見たのは初めてです」
「いや~無事でよかった」
俺と古城戸は職員達に礼を言って研究所を後にする。長いエレベーターで引き返し、関西国際空港から飛行機で帰ることにする。
二時間程待ってから乗り込んだ飛行機では古城戸はぐったりと寝ていた。無理もない。たった四十五分の空の旅だが、俺もすぐに眠くなった。
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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