五章 三 浄化の登山が天国への門を開く
三
十一時半頃に神子島が研究所に到着し、俺達は皆で食堂に行き昼食を摂る。食堂はそこまで大きな規模のものではなかったが、こんなところで豪華ランチを求めてもしょうがない。今日のランチメニューはポーク・ピカタにほうれん草とツナマヨネーズ和え、きのことベーコンの炒めものにコンソメスープというヘルシーなものだった。俺と湊口はランチ、古城戸と神子島はうどん、鳴神と天花寺はカレーライスにするようだ。
各自テーブルについたところでランチ・ミーティングが始まる。
「鳴神さん、今回は長い侵入になるかもしれないからちゃんと食べておいてね」
「緊張して、あんまり食べられないかもです」
「体調が悪いといい夢が見られないわよ」
鳴神は「はい」と返事をしてカレーライスを食べ始める。
「そうだ、今日侵入する二人には事前に言っておくわね」
古城戸が箸を器に置いて神子島と鳴神に向かう。二人も手を止めて古城戸を見た。
「私は今、とある魔物に狙われているから、夢に入ったら高い確率で出くわすと思うわ」
「そなたが喚んだ十三体以外から、ということかえ?」
神子島がそう確認すると古城戸は頷く。
「そうです。以前にも盤古という中国の創造神に追われました。その時はNo.013を使って斃したんですが、また私を狙っている魔物が現れたんです」
鳴神はNo.013と聞いても理解不能だという顔をしていたがしょうがない。神子島は知っているようで、複雑な表情をした。
「私が調べたところ、魔物は『応龍』というものです。ご存知ですか?」
神子島も鳴神も首を横に振る。俺も聞いたことがなかった。
「『応龍』は中国神話の黄帝の時代にいた龍です。水を操る力を持ち、戦争においてはその力で黄帝を救い勝利に導いたと」
「そんな魔物と出くわしたらどうするんじゃ」
神子島が眉を顰める。
「私と神子島さんと、孟婆でなんとかするしかありませんね」
「本気かえ……」
古城戸は引きつった笑みで答えた。俺が侵入するのでなくて本当によかった。
鳴神を見ると青ざめてとても昼食を食べる状態ではなくなっていた。
「そ、その……絶対出るってわけじゃ……」
古城戸は気まずそうに言うが時すでに遅しだ。神子島は覚悟を決めていたが、鳴神は遠足に弁当を忘れた小学生のような顔をしている。『応龍』がどの程度の強さなのかはわからないが、人間がどうにかできるようなものではないだろう。孟婆は戦闘可能なタイプには見えないから、あてにはできそうにない。
会話も少なく食事が終わり、古城戸達は孟婆の部屋の近くの一室を使って潜行を行うことにした。部屋には寝具が運び込まれ新品の布団が用意されていく。
俺は女子の寝室に居続けるのも申し訳ないので天花寺とロビーで待機することにした。もう俺と天花寺にできることは何もない。無事に帰って来られればいいが。
俺の心配が顔に出ていたようで、天花寺が話しかけてくる。
「無事に終わるといいですね」
「古城戸がいれば大丈夫さ」
俺はそう答えてロビーのマガジンラックにあった新聞を広げて読み始める。天花寺もスマホをいじりだした。古城戸達も準備を始めたようだ。
神子島の話によると、孟婆の夢には段階があるらしい。一回目は泣き声や悲鳴が絶えず聞こえる夢。二回目は歯と髪がすべて抜け落ち、爪がはがれる夢。三回目は身体のすべての穴から無数の虫が出てくる夢。
そこまでは言うならチュートリアルで、四回目以降からは個人によって内容が異なるのだという。
話を聞いているだけで寒気がする。一回目は泣き声が聞こえるだけらしいが、泣き声を聞き続けるというのは想像するだけで堪える。二回目以降は想像する気にもならない。幸い古城戸は一回目なので泣き声の夢を見るはずだ。
鳴神はこれまで夢に侵入したことがなかったが、今回初めて古城戸に引き込んでもらい『夢』を体験していた。気が付くとそこは背の低い草が生えた荒野だった。空は曇っていて暗く、さらに遠くのほうには赤黒い雲が厚く、見通すことはできなかった。
鳴神の周りには何故か少し幼い古城戸、神子島と孟婆がいた。
「さて、ここが煉獄?」
いつもより若い声の古城戸が孟婆に尋ねる。
「れんごくいっかいめ。 なげきのはらです」
どうやら煉獄の中の『嘆きの原』という場所らしい。そういえば遠く近くに泣き声が聞こえる。神子島はこの程度は何ともない、とでも言いたげな涼しい顔をしていた。
鳴神は、煉獄と聞いて鬼が大きな窯で罪人を釜茹でにしたり串刺しにしたりしている光景を想像していたが、ここはそういう血生臭い場所ではなさそうで少し安心した。
「近くで誰か泣いてる?」
「私たち以外は見当たらないけど」
古城戸は周りを見渡して答えた。鳴神も周囲を見ているが他に人影は無い。にも関わらず泣き声は聞こえていた。
「ここにはたくさんのもうじゃがいます。でもおたがいはみえません」
孟婆が解説をしてようやく把握した。亡者の魂はこの平原に多数存在するが肉体をすでに失った魂は姿を持つことがないのだ。だから存在はしてもお互い見たり声を聞いたりすることはできないのだろう。一方で、パーグアは夢の世界で己を保つことができる。
「もうじゃはつみをじかくするまでなきつづけるのです」
現世の罪を降ろし清浄なる魂に戻るためには、まず己の罪を自覚しなければならないのだろう。亡者は生前犯した己の罪を自覚していないことがほとんどである。そんな亡者達が自分の罪を自覚するまで、この平原を彷徨うことになる。その嘆きがこの平原には満ちていた。恐らくは自分の罪を自覚できず、とてつもなく長い時間をこの平原で過ごしている魂もあるに違いない。それくらいの時間をかけなければ魂の浄化はできないということなのだろう。
「それで、天国へはどこからいくの?」
古城戸が再度孟婆に尋ねると、孟婆は黙って前を指示した。
「あっちね」
そう言うと古城戸は『雷沢帰妹』でエア・カー『WIND』を出す。さすがにこの広大な荒野を歩いていくのは馬鹿らしい。煉獄で車に乗れる古城戸だからこそできることだった。
「煉獄を車でひとっ飛びなんて閻魔様が怒りそうですね」
鳴神が冗談めかして言ったが誰も反応しない。冗談ではすまないことなのだろうか。
一行は車に乗り込むと古城戸が運転席に座って車を発進させた。鳴神は『WIND』に乗ったのは初めてだったが、音も無く飛行する車に居心地の悪さを感じた。
会話も少なく飛び続けて数時間、やがて空は黒さを増し、車の窓には雨粒が流れ出す。雨の中、遥か遠くには赤黒い山の影が見えてきた。あの山が目的地なのだろうか。
「あのやまのちょうじょうにあるきにさわるのです」
孟婆が赤黒い山の頂上を指す。古城戸はワイパーを動かし、目を細めて行先を確認した。
「あれね。雨が強くなってきたわね」
山に近づく程に雨はきつくなっていく。やがて山がはっきりと見えてきた。WINDは海抜百メートルまでしか上昇できないが、煉獄にはそもそも海抜などというものがないのか、山を上から見下ろすこともできた。山は木が頂上まで覆っており、車を頂上に降ろすことはできなかった。そのため、山のふもとまで下り、そこに車を降ろす。
古城戸は『雷沢帰妹』で傘を人数分出すと皆に手渡す。
「面倒だけど、ここからは徒歩ね」
見上げると、山はそれほど高くはなさそうだ。だが雨の中の登山は気が滅入る。一行は早く煉獄を抜けたい一心で山を登る。
山の入口は恐ろしく狭く急な斜面だった。結局、傘を差しながら登ることは諦め、雨に晒され濡れネズミのようになりながら両手両足を使って登り進む。
「ここからはうしろをみてはいけません」
孟婆が斜面を這いながら古城戸に言う。「何故?」と聞き返す。
「ふりかえるとさいしょにもどります」
「……未練を捨てろ、ということかしらね」
鳴神はなるほどなと感心した。何故、登山が天国への道に通じるのか、鳴神にはわからなかった。単純に天国は上にあるものだから昇るのだと思っていた。だが、そもそもこの煉獄の存在意義は、魂を浄化し天国に送るためにあるものである。そしておそらくは、この登山には魂を浄化するための試練が多く待ち受けている。古城戸が孟婆のメッセージの裏を読むのを聞いて、そう理解していた。
最初の斜面を越えると、大きな門が待ち構えていた。門の扉は開いていて、中は小さな堂があり、その向こうにはまた登山の道が続いているようだった。
「建物がありますよ」
鳴神が示すと古城戸は天を見た。
「もう日が暮れるわね」
「よるはうごけません」
孟婆が古城戸の服の袖をつかんで言う。確かに周囲が暗くなってくるにつれて身体が重くなっている。ただ単に疲れたというわけではなさそうだ。
「……夜は休めということじゃな」
神子島はそうつぶやくと堂の扉を開けて入っていく。あそこなら雨をしのげて夜を過ごせる。一行は堂に入ると古城戸が『雷沢帰妹』で出したタオルで髪を拭き、身体を乾かしていく。LEDのランタンや寝袋まで出してもらった。
「なんでも出てきますね」
幼い古城戸に話しかけると古城戸は苦笑いする。
やがて夜は更けたが不思議と腹は減らなかったので、このまま朝を待つようだ。夢の中で寝るというのも不思議な感じがした。
その時、堂の壁が光ったかと思うと壁から二体の人影が現れた。人影は白い服を纏い右手に剣を携えていた。鳴神は声も出ずその人影を観察すると、人影は男女でどちらも優美な姿をしており、背中に白い羽を生やしていた。まさに天使の姿であった。
「煉獄を進みし者たちよ。休息の時を」
人影の片方が美しい声で一行に話しかける。男の方の人影が古城戸に近づき、手を翳すと古城戸の額に『P』の文字が七つ、円を描くように現れた。続いて神子島、鳴神にも額に『P』の文字を刻んでいく。痛みは感じないが、何をされたのかわからないから不安だ。孟婆には何もされていないようだった。
「罪を浄化する度にその文字は消えるだろう。すべての文字が消えたとき、天国への門が開かれる」
男の天使がそう告げ、一行から離れたところで腕を組んで立つ。天使はその後は何もしてくることはなく一行を見守っていた。どうやら夜は天使が一行を守っているようだった。
「なんですかね、この『P』」
鳴神が額を摩りながらそう言うと古城戸が答える。
「イタリア語で『罪』は"Peccato"よ。その頭文字ね」
そういうと寝袋に潜り込んでしまった。それを見ると鳴神も眠くなってきた。夢の中で眠くなるというのも妙な話だったが、今日は随分疲れていることに気付き、すぐに意識は遠のいた。
朝、鳴神が目を覚ますとすでに天使は姿を消していた。孟婆は眠らなかったようだった。鳴神は思い切って孟婆に話しかけてみる。
「モウバちゃん、眠くないの?」
「くそむししねよ」
本当に口が悪い。見た目はこんなに可愛らしいのに。
「その子に構わないでいいわよ。さて、出発しましょう」
古城戸は堂の扉をあけて登山の道へ進む。来た方向とは逆の方向には大きな石段が三段あり、それを昇るようだった。石段は一段目が自分の顔が映るほど磨かれた黒い石、二つ目はひび割れた荒く白い大理石、三段目は血のように赤い石だった。これにもきっと意味があるのだろうが、鳴神には推察することはできなかった。
一行は三段の石を越え、いよいよ登山の道に踏み入った。
登山はもっと草を掻き分け崖を上がるものかと思っていたが、石畳で舗装された道を歩くだけだった。石畳には何やら文字が刻まれているが、鳴神には読めなかった。古城戸や神子島も読めないようだ。
「なんて書いてるの?」
古城戸が孟婆に尋ねると孟婆は下を見ながら答える。
「かこのおうさまがおおくのひとをくるしめたようすがかかれています」
古城戸は腕を組んで考え込む。
「なるほどねぇ。思ったより親切なのね、煉獄って」
「何かわかったんですか?」
鳴神が古城戸に尋ねると古城戸は何度か頷く。
「ようするに、よ。下を見ながら傲慢な自分を反省しなさいということなのよ」
「ああ、そういえば七つの大罪って聞いたことがあります。全部は覚えてないんですけど」
「傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、強欲、暴食、色欲の七つね。つまりはお坊さんや修道女のような慎まやかな心を持ちなさい、ってことよね」
「現代社会ではなかなか難しいですよね」
「なんにしろ上までいけばいいんだから、本当に心を入れ替える必要なんてないのよ」
「そうなんですか?」
「ええ。タネが割れてたらなんてことないわね」
古城戸はそう言って歩き出したが、鳴神はまだ完全には呑み込めていなかった。自分は怠け者だし美人に嫉妬だってする。でも登り切れれば問題ないらしい。ふと肩に手を置かれたので見ると神子島だった。
「本当に怠惰な者なら山を登ろうとはせぬ。そういうことじゃな」
それで鳴神はなんとなく古城戸が言った「タネ」が分かった気がした。少しは肩から力が抜けた気がする。一行は順調に山を登り続け、また夕方になる頃には堂が見えたので昨日と同じように堂の中で一晩を過ごす。夜には天使が守護に現れ、全員から『P』の文字を一つ消した。どうやら「傲慢」は浄化されたようだ。
翌日進んだ道には何も文字は刻まれていなかったが、最初に一つの看板のようなものがあり、見慣れない文字が書かれていた。孟婆による通訳だと、「てきをあいし、いじめるもののためにいのれ」という意味らしい。自分の敵を愛するなど、どういう意味があるのだろうか。鳴神はこれも呑み込むことができなかった。
「これは有名な言葉じゃな。『汝の敵を愛せよ』じゃろ」
「どういう意味なんですか?」
鳴神はクリスチャンではないし、聖書を読んだこともない。鳴神の問いに答えたのは古城戸だった。
「イエスの言葉的には、味方と仲良くするのは当たり前の事で、敵と仲良くするのは難しい。でも天の父は全ての者を平等に愛してくださる。だから皆もそうしよう、それでこそ父に近づけるんだ、ということだったわね」
「平和が一番ってことですか?」
「簡単に言うとそういうことなんだけど。でもこの言葉は思ったよりも深いわよ」
「単に仲良くしましょう、ってことじゃないんですね」
「敵に銃を向けたような状況で、トリガーを引くのを思いとどまるには、この言葉しかないのよ」
鳴神は古城戸の回答でようやくこの言葉の重さを知った。敵を殺すか殺さないかの状況で思いとどまる最後の鎖なのだ。
「心のブレーキは自分で掛けるしかない、ということでしょうか」
そういうと古城戸は微笑んだ。正解だったようだ。
「どうやらこの道は嫉妬の道ね」
「嫉妬って何が罪なんでしょう? 羨ましいって思うのは普通だと思うんですけど」
「自分より幸福な人を見て羨ましいと思ったり、自分より不幸な人をみて安心するのは普通のことよね」
古城戸がそう言うと鳴神は同意した。
「これはね、羨ましいと思うことは相対的に自分を不幸にすることだからダメってことよ」
「あぁ! そういうことですか! いつでも自分は幸せだ、って生きるほうが前向きですもんね」
「そう。精神論みたいなものよ」
鳴神は、その言葉で心のどこかが救われた気がした。日頃から鳴神は嫉妬することが多い。古城戸のような美しさや聡明さもないし、思いやりに欠いた言葉で不意に人を傷つけてしまうことだってある。だが羨ましがって自分を不幸にしても何も救われないのだ。
その日も同じように堂が現れ、一行はまたそこで休息をとる。夜には天使が訪れ、二つ目の『P』を皆の額から消した。嫉妬の罪が浄化されたのだ。
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