五章 一 神曲は人類が見た真実の一つである
一
俺はもう一枚ある紙に目を向ける。
No.012騰蛇
No.012は巨大な蛇の姿をしています。全長は六.八メートルで、胴回りは七十六センチメートル、体重は四百二十キログラムです。
No.012は三メートルのゴムの壁に囲まれた部屋に確保されています。
No.012は蛇の姿にも関わらず空を飛びます。その速度は最高で時速二百二十キロほどにもなります。
また、この蛇は周辺の天気を常に雷雨にし、蛇自身も電撃を放ちます。この電撃は一億ボルトほどになり、人間が浴びた場合は六十パーセント程度の確率で死亡します。電撃は連続して放つことはできず、最短で十九秒ほどの間隔を必要とします。
蛇が空を飛ぶメカニズムは解明されていません。多量の電気を使うことから、電磁反発による浮遊であると考えられています。
研究所の周辺が一年中雷雨となるため、定期的に場所を移送している魔物です。
読み終わった俺は一つ息を落とす。高速で空を飛び、電撃を放つ蛇か。
自然の雷は電圧で十億ボルトを越えることすらあるからそれには及ばないようではあるが一匹の蛇が放つというのだから驚きだ。死亡率は六十パーセントとあるが、自然の落雷でもおよそ七十パーセントであり、危険な事には変わりない。
「ようやくストレートな魔物が出て来たな」
「騰蛇、日本語読みだと『とうだ』は一説によると千年生きた蛇が龍に近づいたものらしいわ」
「出世魚かよ」
「騰蛇はまだ龍ではないけど、四神に並ぶ力を持つと言われているのよ」
四神というのは、朱雀、青龍、玄武、白虎のことだが、四神を統べる黄龍というものがいると聞いたことがある。それに近いというなら神にも迫るほどの力を持つということだろう。
「蛇で神に近いクセに始祖夢魔に魅了されたのか」
そういうと古城戸は首を傾げる。
「オスなのかしらね? わからないけど……」
「しかし恐ろしいな。見つかったら高速で接近してきて電撃でアウトだぞ。戦闘になったら勝ち目はないだろ」
古城戸は手を広げて肩をすくめる。
「盤古だってまともに戦ったら無理だったけど、どうにかなったでしょ」
言われてみればそうだ。まともに戦わず、絡め手を使うなり戦闘を回避する方法を考えればいい。
「また饕餮を使えたらいいんだが」
「無理よ! あの時一回だけだって言ってたもの。あいつが自分の言葉を曲げて手を貸すはずがないわ」
「そうだよな。一番現実的だと思ったんだが、諦めるしかないか。説得は問題外だよな?」
「嫌よ! あの時だって超怖かったんだから!」
古城戸は涙目で拒否。あの暗闇は魂が剥き出しになるようで恐ろしい空間だった。盤古の時と同じように饕餮の闇にNo.012を放り込めれば確実に勝てそうではあるが、饕餮は現在古城戸の兄の支配からは解放されており、言うことを聞くような魔物ではない。古城戸がここまで嫌がるのだから、相当怖かったのだろう。
「しょうがないな。なら太歳の部屋に放り込めれば……」
「安全にできるならそれでもいいけど」
太歳の顔を見れば騰蛇だろうが死ぬ可能性はある。だが死なない可能性もある。その場合その後の処理がどうなるか予測がつかない。自分で口に出したが危険な賭けだろう。
その時、部屋に新人の一人、宇薄海が入ってくる。宇薄は一見美人だが若干メンタルが危険な奴で、俺はあまり関わらないようにしている。
「あのう……所長宛にお客様ですが」
古城戸は心当たりがないのか、俺を見て首を傾げる。
「どなた?」
古城戸がそう聞き返すと宇薄は消え入りそうな声で返す。
「カゴシマさんとかおっしゃってましたが……」
「カゴシマさん? あぁ…あの神子島さんかな」
「知ってるのか?」
古城戸は頷いて席を立つ。
「何年か前まで研究所の一つにおられたパーグアよ」
古城戸が敬語を使ったので、目上の人物なのだろう。
「ほう。俺もいたほうがいいか?」
「うん。そうしましょう」
宇薄には九階の会議室に案内してもらうよう伝え、俺達はその場でしばらく待つ。やがて宇薄が一人の女を連れて会議室に戻ってきた。
「あのう……お連れしました……」
「ありがとう」
古城戸はそう言うと宇薄の後ろから現れた女性に頭を下げる。現れた女は二十代後半の紺色の和服を着た長身の美女だ。俺と天花寺も古城戸に倣って頭を下げる。
「久しぶりじゃの」
二十代後半に見えるが、古い口調で話したその女は目を細めて俺を見た。
「お久しぶりです。こちらは由井薗、そちらは天花寺。どちらもパーグアです」
古城戸に紹介された俺はもう一度軽く頭を下げる。天花寺も頭を下げて挨拶する。
「よろしくお願いしみゅ」
噛みやがった。天花寺は恥ずかしさの余り、顔を真っ赤にして震えている。
「神子島と申す」
神子島は天花寺が噛んだことには何も気にした様子もなく部屋の中に進み入り、古城戸が会議室の椅子を引いて勧めるとそこに腰を下ろした。古城戸も対面に座ると俺を無言で見た。座れということだろう。俺は古城戸の隣に移動して着席。天花寺はさらに俺の隣に座る。宇薄はいつの間にかいなくなっていた。全員が着席したのを見て、神子島と名乗った女は話し出す。
「簡単に自己紹介をしておくと、儂は以前研究所の一つで働いておった。ナンバーは011じゃ」
No.011は孟婆だったか。以前、新実から悪夢を見せる魔物だと聞いた覚えがある。
「現在は研究所の職員からは外れているがな。儂の因果は『雷山小過』で、能力は流れを止めることじゃ。儂は何歳に見える?」
古城戸は女を見つめる。妖艶な色気を放つ美女だ。
「二十代後半に見えます」
「その通り、儂は二十八でパーグアとなり、それ以降歳を取らないように老化を止めておる。実際には今年で八十になる」
『雷山小過』の力で老化を止めることなどよくも思いついたものだ。女性ならではの発想だろう。
「八十! 絶対そうは見えません」
「そうじゃろう。便利なようで色々不便はあるぞ。 免許証の写真とかどう見ても八十には見えないから本人と思われず毎回面倒での」
「贅沢な悩みですね」
「お主も今が若さのピークじゃろ。老いさらばえるのは苦痛じゃろうて」
「……永遠の若さは女の夢です」
神子島は不敵な笑みを浮かべる。
「ま、これは本題では無かったな。政府から魔物の件について聞いたのでな。一つは始祖夢魔の事と、もう一つはそれに関連した頼みじゃ」
「彼女について?」
「うむ。あやつは古くは森の魔物と呼ばれた存在でな。こんな伝承を聞いたことがある……」
神子島はそう言うと始祖夢魔の伝承を語りだす。
森の奥深くにまで迷い込んでしまった狩人のユージンは、一糸纏わぬ姿の愛する妹ロクサアヌと出会う。
ユージンは何故妹が裸で森の奥にいるのか理解できなかったが、妹がやさしく微笑んだのでふらふらとついて行ってしまい、それきり森から帰ることはなかった。
戻らぬ兄を心配した妹のロクサアヌは、村で森の魔物の噂を耳にする。兄を探しに行くべく、ロクサアヌは兄の衣服を身に着け狩人の姿で森に入る。
やがて森の奥に辿り着いたとき、背後から「そこの狩人さん」と呼ぶ声がしたのでロクサアヌが振り返ると、兄の姿をした魔物が叫び声を上げ溶けて死んでしまった。
ロクサアヌはその近くで本物の兄の遺体を見つけ、泣きながら帰った。
「とまぁ、こんな話なのじゃが。あの魔物の真の姿は、相手の望む姿になるということじゃ」
「その姿を女性に見られると死ぬわけですね」
「伝承どおりならそうなる。夢魔は外見でしか男女を判別できなかったのじゃろうな。だから男装したロクサアヌに気付かず真の姿を見せてしまったというわけじゃ」
古城戸は腕を組んで考え込んだ。美しい唇が開く。
「兄妹で愛し合っていたのね……兄の夢に現れたのはその繋がりでしょうね」
古城戸が夢から色々持ち出すには、『夢の中で所有する』という条件がある。例えば車を持ち出すには、車が出てくる夢を見て、夢の中でその車を買うなり盗むなりする必要がある。魔物についても例外ではなく、まず魔物が現れる夢を見なければならないが、魔物の夢を見ることなど普通は無い。だが古城戸の兄は始祖夢魔の夢を見た。それは古城戸兄妹が愛し合い情欲に取りつかれたためだったのだ。
古城戸は自分たちの愛の証とでも思ったのか、小さく口角を上げた。
「ただ単にそれだけではあるまい。愛し合う兄妹の妹には恨みもあるじゃろうな」
神子島がそう言うと古城戸は目を見開く。始祖夢魔はユージンの妹ロクサアヌに殺されたのだ。つまり愛し合う兄妹の妹である古城戸に抱く感情は憎悪しかない。
「私を殺したいならいくらでも機会はあったはずよ。私は兄に支配されていたし、その兄を彼女が支配していたなら簡単なことでしょ?」
確かにそのとおりだ。始祖夢魔は古城戸を殺す気ならいつでもやれた。
「真意はわからぬ。じゃがポジティブな感情があるとは思えぬ」
神子島はそう言うと目を瞑る。俺も考えてみるが、大した予想はできない。天花寺は古城戸の人生ダイジェストを見ているからその事も知っていただろうが始祖夢魔の真意まではわからないようだ。これ以上は俺達で考えても無駄だろう。
「今日の話はそれだけではない。重要なのはこれからじゃ。その始祖夢魔の魅了を解除する方法があるのじゃ」
神子島が放った一言で俺と古城戸は顔を見合わせる。そんな方法があれば世界中が支配される恐れはなくなる。
「どのような方法なのですか?」
「聖人の血を含んだ布があればよい。それで魅了された者を触れるだけで解除される」
もっともらしい方法だが、一つ疑問がある。俺は質問する。
「何故あなたがその方法を知っているのです?」
「そう思うのも無理はないの。隠すつもりもないから言っておこう。儂は古城戸延行の知り合いじゃ」
「兄の?」
古城戸が思わず口にした。神子島は頷く。
「儂ともう一人、大仰という者が延行の仲間じゃった。大仰にはそなたも会っておろう」
言われて古城戸は思い当たったようだ。
「まさか、私をパーグアにした男ですか?」
「そのとおり。大仰は現在は連絡が取れないからどうなったかは知らぬ。ある日、延行が儂に森の魔物の話をした。先ほどの話はその受け売りじゃ。それで、もしもの場合は聖人の血を調達して欲しいと言ったのじゃ。じゃが、それをする間もなく延行は死んでしまったがの」
だんだんと当時の状況が見えてきた。古城戸の兄は森の魔物、始祖夢魔が近づきつつあることを感じていたのだろう。だから神子島に保険をかけていた。だが、始祖夢魔はたちまち他の魔物も連れてきたため、神子島は近づくこともできなかったに違いない。
古城戸は椅子の背もたれに背を預ける。
「聖人の血……」
「聖人ってイエス様のことですか?」
天花寺がポツリと言う。
「そうとは限らない。キリスト教における聖人はイエスだが、儒教なら孔子、仏教なら日蓮や空海なんかも聖人と言えるだろう」
俺がそう言うと神子島も頷く。
「確かに歴史上の聖人は多数いるが、この場合はイエス・キリストのことじゃろうな。始祖夢魔はもともとエルサレムの近くにいたらしいぞ?」
「確かに、あの子は褐色の肌だけど」
つまりは、イエス・キリストの血を含んだ布を手に入れる必要があるということだ。当然現代では手に入らないから、夢に入ることになるだろう。
「夢からイエス・キリストの血を持って帰るには、イエス・キリストに会わなければならないよな? どうやってキリストの夢を見るんだ? 言っておくが俺はクリスチャンじゃないぞ?」
俺がそう言うと古城戸も首を振る。天花寺も顔の前で手を振った。神子島は一つ笑うと目を細めて言う。
「方法はあるぞ。孟婆の夢を見れば煉獄から天国に行ける」
なるほど、孟婆は煉獄の夢を見せると聞いた。煉獄は天国に通じる道でもあるから、煉獄から天国に行くことはできるのだろう。そこでイエス・キリストの魂と接触し、聖人の夢に侵入するのだ。
「ついでにもう一つ頼みがあるのじゃ」
「何でしょう」
「イエス・キリストのへその緒が欲しいのじゃ」
「へその緒?」
「うむ。儂は孟婆の夢に六回侵されておってな。限界まで来ているから研究所は去ったのじゃが、悪夢は今だに終わることがなくての」
孟婆の夢を七回見ると発狂すると新実が言っていた。六回ということはリーチ状態だ。もう何年も悪夢を見ているのだろう。
「へその緒があれば、孟婆の呪いを祓える。血を取るついでに頼めないじゃろうか」
古城戸は俺を見た。俺は「古城戸に任せる」という意味で少し首を傾げる。それを見て古城戸は神子島に向き直る。
「わかったわ。孟婆の夢から侵入して、イエスのへその緒を手に入れましょう」
神子島との話はそれで終わり、明日実行することとして解散した。天花寺が神子島を連れて去ったあと、古城戸が俺に話かけてくる。
「イエス・キリストについて、どの程度知ってる?」
「俺はクリスチャンじゃないしな。一般人と同じ程度しか知らないぞ」
「知ってることを言ってみて」
古城戸が手で俺を促す。
「十二月二十五日に聖母マリアから生まれて、十二人の使途がいて、ユダという使途が裏切った。それで茨の冠を被せられて磔になってロンギヌスの槍で処刑された、というくらいか」
俺がイエス・キリストについて知っていることは大体これくらいだ。処刑されたあと復活したとかそんな話も聞いた覚えがあるが、その後どうなったのかも知らない。古城戸は「私もあまり知らないんだけど」と前置きをする。
「イエス・キリストのキリストは名前じゃないのよ」
「どういうことだ?」
「正確には『ナザレのイエス』なのよ」
「ナザレ?」
「昔はファミリーネームのようなものはなかったのよ。『どこどこのだれ』が全てだったの」
「ナザレというのは地名か」
「そう。だから聖母マリアも『ナザレのマリア』が当時の名前よ」
「ファミリーネームに地名や職業が多いのはそういう歴史から来ているんだな」
「そうね、スミスは鍛冶屋、みたいにね」
「なるほどな」
日本でも地名性は多いし、職業が苗字になっているものも山ほどある。それは日本だけではなく世界でもそうだったのだ。
「イエスが何人かは知ってる?」
「いや、そういえば知らないな。ナザレってどこだ?」
「イエスは今でいうイスラエル生まれのユダヤ人よ」
「イスラエル……内戦が続いているシリアの隣だよな? 中東だったのか」
「母国語はアラム語。今はもう死語だけど、アラビア語のグループね」
ここで古城戸が何を言いたいかわかった。
「なるほどな。へその緒をもらうにしろ言葉の問題があるのか」
「そういうこと。『翻訳コンニャク』があればよかったんだけど」
「無いものはしょうがない。次善策はあるのか?」
「孟婆を連れて行くしかないのかも」
「アラム語がわかるのか?」
「アラビア語ができたはずだから、アラム語もわかるかもしれないわ」
「俺は行かないほうがいいよな? 新人の女の子を誰か連れていくか? 鳴神か天花寺あたり」
俺が行ったところでアラム語などわからないし、土地勘も無い。それに夢で始祖夢魔に出会ってしまう可能性もゼロではないのだ。何しろ始祖夢魔に対する特効薬を取りに行こうとしているのだから、妨害に現れることも十分にありえる。
「鳴神さんはまだパーグアではないのよね? 天花寺さんも西暦ゼロ年で役立つものではなさそう」
「役に立つという意味では俺も似たようなものだが……」
「そうだった」
古城戸は薄ら笑みを浮かべている。俺は苦笑いするしかない。
「そこは嘘でも否定してくれ」
「そうね、なら鳴神さんを連れていこうかな。勉強になるかもしれないし」
古城戸がこれからするのはとんでもない無謀な旅夢だ。煉獄を経由して天国の最上層にいるイエスに近づこうというのだ。
「まるでダンテの『神曲』だな。畏れ多いことだ」
「そうね。ものすごい冒険になりそう」
「神子島も女だから、もしあっちで始祖夢魔に会っても魅了される心配はないってことか」
「ええ。でも連れていく理由はそれだけじゃないわ。私が持ち帰ったものが本物だと証明してもらわないとね」
「なるほどな、依頼者を証人にするのか」
「そうじゃないと納得しないと思うからね」
「確かにそうだな」
夢から持って帰ったへその緒がイエス・キリストのものだといわれて信じる人間がいるだろうか。普通は信じないし、信じる奴がいたら頭を疑う。だが、自分がそれを見ていたら信じるしかないだろう。神子島もあの性格だ、こちらから言わずともついて行くと言うに違いない。
「あと気になったが、イエスは男だろう? もし始祖夢魔がいたら魅了される可能性はないのか?」
「夢魔の魅了が神の子に通用したら笑い話にもならないわよ。 むしろイリナちゃんが近づけるかどうかも怪しいわね」
それから鳴神を呼んで、明日の出張について説明をする。一応俺と天花寺も同行するが、夢には入らない。孟婆の研究所は東京の有明にあり、有明の研究所の一室から侵入することになった。
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
作中に登場する商品・商標は各団体のものです。




