四章 五 不釣り合いな代償は悪意ある願いを呼ぶ
五
話していて思い出したが、No.009、白澤についての情報も井関から聞いた。井関が始祖夢魔に操られているということは、この内容の信憑性も無くなったということだ。だが内容的には研究員なら知りえる情報だったので嘘は無いと思っていいだろう。すぐバレる嘘は墓穴になってしまうかもしれないから、そういう嘘をついても意味がないのだ。
俺は始祖夢魔を警戒し、少なくとも今夜は一人で寝るのは避けたほうがいいと判断。女友達の家に押しかけて今日だけ世話になることにする。杉並区にあるマンションに住む看護士だ。今日は幸い夜勤ではなかったらしい。
マンション四階の部屋の呼び鈴を鳴らし、しばらくしてドアが開くとショートカットの女が顔を覗かせる。
「いきなりなんて珍しい」
「松本さんの顔が見たくなってね」
こう言われて嬉しくない女はいない。だがあまりにも期間が開きすぎていると逆効果だ。
「今日は休みだったから良かったけど、夜勤の時もあるから事前にメールかラインしてね」
「そうするよ」
俺はここでふと天花寺の能力、『風天小畜』を使ってみる気になった。天花寺は近くにいないが、何度も使ったおかげで俺の練度は上がっている。天花寺が近くにいなくても因果に近づける。特に風の因果は俺の因果である『風雷益』に比較的近い。
俺は深く集中し、因果を探る。『風天小畜』を発動させることに成功。直近一時間の映像が流れ込む。
松本がベッドの下にある箱から取り出したのは注射器。薬品名はフェンタニル、医療用麻薬だ。フェンタニルは全身麻酔にも使われるが、主に末期癌患者の鎮痛剤として使われる。その効力はモルヒネの百倍にも相当し、癌による疼痛を緩和する効果がある。有名人の中毒者では、マイケル・ジャクソン、ホイットニー・ヒューストン、プリンスなどが知られる。これらの中毒死事故を受け、取り扱いには厳しくなった薬だが、医療関係者に中毒者が多く、外科の手術中に麻酔医が自らに注射を打つケースすら存在するのだ。松本は看護師だから患者から盗む等で手に入れたものと考えられる。
映像の中で松本は自らに注射を打つと俺にも強烈な快感と脱力感、同時に脳の奥が冴えわたる感覚がする。『風天小畜』では見る、聞くだけだと天花寺から聞いていたが、松本に起きた麻薬の効果までも追体験することになるとは思わなかった。脳幹が痺れ、意識が白くなることに不思議と恐怖は感じない。やがて意識が引き戻されたとき、俺が家に訪れた。
『風天小畜』の発動が終わり、俺は大きく息をつく。もし天花寺もこんな追体験をしていたとしたら中毒者になってもおかしくない。今まで何千人も見てきたのだからそういう人間がいる可能性はある十分にある。だが天花寺はそんなことは言っていなかったから、もしかしたら俺と同じ『風天小畜』でも若干違うのかもしれない。
俺は松本の恋人でも家族でもないし、麻薬の窃盗や使用を注意するのは偽善というものだ。それにそのままのほうがいろんな意味で面白い。
「どうしたの? 入らないの?」
俺が立ち尽くしていたので松本が声をかけてきた。
「ああ、お邪魔するよ」
俺はそう言って玄関で靴を脱ぐ。松本は上はタンクトップに下は半パンという薄着だ。夏の夜は蒸し暑い。
「晩ごはん、何か食べる? 私はもう済んだんだけど」
「いや、いいよ。風呂だけ借りていいかな」
「うん、一緒に入る?」
それからは二頭の獣となってお互いを貪り、いつの間にか眠りについていた。
五時半頃に松本が起きたとき俺も目を覚ましたが、そのまま布団の中で微睡む。松本は手早く弁当を作って出勤の準備をしだす。
やがて俺も起き上がり、台所を覗く。
「ごめん、起こしちゃった?」
「おはよう。今日は日勤なのか? じゃあ長居しないほうがいいかな」
「ごめんね、七時頃には家を出るから」
「わかった、それまでには出るよ」
「うん、一緒に出よう?」
弁当を手早く作った松本は、俺と朝食を摂る。トーストにハムエッグ、小さなサラダだ。
「普段朝は食べないし美味いよ」
「朝ごはん、おいしいよね。私、夜は食べないこともあるけど朝は絶対食べるんだ」
「朝は一分でも寝ていたいよ」
朝のハムエッグが身体に染みる。昨日の悪夢が嘘のような平和さだ。だが、こうしている間にも始祖夢魔と魔物らが暗躍していると考えると落ち着かない。あのとき、俺が井関に隙を見せて気絶させられなければ阻止できたかもしれなかったのだ。
俺は食べ終わった食器を洗いものをしている松本に渡すついでに尻を触って笑いながら離れる。
松本は準備を終えるとジーンズとTシャツに着替え俺と一緒に部屋を出た。看護士は病院で着替えるから出勤時の服装は何でもいいのだ。日中の街中は女の目がそこら中にあるから始祖夢魔を警戒する必要はない。俺は車の駐車場で手を振って松本と別れ、事務所に向かう。あんなに真面目な看護士だが、麻薬中毒者だというのだから世の中わからないものだ。
事務所の十階に着くとすでに古城戸が自席にいて、入ってきた俺を見るとわずかに緊張する風を見せた。
「おはよう」
「おはよ さっそくだけど九階に来てもらっていいかしら」
九階に天花寺がすでにスタンバイしているのだろう。俺は自席に上着だけ置いて九階に向かう。古城戸は後ろからついてきているようだ。
研修室に入ると予想通り部屋に入った正面に天花寺がいて、小さく頭を下げた。古城戸からどこまで事情を聴いているのかは知らないが、俺を『風天小畜』で見て始祖夢魔に会っていないか確認をするはずだ。
特に断りもなく、天花寺が『風天小畜』を発動する気配。俺の人生が覗き見されていく。一応昨日一日分だけにしておいてくれているはずだが、どうだろうか。
能力発動を終えた天花寺は俺を見て顔を赤らめた。昨日の行為を見たのだろう。
「あ…えっと」
天花寺は若干落ち着かない様子で古城戸を見た。古城戸はやや表情を曇らせて天花寺に近づくと耳を寄せた。だが天花寺は首を振って「内密にする必要は無い」と意思表示。
「由井薗先輩は大丈夫だと思います」
天花寺がそういうと古城戸は肩の力が抜けたようだった。古城戸は腰に手をやると俺を見る。
「よかったわね」
「それはいいが、毎日見てもらうのもな……」
古城戸はそれには何も答えず、大きく息を落とすと天花寺に向き直る。
「天花寺さんありがとう。基本的にはしばらく毎日見てもらえるかしら」
「はい」
やはり見てもらうのは決定なのかとややげんなりする。
「天花寺にはどこまで教えたんだ?」
俺がそう聞くと古城戸は顎に指をつける。
「一応大体の事情は話したと思うけど。それに天花寺さんは私を「見て」いるから」
『風天小畜』で古城戸を見ているなら口頭で話すよりも早いし確実だ。もはや俺より古城戸について詳しいだろう。
「そうか。じゃあ俺はこれで潔白が証明されたってことだな」
「ひとまずはね。でも今日は私たちから離れないでよ」
「作戦は古城戸たちで決めるんだろ? 俺が知ってしまうと後々支配されたときにゲロってしまうからな」
俺が作戦を知ってしまうと、もし始祖夢魔に魅了された時にすべて話してしまうだろう。だから知らないほうがいいのだ。
「もちろんそうよ。 でもアドバイスならいいでしょう?」
古城戸のことだ、俺の意見をそののまま採用したりはしないだろう。俺に知られても作戦に影響がない事、あるいは俺が魅了されて作戦をバラすことを前提とした作戦を立てることも考えられる。トロイの木馬のように、木馬である俺に嘘の作戦をインプットしておくことで俺を引き込んだ始祖夢魔をハメることができるかもしれない。というよりそれが一番確実で効率がいいような気がする。
「他の魔物の情報は届いたのか?」
「いくつかは。虚王のデメリット、わかったみたいよ」
「なに! 見せてくれ」
俺が古城戸に手を出すと古城戸は紙のファイルに閉じられた資料を取り出して俺に渡す。
俺は早速ファイルを開き、資料に目を通していく。
No.003 虚王
No.003は身長二十五センチメートルの小人の姿をしています。
背中に天使のような白い羽を持ち、宙に浮いたり自由に飛び回ることができます。
No.003は食事は必要とせず、睡眠も取りません。
No.003は一年に一度、「望みはないか?」と日本語で話します。
その状態のNo.003に願いを伝えるとほぼどんな願いも叶います。
これまでの九回の検証によると、叶わないのは、No.003に関すること及び未来に関することだけです。
願いが叶うには願いの大小に関係なく、一年必要とされます。
願いが叶わない場合も、一年後に回答があります。
また、叶えられる願いは、一人一回だけです。
研究の結果、願いを叶えるデメリットは、三親等上位以下の子孫が誕生しないことであることがわかっています。
三親等とは曾祖父母を指し、それ以下について新しい命は誕生しません。
願い主にすでに子供がいる場合は、その子供の子供は産まれません。
デメリットが発動するのは願いが叶った場合のみです。
人類全体が、No.003を巡っての戦争に発展する可能性があります。くれぐれも情報を漏洩しないでください。
二〇一四年.不明(古城戸延行により使用)
一年後:その願いは叶えられない。(何を願ったかは不明)
二〇一五年.金のインゴット十本をくれるかな?
一年後:願いは叶えた。
No.003の前に10Kgの金のインゴットが十本あることを確認。
インゴットには刻印無し。
その後の調査でインゴットの成分は間違いなく純金であることを確認。
物理的な物の入手が可能であることを確認しました。
二〇一六年.君が願いを叶える代償があれば教えてほしい
一年後:君の願いはすでに叶えた。
願いは一人一つのみ叶えられることがわかりました。
次回は別の研究員が願いを伝えます。
二〇一七年.癌の特効薬をくれるかな?
一年後:願いは叶えた。
No.003の前に、二百ミリリットルの瓶に透明な溶液が入ったものがあることを確認。
その後、胃がん患者に五ミリリットル静注にて投与したところ、翌日全快していることを確認。
人類にとって未知のものでも入手が可能であることが確認できました。
二〇一八年.来年の日本ダービーの結果を教えてくれるかな?
一年後:その願いは叶えられない。(何も得られず)
未来の出来事はNo.003でも確認できませんでした。
二〇一九年.君の願いのデメリットを無くしてほしい
一年後:その願いは叶えられない。(何も得られず)
No.003自体についての願いが叶わない可能性があります。
が、引き続き切り分けを行いたいと思います。
二〇二〇年.君の願いを叶えてくれる速度を一日にしてほしい
一年後:その願いは叶えられない。(何も得られず)
No.003自体についての願いが叶わない可能性があります。
が、引き続き切り分けを行いたいと思います。
二〇二一年.君の願いを叶えてくれる範囲を教えてほしい
一年後:その願いは叶えられない。(何も得られず)
No.003自体についての願いが叶わないことがわかりました。
二〇二二年.この人を蘇生してほしい
一年後:願いは叶えた。
No.003の前に、交通事故で死亡した三十一歳男性の死体を提示。
保存していた死体が完全再生され、蘇生した。健康状態もよく記憶障害等もみられません。
二〇一七年の結果と合わせて、肉体的な願いは叶うものと思われます。
不老不死や若返りも可能であると予測されます。
二〇二三年.データ抹消
一年後:回答待ち
二〇二四年.未実施
俺は虚王の資料を読み終えると一度顔を上げる。
「古城戸の兄貴は空振りみたいだな」
「ええ、よかったわ」
その返答に俺は僅かながら胸に痛みを感じる。古城戸は兄貴の子供が欲しいのだろうか。実の兄妹だからあまり良いことではないが、少なくとも虚王に子供を奪われることは回避したようだ。二〇一四年は以前の資料では古城戸兄の願いが叶ったことになっていたが、それは井関が操作していた内容だということだろう。実際には叶っていなかったわけだが、どういう意図で修正したのかは不明だ。
「デメリットは子孫が残せない、か……自暴自棄なやつなら使いそうだが」
「ええ。危険な事には変わりないわね。こんなデメリットだとは思ってなかった」
『風火家人』は「家は栄える、女性は守られる」という因果だが、女性は守られる、という部分が別の解釈だということだろう。実際には女性に子ができない、というような内容だったということだ。
「生物」とは、「細胞から構成されている」「エネルギーを生産してそれを利用する」「DNAを持つ」「繁殖する」「体内環境を保つ」という五つの定義があるが、このデメリットで「繁殖する」が不可能となり、実質生物の定義から外れてしまうことになる。ゾンビのようなものだ。こんなものはとても使う気にならない。未来に関する願いが叶わないのはこのデメリットが関連するからだろう。
俺は次の資料に目を落とす。
No.009白澤
No.009に近寄る際には事前に健康診断を必ず受診してください。
健康診断の結果、何かしらの疾病を持っている場合はNo.009の二十三メートル以内に近づいてはいけません。
No.009は白い四足獣に頭部が六十歳前後の男性の姿をしています。顔は中国系の顔で禿げ上がっており、薄く髭があります。
No.009は人間の頭部を持ちますが、これまで話したことはありません。
No.009は近くの人間の疾病を急速に悪化させます。もしあなたが癌患者である場合はNo.009の二十三メートル以内に三分といることができません。
その一方で、難病が回復するケースも見られています。No.009が悪化と回復を行うことは確認されていますが、性別、人種、年齢などは関係なく、法則性は見られません。
No.009により疾病が回復した人はその後異常もなく健常者となっています。また、病だけではなく外傷までも回復可能であることがわかっています。
なお、外傷はNo.009に近づいても悪化することはありません。
それ以外においては攻撃性は自己防衛程度しかなく大人しい個体です。
No.009の細胞を取得し、DNA鑑定を行ったところDNA構造が地上の生物にはありえない三重の螺旋構造となっており現在起源を解析中です。
「白澤については、井関から聞いた内容と同じだな」
「そうね、善と悪、という表現はしていないけど」
研究資料においてはほとんど伝承の内容を加味せず、純粋に科学的な目での報告が記載されている。白澤は、伝承では徳の高い人物の前に姿を現す霊獣となっているため、徳を積んだ人だけ病気を治しているのではないかと予想されている。だが「徳」が科学的に何かと問われると答えようがない。
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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