四章 三 本当の願いは自分にもわからない
三
今日、俺たちは名古屋まで新幹線を使い、そこからバイクで三重県津市に向かっている。津市に入ってからは国道百六十五号線から県道十五号線を進み、伊勢奥津というJR名松線の小さな駅を越えて奈良の方に向かって進む。
今日のバイクは古城戸がSUZUKI V-Strom650 ABS、俺はYAMAHA TMAX530だ。珍しく二人とも大型で三重の快道をひた走る。TMAXは大型なだけあってパワーも十分でゆったりとしたクルージングが楽しめる。装備はすべてノーマルだが、変更したいと思う箇所がないほど完成度が高いマシンだ。排気量的には軽自動車よりも小さいが、パワーウエイトレシオで見ると一般的な軽自動車のパワーウエイトレシオは十七キログラム前後だがTMAXは四.五キログラムと四倍もの差があって、加速力など断然TMAXのほうが良い。さらに古城戸のV-strome650は三.一キログラムとなっていてもう一回り速いマシンだ。Vツインエンジンが奏でるSUZUKIサウンドは脳を痺れさせ、ライダーをさらなる高みに誘う。普段中型排気量のマシンにばかり乗っている古城戸は心なしかいつもより楽しげだ。
やがて周辺は材木所や田園、養鶏所などまさに田舎の風景が広がる地域となる。高いビルが一つもないと遥か遠くの山や空が見え、それだけで景観がここまで良くなるものなのかと小さな感動を覚えた。この前行った呉も東京に比べれば随分田舎だが、この美杉の田舎度合いはそれの比ではなかった。美しい山と川に、ここが日本であることすら忘れてしまいそうになる。
やがて古城戸が坂道の頂上にバイクを停車させるとその施設は姿を現した。
「こんなところに研究所か。何がいるんだ?」
古城戸はSHOEIのシステムヘルメットを顎から上げるとエンジン音に負けないように声を張り上げた。
「虚王よ!」
虚王、No.003はどんな願いも一人につき一つ叶えてくれるらしい。ただし願いが叶うのは一年後で、年一回しか使えない。そのため願いは政府が慎重に考えている。しかしただ願いが叶うだけという美味しいだけのものであるはずもなく、なんらかのデメリットがあると考えられているが、まだ究明には至っていない。回数制限があるとか、とてつもないデメリットがある可能性もあるのでこのまま使い続けることには反対の意見も政府の中にはある。俺は以前、太歳の因果からその能力の根源を解明するに至った。今日はそのことを評価され、虚王の因果を確認しに来たということだろう。
俺と古城戸が駐車場にバイクを停め、研究所の入口に向かって歩いていると、虚王が収容されている部屋が近いのか俺は因果を感じた。その因果に触れてみると、とてつもない多幸感に包まれ、恍惚としてしまう。
俺がうっとりしていると、横から古城戸が肘で突いてきて、我に返った。
「どうしたの?」
俺は黙って古城戸の肩に手を置き、因果『風火家人』を発動。
「な、何? あ……はぁん……」
古城戸は艶っぽい声を上げ、小さく震えた。『風火家人』の因果で多幸感に包まれ、涎を垂らして呆けている。俺が手を放すと古城戸は夢から醒めたように目をぱちくりさせて涎を拭うと俺を見た。おそらく最高の料理をたらふく食べ、最高の風呂に肩まで使った時のような気分を味わったはずだ。
「い、今の?」
「ああ、『風火家人』の因果だ。俺の能力だと劣化するから願いは叶えられず、相手に多幸感を与えるだけだな。随分気持ちよさそうだったぞ?」
古城戸は拳で俺の肩を叩く。お怒りのようだ。
「『風火家人』……願いはじきに叶う、女性は守られる……吉の因果よね」
「まさかデメリット無しなのか?」
古城戸は首を振る。
「虚王も魔物には違いないのだから、絶対何かあると思うの」
虚王の因果がわかり半歩前進はしたかもしれないが、結局虚王の願いを叶えるデメリットはわからない。このまま俺と古城戸が予想を言い合ったところでもはや意味は無い。
「結局予想の域を出ないな。どうする? 研究所の前で分ってしまったから中に入ってもしょうがないぞ」
俺がそう言うと古城戸は大きく息を落とす。
「ふう。所員に行くって言ってあるし行ったほうがいいわね。絶対わかると思ったんだけどなぁ」
「ヒントが得られただけ良しとしよう」
「うん……」
そう言うと俺と古城戸は研究所に入る。受付などはおらずカードキーのドアとインターホンがあったのでインターホンのベルを押す。
「はい?」
インターホンから女性の声がした。
「特別国庫管理部ですが」
「ああ、迎えをやりますのでお待ちください」
インターホンはそれで切れ、三分ほどするとドアが開いて白衣の男が現れる。
「こちらへどうぞ」
男はそう言うとドアの向こうに消えていく。俺と古城戸は急ぎ足で後を追い、中へ入る。
研究所の内部は普通のオフィスといった感じで格別に変わった部分は無い。白衣の男は一番奥の管理職らしき席まで歩くとその席に座る中年の男に手で俺達を示した。
俺と古城戸が近づくとその男は席から立ちあがり頭を下げた。案内した男性は自分の仕事に戻ったようだ。
「古城戸さん。お久しぶりです」
古城戸は面識があるのか、「こんにちは」とだけ返した。俺は初対面だから挨拶することにする。
「特別国庫の由井薗です。一応パーグアです」
「井関です。ここの所長です」
井関と名乗った男は近くのミーティングスペースに移動すると俺達に席を勧めた。俺と古城戸は勧められるがままに着席。古城戸は声を抑え気味で話し出す。この施設は政府の中でもとびきりの極秘領域だから周囲の人間もセキュリティ意識は高く、情報が漏洩する心配はないが、あまり大きい声で言いたくなかったのだろう。
「さっそくなんですけど、虚王が持つ因果がわかりました」
「どういうことですか!?」
井関は驚きを隠せないようだった。この施設で十年研究してきても願いを叶えてくれる以上の詳細は判明しなかったのだから、当然の反応だろう。
「虚王の因果は『風火家人』です。この因果は風と火で出来ており、風があれば火が上がるように協力関係を示唆するものです。女性が貞節をもって家を治めれば豊かになる。女性を大事に守りなさいという内容ですね」
古城戸はそこまで説明したが、それだけでは井関はピンと来ていない様子だった。パーグアでなければそのあたりの感覚はわからないだろう。俺が補足をすることにする。
「虚王は、家が豊かになる、という部分を使って願いを叶えているんですよ」
井関は俺をほうを見て、理解の色を示した。
「なるほど、でも今のお話だと願いはなんのデメリットもなく叶うように聞こえますが」
「おっしゃる通りです。我々はなんらかのデメリットがあると思っていますが、因果の内容からはそれが見えてきません」
俺はそう答えると椅子の背もたれに背中を預けた。古城戸が続ける。
「デメリットについての研究は引き続きお願いします。恐らく……女性が絡んだデメリットだと思うのです」
「女性の願いは叶わない、とかですか?」
井関がそう尋ねると古城戸は首を振る。
「そんな生易しいものではありません。例えば願いの代償に女性百人の命を奪う、等です」
「そんな」
「あくまで例えです。もっとひどいかもしれません」
「わかりました。 今後はその視点で調査を行います」
「そうですね、これまでの結果からもその人物の周辺の女性がどうなったか等を確認してみてください」
「ええ。何かわかったら連絡します」
それで古城戸は席を立つ。それを見て井関も立ち上がった。
「No.003は見て行かれますか?」
古城戸は俺を見た。
「どうする? 見て行く?」
「そうだな。見ておきたい」
俺がそう答えると井関は虚王の収容所まで案内してくれた。厳重なロックが何重にもかけられておりここまで入れるのは相当の権限が必要である。
「No.001は見ることができなかったし、No.013も直視はできなかったからな。今日のはじっくり見られそうだな」
「由井薗君はイリナちゃんも見られないわね」
「そうか。意外とお目にかかれないものだな」
俺と古城戸がそんな会話をしていると井関も気になったようだ。
「No.013は私も実験に立ち会ったことがありますが、全く何も見えませんでしたね。あの時は強化ガラスの部屋にNo.013を収容したのですが、ガラスの向こうは完全に闇でした」
「僕たちはあの闇の中でチラっと見ましたけどね」
「よく無事に出られましたね。普通は脱出できませんよ」
「まぁ色々ありまして」
俺がそう言うと井関はしきりに感心している。俺達は通路を進みながら井関と話を続けた。
「あ、そうだ。井関さんは他の魔物についてどれくらいご存知なんですか?」
いつぞや他の研究所でした質問と同じ質問をしてみる。井関は顎に手をやり考える。
「他の魔物ですか……これまで実験に立ち会ったのはNo.002、No.009、No.013ですね」
「おお! よければNo.009について教えて欲しいです」
俺がそう言うと、井関は腕を組んで上を向いて思い出す。
「うーん、私もあまり詳しくは無いのですけど。No.009は白澤と呼ばれる魔物で、病気を急速に進行させます。特に癌は秒単位で進行しました」
これまた意外な魔物がいるようだ。もっとこう、人間に幼虫を植え付けたり酸の血で溶かしたりというストレートな魔物はいないのだろうか。
「病気ですか……」
「だから、健康体の人しか実験に参加できないのですよ。 病気だとその場で悪化してしまいますからね」
「なるほど、迂闊に近寄れないですね。怖いな」
「そうですね。姿も不気味でしたし、関わりたくありません」
「どんな姿なんです?」
「足の短い四足獣に人間の頭がついているのです。そうですね、六十歳前後の男の顔をしていました」
「……可愛い生き物じゃなさそうですね」
俺がそう言うと井関は笑う。
「可愛くはありませんでしたが、少なくとも噛みついたりはしなかったです」
井関と俺が並んで歩き、後ろに古城戸が歩いていたが、後ろから古城戸が補足を入れる。
「白澤は病魔をつかさどる神獣で、本来は癌封じだったり病を払う神なのよ。どっちが本来の姿なのかしらね」
そう言うと井関も頷く。
「研究の着目点としては、白澤が病気を進行させるだけでなく治すこともできるのではないかという点でした。もし治せるとしたらすごいことですからね」
「確かにそうですね。癌が治療できるならそれは有益なことです」
「治すメカニズムがわかれば、白澤に頼らずとも同じことができるわけですから、是非とも解明したいですよね? 研究所では多くの病人やけが人がいました。白澤は人間でなければ見向きもしないので、動物は使えないのです」
「それで治った人はいたのですか?」
井関は二度頷く。
「ええ。ただ、法則はわかっていません。単なる気まぐれの可能性もあるのです」
「白澤は徳の高い人間の前に姿を現すという伝承があるわ。だから善人だけ治療しているのではないかというのが現時点での最有力説ね」
また古城戸が後ろから補足を入れる。
「古城戸さんがおっしゃるとおり、徳を積んだ人は治療されると言われていますが、善と悪の定義は何か? という話になります。そうなるともう……」
井関はそこで話すのを止めた。通路が終わり、虚王の部屋に着いたのだ。もう少し聞きたかったが、大体知りたいことは聞けたし収穫はあった。
白澤についての資料が政府からもらえないのは、善と悪の定義がどうなっているかまだわかっていないからだろう。
通路の先には重厚な金属の封印があり、井関が横のパネルにセキュリティ・カードをかざし暗証番号を入れるとブザー音とともに金属の外れる音がする。
「どうぞ」
井関は手で中を示す。井関は中には入らないようだ。俺と古城戸は恐る恐る踏み入る。 部屋は白い壁紙に囲まれた殺風景な場所だった。部屋の中央には木製の丸いテーブルがあり、その上には大きめの鳥かごがある。
「鳥かご?」
俺が思わずそう声を出すと、古城戸が答える。
「資料を見たでしょう? 虚王は小さな妖精のような姿なのよ」
「そうだったか」
俺は気のない返事をし、鳥かごに近づく。アルミ製の鳥かごには体長二十五センチほどの薄青い身体をした妖精と呼ぶにふさわしい生物がいた。ただ、この妖精の羽は昆虫のような透明のものではなく鳥の白い羽だ。小さな天使というほうが近いのかもしれない。顔はまるで玩具の人形のようで、男とも女ともつかない。服は着ていないが身体は平坦でこれも性別というものはなさそうだ。
『願いはあるか?』
突然、かごの中の天使が俺にだけ聞こえるほどの小さな声で話しかけてきた。その声は二歳~三歳頃の子供のようだ。
「今年はまだ願いをしていないのよ。 うっかり願いを言わないでね」
古城戸には先ほどの声は聞こえていないだろうが、虚王が願いを聞いてくることを知っているから注意を促してきた。
『小さい声で言え。私には聞こえる。私はお前の願いを知っているぞ』
……この虚王は俺を誘惑している。こんなことはあの資料には書かれていなかった。
俺が黙っていると虚王は鳥かごの格子に掴まり羽を広げた。
『小さい声で言え。叶えてやる』
この小さな天使は綺麗だが不気味でもあった。無表情で何を考えているのかわからないし、俺を見る目が値踏みをするかのようにも感じる。果たしてこれは悪魔の誘惑なのだろうか? 虚王は鳥かごの中を音も無く飛び回り、俺を様々な角度から見つめている。
古城戸も俺の隣に来て籠を覗き込んだ。
「小さい天使みたいだけど、魔物なのよね」
「そうは見え」
そこまで言ったとき、後頭部に強烈な衝撃を感じ、俺は目の前が暗くなっていく。身体のバランスが保てず俺は横倒しになる。朦朧とした意識の中最後に見えたのは、古城戸が後ろから男にスリーパー・ホールドを極められる光景だった。
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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