三章 七 美しい写真
七
俺と古城戸は搬送先の西新宿駅前にある東京医科大学病院に行き、安納の妻の容体を窺う。そこには皆本の姿もあった。しばらくして、皆本から連絡を受けたのか、安納も駆けつける。病院の周囲にはマスコミも多数来ているが、中にカメラは入ってこない。
「史実通りなら妻は死ぬことはないはずだが」
俺は病院に設置されたビニール張りの椅子に腰かけている。古城戸は隣で壁にもたれて廊下を見ていた。
「そうよね。史実とは違う進み方をしているのかしら」
「そういえば、先ほど駅の構内で、パーグアの存在を感じた。今もこの病院で感じる」
「あらそうなの? 何の因果?」
古城戸は目を丸くして聞いてきた。
「これは『坤為地』だな。どういう因果だ?」
「『坤為地』かぁ。たしか、おみくじでいう中凶。他人に苦労を押し付けられる、あるいは自ら背負う。人に逆らうと大きなトラブルになる、って感じかしら。由井薗君も今は『坤為地』が使えるんでしょう? 何ができそうなの?」
そう言われて俺は『坤為地』の因果に触れてみる。『雷沢帰妹』のような情熱的な感覚はなく、冷たい感覚。
「そうだな、痛みを肩代わりするってところかな」
「ふうん。じゃあ『坤為地』の主はどんな能力になるのかしら」
「俺よりは格上のはずだからな。大怪我を肩代わりして受けるとかじゃないか?」
古城戸は腕を組んで首を傾けた。
「なるほどねぇ。安納の妻がパーグアで、誰かのサリンを肩代わりして受けたってことはありえるかしら」
俺は盤古に掴まれた首の具合を確かめながら否定する。
「安納の妻ではないな。駅の構内にいて、この病院にもいる人物だから救急隊員とかもありえるし、候補はまだ絞り込めない」
いつの間にか夕方となり十七時に差し掛かった時、廊下の先にある集中治療室から医師が数人現れた。安納と皆本が駆け寄る。医師は頭を項垂れ、首を横に振った。古城戸は俺の腕を掴んだ。
安納と皆本は何やら大声を出して集中治療室に入っていく。俺と古城戸も部屋の外から様子を窺う。
ちょうどその時、俺は八卦の行使を感じた。集中治療室からだ。
「これは!?」
古城戸が俺を見た。古城戸も感じたようだ。
「パーグアが中にいるのか?」
思い切って中に踏み込む。安納は妻の胸で泣き崩れ、皆本が安納妻の手を取っていた。 次の瞬間、妻に繋がれた器具に生命反応。心拍・血圧が復活。脳波の再開。一定のリズムを刻む電子音を聞き、安納と皆本は大いに沸いた。医師も信じられないという具合に棒立ちになっている。
「復活……の八卦だと?」
俺も信じられない。古城戸も眼光鋭く見ている。俺はここでようやくパーグアが皆本だとわかった。
安納の妻が意識を取り戻したが、何やら様子がおかしい。
「目が見えない」
それでも安納の妻は光のほうを向いた。医師は目の前に手を出して指を二本立てる。
「これが何本かわかりますか」
安納の妻はじっと指のほうを見つめる。
「二本かしら」
と不安げに答えた。
「そうです。見えていますか」
医師が再度確認する。
「少し、見えるんですがなんていうか、針の穴を見てるようなんです」
瞳孔が縮小しているのだ。これはサリンの中毒症状である。治療によって改善するが、数週間は治らない症状だ。この医師はサリンの中毒症状であることを把握しているらしい。
「その症状はしばらく続きます。だんだん治っていきますからね」
そう言うと安納の妻は安心したように身体の力を抜いた。
そのとき、安納の妻がうめき声を上げた。
「どうかしましたか」
医師がやさしく尋ねる。
「破水したかも」
安納妻が弱々しい声を上げる。陣痛が始まったのだ。サリンのダメージに加えて出産。母体の負担は尋常ではない。
「予定日は再来週だったんです。今日はその検診のために電車に乗ったようで」
安納が医師に説明する。
医師は安納をなだめ、ふとこちらを見た。
「君たちは?」
俺たちは医師にそう尋ねられたが、うまく説明できそうになかったのでひとまず集中治療室を出る。
また先ほどの待合室で俺たちは待機。どうやらすぐには生まれず、安納の妻は集中治療室から分娩室に移された。帝王切開するのか、自然分娩するのか気になったが、赤子の具合から自然分娩するようだ。
分娩室の外の椅子に白衣を着た安納と皆本が座る。俺たちは会話が聞こえるギリギリの距離。
「先輩には迷惑を掛けてしまいました。妻のことは私が見ますので。本当にありがとうございました」
安納は皆本にそう言った。
「信じられないかもしれないけど、君に一つ言わなければいけないことがある」
皆本は真剣な面持ちで安納に向き直る。安納は予想外の返答に不安な表情。
「君も議員なら、パーグアというものを聞いたことがあるだろう?」
「パーグア? あのよくわからない超能力者のことですか?」
超能力者という表現は微妙だったが、それがわかりやすいのかもしれない。
「そう。実は私がそのパーグアだ」
「えっ? 先輩がですか」
「あぁ。私の能力は他の人に自分の寿命を分け与えることだ」
安納はそこで大体を察したようだった。
『坤為地』は復活ではなく、命の肩代わり。寿命を分ける能力だったようだ。
「先ほど、君の妻に寿命を七時間分けた」
「じゃあ妻は、本当は、し、し」
皆本は頷く。
「死んでいた」
安納は頭を抱える。
「じゃあ、妻はもう一度死ぬんですか?」
「あぁ」
皆本は冷たく答える。
安納は皆本の両腕を掴む。
「妻を! 妻を助けてやってください!」
皆本は安納の背中を抱く。
「私にできるのは、私の命を渡すことだけなんだ」
そう聞いては、安納は何も言えない。他人に妻に命を渡せ、など言えるはずがない。
「君が許してくれるなら、私が命に代えて二人を預かり、愛す」
これはある意味人質も同然だ。だが、命というコストを支払うのは皆本なのだから安納も責めることはできない。
「何故、妻をそこまで? 自分の命など使わず見殺しにだってできた」
「先ほどの電車で、私は彼女に救われた。彼女が私を連れ出さなければ私は死んでいたと思う。あの勇敢さを尊敬したんだ。この人を死なせちゃいけない、とね」
電車内でのやりとりは俺たちにはわからないが、安納の妻による勇敢な行動で多くの人が救われたに違いなかった。
安納は俯いて長時間考え、ついに声を絞り出す。
「妻を、よろしくお願いします」
安納は泣きながら頭を下げた。
俺と古城戸は事の次第は知っていたが、改めて見ると胸に来るものがあった。
「こういう顛末だったのか」
俺がつぶやくと古城戸は目を潤ませていた。
「表向きには妻を略奪したように見せたのね」
「そうだな。世間に公表できる内容ではない」
「計算上は八十五歳くらいあった寿命のうち、三十年ほども分けたってことよね」
「ああ。生半可な覚悟でできることではない」
他人に自分の寿命を渡す。俺にそれができるだろうか。例えば古城戸に寿命を渡せるかを考えてみたが、きっと無理だろう。俺は結局のところ、誰も愛しちゃいない。
やがて午前四時になろうかというころ、分娩室から赤子の鳴き声が聞こえてきた。産まれたらしい。ガラス窓の向こうでは、赤子が取り上げられて臍の緒が縛られタオルに包まれる様子が見える。
看護婦が分娩室から出て、安納と皆本に大きな声で言う。
「女の赤ちゃんですよ!」
「やった!」
安納と皆本は二人して喜んだ。すでにどちらも父親の顔をしていた。
古城戸は俺の肩を叩いて、はしゃいだ。
「産まれた! ほら見て! キャーちっちゃい!」
二人はヘアキャップを被ると、競って分娩室に入る。安納の妻はサリンのダメージと難産からくる疲労で眠っていた。赤子のほうは幸いにもサリンのダメージはないようだ。元気に泣き声を上げている。
「妻は無事なんでしょうか」
安納は医師に訊ねる。
「かなりお疲れでしたので、熟睡されています。寝かせてあげたほうがいいでしょう」
安納は産まれたての赤子を見て涙する。小さな手足を触り、頭をやさしく撫でた。続いて皆本が赤子を抱く。そしてゆっくりと安納の妻が眠るベッドの傍に腰を下ろした。
それを見た古城戸は「チャンス到来」とつぶやくと、ポラロイド・カメラを『雷沢帰妹』で出す。出産の感動で仕事を忘れかけていたが、今こそシャッターチャンスだろう。
古城戸は分娩室の外から窓を二、三回ノックして安納を呼び出し、カメラを渡した。
「記念にどうぞ」
安納はカメラを受け取ると使い方を確かめるように眺めた。
俺たち警察身分の人間にとってはポラロイド・カメラは比較的身近なものだ。
TVドラマなどで事故や事件の現場を刑事が巨大なストロボのついたカメラで撮影しているシーンをよく目にするように、現場の写真を残すのにカメラは必須であるが、データの書き換えが可能なデジタルカメラは長く採用されてこなかった。その点、ポラロイド・カメラはその場で現像ができる上、書き換えができないため証拠として非常に信頼性が高かったのである。
最近では、書き込みのみ可能なSDカードを使ったコンデジ(コンパクト・デジタルカメラ)がようやく使われだし、ポラロイド・カメラは数を減らしつつある。
警察の中には鑑識検定というものがあって、検定項目には「撮影」がありカメラを使った車のナンバーを始めたとした接写技術の試験があるのだ。
「いいのかい?」
「はい、どうぞ」
古城戸は営業スマイルで応じた。
「ちょっと借りるよ。ありがとう」
そういうと安納は分娩室に戻って行く。
安納は赤子を抱いて妻の傍に座る皆本をポラロイド・カメラで撮影。貴重な写真がその場で現像されていく。
「その一枚はあげるから、私たちの分も一枚撮ってもらえるかしら」
と外から注文を出す。安納は頷いて、もう一度シャッターを切る。二枚目に撮れた写真とカメラを安納が古城戸に返す。俺もXperiaで同じ構図を撮った。
「カメラありがとう。君たちは妻の知り合い?」
「はい。同じ高校の先輩なんです」
古城戸はさらりと答える。十三歳のくせに高校生のフリをしやがった。しかしまぁ以前は秘書のフリもしたし、高校生でも通じないことはない。
「そうかい。妻にも伝えておくよ」
「はい。お身体お大事にとお伝えください」
安納は頷くとまた分娩室に戻って行った。俺たちの仕事は終わった。
娘にはサリンの影響は無かったようで、元気そのもののようだ。医者が、母親にはもしかしたらサリンが体内に残留している可能性もあるから、母乳などは与えないほうがいいかもしれないと伝えていた。
古城戸は写真を持ち帰るため、小さなウエストポーチを『雷沢帰妹』で出してそこに写真を入れた。
「さて、仕事は終わりだ。帰るか」
病院の廊下を古城戸と二人で歩きながら、考える。
通常、個人の写真のために特別国庫を使うなどありえないことだ。安納総理はパーグアがどういうものか知っていて、俺たちに依頼が来るようにした。自身の妻がパーグアによって命を救われた過去があった。だから写真を用意するといった小さなことにでも特別国庫の門を叩いたのだろう。
「安納総理が根回ししたのはそういうことか」
「元妻とはいえ、妻に命を注ぎ続けた人の寿命が尽きたのよ。最大限の協力をするに決まっているわ」
「安納総理、いや当時は総理ではないが、よく妻と別れることに同意してくれたな」
「まさに命を分けるんだもの、その人と暮らすべきでしょう?」
古城戸は手を後ろで組み、俺を見上げる。
「そう……だよな、命を共にするんだ。安納の妻は続けられない。どうして真実を話さなかったんだろう」
「由井薗君は、私から命を分けてもらったら、うれしい?」
俺はその質問を聞いて心臓が跳ねた。皆本の話に合わせるなら、古城戸と結婚することになる。だがそういうことを聞かれているわけではない。俺は冷静に考えてみる。
「申し訳なさで一杯になるだろうな」
「そうよね。うれしい、悲しいというより罪悪感のほうが大きいと思うの」
「命を奪った罪悪感か」
「そう。だから話さなかった」
俺はいつも古城戸に教えてもらって気づく。
「娘が起きたら忘れてしまうかな。なんせ赤子だ」
俺がそうつぶやくと、古城戸は間髪入れずに答えた。
「忘れない。愛の記憶は忘れないの」
そう答えた古城戸の顔はどこか自信に溢れている。
病院の出口に着き辺りを見ると、朝が近づいた新宿の街は白んでいた。空には半月が見える。皆本の魂がそこにいるからだろう。古城戸は『雷沢帰妹』でバイクを二台出す。
一台はメタリックマグネティックダークグレーのKawasaki Ninja400、もう一台はパールブレーシングホワイトのSUZUKI SKYWAVE400だ。古城戸は無言でNinjaに乗車し、エンジンスタート。Kawasakiのスポーティな機械音が朝のオフィス街に広がる。スリムなNinjaは女性の古城戸が乗ってもちょうどよいサイズだ。ジーンズにセーターというラフな格好なのに、そのままバイク雑誌の女性モデルになれる気がする。
古城戸はギアをローに入れると、二回空ぶかしをする。
俺はSKYWAVEに乗り、同じくエンジンスタート。心地よいSUZUKIサウンドが重なっていく。アクセルを軽く握りこんだだけで快感がシートを突き抜け、脳天に到達する。
二台は音を絡ませながら三月の肌寒い朝の霧の中を進んで溶けていく。
夢の中でも風を切るのは心地いい。SUZUKIのバイクから感じる鼓動も相まって、脳が喜ぶのを自覚する。
古城戸はついてこい、とばかりに速度を上げる。俺もアクセルを開け、古城戸の小さな背を追う。あいつは俺を振り返ったりしない。何故かそれを喜んでいる俺自身に気づいた。すぐにあたりは白んで俺は意識が遠のいた。
目を覚ますと午前二時だった。夢の中では一晩以上起きていたはずだが、実際は二、三時間しか経っていない。
横を見ると古城戸も起きて水を飲んでいた。小さな喉が上下する。
そういえば、喉がカラカラだと言っていたのを思い出す。
俺は目を擦りながら一言だけ伝える。
「最近、バイクの良さが少しわかってきたかもしれない」
それを聞いて、古城戸は花のような笑顔になった。
事務所に帰ったあと、古城戸はポラロイド・カメラで撮影した依頼の写真を『雷沢帰妹』で出した。俺も横からその写真を覗き込む。あの場面は今でも鮮明に記憶している。
「あーっ!」
古城戸が珍しく大声を上げたので写真を注視する。すると皆本の顔の部分に影。肝心な部分が撮影者の安納の指で映っていない。失敗写真だ。これでは依頼主に渡せない。
「他人任せはダメね。自分で撮るべきだったわ」
古城戸は参ったな、と頭を掻く。
「そういえば、俺も撮ったな」
尻ポケットからXperiaを取り出すと古城戸は期待の眼差しを向けてくる。そんな目で見られたら緊張するじゃないか。
俺はXperiaのアルバムを起動し、撮った写真を探す。
「あった?」
古城戸が急かしてくる。アルバムの一番上に目的の写真を発見。俺は安堵する。
「あった。これだな」
今度は古城戸が横から覗いてくる。髪の甘い匂いが俺の鼻腔に抜ける。
開いた写真は安納が撮ったものと同じ構図。ベッドに寝る安納の妻と、白衣とキャップをつけて横に腰を下ろし、赤子を抱く皆本。
「いいじゃない」
古城戸の声は弾んでいた。期待どおりのものだったらしい。
「この写真を古城戸の携帯に送っておくよ。プリントして渡してやればいい」
古城戸は首を振る。
「由井薗君が依頼者から話を聞いてきたんだから、由井薗君が渡すのが筋ってもんよ。別に郵送でもいいし」
「そうか。なら俺から送っておくよ」
「ええ。お願いね」
俺はその日の午後、携帯に撮った写真を印刷して依頼主である皆本聖子に郵送した。縦横の幅も合わせてあるし、現物と同じものになったと思う。
後日、届いた写真を見た皆本は、いたく感激し母親と号泣したという。母親もきっと少しづつ心を開いてくれるだろう。
二人が夢での出来事を覚えているのかはわからないが、古城戸は覚えているだろうと言っていた。だが、忘れていてもいいだろう。夢の中の出来事よりも、現実で愛を育んだほうがいいに決まっている。夢がきっかけかもしれないが、あの二人ならきっとそれが出来るだろうと俺は思った。
母親の残り時間は少ないだろうが、たとえ死のうとも、一度結ばれた絆は消えない。
皆本家が愛の絆で結ばれるのを目の当たりにして、古城戸はどう思っただろうか。あいつの能力を以てしても、愛を持ち帰ることはできない。あいつはまだ亡くした兄を愛しているだろう。どんなものでも手に入るのに、一番欲しいものが手に入らない。それがわかっているから、あいつはほとんど笑わないに違いない。
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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