三章 三 討伐開始
三
古城戸は政府に要請して、事前に饕餮を新宿の地下通路に移動させていた。もちろん通路のあらゆる出口は完全に封鎖してある。一般人は「工事中」となっていれば何を疑うことも無い。一日だけ我慢してもらわねば。
二十時を回った頃、俺と古城戸は新宿都庁前にあるパークハイアット東京ホテルに向かう。パークハイアット東京ホテルは、新宿パークタワーの三十九階から五十二階となっていて、フロントは四十一階にある。新宿近辺では最高級のホテルで、四十七階にはプールにフィットネスクラブ、四十五階にはスパがある。さらに上層階へのアクセスは別エレベーターに乗り換える必要がり、これは客室階のプライバシーを保つための設計で、俺たちにはうってつけだ。東京都庁舎に次いで高いこのホテルからの夜景は新宿・東京を一望でき、見下ろす摩天楼は現代の幽玄である。
今日もあの素晴らしいLEXUSを運転する。隣にはまた着飾った古城戸がいる。真っ赤なDiorのシルクドレスだが、古城戸の白い肌はシルクの滑らかさを遥かに超えた輝きを放つ。普段は地味な恰好やバイク用の服しか着ないから俺は余計に緊張してしまう。車の空間というものは不思議なもので、二人の距離が縮まる気がする。
「Diorにそんなドレスあったか?」
運転しながら俺が訊ねる。外を見ていた古城戸はこちらを向く。
「オートクチュールね。百五十万くらいよ」
ドレスってそんなに高いものなのか。女性の服の値段は予想がつかないな。
「それも夢から持ってきたのか?」
「もちろん」
「俺のスーツは自前だぞ。何か腑に落ちないんだが?」
「オホホ」
古城戸はわざとらしく手の甲で口を覆う。
バカな話をしている間にホテル前に到着。例によってドアマンが現れる。名前を告げてキーをドアマンに渡すと、ベルが俺たちを先導して四十一階のロビーに向かう。
小さな竹林の庭園や、間接照明にライトアップされた図書館のような空間を抜け、ようやくロビーに辿り着く。
「ようこそいらっしゃいました、由井薗様」
ロビーの受付は名乗っていないのにこちらの名前を知っている。ベルが事前に無線で伝えていたのか。こういったサービスには舌を巻くばかりだ。
通された部屋は今どきのホテルには珍しいキーシリンダー形式だ。重い金属音とともに開いた扉の向こうに広がるのは、スタイリッシュで機能的な空間となっている。
古城戸は部屋の真ん中にあるソファに優雅に腰を下ろす。ベルが下がると俺も部屋に入り、奥の窓際に進む。
「何度見てもすごいな。ここの景色は」
古城戸は何か言いかけたが、止めた。「そうね」とだけ返す。そしてスマホを出してドローンの確認を始めた。例によって事前にドローンを入れてある。ドローンの入れ方は単純だ。事前にサプライズプレゼントだから部屋に置いておいてくれ、と箱をホテルに送る。最高のサービスをしてくれるホテルだからそれくらいは朝飯前だ。あとはドローンが箱から飛び出して位置につくだけだ。箱の中にはヴィンテージもののワインも一緒に入っているから部屋に入ったターゲットは何も疑問に思わない。
「まだ部屋にはいないだろう」
俺が言うと古城戸はスマホを操作しながら返事をする。
「そうねぇ。レストランにまだいるわね。私たちも何かルームサービスとる?」
「いや、いらない。冷蔵庫の飲み物だけでいいよ」
古城戸はそっか、というとトイレに入っていった。あいつもトイレに行くんだなと思っているとすぐに出てくる。服装が、いつものラフな格好になっていた。
「なんだ、着替えたのか。綺麗だったのに」
「ドレスのまま寝るのもね」
俺はスーツで寝るというのに自分だけ着替えるとは。俺はもう黙ってスマホでカメラをチェックする。
二十二時を過ぎたが皆本親子はまだ部屋に帰ってこない。カメラを見ながら古城戸で時間潰しでもするか。
「兄貴はどんな奴だったんだ?」
古城戸はカメラを見たまま答える。完全に俺の暇潰しに気づいている。だが、話には付き合ってくれるらしい。
「やさしい人だったわ。 中国に孤児院を開いていて、よく現地で面倒を見ていたの」
それは初耳だ。十九歳で亡くなったのだから、俺より若いということになる。
「ほう。若いのに大したもんじゃないか」
「ええ。私も何度か現地についていったことがあるけど、孤児院の子達からはとても慕われて、先生と呼ばれていたわ」
「孤児院の運営なんて、どうやって金を工面していたんだ?」
「いわゆるベンチャー企業の社長だったのよ。 今でこそ普及しているけど、空間投影式プロジェクターを開発したの」
空間投影式プロジェクターとは、二〇二一年にEMOSから発売されたプロジェクターの一種で、従来は壁や布に投影していたものが、何もない空間に映像を映せるというプロジェクターだ。今はパソコンやテレビなどに利用がされている。
「兄貴が亡くなったのは二〇一四年だよな? それ以前から開発していたということか」
「ええ。当時はまだ実用段階には至らなかったけど技術的には完成していて、メーカーに技術提供という形で出資を受けていたの」
「兄貴が亡くなってからはその孤児院はどうなったんだ?」
「私が引き継いでる。何度か顔は見せているから子供たちも受け入れてくれたわ。もう大人になって巣立った子も多いの」
兄が運営していた孤児院を引き継ぎ、子供の成長を見守る。ある意味古城戸は母親となっていたのだ。俺にはそんなことはできそうにない。
珍しい話が聞けたところで、隣の部屋に皆本親子が帰って来た。部屋の絢爛さに驚く二人を眺める。
「すごい部屋! ドラマみたい!」
「見て! すごい景色! 綺麗ね!」
「ほんと! 写メ撮る?」
「撮る撮る! ちゃんと映るかな」
親子というより女子二人はレストランでかなり打ち解けたようだった。携帯で写真をとったり内装の写真を撮ったりしている。
その後は、洗面台に置いてあるイソップのスキンケアクリームなどのアメニティを手に取りあれこれ蓋を開けて臭いを嗅いだりしている。
「これどうやって使うの?」
「わかんない。完全に別世界」
二人は一応大物政治家の妻と娘のはずだが、こういった高級ホテルは経験がなかったのだろう。比較的庶民的な暮らしをしていたようだ。
ひとしきり部屋を堪能した後は、順番に風呂に入り、二十三時を回る頃にベッドに入った。
「よし、じゃあ俺たちも行くか」
俺がそう声をかけると古城戸は立ち上がってベッドに向かう。俺も反対側から向かい、ベッドに腰を下ろして横になる。潜行開始だ。
遠い光を目指す。その頂を目指すことしか考えない。昔誰かに聞いたことを思い出す。後ろには望天吼がいるから振り返ってはいけないと。
光の中に入ると黙となる。俺が俺である何かがそこでは全て。そうして、溶けあい、繋がる。
気がづけば、俺と古城戸はJR新宿駅にいた。俺は黒のスラックスに白のパーカー、古城戸はジーンズに黒いハイネックのセーターになっていた。季節は冬のようだ。
「さて、仕事の前にまず片づけるべきものがあったわね」
伊丹空港で襲ってきた魔物、盤古を返り討ちにせねばならない。
「都合よく来てくれるかな」
俺がそう独り言ちると古城戸は肩を回しながら返す。
「来るに決まってるわ。あれから潜入する度に来たもの」
そうか、古城戸はあの魔物の正体を調べるため、一人で何度か潜入したと言っていた。戦ったりはしていないだろうが、姿形などを観察してきたということだろう。
「新宿の地下に饕餮を置いたんだろう? ならそこに誘い込むってことだよな?」
「そのつもり。私たちは戦いを見届けて『ドア』で離脱するのよ」
饕餮もこの時間に睡眠をとることは事前に調査済みで、それに合わせた作戦となっている。基本的には近くで寝ていれば夢の世界で交わることができるので、新宿のホテルで眠っている俺たちは饕餮とも夢を共有しているのだ。
普段饕餮と一緒に闇にいるというNo.005も新宿地下街にいるそうだが、亀は夢を見ないので会う心配はない。
「盤古と饕餮が仲良しだったらどうするんだ?」
「まずないわね。饕餮は魔物だろうがなんでも喰うのよ。盤古が自分の縄張りに来たら戦いになるわ」
「最初に入るのは俺たちだろう? 先にこっちが襲われないかな」
古城戸は特に心配していなさそうだった。
「私たちの後に続いて盤古が入ったら、饕餮は私たちのような小さな獲物は放って大きいほうを気にするでしょ。だから大丈夫」
「そうか。これで上手くいけばいいんだが」
「饕餮が負けるようなら私たちも危ないわね」
「でもここは夢だから、盤古に殺されても起きるだけだよな?」
古城戸は首を傾げ苦笑いする。
「だといいけど」
今の古城戸の発言で肝が冷える。夢で死んでも現実では死なないのは経験済みだが、そうじゃない可能性もあるっていうのか? 廃人になったり精神的なダメージを負うのだろうか。いずれにせよ自分で試すことだけは避けたい。
「しかし、よくよく考えてみたら俺は一緒に饕餮の通路にいく必要はないんじゃないか?」
俺がそう漏らすと古城戸は腕を掴んできた。
「女の子一人を暗闇に放り込むつもり?」
逃がさんぞ、とばかりに俺を睨みつける。もはや手遅れだ。完全に巻き込まれた。
「わかったわかった。無事に帰ったらボーナスでも出してくれ」
俺がそういうと古城戸は手を放した。そうして周りを確認しながら歩き出す。
俺たちが饕餮が閉じ込められている新宿地下街の上を歩き回ること十分、真冬の道路で突如吹いた陰風に俺と古城戸の足が止まる。この風は良くない風だ。前方に黒い影が蠢くのが見えた。
「む」
古城戸も気づいたようだ。
「おいでなさったわね」
「あのD3番口から降りるぞ」
「了解」
各地下街への入り口は外側から閉められるドアになっていて、俺たちが饕餮のエリアに入る際に開けることができる。入ったあとは自動的にロックが掛かり、中から開けることはできないが、出る時は『ドア』で出るわけだから、入った後のことは今回は考えなくてもいいだろう。古城戸は命綱を取り出すと、俺と自分をつなぎ、二、三回引っ張って外れないかを確認した。この命綱がないと生きて帰れない。
そうこうしているうちに、盤古が接近。道路を走る車を吹き飛ばしつつ向かってくる。俺と古城戸は走ってD3番口から地下に侵入。扉の前で盤古が追いつくのを待つ。
やがて、黒い巨体が蜘蛛のように地下通路を迫ってくる。
「よし、ゴー!」
俺は扉を開き、宇宙空間のような闇が広がる通路に足を踏み出す。とたんに何も見えなくなり、俺は恐慌を起こしそうになる。古城戸とは命綱でつながっているので、あいつも入っているはずだが、まったく見えない。盤古もおそらくはドアが閉じる前に俺たちを追って入ったに違いない。
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
記載されている会社名および製品名は、各社の登録商標または商標です。




