四代将軍源とも、虎ノ威ヲ借ル女狐!
さてさて、四代将軍源とも、であります。
女だてらに武家の棟梁、征夷大将軍!
動けば疾風、発すれば雷鳴!
英姿颯爽・清廉潔白・品行方正・天真爛漫・奇妙奇天烈・摩訶不思議!
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花!
本邦初!唄って踊れる殿上人!
人呼んで「時の女」
ご存知、四代将軍源とも外伝!
始まり、始まりィーっ!
画面いっぱいに虎が描かれている。獰猛な面構え、鋭い牙、いまにも獲物に襲いかからんと、咆哮が響いてくるようであった。宋の絵師・快福の筆。左大臣・九条道家自慢の一品である。
左大臣・九条道家!帝の外祖父として絶大な権力を掌握。万民がひれ伏し、「治天の君」院までもが遠慮する。忌々しい武家の出現で「この世を我が世・・・」とまではいかないが、天下人の自負はある。各地から続々と貢がれる宝物は栄華の証明。道家は満足であった。そしてそれを己の胸の内に留めておくような勿体無いことはしない。豪壮な自邸「九条殿」に客を招き、絢爛豪華なお披露目となる。ひとびとは煌びやかな宴に度胆を抜かれ、阿諛追従の雨アラレ!
四代将軍源とも、左大臣道家に招かれ九条殿にやってきた。
「治天の君」院と左大臣は激しく対立している。方や帝の父宮、方や外祖父。婿舅でありながら相容れない、水と油。むしろ幕府なんぞよりも余程、不倶戴天の敵!こういう不毛な内輪もめをしてるから、武家に天下を簒奪されるのだが・・・
ともは明確に院に与する立場。道家にとって紛うことなき政敵である。ともの出現によって宮中の均衡は崩れた。ともの人気は絶大!左大臣は院の勢力に圧倒されつつある。憎んでも憎み切れない。たかが、武家の、妾の、しかも女子の分際で!
しかし左大臣道家、ともを頻繁に邸に招く。この目障りな女子をどうにかせねばならぬ。できれば懐柔したい。「人気」というものが、これほど摩訶不思議な力を持っていたとは。一方的に悪玉にされてしまった道家は身をもって痛感している。世界の総てが敵に回るのだ。この恐ろしさは経験せねば判るまい。反対に院にとっては嬉しい誤算であろう。「時の女」は何をやっても好意的に受け入れられる。おそらく当の四代将軍ですら思いもよらぬ事態だろう。できることなら、この魅力的な人気を掌中にしたい。が、叶わぬのであればその「人気の座」から引き摺り下ろしてやる。左大臣は虎視眈々と、ともを狙っている。
左大臣道家の腹の内はどうあれ、ともは招かれれば九条殿へ足を運ぶ。
「狸がまたどんな罠を・・・」
院の側近、二位法印や卿ノ局は懸念するが、正式な招待を断る謂れもない。ともは何処吹く風、屈託ない。
「いくら左大臣が極悪非道の助平親父でも、己の邸で、白昼堂々、衆人環視の下、可憐な乙女!に狼藉を働けましょうや?」
左大臣は気色悪い。確かに気色悪い。本当に気色悪い。生理的に合わぬ。が、四代将軍としては敵に後ろを見せるわけにはいかぬ!それはそれとして、九条殿へ行けば珍しい宝物や、異国の歌や踊りが観られる。ご馳走も出る。面白いところなのだ。かくて、周囲の懸念をよそに、ともは意気揚々と出かけるのでありました。
ともは大広間に飾ってある例の虎の屏風に足を止めた。「ほぉ」と感嘆、しばし凝視。
ここぞとばかりに左大臣道家はすり寄って気色悪い猫撫で声で講釈を垂れるのだ。
「いかがですかな?これが“虎”です。唐天竺にはこのような恐るべき獣がおるのです。ホレ、まるで生きているようではありませぬか。宋の名高い絵師・快福の筆によるものですぞ。牙や爪が鋭く獰猛で、牛や馬、そして人間をも襲うのです。御覧あれ、額の縞模様が”王”の字に見えるでしょう。これこそが王者の印、虎は“百獣の王”と呼ばれる。ほほほっ将軍様にはチト怖いものでしたかな?」
ともは纏わりつく左大臣からツツツと距離をとる。
「本当にこのような姿をしているのですか?」
道家、いささか面食らった。
「目立ちすぎはしませんか?」
「あぁっ?」
「こんなに大きくてその上黄色に黒の縞では、遠くからでもハッキリと判りますよ。獲物だって、ただ襲われますまい。警戒するでしょう。そこへこの巨体に文様、すぐに気づかれ逃げられはしませんか?」
九条道家、何とも返答のしようがない。
ともはしばらく虎を眺めていたが、やがてニッコリ頷いた。
「成程。獣の王者、大将に相応しい装いをしておるのですね。そうかぁ、正々堂々と襲うんだ。名乗りでも上げますかな?」
宴が始まった。多数の公家、僧侶や武家の姿もある。それぞれが贅を尽くした饗応を驚き持って楽しんでいる。
屏風の虎が話題となった。恐ろしや、まるで生けるが如くとの評判に道家はご機嫌。
「この虎は生きておりますぞ。夜な夜な屏風を抜け出し牛馬を襲うので難儀しておる」
珍しい左大臣の軽口に座が響く。
「それで何とかせねばならぬが・・・さて、この虎を如何に退治する?」
道家は家人・司馬実を差し招く。司馬は弓の名手。武を持って九条家に仕えている。
「近寄っては危険であります。矢で倒します」
ふむ、と道家は肯いた。成程、ひとびとは司馬の冷静な受け答えを頼もしく思った。どうだ、当家はこのような剛の者を抱えているのだぞ。そうして座敷を見渡すと、隅の方で、ともが白拍子達とはしゃいでいる。
「これこれ将軍様、そのような者に酌などせずとも・・・それよりこちらへ。今、面白い話をしておりましてな。この屏風から虎が抜け出て暴れて困っております。退治していただきたのだが、将軍様ならどうなさる?」
ともはキョトンとしたが小首を傾げてニッコリ笑う。
「屏風から虎が抜けて出る?はてさて、それは奇怪、面妖な。牛や馬を食べる?ほう!困りましたな。でも今は屏風の中にいますね。屏風は紙と木だからこのまま燃やしちゃったらどうですか?」
一同、ドッと沸いたが、道家はムキになった。
「そうではない。如何に虎を退治するか、手立てを問うておるのだ。例えばここの控える当家の司馬実は、弓矢で射ると申しておる」
「ははぁ、遠くから、ですか」
この調子が、司馬の癪に障った。血相を変え、ともに詰め寄る。
「四代将軍様、将軍といえば武家の棟梁。当然、武芸にも精通されておられますな。一度、ご披露願いたい」
周囲は袖を引いたが、司馬は構わない。
「弓も満足に引けぬ者の下知を誰が訊こう」
ともはクスッと笑った。
「成程、ともには皆様方のような太い弓は引けませぬがの。武芸はあくまで芸。まぁ上達に越したことはありませんが、実戦で役立つかどうかは別問題」
「なんと!聞き捨てならぬ」
居合わせた武者共はいきり立った。司馬実、庭へ駆け下りるや、いきなり天に向かって弓を放つ。ひょう!鋭く風を切った矢は、嗚呼、何と!雑木の枝から飛び立ったカラスを物の見事に貫いた。一同、どよめく。まさに驚嘆すべき腕前である。
「これが役に立たぬとは!」
司馬実は怒りを込めて、ともを睨み据えた。とも、平然。
そのうち、司馬に射抜かれ粉砕されたカラスが運ばれてきた。ともは瞑目し手を合わす。
「白々しい!」
「ともはこれでも“春香”という出家でしてな。無益な殺生は好みません」
ところでと、ともは司馬を見据えた。
「司馬殿は、何故カラスを射ったのか?このカラスに何か遺恨でもおありか?それとも司馬殿はこのカラスを殺さねば、己の命が危うい場合なのか?何らかの意図でもあればお教えいただきたい。まさか自らの技量を誇示せんために?いやいや、それではカラスは無駄死。それはなりませぬ。さて、このカラスをどうなさる?食べるのか?ならば、お食べなさい。どう調理なさる?ともは悪食であるがの、カラスはまだ食ったことがありませぬ。美味いのか?そもそも、カラスなどは強弓で射貫かねば倒せぬような生き物ではありません。御覧なされ、粉々になり元の姿を留めておらん。過ぎたるは猶及ばざるが如し。物事には限度がある。その場に応じた力を適切に使い分けねば、せっかくの武芸も何の役にも立ちませぬ」
ともは、ゆっくりと立ち上がった。
「戦には相手がありますからな。どんなに強い弓が引けようが暴れ馬に乗れようが、敵を倒さねば意味がない。ともは司馬殿のような力はないが、どんな相手でも倒してみせますぞ」
例えばと、ともは奥の屏風に目をやり、
「あの虎を一撃で倒してご覧にいれましょうか?」
居並ぶ者はおろか、左大臣道家までも驚愕!頬を引きつらせ青ざめた。
「やれるというなら、やってみせいっ」
屏風が庭に出された。ともは素足で降り立ち、屏風から二間程離れゆっくりと半弓を構える。意外な展開。一同固唾を呑むも、とも余裕綽綽。緊張の様子はまるでなし。念じる風でもなく、扇子でも飛ばすような気軽さで、ふわっと弓を放った。すうっと緩やかな放物線を描いた矢は、嗚呼なんと!寸分違わず虎の右目を貫いたり!
おおぅ!何たる神技!司馬実、思わず土下座。
「虎は巨大で力が強く牙も爪も鋭い。接近戦は危険なので遠隔から攻撃は理に適っておりましょう。ただ、弓矢は人間を殺傷する武器。至近距離ならともかく、厚い毛皮で覆われた獣に効くかは、はなはだ疑問。闇雲に当たれば良し、とはなりませぬ。急所を狙わねば。目は急所です。一寸突かれただけでも痛いですからな。人間も獣も弱点は同じ。そこの一点を的確に貫けば、力などいらぬのです。そして何より光を失う。いくら鋭い牙や爪を持つ虎と云えど、闇の中では駄馬にも劣る。戦えますまい。・・・ところで、左大臣様、大切な屏風、瑕疵させてしまい申し訳ありませぬ」
左大臣道家は呆然と立ち尽くすのみ。「かまわぬ、天晴である」と、ようやく絞り出すように首肯した。
「四代将軍源とも、屏風ノ虎ノ右目ヲ射抜ク!」
帰路についても人々はまだ興奮状態であった。
流石の荒法師・善行も息を弾ませ「お見事でした!」
その様子を、ともはしばらく眺めてから「あのなぁ、善行」とポツリと言った。
「司馬実は空を飛んでいるカラスを射落としたんだぞ。あんなの初めて見たわ。ビックリして腰を抜かした。あっちのほうがよっぽど凄い。それに引き換え、あの虎は絵だぞ、絵!しかも屏風いっぱいに描かれておる。動くわけでなし、矢もスグ近くから射た。あんなもん、虎じゃないところに当てるほうが難しかろ?」
「しかし・・・」
「善行は虎を見たことあるか?なかろう。とももない。左大臣だってないだろう。それどころか文章博士や北嶺南都の坊主共だって、虎なんぞ知るまい。見たことも聞いたこともない虎が、どんな獣であるかか判らんだろ。だったら虎の何処に矢が当たっても、尻尾だろうが腹だろうが、ホレその一点が虎の急所でございます。ここをたとえ針で突いたとしても虎はたちどころに絶命いたします。宋の“南蛮獣王之誌”という書に載っておりますと、ともが言ったら、あの場で否定できるものは一人もおらん。そなた、“南蛮獣王之誌”を知ってるか?」
「はて?聞いたことはありますが・・・」 善行は首を捻った。
「ウソつけ!ともが今作ったんだぞ。・・・そんな知ったかぶりの連中ばかりだから楽なもんだ。矢は虎に当たりさえすれば良かったんだよ。当たったところが、即ち虎の急所だ」
「と、虎の右眼を見事に・・・」
ともは、小首を傾げて一寸顔を赤らめた。
「そりゃまぁ、何処に当たっても・・・尻でも鼻の穴でも、ともはここが虎の急所ですって言い張るけどな。どうせならそれらしいとこに当てたいだろ?」
本当は眉間を狙ったんだがハズれちゃった・・・
ともは空を見上げて溜息を吐く。ヒバリがさえずっていた。
四代将軍源とも、数ある異名のうち一際異彩を放つ、
「虎眼姫」由来の一席、これにて!
ありがとうございます!ありがとうございます!
またの機会をご贔屓に!
それでは皆様、ご機嫌よう!