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四代将軍とも外伝  作者: 山田靖
六波羅夜話
32/33

四代将軍源とも、未来ヘノ咆哮!

 都の鬼門、北嶺に国家鎮護の道場“山門”がある。ここにひとりの老人が居た。

 老人は往来に行き倒れたところ、保護された。驚いたことに酷い拷問を受けている。目を潰され舌を抜かれ鼓膜を破られていた。よわい傘寿さんじゅに喃々とす翁ではないか。如何なるとががあろうとも度が過ぎている。許されることではない。山門の学僧・伸晃しんこうは義憤に駆られた。以来、ずっと世話をしている。

 老人はかくも無残な境遇にありながら落ち着いていた。だが、意思疎通の手立てがない。ふと、伸晃は気づいた。人品卑しからぬ物腰、余程の教養と推察される。文字が判るのではないか?伸晃は老人の掌に指で「ナマエ」と書いた。彼はハッと顔を上げ即座に伸晃の掌に返す。

「タイラノモトモリ」侍か!手掛かりが掴めた。やや長い文を綴る。

「ココハ山門。ワレ“伸晃” 安心セヨ」

 老人は喜色満面、何度も肯く。伸晃の掌に本字で見事な筆跡で名乗りを上げる。

「平元盛、四代将軍・源朝子みなもとともこ家人」

 それからは夢中。伸晃と元盛は堰を切ったように寝食を忘れて互いの掌で“会話”した。


 五十年も前のはなしである。

 承久元年四月、西面の武士・平五郎良治たいらのごろうよしはるは仙洞御所に召された。いん直々に六波羅ろくはらへの出向を命ぜられたのだ。四代将軍源朝子の警護であった。

この正月に将軍・実朝さねとも暗殺。鎌倉は混沌、尼御台・北條政子ほうじょうまさこを暫定将軍に就け沈静化を図った。執権・北条義時ほうじょうよしときは傲慢にも、朝廷に対し新将軍に皇族を要求。なんたる不敬!朝幕関係は一気に悪化した。風雲急告ぐ中、突如名乗り出た女人!正二位右大将・頼朝よりともが忘れ形見、源朝子!劇的な登場であった。朝廷は源朝子を後見。清和源氏主流河内源氏将軍家相続を認める。更に朝子は女だてらに「四代将軍」として六波羅に「幕府」を開き、鎌倉と真っ向対立したのだ。

 源朝子は、頼朝公最晩年の子という。母は大和の白拍子。西面の武士達は、甚だ不満であった。我々は武をもって禁裏に仕える身。何の因果で卑しい武家の女子おなご、しかも私生児になぞ、かしずかねばならんのだっ!朋輩の橘善行たちばなのよしゆき・佐々木広綱ささきひろつなは声を荒げて反発。しかし、筆頭格の藤原秀澄ふじわらのひですみが説得した。

「我等の任務は警備にあらず、監視である。源朝子は武家側からの人質なのだ」

 初のお目見えは修羅場であった。西面の武士共は敵愾心剥き出しに睨みつける。ところが豈図あにはからんや、この長身の女主人はニコと笑ったのだ。小首を傾げる様がいかにも無邪気。途端に男達は戦意喪失。ひとりひとり名乗り上げると、嬉しそうに頷いて親しく言葉を交わす。

 良治の番だ。源朝子は“平”姓に「きゃっ!」と大喜び!

「ひょえーっ?!平氏のクセに源氏に仕えるか!栄枯盛衰、時勢とはいえ残酷であるの。ねぇねぇ、今どんな気持ち?悔しい?憎い?」

 いくら良治が「代々朝廷に仕える越後平氏であり、所謂伊勢平氏とは別流。何の縁もありませぬ」と訴えても聞かばこそ。

「不倶戴天の仇敵・源氏末裔の寝首を掻く為、潜入した復讐の鬼!」

 などと勝手な話を捏造、あまつさえ「平元盛」なる名まで下された。当初、源朝子の“朝”の一字を与え「平朝盛たいらのとももり」としたが、かの権中納言知盛ごんちゅうなごんとももりと同音なるを憚りひっくり返して“もと”主を転覆せんとす呪い。「元」の字を当て“げん”すなわち“源”にも通ずる。平氏が源氏を呑み込む叛逆の命名「平元盛」!

 いやどうにも牽強付会、妄想が過ぎる。しかし“平”というだけでここまで盛り上がれるものか・・・良治は迷惑通り越して呆れた。お構いなく源朝子は家中にも「元盛」と呼ぶよう厳命!良治は嫌がったが、以降「元盛」で定着してしまった。

 それから、六波羅での日々が始まった・・・


 伸晃は大興奮!初めて知る事実、生々しい内幕がそこにあった。源朝子、四代将軍、六波羅幕府・・・どれもこれも正史にない。しかし承久の大乱の隠された発端。目の前の老人が生き証人である。元盛の回想は鮮明であった。贔屓目もあろうが、源朝子の何と魅力的なこと!伸晃は記録に残そうと決意。掌に指で字を書く“会話”は足掛け三年にも及んだ。裏付けや補完に、当時の公文書・公家や僧侶の日記・伝承等、片っ端から収集。そして「四だいしょうぐんの乱」檄文、幕府側史料「洛中覚書」、創作色の強い「源とも物語」までも入手した。伸晃は膨大な時を費やし、丹念な取材と綿密な考察を重ね、源朝子の事績を纏めた。

「四代将軍記」である。



 山門の法眼大僧都・磯部いそべは異色の武家出身、豪放磊落な快男児!それでいて経理に明るく渉外に優れている。説法が軽妙洒脱、門徒にも人気があった。親分肌で面倒見がよい。貧農の出である伸晃なぞ、どれほど世話になったか。

 伸晃は「四代将軍記」を師・磯部へ真っ先に提出。磯部には恩がある。この著作にしても陰日向に応援してくれた。上梓を誰よりも楽しみにしていたであろう。しかるに伸晃が息せき切って差し出した労作を、磯部は「預かりおく」とのみ。伸晃は困惑した。「四代将軍記」は公開したい。北嶺のみならず南都・五山・大学寮等、広く世に問うつもりだ。そして叶うならばみかどの叡覧をも望んでいた。しかし、以来、沙汰がない。

 七日目、遂に伸晃は磯部に詰問!

「“四代将軍記”御覧いただけましたでしょうか?」

「うむ、面白かった」

「では、早速写本に取り掛かりたいのですが・・・」

 そうであったな、と磯部は手を振り「今しばし待て」と伸晃を下がらせた。

 ところが翌日から磯部は都へ発ってしまい、もう三月も帰らない。こんなことはかつてなかった。



 椿事が勃発した。

 驚天動地の物語が洛中で大評判!「四代将軍記」!


 “承久の大乱の折、四代将軍源朝子なる女傑が帝にお味方!幕府北條を手玉に取って大活躍!”


 民衆は熱狂!しかし幕府は即座にこれを発禁とした。六波羅探題によって作者は拘束。見れば何と山門の大僧都・磯部ではないかっ!思いもよらぬ大物。鎌倉と北嶺は微妙な緊張関係にある。探題は事の荒立てを避け、磯部を処分保留で所払い。山門は磯部を破門とした。



 伸晃は何が何だか判らない。

 尊敬する磯部が「四代将軍記」を自著と発表してしまった。伸晃の手柄は盗まれたのだ。許されざる裏切り!伸晃は哀しかった。名利を求めていたのではない、真理を追究したのだ。それを醜い欲望に穢された。「四代将軍記」は没収、磯部は追放された。因果応報であろう。しかし伸晃の憤激は収まらぬ。だが、一介の学僧の訴えを誰が聞こう。何より「四代将軍記」が抹殺されたのだ。長年の苦労が水の泡。残念無念!伸晃は遣り場のない怒りに、ひとり悶々とした。こんなことになろうとは!最早、何も信じられない。



 しばらくして、都から妙な噂が流れてきた。

 禁断の書、磯部作「四代将軍記」の写本が好事家の間で密かに出回っている。その驚愕の内容とは!


 源朝子は源右大将頼朝公の末子である。兄将軍実朝暗殺後、颯爽と名乗り上げ、朝廷にお味方。「四代将軍」として「六波羅幕府」を開き、鎌倉と激しく対決するのだ。敵は北條のみならず、山賊・海賊・異教徒等々。更にはぬえを退治し竜を捕獲す。地獄では平大相国清盛へいだいしょうこくきよもりと大戦争!未来や過去にも自由自在。竜宮・月世界・天空・小人国を漫遊。琉球から唐天竺へ渡り遂には中原を制圧、「げん」を建国し女帝となる。「元」は「源」に通ずる!左様、先年の「元寇」は「”源”寇」である。源氏朝子と平氏北條の合戦だったのだ!


「何なのだ、これは!」

 伸晃は開いた口が塞がらない。あまりに荒唐無稽!そして伸晃のものとは全く“別の物語”ではないかっ!許せぬことに磯部は「四代将軍記」を完全に私物化した。あろうことか、海賊に己の名を冠し“磯部治郎丸いそべじろまる”として登場せしめている。そもそも海賊・治郎丸は、源朝子の創作である。その名は田楽一座の同僚、元雅楽師より採っている。それを改変し、あまつさえ転生したのが即ち我、法眼大僧都・磯部様であるぞ、とまで詭弁を弄しておる。何たる傲岸不遜、何たる顕示欲であろう。伸晃は激しく嘔吐した。



 北嶺山門座主法印大僧正は自室に伸晃を召した。座主は書類箱を示す。中には何と「四代将軍記」伸晃の著したもの!

「これはっ?」

「法眼より預かった。この書は門外不出とす。閲覧も座主立ち合いの下、この部屋でのみ。写しも許さぬ」


 平元盛の存在が鎌倉に知れた。幕府は引き渡しを強要。無論、山門はこれを拒否。「ひとを救うが出家の道」たとえ罪人であっても“窮鳥懐に飛び込まば猟師もこれを撃たず”まして老人、不具ではないか。しかも元盛に凌辱を加えたのは他ならぬ其方共であろう。そもそも仏門には武家に潜在的な反発がある。屈する訳にはいかぬ。

 方や、六波羅探題も執拗であった。山門が元四代将軍家人を匿っていることのみならず、証言の公表計画まで掴んでいた。場合によっては北嶺に出兵も辞さず。

 一触即発!

 この期に及んで法眼大僧都・磯部は都に上り「四代将軍記」を大量に流布したのだ。

 無論、即座に捕らえられた。しかし磯部は六波羅探題・土本和伸つちもとかずのぶに対峙、堂々たる論陣を張った。

「承久の大乱より五十年。既に歴史的事実である。帝に武家が大逆なぞ、日の本開闢以来未曾有!何故、このような事態に陥ったか?綿密な調査と検証がなされねばならぬ。それが次代である我等の責務である。平元盛は貴重な生き証人、断じて渡さぬ」

 ニヤリ、土本はせせら笑った。

 ご高説は謹んで拝聴いたしますがの。

 巷間賑わす「四代将軍記」、あれが“貴重な生き証人”の歴史的事実とな?

 女子が将軍はまぁ良しとして、風水を操り時空を飛び幻術を駆使!鵺退治に地獄堕ち。唐天竺から果ては蒙古で“源氏の国”を建てたとか。何か?あの“元寇”は古希の婆様が復讐にでも参ったと?神風に吹っ飛ばされおったな。馬鹿馬鹿しいにも程がある。こんな戯言を法眼殿は鵜呑みになさるのか?左様、平元盛は確かに実在した。が、山門にうずくまっている爺は偽者!でなければ狂人であろう。

 真面まともに相手をしておれぬ。土本はあえて寛大な処置を取った。磯部の信用は地に堕ちた。最早、誰も耳を傾けまい。後は山門がよろしく断罪しよう。


 磯部は元盛を護った。そして山門を伸晃をも護った。なにより「四代将軍記」を護ったのだ。偽の物語で「四代将軍記」に価値なしと、幕府を欺いた。

「時期を待つのだ。盛者必衰。北條の世、決して長くはない」

 確かに幕府は強大である。蒙古襲来を二度までも撃退した。だが見よ、山河は荒廃し民は疲弊している。論功行賞を巡って御家人に不穏な動きもある。武家の天下とて盤石ではないのだ。いつの日か、誰憚ることなく満天下に「四代将軍記」を開示できる世となろう。その時こそ、貴賤問わず老若男女が「源朝子」の活躍に心から喝采するのだ。

 それまでは忍従、雌伏せよ。「四代将軍記」を完全な形で後世に伝える為に!



 伸晃は滂沱の涙、慙愧に堪えない。師を疑ったこと、忸怩たる思い。嗚呼、真実は無謬ではなかった。曲げられもすれば闇にも葬られる。

 闘わねば!伸晃は作業を再開した。まだまだやるべき事、元盛に訊くべき事は山積み。


 源朝子、実は田楽一座の踊り子”玉”であった。

 元盛は頑強に頼朝公ご落胤を譲らないが、幕府側の資料そして玉本人の覚書で確定した。覚書は断片のみだが、それでも玉が周到に計画していたことが判る。驚くべきことだが、この女子の妄想に、幕府が朝廷が天下が振り回された。

 源朝子は末法の世に現れた“転換期の徒花”であった。この国は大乱を境に激変した。武家の勃興、民衆の躍進、仏法や文化に至るまで。その当時の状況・世相等も詳細に掘り下げたい。また周辺の人物、元盛や朋輩衆に藤原梓子ふじわらあずさこ等についても記していこう。激動の時代を精一杯生き抜いた彼等の証を残してやらねばならぬ。

 それが伸晃の使命なのだ。汚名に甘んじ“真実”を護った師・磯部に報いん為にも!



 その日も何時ものように、伸晃は元盛と“会話”していた。元盛には事件を一切伝えていない。だが元盛は、伸晃の僅かな心の動揺を見逃さなかった。俄かに伸晃の手を握るや「迷惑ヲカケタ」と綴る。伸晃、慌てて否定。

「然ニ非ズ。皆、喜ンデイル。心配ニハ及バヌ」

 翌日、老人の姿は消えていた。


 “四代将軍源朝子家人・平五郎良治元盛、山門ヨリ出奔ス”

 伸晃は狂ったように探し回ったが行方が知れぬ。伸晃は天を仰いで慟哭した。

「磯部師、元盛殿・・・私にひとりでやれと申されるか?」


「四代将軍記」について従来より、様々に詮議されてきた。

 断片的な内容は「続・源とも物語」「なでしこ公方様異聞」等に流用されている。が、それだけでなく“源朝子の真実”が語られた異本の存在も根強く囁かれていた。

 近年になって山門大改修の際、偶然にも鎌倉中期に編まれた「四代将軍記」原本が発見される。著者は“伸晃”とあった。源朝子家人・平元盛の証言を軸に構成され、歴史を塗り替える驚愕の真相が記されていた。

 この幻の書「四代将軍記」定本全三巻別巻一が刊行されたのは、ようやく令和に入ってからである。

 承久の乱より実に八百年の時を経ていた。


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