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四代将軍とも外伝  作者: 山田靖
六波羅夜話
30/33

四代将軍源とも、白イ部屋ノ謎!

 承久三年五月、「治天の君」いんは、遂に「北條義時ほうじょうよしとき追討」の宣旨を下された。幕府はただちに反撃。総勢十九万が京に攻め込む。史上初、武家がみかどやいばを向ける下克上。いくさは鎌倉軍の圧倒的勝利に終わる。帝退位、院は島流し。多くの公卿、また京方に与した武士の殆どが斬られた。反幕府勢力は根こそぎ一掃され、ここに北條氏の覇権は絶対的なものとなった。

 貞応元年初夏、六波羅ろくはらをひとりの老人が訪れた。

 石垣吉圀いしがきよしくに、永らく京都大番役に在った。此度の戦で京都守護・伊賀光季いがみつすえは討死、吉圀も手傷を負うた。為に、郷里の長岡に隠居する。離任の挨拶に立ち寄ったのだ。

 幕府軍総大将として朝廷方を大いに破った北條泰時ほうじょうやすときはそのまま都に陣取り、戦後処理と治安維持に当たっている。その際、京都守護を廃し、探題たんだいに改組。

「そなたのような能吏を手放すのは惜しいが、齢には勝てぬか・・・残念である」

 泰時は餞別を贈ったが、腹は別であろう。吉圀の見るところ、泰時は才気に満ち溢れている。幕府の屋台骨を背負う北條家の惣領!戦勝で昂っていることもあり「この機に総てを己の手で刷新する」という強い意志を感じるのだ。吉圀のような古参は、今の泰時には不要、邪魔でしかない。潮時であった。

「時代は変わったのだ!」

 泰時は探題をあえて六波羅に置いた。かつての平大相国清盛へいだいしょうこくきよもり夢の跡、栄華の地。正に天下人の館である。継承者は平氏である北條こそ相応しい。ようやく取り戻した。ここから総てを破壊し、総てを創造する。


 六波羅には禍々しいネズミが潜り込んでいた。

 四代将軍・源朝子みなもとともこ

 何と忌まわしき名!先の大乱はひとえに、この女が元凶であった。朝廷も幕府も、天下がこの女ひとりに攪乱された。信じられぬことだが、その登場から失脚まで僅か半年余。彗星のように現れ、疾風の如く去って行った。しかし、被害は甚大!京都守護が解体されたのも、吉圀が退隠に追い込まれたのも、総てこの女の所為なのだ。


「最後に今一度、見ておこう・・・」

 吉圀は屋敷の最も奥まった座敷に向かった。中央の庭に面した閑静な場所。そこを通り抜けると物入れのような隙間がある。細長く狭い。ところが、源朝子は何故かここで起居していた。広大な屋敷の中で、わざわざ・・・現場に立ち入り、吉圀は溜息を吐く。

 源朝子はこの部屋で自害した・・・


 四代将軍源朝子失踪には、多くの謎がある。

 源朝子は幕府北條への挑発を繰り返していたが、遂に実力行使に及ぶ。源三郎みなもとさぶろうを斬殺!三郎は頼朝よりとも公遺児、腹違いの兄にあたるハズではないか。そして敢然と朝廷に「北條義時追討」を建白したのだ。しかし拒絶され六波羅に戻ったところを、北面の武士・藤原秀康ふじわらのひでやすによって拘束された。以後、源朝子の消息は途絶える。公式には病没と発表。だが、遺骸もなく葬儀も執り行われない・・・

「源朝子は自室で、侍女の藤原梓子ふじわらあずさこと刺し違えた」

 秀康の供述である。

 朝子は私物一切を没収され、厳重に監視されていた。が、梓子が懐剣を忍ばせていた。ふたりきりになった僅かな隙、刃傷に及ぶ。異変に気づいた秀康が駆けつけたが、両名は既に事切れていた。部屋中に夥しい鮮血、身の毛もよだつ惨劇・・・

「天井や柱の血は入念に拭き取り、敷物も取り換えた。死体は深夜、荼毘に付し遺骨は床下に埋めた・・・」

 しかし、屋敷内外隈なく掘り返したが骨はおろか、髪一筋・爪の欠片すら発見されず。源朝子は煙のように消えていた。



 源朝子は突然、本当に突然、この世に出現。天から降ったか、地から湧いたか。都に姿を見せるまで一体、何処で何をしていたのか?


 “源朝子は、将軍頼朝公の末子。母は京の白拍子「とき葉」、継母・北條政子ほうじょうまさこに苛められ、命辛々脱出。悪辣非道北條の陰謀で、父頼朝も二人の兄も非業の死を遂げる。将軍家断絶!あわや北條独裁に待ったをかけたのが、源朝子!清和源氏主流将軍家を継承し、四代将軍として巨悪と対峙するのだっ!”


 四代将軍源朝子の「伝説」である。朝子在世当時から広く天下に流布された。のちに「源とも物語」に纏められる。あろうことかあるまいことか、作者は何と、源朝子自身!矛盾だらけの、何と薄っぺらい、お粗末な創り話!ほとんど九郎判官義経くろうほうがんよしつねをなぞっている。加えて、源平の逸話や物語・説話・伝説・昔話まで・・・それらをごちゃ混ぜにし、換骨奪胎・羊頭狗肉。ようするに自己の徹底的な美化と擁護!

「正義は源朝子に有り!悪の権化北條!」の強烈な印象操作である。

 嘘も百篇唱えればまこととなる。己で捏造した「伝説」を怒涛の如く喧伝し、勝手に騒いでいただけなのだ。

 しかし、天下は熱狂! 武家を毛嫌いする公家や坊主共が面白がって応援する。西国武家や別流源氏にも支持する動き。気が付けば周囲は皆、四代将軍の味方。京都守護は大いに迷惑、難儀した。何が起こっているのか判らない。何時の間にやら四面楚歌!実際に剣を交えていないのに劣勢となり、一滴の血も流さずに、あわや!という場面まで追い詰められた。悪い夢に魘されているようであった。


 そもそも京都守護では、四代将軍源朝子を登場直後から「怪しい」と睨んでいた。

 伊賀光季は直ちに、源朝子の素性検すじょうあらためを命じた。このまま傍若無人を許せば、幕府の沽券にかかわる。

 調べは難渋を極めた。雲を掴むような話。まるで手掛かりがない。源氏や北條は勿論、武家には該当する女子おなごはいない。公家、宗門の出身では有得ぬ。

 そこで視点を変え、吉圀は「源朝子伝説」の再検討を試みた。つまらない英雄譚である。が、ちょいちょい勘に触るものがある。


 先ず、この都にあって“頼朝公の隠し子”が、当人が名乗り出るまで発覚せぬとは考えられぬ。

 頼朝公は天下人、一挙手一投足が注視されていた。白拍子との情事などという扇情的な醜聞なら瞬時に洛中に知れ渡り、後世までの語り草であろう。であるのに、噂すら残っておらぬ。確かに美丈夫の頼朝公は、京でも度々浮名を流した。相手も、公家から婢女はしため・後家に童女まで、見境なし。京都守護は役目柄、大殿の“囲い女”を把握する必要があった。その総ての馴れ初めから別離まで丹念に追跡、記録している。その京都守護が「寝耳に水!」だったのだ。

 しかも相手の「とき葉」なる女人がまた不審で、実在が確認できない。

 たかだか二十年前である。なのに、将軍の目に留まる程の白拍子について一切記録が残っていない。そもそも名が不敬である。字こそ違え「トキワ」といえば誰しも一世を風靡した「常盤御前ときわごぜん」を思い浮かべるだろう。賎しい白拍子如きには僭越。しかも常盤御前は、上総御曹司かずさのおんぞうし源義朝みなもとのよしともとの悲恋で名高い。何をかいわんや、大殿は父親の愛人と同音のめかけを持っていたことになる。更に「身重で鎌倉に護送され、舞を披露し」云々など、あの静御前しずかごぜんの有名な逸話の丸写し。大胆不敵と云おうか、何とも安直、何たる杜撰!

 決定的なのは娘の態度であろう。源朝子は生母について、ほとんど何も語っていない。


 事の発端、源朝子が知栄院昌恵ちえいいんしょうけいの遺品を持って卿ノ局を訪ねるのだが・・・昌恵・藤原遥子ふじわらようしきょうつぼね兼子けんしが実の姉妹であることを知る者は少ない。両名とも刑部卿・藤原範兼ふじわらののりかねの息女。

 遥子はかつて「鹿ケ谷の陰謀」に加担した咎で追放処分。実家から勘当された。卿ノ局もひた隠しにしている。

 源朝子はこの関係を知っていた。だからこそ、卿ノ局を頼ったのだ。

「伝説」では「北條の魔手から逃れる為、知栄院昌恵の下で修業した」とされる。

 これこそ噴飯もので、知栄院昌恵は罪人として後半生厳しく監視されていた。その任に当たったのが、他でもない京都守護!謂わば幕府の檻の中。動向は筒抜けである。役人の目を瞑まし、隠れて成人したとでも?この一点においても、源朝子は偽者である。


 また、妙に鎌倉の事情に詳しいのが気にかかる。

 朝子はその生い立ちを、伊豆の源三郎ほぼそのまま流用している。源三郎を巡る修羅場なぞ、幕府のそれも限られた者しか知らぬ。以後も厳しく緘口されていて、小娘如きに窺い知る由もない。誰がそれを教えたか?

清和源氏せいわげんじ主流」の連呼も引っ掛かる。

 清和帝の子孫であるから間違いではないが、違和感がある。将軍家は通常「河内源氏かわちげんじ」と称される。清和系は多岐に渡る。だから“主流”などと面倒な注釈を入れねばならぬ。朝子が「清和源氏」に拘ったのだろう。「河内源氏」では田舎臭いとでも思ったか。

 教育は受けている。馬にも乗れる。であれば、やはり武家の出であろう。が、相応の家柄で二十歳はたちすぎても娘のままは有得ぬ。とすれば、出家か。


 吉圀が判らぬのは、源朝子の動機であった。

「金が欲しい、保護を求める」ならば、卿ノ局に接触できた時点で達成ではないか。その後の、将軍家相続はともかく「四代将軍」として幕府北條に敵対する意味は?

 何か恨みでもあるのか。武家に楯突けば、文字通り“命がない”危険すぎる。それでも、というくらいの怨念なのか。無論、武家ならば遺恨のひとつやふたつはある。知らずに仇と狙われる場合もあろう。だが、女人がひとりでここまでやるか?ならば北條でも心当たりくらいあるはず。それが皆無。とぼけている訳でもない。尼御台も執権も心底困惑している。

 何が、源朝子を動かしているのか?


 調査は迷宮の袋小路。伊賀光季も玄武も焦燥の色を隠せない。

 夏も終わろうとする頃、西国から戻った下役が妙な話をした。

「近年、娘が“牛若丸うしわかまる”の扮装で舞い踊る様が大層な評判であった」

 娘・・・牛若丸・・・女・・・四代将軍・・?馬鹿々々しい連想であった。が、まさか・・・ん?まさか、まさか・・・

 先の祇園御霊会ぎおんごりょうえで、源朝子は「牛若丸」に扮し大喝采を浴びた。何と何と、源朝子は欄干にすっくと立ち、そこから宙返りまで披露したのだ。驚嘆の技量である!

「踊り子?!」吉圀は己の推察に戦慄!まさか、まさか・・・しかし、総てが合点する。田楽踊りで牛若丸を演じていた・・・

 それを都で、京を舞台に「四代将軍源朝子」として演じているっ!共演者は帝、院、公家、坊主、武家・・・総て本物を相手に!


 踊り子は「たま」という。出雲勘介いずものかんすけなる男の田楽一座で芝居をしていた。一座は主に西国筋を興行して巡った。出し物の多くは「源平もの」、中でも、玉の「牛若丸」が最も人気であった。

 その勘介一座が一昨年、機内に乗り込んできた。が、京大坂では何故が興行していない。この頃、女達が知栄院に数日逗留。一行に、背の高い少女がいた・・・玉だ!玉は昌恵と会っている!その後、勘介が大津で捕縛。年明けに釈放されたが、一座はそのまま解散・・・

 直後、源朝子が卿ノ局を訪ねる。繋がった!昌恵は前年亡くなっていた。その遺品を盗んで、玉は弟子と偽ったのであろう。


 吉圀の報告に、伊賀光季絶句!散々手こずった相手が、まさかの女芸人だったとは・・・

「直ぐ様、源朝子いや玉を捕縛致しましょう!」

 が、光季は「待て」と、吉圀を押し止めた。四代将軍源朝子は人気が高い。迂闊に手が出せぬ。

 それに、東山に泰時が来ていた。知らせねばなるまい。都では光季が上位ではあるが、何と云っても執権北條家の惣領なのだ。泰時は、朝廷との融和を計る光季を「手ぬるい」と批判してきた。そして此度の「四代将軍」である。泰時の不信は頂点に達し、自ら事態収拾に乗り出した。この報告、光季を更なる窮地に追い込むであろう。しかし、行かねばならぬ。案の定、泰時は怒髪天を衝いた!

「芸人だとぉ?それを貴様等は“四代将軍様”と崇め奉っておったか!この腑抜けがっ!」

 

 だが、それどころではなくなった。

 泰時に同行して、源三郎が京に来ていた。その頼朝公遺児三郎が、三条河原で惨殺死体となって発見されたのだ。

 下手人は?下手人は・・・「四代将軍源朝子」!


 フト、吉圀は左の柱に目を止めた。中程に墨で線が引かれ横に「あずさ」とある。いや、それだけではない。「あずさ」の上下にまた数本、線がある。こちらは「いく」だ。ははぁ、背比べであるか。「いく」が「あずさ」の背を抜いたのだろう。子供は成長が早い。「あずさ」が動かぬところを見ると、成人であろう。公家の女人は押並べて小柄であるな。

「?!」吉圀は慌てて見直した。「あずさ」とは、藤原梓子ではないか?視線を上にやると・・・あった!吉圀の頭の上、「とも」の線!しかも数本!

 噂された六尺には流石に届いていない。だが、源朝子はこの半年で一寸も背が伸びている。然もありなん、源朝子の玉はまだ十七なのだ!これも偽者の傍証となろう。頼朝公息女ならば二二でなければ合わぬ。

「柱に墨、だと?!」

 この部屋で源朝子と藤原梓子は心中した。夥しい血が、床に天井に・・・柱にベットリ・・・秀康はそれを綺麗に始末した・・・跡形もない部屋、柱にはそれ以前の落書きがそのまま・・・

「してやられたっ!」

 吉圀は唸った。侮っていた公家共に、まんまと一杯食わされた。京都守護は、六波羅に固執し過ぎた。屋敷内ばかりか、近隣の田畑までも御丁寧にせっせと掘り返していたのである。何もでてこない。それも其の筈、源朝子は六波羅にいなかった。この部屋では何事もなかったのだ・・・

 では、源朝子は一体何処へ?


 玄武はハッとした。

「源朝子について、朝廷は何の疑問も持たなかったのか?」

 そんなハズはあるまいっ!いくら公家が浮世離れしていようと・・・

 確かに、源朝子は上手くこしらえてある。

「宮将軍」問題に苦悩する朝廷の正に“救世主”となる登場!恐怖の存在であった幕府北條に、大胆にも真っ向から歯向かう爽快感!何より、その目を見張る長身、凛とした容姿、奇抜な男装、そして天真爛漫な振る舞い、ことごとくが天下を魅了した。

 だが、よくよく考えれば“変”である。妙に出来過ぎている。

「物語」では大活躍の源朝子だが、実際は宮中へ参じる他は六波羅に籠り切りだったという。屋敷内でも多くの時間を独りで過ごしていた。この部屋で黙々と筆を走らせていたのだろう。「自画自賛」と「北條糾弾」を!

 露出を最小限にし、正体の発覚を避けたのか。しかし、それでも日々世話をする侍女は欺けぬ。そもそも卿ノ局は監視も含めて彼女等を派遣したはずだ。藤原梓子は気付かなかったか?

 いや、そうではあるまい。

 源朝子は“従五位下”四代将軍なのだ。そしてその官位を与えたのは、帝である。いくら騙りとは云え、披露目までして今更、偽者とは到底認められぬ。面目丸潰れ。 

 おそらく、早い段階でバレていたのだろう。そして真相の露見を怖れた。幕府に知れてはならぬ。最早朝廷は、源朝子の片棒を担ぐしかなくなったのだ。


 そこへ、源三郎殺害!

 朝廷は驚愕したが一方で、千載一遇、天の配剤!

 筋書きは二位法印であろう。院や卿ノ局等と善後策を講じ、それが「四代将軍病没」この世から源朝子を消し去った。

 その日、源朝子は卿ノ局邸に入った。門前払いされたとして六波羅に戻ったのは別人である。北面の武士藤原秀康が大袈裟に六波羅を包囲したのも、計略。総ては茶番だったのだ。そして源朝子は密かに都を脱出。そう吉野あたりに潜伏したのではないか・・・


 そこまで考えて吉圀は重大な見落としに気づいた。

「ならば何故、源朝子は来なかったのか?」

 源朝子を、玉を、京都守護に捕えられぬうちに隔離するのはいい。だが、幕府と朝廷が抜き差しならぬ事態となり、遂には開戦!この非常時に、肝心の源朝子が最後まで不在だったのだ。

 そもそも「幕府北條を挑発し、挙兵させ、朝敵として討つ!」とは、一貫して源朝子が主張していた戦略である。筋書き通り、思う壺の展開ではないか。四代将軍源朝子が先頭に立てば、戦はまるで違っていただろう。少なくとも朝廷方がああもアッサリ敗走しまい。四代将軍復活!それだけで西国は「朝敵北條討伐」に雪崩を打って参戦する。そして幕府軍を東海道に誘き出したところで、関東源氏に背後から衝かせれば、鎌倉は壊滅していた。この絶好の機会に、何故源朝子は・・・?

「既にこの世の人でない・・・少なくとも、人前に出られる状態ではなかった」

 大乱、その後の掃討にも、源朝子は影も形もない。あの日以来、プッツリと消えてしまったのだ。

 おそらくは厳重な監視下での幽閉。公家は陰湿だが、流血を嫌う。むしろ好意で匿ったつもりだろう。

 しかし、源朝子の玉は?

「裏切られた、捨てられた」と感じたに相違ない。自由を奪われ未来を失い、絶望の淵に沈んでいく・・・

 そう、源朝子は自ら命を絶った。

 あれ程熱望した「北條義時追討」宣下を見ることなく・・・


 所詮“子供”だったのだ。

「伝説」に登場する下郎や海賊・偽坊主には、かつての一座の者の名を当てている。下賜された二頭の馬「葉月」「かげろう」に至っては何と・・・先輩踊り子!ここから、玉の境遇がおもんばかられる。一座の花形ではあるが、最年少の孤児。しかも異形ともいえる長身・・・嫉妬や侮蔑で苛められ孤立していた。それでも飯が食え、寝るところがあった。

 一座が解散し路頭に迷う。玉の脳裏に浮かんだのは、親切にしてくれた知栄院昌恵だったのだろう。昌恵の弟子となり「温かいおまんま、暖かい寝ぐら」を得ようとしたのだ。だが、昌恵は既に亡くなっていた・・・

 そこから玉の「独り芝居」は始まる。卿ノ局の前で殊勝なお涙頂戴!頃合いでおもむろに、

「実は・・・」


 夢見がちな女子の、ちょっとしたイタズラだったのだ。「女牛若丸」を演じればよかった。十八番だ。そう、院や二位法印を感嘆させた高い教養、「征夷大将軍は源氏の独占」「北條包囲網」、更に「摂家将軍せっけしょうぐん」等々の戯言は、総て芝居から着想したものだった!

 そして、あの長身と貫禄で、本人も思いもよらぬ大成功!口からデマカセが、玉の与り知らぬ方向で、朝廷や反幕勢力に利用されていった。玉もまた図に乗ってしまう。やはり「四代将軍」はやり過ぎだ。もう止まらない。最期は運命に翻弄され、流されるがままだったのだろう。

 玉は「温かいおまんま、暖かい寝ぐら」に留まるべきだった。満足すべきであった。


 いまだに「四代将軍源朝子」は人々の口に上る。

 源朝子は天竺てんじくへ渡ったという。彼の地で二つの国と四つの部族を制圧し、七つの海を一跨ぎ!その波乱万丈の生涯を痛快に描いた「源とも物語」!幾度禁止されても雨後の筍、今宵も何処かで琵琶法師が奏でている。

 また最近、丹波で大和で越前で「四だいしょうぐん」率いる一揆が勃発!

 しかし、彼等が「四代将軍健在!」を声高に叫べば叫ぶ程、源朝子の幻は儚く薄れてゆく・・・


 吉圀は、泰時に提出するはずの「四代将軍」調査書を焼却した。

 この記録は、京都守護の執念である。下役はよくやった。出雲から安芸、大津、有馬・・・事故や失態もままあったが、ひとつひとつ積み重ね、真相を究明したと自負している。しかし伊賀光季が死に、源朝子も消えた今となっては、機を逸した。詮なきことではあるが、泰時の目指す“理想の天下”には、無用の長物・・・

 とどのつまり、源朝子は「新時代の旗手」に成り得なかった。むしろ「過去の亡霊」の集大成!・・・精々「転換期の徒花」であろう。


「源朝子なぞ端からこの世におらぬ。総ては、玉なる女子の妄想・・・」


 翌日、元京都大番役・石垣吉圀は都を去った。


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