四代将軍源とも、蒼キ狼ノ挽歌!
サイハン(生没年不詳)
モンゴル帝国の軍人。異民族の女人ながら皇帝直属独立先鋒隊の指揮官となる。戦略戦術に優れ、金朝侵攻では中都を占拠。チンギスカン没後、二代皇帝オゴデイにより追放された。
やあやあ、よく来たな。うん、やっぱり和人だ、懐かしいな。サイハンも和人だよ。うちの隊に捕まって良かったぞ。他所なら問答無用で殺されとる。サイハンってのはな、蒙古の言葉で”別嬪さん”って意味だ。ムフフ、困るのう。ま、自分で付けたんだけどね。楽にしてくれ。苦労したろ?御坊、名は?ホウリュウ、法隆寺の?へぇ立派だな。ん、違う?隆じゃなくてタツ?ああ、立つか。それでリュウと読めるのか?ふうん、法立ね。よし、法立法立。久しぶりの大和言葉だから緊張するわ。あのな、言葉ってあんまり使わんと下手になるぞ。忘れることはないけど、発音とか変になる。別に大丈夫か?齢は?二十七!正治元年己未か?そりゃまた、アハハハ!
唐土に来て二年?そりゃ大変だ。こんな戦真っ只中なんて知らんもんな。サイハンも吃驚した。うーん、サイハンはここに一年くらいかなぁ。三、四年ウロチョロしとったから・・・いや、こっちの暦がバラバラでな、何年たったか判らんくなった。京と鎌倉が・・・そうそう、あの大乱あたりで日の本を出た。げえっ!北條政子、死んだのかっ!なんと、まあ・・・
大体さあ、唐土って宋って国が治めてると思ってたろ?ほら、御国にも宋人結構居たじゃん、商人とか職人だの。連中、実は逃げ出したんだよ。もうその頃から宋国は崩壊してた。奴等の口車に乗せられてウカウカと来てみりゃこのザマだ。法立は南都からか。修行どころじゃなかったろう。後で逃がしてやるから、とっとと故郷へ帰れ。
何で蒙古軍にってか?まあ、成り行きだ。異国で女ひとりでは物騒すぎる。なにしろこの美貌だしな。宋の商人に教えられて宦官に化けた。女官との不倫で取られたとか誤魔化してね。宦官なんか庶民は見たことないからな。あんなの、ついてないだけでただのオッサンだぞ。こんな見目麗しゅうないわ、アハハ!ある時、蒙古の女人を山賊から助けたと思いねぇ。そいつが成吉思汗の娘オアシンだったんよ。それで成吉思汗に目ぇつけられて、女とバレるわな、この美貌だし。で、妾になれと。そうだ、成吉思汗ってのは一代で大帝国築いた傑物でね。もう相当な爺さんだが“英雄色を好む”、後宮五百人!助平の桁が違う。話半分でも凄い。嫌だったから、オアシンにチクって軍人にしてもらった。いきなり十戸長で異民族部隊を任されて、今は千戸長。この隊は全部先鋒で遊軍というか、皇帝直轄。五つある軍団に属しておらんので、サイハンの勝手で戦ができる。またそれで戦果挙げてるから文句云えんだろ?ああ、将軍の話を断ったって?よく知ってるな。あのな、サイハンは女子ぞ。しかも異人だ。無理無理無理ッ!常勝無敗?うーん、蒙古というか唐土の戦ってのは何というか・・・戦じゃないんだ。戦略も戦術も戦法も何もない。ただ大勢でわあーっと攻めて終わり。だからチョイと罠仕掛けるだけで簡単に勝っちゃうんだよ。それもサイハンの独創じゃないぞ。「孫子の兵法」とか有名なヤツばっかり。なのに敵も味方も全然知らないんだ。本場だろ?アンタんとこで出来たんだぞ!
まあ判らんでもないんだ。法立も見てきたろ?唐土って滅茶苦茶広い。草原はただただ草原だし、河なんか海かと思ったわ。国ってのも、大和の国とか筑紫の国ってんじゃなくて、全部合わせて”国”なんだよ。京の都みたいなとこを、全部ぐるっと石の壁で囲うんだ。それが城だ。王から奴隷まで何万人も暮らしている。これって凄いことだぞ、壁で内側と外界を遮断しとる。この壁が曲者でね。難攻不落ってやつだ。そんなのが幾つもある。で、またその城と城が何百里と離れてて、その間には何にもない。唐土って時々王朝が変わるだろ?あれって、民族が変わるんだ。同じ土地を支配してるだけで、言葉も風習も全然違う。国を亡ぼすって文字通りで、皇帝貴族皆殺し、根絶やしにする。先帝の墓まで暴いて辱める。そこまでやるか?引くわ。金銀財宝は横取りだが、宮殿なんかは燃やしちゃう。なんで、文化っていうかお経とか治療法だの職工の技術やら失われる。勿体無い。国がゴソッと入れ替わるだけで連続性がないんだ。今は漢人の他、契丹・女真・匈奴なんかが、宋だ金だとやってて国が乱立しとる。そこへ蒙古の襲来だ。
蒙古兵は強いぞ。何たって馬がある。兵が全員馬に乗って突撃する。あの速度であの物量で殺到されては太刀打ちできん。しかも首とか獲らないんだ。後から戦利品を集める部隊がやる。奴等は遊牧民族だから一族総出、家財道具から家畜まで引き連れての遠征だ。で、占領した土地にそのまま住み着く。なんで略奪とかあんまりしない。降伏すれば許す。けど、反抗すればそりゃまたエゲツない大虐殺するがな。こうやって、あっという間に勢力が拡大した。中原は、城があるから流石に手古摺ってる。だって力攻めだけだもん。サイハンは城攻め大好きでの、連中が何年もかけて落とせん城を、七日で制圧した。凄いだろ。どうやったって?フフン、内緒内緒!
蒙古の強さってのは、とどのつまり“馬”なんだよな。発想が全く違う。兵一人に複数の馬を用意してて乗り換えるから速度が落ちない。使えなくなったら、食ったり皮剥いだりで無駄がない。ずっと悩んでるが、この騎馬軍団を敵に回して勝てる方法が思いつかん。世界最強だろう。だがな、物量で押し切るやつだから、兵個人はそんなに強くない。呂布とか関羽に張飛なんて豪傑はおらん。あっそうそう、唐土の連中、「三国志」とか「西遊記」だの何も知らんぞ。教えてやったら面白い面白いって喜んでるんだ。嗚呼、伝承ってのは大事にせにゃならんと思ったね。で、蒙古兵だが、皆同じような体形でな。小柄で俊敏だ。何とサイハンが一番背が高いんだ。並居る将軍や成吉思汗一族よりも大きい。チッ、勘弁してくれよ。しかもサイハン、強いからね。初めは女だと舐められてたが、一対一で剣持たしてくれれば負けたことはない。だって彼奴等、猪突猛進しかないもん。多少の心得があれば、初撃を躱して体勢崩れたとこ足でも引っ掛ければ楽勝だ。なのに、帳幕に夜這いに来やがるんだよ、毎日毎日何人も何人も!頭にきたんで片っ端から金玉蹴飛ばしてやった。そしたら来なくなった。美しくて強いから信望も厚い、エヘヘ。このサイハン隊の軍規は蒙古一厳しいぞ。略奪や非戦闘員の殺害は絶対許さん。婦女子凌辱しようもんならサイハン直々に斬る!でも、兵に不満はないハズだ。いつも勝ち戦だし、褒美を他よりたんまり出してる。サイハンは独身、金とかそんなにいらんからな。
今、唐土で宋とか金が細々と抵抗しとるが、近々、中原は蒙古のもの。その後はどうするって?成吉思汗翁の野望は切りがないよ。もう高麗までも到達した。次は・・・判るよな?けど、まぁそんな心配すんなって。彼の地との間には海があるからの。で、蒙古というか唐土の他民族も皆、泳ぎを知らんのだ。険しい山なんか臆せず踏破するのに、渡河となると途端に意気地がない。海を越えて来るのは相当な難事業だ。まして蒙古の主力は騎馬ぞ。それで陸続きを一気に制覇した。兵と馬をどうやって運ぶ?何とか博多あたりへ上陸したとして、山あり谷ありの未知の国。”陸に上がった河童”馬から降りた蒙古兵なら、源平以来の武士の方が強い。大丈夫、撃退できるよ。それに奴等、サイハンで懲りたから、和人を相当警戒しとる。だからまあ、今んとこ、輸送の目処が立たないんで戦はない。皇帝の威圧で臣従を強要してくるぐらいなもんだろう。
ただなあ、最近風向きが可怪しい。中原を征して浮かれてるというか。中華に毒されてきてるというか。流浪の民で土地に執着しないってのが蒙古の強みでもあったんだが、燕京あたりに宮殿築いたり財宝貯めたり、王侯貴族の真似事しよる。国号も中華らしく漢字一字にしようって動きもあるから笑っちゃう。成吉思汗は大大大人物だが、息子達は駄目だな。蒙古は末子相続なんだ。財産は四男が継ぐが、次代皇帝には三男が指名されとる。このオゴディってのとサイハンは折り合い悪くての。異国人のクセに、女のクセに、美人だし、愛嬌あるし、手柄立てるは、部下からは慕われるはで、嫉妬されとるんだ。ヤレヤレ。そういえば、ここんとこ成吉思汗の爺さんからサッパリ音信が途絶えとる。出向いても、病と称して会わせてくれん。
そろそろ潮時かな?根っからの風来坊、あんまり一処に長く居られん性分での。平原ばっかりも見飽きた。今度は南の島にでも行こうかの。ずっと北を廻ってて寒くてな。国中がスッポリ雪に埋まったり川や海が凍るんだ。そんな処にもひとは住んでいる。冷たいがキラキラしてて綺麗だったぞ。でもやっぱ、サイハンは暖かい方が良いや。天下は広い。年中、裸で暮らせる地もあるそうな。法立は見たことあるかな?全身、墨を塗ったような黒い人たち。紅い髪、碧の瞳なんてのもある。それが皆、普通なんだ。ずっとそうやって生きてるんだ。喜怒哀楽、何処も変わらんよ。そんな処へフラッと寄ってまた次の旅に出るのも悪くない。日の本?はあぁ、もう帰る場所もないし逢いたいひともいなくなったし・・・
おっと、随分引き留めちゃったな。用意できたから、気を付けて行け。もしまた捕まったら、その札見せてサイハンの名を出せ。何処でも通してくれる。お礼?いらんいらん。ひとを救うが出家の道ぞ。法立も誰ぞ救ってやってくれ。ああん?源ともぉ?誰じゃ、それ?知らん知らん。さあもう、いいからさ。んじゃ、達者でな。
モンゴル帝国、金朝を滅ぼし遂に中華を統一す。南都の学僧法立はこの激動の時代を現地で目の当たりにした。中都では蒙古軍の捕虜となったが、サイハンなる日本人女性が従軍しており、救出される。帰国後、法立は蒙古の脅威を説いたが、人心を惑わすと罰せられた。著作「元朝秘録」は禁書となるが一部流出。“元寇ハ四代将軍源朝子ノ復讐ナリ”との風聞を生む。また近年話題になったチンギスカン=源義経説は、「元朝秘録」サイハン伝に着想を得た、江戸期の戯作である。




