四代将軍源とも、暁ノ逃避行!
文治三年、源頼朝の怒りを買った九郎判官義経、逃亡に逃亡を重ね、奥州平泉を目指します。一行は山伏姿に身を隠し北陸道を抜ける。辿り着いた安宅の関、「東大寺再建の勧進」と通り抜けようとしたところ、関守・富樫泰家「あいや、待たれい!」若しや義経一行では?と訝しんだのです。「ならば、勧進帳を読み聞かせよ」ここで武蔵坊弁慶、たまたま持っていた巻物をさも勧進帳のように装い朗々と読み上げた。疑いも晴れ、一行が立ち上がった際、強力のひとりが蹣跚て荷を落としたではありませんか。これは義経、頓挫った。いかにも華奢で山伏と似付かわぬ。「暫く、暫く」泰家、改めようとするや、弁慶、この男を金剛杖で強かに打ち据えた。弁慶の鬼の目に涙。これには泰家、何も言わずに見逃します。危機は脱した。しかし弁慶、いかに主君の命を救うためとはいえ御無礼をと泣き詫びる。義経は弁慶の手を取り、その機転を褒めニッコリ笑って頷いたのでありました。
(「義経残響散華」より)
貞応元年弥生三月、北陸時の春は遠い。
加賀国安宅の関。冷たい潮風が吹きつけまだ雪残る地に、その尼僧は現れた。
「都は知栄院の蓮芳です。金沢の勝幡寺へ参ります」
関守・富樫天彦、躊躇った。尼僧と従者二名のみ。まだ寒いこの時期に都から態々(わざわざ)とは。勝幡寺は確かに尼寺ではあるが・・・
「勝幡寺の桂香は我が師であります。重篤と聞き及び急ぎ掛けつけねばなりませぬ」
尼僧はやや苛立って口早に述べた。尼僧ながら背が高い。富樫天彦は見下ろされ威圧を感じた。顔は小さく美しい。切れ上がった眼が意思の強さを表していた。札も証文も揃っている。だが、だが・・・
承久の大乱後、天下が混乱していた。幕府の朝廷方残党狩りは執拗に続けられている。中でも血眼になって探索されているのが、四代将軍源とも、である。一時は死んだと思われたが、摂家将軍鎌倉下向に乗じ都を脱出。以後、行方は杳として知れない。執権北條義時は、源とも捕縛を全国の守護に厳命した。
「年二十二、長身、華奢、小顔、秀麗眉目、尼僧に装う事多し」
目の前の尼僧は人相書きと悉く一致している。これはもしや・・・
それでなくとも、ここ安宅の関は何かと因縁がある。かつて、九郎判官一行をみすみす逃してしまったのは、拭いきれない大きな失態、汚点であった。此度は決してその轍を踏むまい。また、源ともには妙な癖というか洒落っ気があって、こうした逸話には異様に詳しい。己が崇拝する義経の行状を真似、安宅の関破り再現を天下に誇示するやも知れぬ、との危惧が鎌倉から喚起されている。天彦としては是が非でも源ともを捕らえねばならぬ。
蓮芳は揚屋に隔離された。従者二名には書状を持たせ、相違なく本人であれば勝幡寺より迎えを寄越すよう手配。その間、都の知栄院にも照会する。これだけの処置をしても天彦はまだ不安であった。下女を三人交代で厳重に監視させた。本物の場合を考慮し、失礼のないよう丁重に扱ったつもりである。だが、蓮芳は始終苦情を持ち込んでくる。寒いの、飯が不味いの、厠が汚いだの。番卒の髭が不潔だとか鳥の声が五月蠅くて午睡ができんなんてことまで八釜しく云ってくる。その都度、天彦は対処せねばならぬ。己は出家であろう。少しは忍従せぃとは思うものの、罪人ではない。身元が明らかになるまで粗略に扱えぬ。蓮芳が気立しく呼ぶ度に、天彦は胃が痛くなった。
次の日である。絢爛な一行が安宅の関に差し掛かった。輿が大小二台、馬には荷駄。青侍が十名程付き従っている。
「左大臣家、所縁の姫君である。故あって松任へ参る」
左大臣家と云えば、摂家筆頭九条道家卿ではないか。左大臣は先の大乱では武家方に附き幕府勝利の一因ともなった。その功績で今や宮中に並ぶもののない実力者!その左大臣家を、真坂とは思うが、時が時である。慎重に改めねばなるまい。
「輿を降ろし御簾を上げていただきたい」
番士の申し出に青侍が激昂した。「無礼ではないかっ!」
慌てて天彦が飛び出し非礼を詫び、事情を説明した。科人探索中であり、何方に関わらず札証文人相を改めさせていただいておる、と意を尽くして要請。だが、相手も譲らない。血気盛んな番士なぞは腕尽くでもと迫る。青侍も青侍で既に刀に手が掛かってる。一触即発!その時、御簾の中から声がした。
「よいよい、天下の公道で騒ぐでない。お役目であろう。輿を降ろせ」
御簾を上げて外へ降りたのは、豪勢な五衣小袿に身を包んだ姫君であった。目を見張るほどの長身、美しいが目元が鋭く芯の強さが伺われた。
こっこの女人は・・・若しや?天彦は五臓が縮み上がった。
「左大臣九条道家が五女・美子様にお仕えし、楓である。美子様御他界由にしてお役目を解かれ、実家に帰る」
左様なことが?公家のしかも内輪では事情は知れない。待てよ?天彦は胸騒ぎがした。確か、四代将軍源ともは摂家将軍下向に紛れて都を脱出したが、その際”九条美子”の名を騙っていた!楓はその美子の侍女と云う。繋がっている・・・?しかし、源ともと左大臣は宮中において不倶戴天の政敵であったハズ。逃亡に手を貸すとも思えぬが・・・だがそう、改めて見れば見るほど、楓は人相書きに一致していた・・・怪しい!
悶着の末、楓の一行は関所内に留め置かれた。侍女二人、青侍十人、馬一頭の大所帯。天彦は役宅を明け渡した。
不平を鳴らす楓をようやく押し込めるや、今度は赤子を抱いた百姓女が通り掛かった。
「山崎の善太ンとこに行くんだ」
逃げた亭主を追う、イヨもまた、長身で中々の美人、人相書きと瓜二つ!
さあ、それからと云うもの、次から次へと女がやって来る。
武家の妻女であったり商人の使いであったりしたが、いづれも長身美女ばかり。素性改めは捗らず、安宅の関は、九名の容疑者とその従者、総勢五十名程が犇く大渋滞。最早、収容する部屋もない。近隣の寺や庄屋に分散させる有様。他の業務もある。安宅の関は完全に機能不全に陥った。
夕景前である。武家娘がひとり騎馬にて安宅の関を訪れた。極彩色の派手な水干、またも長身秀麗眉目。娘はいきなり大音声で呼ばわった。
「開門!開門!相模守義時が末子、時子である!公儀によって名越へ参る!」
関守富樫天彦、仰天!大慌てで出迎えた。執権義時の娘、北條時子!男勝りで我儘、残忍な性分との噂。都に在ったが、六波羅探題の兄泰時を嫌い、加賀国守護に任官した次兄朝時を頼って来た。
「何だ何だ、この騒ぎは!要衝たる関所において、馬は嘶く赤子は泣く女どもが姦しい。ここは何時から保育院になったのだ?ん?源とも?女は全部身元改めまで留め置くだとぉ?こらっ天彦!貴様、真坂この時子にも身包み剥いで素性改めする気か?助平!変態め!親父に言いつけてやるぞっ!大体なあ、源ともがこんな田舎に来るもんか。ともは賢いからな、何処かに隠れてるんだよ。匿ってる奴がいる。それもな、山ン中じゃない。考えてもみろ、天下の源ともだぞ。いくら変装しても滲み出る高貴さは隠しきれん。雛には稀な・・・で、一発で知れるだろ?町中だよ。それも都なら大勢なんで行方を晦ますも容易。木を隠すなら森の中。十中八九、ともは京に戻っておるわ。そこん処、六波羅兄は判っておらん。まあ、己の行列に紛れ込んでいたのに気づかなんだ間抜けだからな。それから、逃げるにしたって、ご丁寧に安宅の関を通ることもあるまい。九郎判官殿の真似なんて、いくら源ともが酔狂でも、無いわ!判ったら遊んでないで、とっとと通せ!あっそれから、女どもを皆解放してやれ。咎無き庶民を苛めるな。こうゆう事するから幕府は評判を落とすのだ。いいな、すぐやれよ!」
北條時子は風のように去っていった。
翌朝、安宅の関に物々しい騎馬の一団が到着。小柄な女武者が進みいでた。
「何だとっ?北條時子なら昨日通ったぁ?馬鹿!それが源ともだよ!ったく、何やってんだよ!人相書きあるだろ?あんな大女、アレ以外に居るか!口車に乗せられやがって!どうせ尼僧だ公家娘やらも仕込みだろ?彼奴は左大臣とグルなんだ。似たような女揃えて同時に北国へ送り込み攪乱なんざ造作もない。まんまと一杯食わされたな。しかも寄りによって妾の名を騙るとは!烏滸がましい。富樫、主もそうだ!あんな蓮っ葉と純情可憐な妾をどうやったら見誤るんだよっ!巫山戯んな!そもそも貴様ン処は前にも義経逃がしてるだろ?親子揃って間抜けじゃの!主従の絆とか武士の情けだの、何となく美談に仕立てやがって。で、拘束してた女どもまで放したって?間抜け!汝、若しや一味に加担しとるんではあるまいの?いいか、この不始末、父上に讒訴に及ぶぞ!覚悟しとけっ!それにつけても、ええい小癪な、源とも!必ずや必ずや、妾の手で成敗してやるからの!」




