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四代将軍とも外伝  作者: 山田靖
なでしこ公方様異聞
23/33

四代将軍源とも、栄光ヘノ脱出!

 承久三年五月、幕府の横暴に堪り兼ねた「治天の君」いんは、遂に「北條義時ほうじょうよしとき追討」の宣旨を下された。しかし、既に機は逸していた。西国の武家に召集をかけたが思うように集まらぬ。また、帝が先頭に立たぬ戦では士気が高まろうはずもない。

 一方、鎌倉では、動揺する御家人の前で、尼御台・北條政子ほうじょうまさこが大演説を打つ。

「将軍の恩は山よりも高く、海よりも深い」

 感動した御家人衆は一致団結。北條泰時ほうじょうやすとき時房ときふさの軍勢は京へと進撃。勢いに乗る鎌倉軍は、美濃で大内惟信おおうちこれのぶを撃破するなど、各地で圧勝した。

 敗走した山田重忠やまだしげただは最後の一戦をせんと御所に駆けつけるが、院は門を固く閉じて追い返す。重忠は「大臆病の君に騙られたわ」と門を叩き憤慨。院に見捨てられた重忠は、三浦義村みうらよしむらによって滅ぼされた。

 院は泰時に使者を送り、此度の乱は謀臣の企てであったとして「義時追討」の宣旨を取り消した。


 いくさは終わった。


 戦後の処断は過酷を極めた。

 帝は退位、後は幕府が指名した傍系の王が立った。院は隠岐へ配流。布智王ふちおう、出家。二位法印にいほういんは乱の首謀者とされ死罪。多くの公卿、また京方に与した武士の殆どが斬られた。反幕府勢力は根こそぎ一掃され、ここに北條氏の覇権は絶対的なものとなった。



「承久の乱」において、畏れ多くも賢き辺りに反旗を翻す逆賊・幕府北條。あろうことかあるまいことか、御天子様をも島流し。悪臣・泰時は、この世を我が世と増長しております。

 さて泰時、幕府の権威づけに、親王を征夷大将軍として鎌倉に迎える所謂「宮将軍」の悪巧み。この案は以前にも、北條政子ときょうつぼねの間で検討されましたが、思わぬ邪魔!が入り頓挫。いわば悲願、今回は是が非でも実現させる意気込み。先の乱で幕府に通じた左大臣・九条道家くじょうみちいえに、親王の説得をを厳命。左大臣は最早、「幕府の犬」と成り果てた。惨めったらしく尻尾を振るその様は、正に醜態。それやこれやで九条道家、都人の顰蹙を買っております。

 その左大臣、遅々と進まぬ問題に頭を悩ませ、遂に重大な決断!一子、三寅みとらを征夷大将軍として鎌倉に遣わそうとの提案です。「?!」北條泰時、驚いた。三寅は二歳の赤子。征夷大将軍とは云え、その実、人質。傀儡将軍の軽さは歴代の通り。事があれば、あっさりと捨てられる。それが判っているからこその難航。であるのに、左大臣は自ら嫡子を差し出すという。九条家は五摂家のひとつ。藤原北家嫡流であります。血筋は申し分ない。実は、幕府も「宮将軍」は無理と承知。次善の策として公卿、できれば摂家から・・・その落としどころを、当の九条家から申し入れてこようとは!

 泰時は内心快哉を叫び欣喜雀躍!込み上げる笑みをグッと呑込み、伏目がちに苦虫を噛み潰し苦渋の決断を演出。

「いささか不如意なれど・・・他に喫緊の難題山積、これ以上時を費やす訳にも参らぬ。泰時が独断で、三寅様を鎌倉にお迎えいたす。いや、よくぞご英断なされた」

 左大臣道家もニヤリ!以心伝心、どちらも腹黒。タヌキとタヌキの化かし合い。

 かくして幕府新将軍に、摂家藤原北家嫡流九条家・三寅と決定したのであります。


 さてさて、新将軍三寅様におかれましては、いよいよ鎌倉下向の日が近づいてきました。七面倒くさい様々な手続きや儀式を経て、ようよう二月下旬の出立と決定。鎌倉では屋敷の新築等、受け入れ態勢も万全です。

 そんなある日、六波羅探題に九条家からの使者・藤原秀能ふじわらのひでよしが、泰時を訪れます。

「三寅様の出立を、ひと月延期していただきたい」

「何と?!」泰時は真っ赤になって理由を質す。

 秀能は表情を変えずしれっと「まだ寒いので」 

 秀能は続ける。三寅一行は生母の倫子りんこ、乳母・藤原鈴子ふじわらすずこ他、女房達と供回りの秀能等、総勢二十名程。ところが、あろうことかあるまいことか、生母倫子が「行きたくない」と云いだした。倫子は生来病弱で、見知らぬ土地に不安という。

 泰時は頭に血が上った。これだから公家というやつは!それでも母親か!

「代わりに、左大臣様の三女・美子みこ様が下向なさいます」

 九条美子は、三寅の異母姉に当たる。宮中に仕えていたが病で宿下がり。そのまま実家に留まり、先帝退位に殉じ剃髪したという。泰時は憮然とした。もう勝手にしろ!倫子でも美子でも!幕府が必要なのは三寅だけだ。

「美子様よりの親書であります」

 秀能は分厚い巻物を泰時に手渡した。泰時、目を剥く。中には美子からの要求がビッシリと記されていたのです。


 兎にも角にも、三寅が京を出立したのはもう桜が散っておりました。当初の予定より一年近く遅れている。随行の泰時は気が気でありません。なのに、三寅一行は「東国の気候に慣らす為」ゆるゆると移動いたします。何しろ三寅様は御年ふたつ。無理はさせられぬ。暑いの、寒いの、雨は嫌いなどと、すぐに行列を止めてしまう。

 そのくせ、せっかくなのでと、名所旧跡には必ず立ち寄る。近江八景を隈なく周り、美濃では不破の関に長良川の鵜飼い。九郎判官義経くろうほうがんよしつねが元服なさった尾張熱田の宮は外せないと、また寄り道。三河では「伊勢物語の八橋やつはしとはどのへんだ?」と人をやって調べさせる。遠州駿河に入れば入ったで連日「富士山だ、富士山だ!」三保の松原に衣をかける。富士川ではわざわざ泰時宛に「水鳥の羽音に驚かぬよう」文を送ってくる。やりたい放題。富士の裾野を見るや巻狩りだ、曽我兄弟の仇討ちだ、と大はしゃぎ。ようようたどり着いた伊豆では「北條発祥の地で懐かしかろう」とばかり七日も腰を据える。頼朝よりともと北條政子の逢引きの舞台・伊豆山神社いずさんじんじゃを詣で、何故か「不謹慎ですまぬ」と絵馬を奉納。

 それでいて、三寅は輿の奥に引き籠ったまま。物見遊山の元凶!九条美子も何故か一切姿を見せぬ。連絡は秀能を通してのみ、一方的。泰時は何度か面会を申し入れてはいるが、その度に美子から「その必要はござりますまい」と拒絶されるのだ。

 もう我慢がならぬ。堪忍袋の緒を切った泰時が、秀能を呼んで怒鳴りつける。それでも秀能は相変わらず、蛙の面に・・・であります。

 伊豆に飽きたか、三寅一行は、やっとのことで動き出す。腰越こしごえに差し掛かります。もう鎌倉は目前。泰時もようやく安堵。ところがこの期に及んで、美子は更に一泊すると言い出した。激怒する泰時に、秀能は例によってしれっと「九郎判官殿はこの地で、兄の頼朝公に許しを請う申し開き状を書かれたとの由。判官殿を偲んで、どうしてもとの御所望」

 そして、「明日の鎌倉入りを前に是非にと、三寅様が、泰時殿をお召しでございます」


 泰時は、九条美子にホトホト手を焼いた。三寅は赤子ゆえ、要求は総てこの女から出ているのは明白。こちらは誠心誠意、充分な便宜は図ったつもりだ。で、あるのに不平不満しか返ってこぬ。ちょっとでも咎め立てしようもんなら即座に「都へ帰る!」と駄々をこねる。やってられない。

 ところで、美子の振る舞いには妙な既視感がある。泰時は、似たような女を思い出し胃のあたりがムカムカした。アイツには酷い目にあった。京女とは皆ああなのか?!しかし、最早、都から遥か彼方の九十余里。我儘はもう通らない。何を言おうとも明日には鎌倉に引き摺っていく。その前に面会だと?ふんっようやく忌々しい九条美子様の御尊顔を拝すことができるのか。よくここまで手こずらせてくれたものだ。さすがは左大臣・九条道家が娘。タヌキの子はキツネであったわ。


 三寅が滞在する満福寺まんぷくじの奥の間。泰時は随分待たされている。痺れを切らせ大声を上げようとしたその時、やっとのことで衣擦れの音。舌打ちして泰時、平伏。襖が開き、赤子を抱いた長身で眉目麗しい尼僧がゆったりと御着座。

「苦しゅうない、面を上げい」

「?!」泰時驚くまいか!嗚呼!その容姿は!忘れるはずもないっ!

「泰時、久しぶりだの」ニッコリと微笑む。

「きっ貴様は・・・源ともっ!」

 三寅を抱いた尼僧は何と何と、源とも!過日、泰時軍に包囲され紅蓮の炎に消えたさきの四代将軍!生きていたとは、お釈迦様でも知らぬ仏・・・

 道理で振り回される訳だ。似ているどころではない、よもやの本人!

 腰を浮かした泰時だが、はっと座り直した。ともの膝の上には三寅。その頭上で、さり気なく菊一文字則宗が光っている。

「泰時、京では世話になったな。そもそも師・昌恵しょうけい様はな、夫君とともに平氏打倒を謀っておったのだ。所謂“鹿ケ谷”で露見し失敗したがの。夫君は斬られ、昌恵様も追放されたが、大望を諦めてはおらなんだ。残党同志と捲土重来を期していた。ともが、泰時に誘き出された知栄院ちえいいんはその拠点ぞ。先の教訓から備えがしてある。敵に囲まれた用心に抜け道があるのさ」

 ともは愉快そうに語る。

「そこから何処へ行ったと思う?街道が総て封鎖されてて京から出ることができん。洛中はむくつけき武者共が闊歩しとるし、どうにもならん。ひとの迷惑顧みず一軒一軒、虱潰しに踏み込むもんな。泰時の探索はしつこいなぁ。あれで泰時は都人に決定的に嫌われたぞ。・・・その折、調べてない所があったの?」

 泰時、怒気を含んで押し黙る。

「御所はさすがに憚ったな。それともう一か所。そう、九条殿くじょうでんだよ。あの時、ともは謹慎の身でな、帝・院には拝謁できぬ。そこで仕方なく左大臣を頼ったという訳。左大臣はビックリしてたぞ。政敵が乗り込んで来たからな。道家殿は冷酷卑劣だが、そこは公家、甘い。窮鳥懐に入れば狩人これを撃たず、ってな。で、そのまま九条殿に居候だ。そしたら戦が始まったろ?すわっ一大事!二位法印にやっとこさ連絡ついたところで、院が降伏されてしまった。・・・緒戦ひとつふたつ落とそうとも、大義は当方にあり。如何様にも挽回できた。はあーっ、ともが御側にあればなぁ。ともを先頭に立てれば、別流源氏や西国武家が挙って加勢しただろうから、面白いことになったのに」

「・・・摂家将軍は、貴様の差し金か?」

「そうだよ。左大臣を脅迫してな。ああ見えて彼は憂国の士なのだぞ。皇統を護る為に我が子を差し出した。それにな、美子というのは道家殿の夭折した娘御でな・・・ともに名乗ってくれと。泣かせるではないか。そんな左大臣を、気色悪い助平親父などと表面だけで判断してはいかんな」

「・・・何が目的だ?」

「仇討ち、かなぁ。戦は・・・ともの負けだ。見事にやられた。帝は退位、院は流され、二位法印も斬られた。ともの家人共は散り散りで安否も判らん。六波羅幕府は壊滅、屋敷まで泰時に乗っ取られる・・・完敗だよ。だがな、ともは生き残った。何も持っておらんが、とにかく命だけは長らえた。とりあえずそれで充分だ。さて、これからどうなると思う?ともは生きている。これからもまだまだ生きるぞ。それに比べ尼御台北條政子は?御年いくつだ?御加減が悪いそうだな。おいたわしや・・・うん、勝負あったの。ともは御覧の通り、若くて元気だ。この先、二十年でも三十年でも頑張れる。そうさな、これから何をしようかの。・・・さしあたって三寅を立派な将軍に教育してやろうか。前四代将軍の思うがままにな」

 ともは上機嫌で喋り続ける。その膝の上には三寅が無邪気に眠っているのだ。泰時は目が眩んだ。ともが、三寅が、輝いている。未来がここにある。源氏の幕府を平氏北條が簒奪した。だが次代は、再び源氏ともの掌中にあるのだ。嗚呼、巡る因果は糸車。北條氏は遅効性の猛毒に侵された。泰時は残酷な運命に慄いた。


 翌朝、宿舎は大騒ぎ。何と何と、新将軍三寅様が姉君・九条美子失踪。書置きひとつ残さず忽然と消えたのです。九条美子は何処にもいなかった。



 九条美子、実は源とも!幕府血眼、天下のお尋ね者。その厳戒の都を、ともは・・・当の泰時に護られて・・・易々と脱出したのです。悠然と東海道を下ってしまえば、こちらのもの。鎌倉までつき合う義理はない。スタコラサッサと逐電!


 かくして、源とも、浮世の呪縛の総てを解き放ち、自由の身となったのであります。

 野に放たれた美しき反逆者は、これから何処へ行き、何をしようとするのでしょうか?

 ・・・おいおい、ご紹介してまいります。


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