四代将軍源とも、河原町幻想奇譚!(前)
都に奇怪な人物が現れた。小柄でやせた貧相な老人。修験道の行者のような風体で、髭面、ザンバラ白髪。三白眼に頬骨が張っている。頭が大きい割に手足が短く、緩慢な動作は深海に潜む魚のようであった。杖をつき、何時も小さな香炉を持ち歩いている。その名を「揖斐」何者なのか何処から来たのかも、誰も知らぬ。唐天竺で修行。不死身であり地獄極楽を往来できる。更には時空をも飛び越え、過去にも未来にも自由自在。仙人?いやいや、あんな汚いハズがない。妖術使い?魔物?
神出鬼没、怪人揖斐の不思議な物語・・・
例えば、こんな話。
夏の炎天下、お百姓が荷車で瓜を運んでいた。そこへ揖斐が通りかかり「ひとつ、くれ」と手を出す。厚かましい申し出に、お百姓ムッとする。が、「決められた数を先方に届けねばならぬ」からと丁寧に断った。
「意地が悪いな。ひとつふたつ、どうということもなかろうに。・・・まぁ良い。自分で作るわ」
揖斐は落ちていた瓜の種を拾い道端にパラパラ蒔く。するとどうだろう!干からびた種から芽が出、見る見る成長するではないか。やがて葉が開き蔓がスルスル伸びる。瞬く間に立派な瓜がビッシリ実を結んだ。お百姓、ビックリ仰天!
揖斐、大きな瓜をもぎ取ってかぶりつく。「美味いぞ」藪睨みでニタリと笑う。お百姓、背筋がゾクゾクと悪寒。生きた心地がしない。
「さてと帰るか」揖斐は何時の間にか大木程に育った瓜の蔓に飛びつくや、あれよあれよと登っていく。杉の木よりも高く、遂には雲を突き抜け見えなくなった。腰を抜かしたお百姓、はっと我に返り周囲を見渡す。何と荷車の瓜、ことごとく齧られていた。
風流人であられる右京大夫殿の屋敷で、月見の宴が催された。何時の間にか何処からか、揖斐が庭先に闖入しておるではないか!厚顔にも酒を所望。興を削がれた右京大夫殿、「抓みだせ」と憤慨!屈強な青侍数名に囲まれた揖斐、急きも慌てもせず。けぇーっと奇声と共にさっと身を翻しドボンと池に飛び込んだ。元より、拵え物の池である。底も浅く用水にも通じていない。何より隠れる程の規模ではない。しかし、青侍が池の中いくら探しても揖斐の姿は見当たらない。消えていた。そう、まるで溶けてしまったかのように!右京大夫殿は怖ろしくなり、客や家人に一切を他言無用とした。しかし人の口に戸は立てられぬ。
それからも揖斐はちょくちょく出没。枝に止まっている雀を念で落としたり、木の葉で蛙を潰す等、気味の悪い術を披露し銭を取る。大勢の見物の前で牛を一頭丸呑みにしたこともあった。
頼まれもしないのに病家へズケズケ上がり込む。病人の枕元で「間もなく死ぬな」と言い放ち帰ってしまう。取込み中、縁起でもない不気味な予言。ただでさえ重篤な病人は気の毒にも苦悶のうち息絶える。残された家人は茫然自失、憤懣遣る方無い。正に死神!
そうかと思えば、公家や商家の門前に立ち無心する。既に噂は広まっている。邪険に扱えばどんな厄災が降りかかるやも知れぬ。丁重に金子を包み早々に御引取願うのだ。強請、集り、イカサマと知れているが後が怖い。狂犬に噛まれたと諦めるしかない。戦々恐々。
揖斐は何時何処に現れるか判らぬ。明日は我が身、ひとびとは畏れ慄いた。
こうなると、お上も捨て置く訳にゆかぬ。遂に揖斐、検非違使に捕縛さる。取り調べに当たるは衛門大尉・藤原秀康、勤勉実直な能吏。一方、揖斐は口汚く逮捕の不当を訴えた。
「何故、儂を拘束す?別に人を騙してはおらん。銭はくれるから貰ってやってるのだ」
「黙れ!怪しげな妖術にて人心を惑わす不届き者めが!」
「ふふん、言に事欠いて“怪しげな妖術”とな」
「ひとの生死を弄ぶは言語道断!」
「死相が出ておると申しただけぞ。手を下した訳ではないな」
ああ言えばこう言う、ノラリクラリと揖斐は煙に巻く。膝の上には例の香炉。そこから灰色の煙が立ち込める。饐えたような不快な臭い。秀康は苛立ってきた。かような不逞の輩を、断じて許す訳には参らぬ。
「先月二十五日、四条烏丸において火遁の術を用いたであろう。白昼堂々、人馬多数往来の折、大胆不敵!危険極まりない。これは放火である。罪は逃れられまい。火付けは大罪であるぞ。本来なら重きお咎めのところ、上、特別の憐憫によって罪一等減じてやる。有難く思え。無宿人・揖斐!その方、追放と処す!都より早々に立ち去れぃ!」
揖斐は下卑た笑みを浮かべた。黄色い乱杭歯が汚い。
「儂は術を操るが、秀康とやらは詭弁を弄するか。追放とな?安く見積もられたわ。相判った。しかし、お主等の手を煩わせるまでもない。自害いたそう」
揖斐は香炉を前に置くといきなり刀を抜いた。そして刃先を首筋に当てるや一気に引く!
「あっ!」秀康が止める暇もあらばこそ。揖斐の首は下衆笑いのまま鮮血噴いて落ちた。ゴロンゴロンゴロンと転がってくる。そのまま秀康の前迄来るとピタリ向き直った。揖斐の首は仰向けに舌なめずり。「ケケケケケ!」わ、笑っている!生きている!此奴、不死身か?!ば・・・化物!
秀康はじめ一同驚愕!呆然と声なく硬直。呼吸すらままならない。
すると首のない胴体はスックと立ち上がりスタスタと歩を進めた。哄笑続ける首をヒョイと拾うや、埃を叩き小脇に抱え込む。落とすなよ、首は胴に軽口をたたく。
胴体は恭しく首を押し頂くと肩の上に乗せた。すると切り口がピタリと合い元通り。振り返って揖斐、ニタリニタリ・・・
「用は済んだな。帰るぞ」
揖斐は踵を返すや悠然と正門から出奔。行方は判らない・・・
英芳筆「源とも像」はその後、どうなったのでしょうか?
ともは忠則の邸から持ち帰り、しばらく広間に飾っておりました。素晴らしい!美しい!観る人残らず称賛の嵐!とももまた夜中にコッソリと独りで眺めてニヤニヤしておりました。ところが、あまりにも評判!絵ばかり褒め讃えられ、どうかすると本物はゾンザイに扱われます。四代将軍様、激怒!破るの燃やすの癇癪を起します。手放すならばと、二位法印他大勢が所望しましたが、山門に奉納したとの由。たとえ絵であっても、ともである。助平共には渡さん!との強い意志でありました。宝物殿に安置されましたが、何時の間にか所在が判らなくなったという・・・
嵯峨野の古寺に 「屏風ヨリ抜ケ出シ白拍子、旅僧ヲ拐ス」なる怪談が残っている。
ひょっとしてこれが、あの「源とも像」であったかもしれません。




