四代将軍源とも、熱キ想イヲ込メテ!
東西、とぉーざいーっ!さぁさ、お立合い。
頃は承久、鎌倉時代。長きにわたる戦乱も初の武家政権の樹立でようよう安泰と思えしも、源氏将軍僅か三代にて断絶。あとを執ったは平氏北條、一族独裁、傲岸不遜!かしこきあたりをも悩ませる。世は末法。神も仏もないものか。そんな絶望の最中、現れ出でた可憐な一輪の花!誰有ろう!このひとこそ、清和源氏主流河内源氏・幕府創設者にて初代将軍正二位権大納言右近衛大将源頼朝が忘れ形見、源とも!源将軍亡き後、ますます増長する北條一族。その専横に苦しむ庶民の難儀救いたいと、源ともは敢然と立ち上がる。
動けば疾風、発すれば雷鳴!
英姿颯爽・清廉潔白・品行方正・天真爛漫・奇妙奇天烈・摩訶不思議!
立てばシャクヤク、座れば牡丹、歩く姿は百合の花!
本邦初!唄って踊れる殿上人!
人呼んで「時の女」
ご存知、四代将軍・源とも!
今宵は、将軍様御自ら著したと伝えられる天下の奇書「源とも物語」より抜き読み。
源とも“華の生涯”をザックリ掻い摘んでご紹介いたします。
初めてのひとでも安心!
今更「四代将軍とも」本編や外伝なんてメンドクサイ方に!
勿論、お馴染み様には改めて復習していただきましょう。
これでアナタもバッチリ六波羅通!承久国民の仲間入りですぞ!
題して「四代将軍源とも一代記」!
はじまり、はじまりぃーっ!
建保七年正月、時の将軍源実朝、鶴岡八幡宮にて暗殺さる!頼朝以来の源氏将軍家は僅か三代にて断絶!まこと諸行は無常でございます。あとを執った北條は平氏。嗚呼、巡る因果は糸車。
武家が力で奪い取った天下はまだまだ不安定。そこへ肝心カナメである将軍、非業の死!鎌倉は動揺します。この機に敵が決起すれば・・・保元平治、戦乱の世に逆戻り!
窮余の一策、幕府は、北條政子を暫定将軍に就けました。申すまでもなく、故右大将頼朝公御台所にして、将軍頼家・実朝の生母!源将軍家亡き後、幕府の象徴足りうるのは、政子を於いて他にない。尼将軍政子に御家人は感激、結束!西国筋での不穏な動きもピタリと止みます。当面の危機は回避。
しかして「征夷大将軍」、いつまでも還暦過ぎの未亡人という訳にもいきますまい。何しろ天下兵馬之権を持つ武家の棟梁・幕府の長、であります。相応しい人物を据えねばならぬ。かといって、執権・北條義時では如何にも露骨。
幕府北條としては、将軍は「飾り物」にしておきたい。神輿は華麗で軽いほうが良いもの。野心を持たぬ無害な、それでいて人品骨柄賎しからぬアレコレ・・・まるで”注文の多い料理店”ですが、幕府はいたって大真面目。意中のひとの目星までつけていた。狙いはズバリ!皇族、宮様であります。厚顔にも鎌倉下向を奏上いたします。
勿論、朝廷は大反発!何のことはない、テイの良い人質ではありませんか!まして時の帝は大の武家嫌い。オイソレと大事な親王を差し出せるか!・・・ではあります、ではありますが、現実はキビシイ。既に天下の実権は武家に奪われています。喉元に刀剣を突き付けられては抗う術はない。とどのつまり、天子様が脅しに屈し人質を差し出す羽目に!耐え難きを耐え忍び難きを忍ばねばならぬは恥辱!
この謂わば国難に千載一隅、彗星の如く現れた美少女!
左様、我らが源とも!
源とも!故右大将頼朝公の末子、母は京の白拍子・とき葉。道ならぬ恋、ともは出生から騒動が付き纏います。浮気と隠し子が発覚したからもう修羅場!嫉妬の鬼・悋気の権化、正室政子は発狂せんばかりに大暴れ。それでも出家を条件に何とか命だけは救われた。赤子ともは京の尼僧・知栄院昌恵に預けられる。法名「春香」として仏門に入ります。
ところが、此度の変で将軍実朝横死。下手人公暁も殺される。公暁、実朝の兄頼家の子。つまり叔父甥ですな。そして実朝には子がありません。と云うことは将軍家全滅、名門河内源氏の血はここに絶えたのです。
・・・が、ちょっと待ってください。いや、ひとりいました。京の尼寺に在る「春香」ともです。女子とはいえ、清和源氏主流の血を引く最後の生き残り。何という天の配剤。
平氏北條にとっては主筋であります。天下を狙うには、これ程邪魔な者はない。目の上のタンコブ。生かしておいては危険極まりない存在。どうかすれば、反対勢力には格好の神輿となりましょう。即座に鎌倉から刺客が放たれます。今のうちに禍根を断つ!・・・よりも「良人が他の女に産ませた子」憎んでも憎み切れない!尼御台政子の私怨嫉妬が大だったもしれません。
が、とも間一髪で脱出!そして密かに鞍馬山に潜伏します。かつて牛若丸修業の地。ともはここで学問や剣術の極意を会得したのです。九郎判官義経を鍛えた天狗達も「夢よ、もう一度!」と望みを託す。噂を聞き及び、反幕府反北條の輩が続々と集結。さながら梁山泊の様相!機は熟します。時は今!
満を持して、とも下山。帝の乳母・卿ノ局を訪ね、朝廷に御味方仕る!
源ともの登場は余りに唐突、衝撃的でありました。
ともは将軍家を継ぎ従五位下に叙せられます。更に大胆にも「征夷大将軍」を要求!高名な源とも「大将軍論」はこの時のものです。
すなわち、征夷大将軍とはー
いにしえの坂上田村麻呂は知らず、当代においては武家の棟梁を指す。天下兵馬之権を掌握し、幕府を開き、帝に代わり政を司る。そしてその資格は、
「源氏の独占、世襲により継承!」
そもそも「征夷大将軍」、文字通り“討伐軍司令”を表す令外官であります。必要に応じての臨時職に過ぎません。ところがこの「征・夷・大・将・軍!」という勇ましい字面がいかにも武家好み。頼朝は「征夷大将軍」に就き「幕府」を開いて天下を治めました。勿論、単にカッコ付けではありません。頼朝の狙いは、朝廷と距離を置くことでした。律令下で官位に組み込まれるを良とせず、より自由で対等な立場を得たのです。本拠を鎌倉に置いたのも、公家や寺社の干渉を避ける為。この点、平氏の“栄光と挫折”に学んだといえるでしょう。太政大臣清盛を頂点に平氏一門は官位に栄達。そして「平家に非ずんば人に非ず」瞬く間に驕り昂ぶり堕落。遂には腑抜けとなって西海に沈んだのであります。
ともはこの平氏の公家化を、武家を捨てたと断じ「将軍任官幕府開設の意思なし」と結論づけます。それを踏まえて「将軍は武家の棟梁」かつ「源氏独占」を正当化しました。
しかし、源とも説は明らかに牽強付会でしょう。頼朝の隠された意図を、あたかも条件であるかのように表明したのです。ところが、幕府と対立している朝廷にとって、何とも魅力・好都合。武家源氏から将軍を出すなら、ワザワザ宮様にご足労願うまでもない。しかも、平氏である北條の将軍就任を永久に封じられるのです。また「征夷大将軍」「幕府」を武家専用の権威にしてしまえば、鼻持ちならない成り上がりの乱暴者を、隔離し宮中からも排除できる。そして今後一切関わらずに済むではありませんか。
イヤハヤ、如何に源氏方とは云え、仮にも武家の側からこんな話が出ようとは!
朝廷は大喜びでこの提案に飛びつきます。
といって、スンナリ「源とも将軍」とはいきません。尚、紆余曲折がありました。
「武家の棟梁が女人に務まるか!」なる批判は当然沸き起こります。
だが、当の幕府が“女人ではダメ”と声高に言えない。そう、尼御台政子の存在です。政子は尼将軍として鎌倉に君臨しておりました。尼御台は「“源将軍家所縁の者”で、非常時故、女人でも構わぬ」と将軍になった。そして政子自身、将軍として強烈な自負があります。女人の否定は、政子の否定。当人が許さんでしょう。
しかしですね、女人はともかくとして、武家の棟梁・幕府の長がですよ、老骨に鞭打つ比丘尼では余りにも痛々しい。もっと若くてピチピチした由緒正しい候補があるじゃないですか。
ホラ、源とも!ですよ、ミ・ナ・モ・ト・ト・モ!頼朝公末子で御歳ニニ!
これは北條の墓穴、勇み足。自縄自縛、身から出た錆。皮肉にも政子の存在が「とも将軍」を決定づけたのです。
承久元年四月十二日、源とも「征夷大将軍」宣下。
ともは、帝より六波羅を拝領します。言わずと知れた、平大相国清盛邸跡であります。武家の王者に相応しい屋敷。ともはここに「幕府」を設置いたします。当然でありましょう。そもそも幕府とは「将軍の居るところ」なのですから。
そして従来のものは「鎌倉幕府」と勝手に命名。理由は六波羅「幕府」と紛らわしいから。ですが、これで鎌倉は一気に地方組織に格下げの感。武家側は嫌な顔をしたものの、区別に便利と、鎌倉幕府はタチマチ定着してしまいます。どころか単に「カマクラ」と呼ばれる始末。
更にともは「四代将軍」を名乗ります。同時に、初代頼朝・二代頼家・三代実朝と追認、代を数えることにより、源氏による将軍世襲を正統化。内外に強烈に印象づけました。
これらは後世にまで多大な影響を及ぼします。のちの武家の覇者「足利」「徳川」は先例に倣い、「源氏」を称し「征夷大将軍」を代々世襲。「幕府」は「室町」「江戸」と在所で呼ばれたのです。
四代将軍源ともが真っ先に手掛けたのは人事でありました。
前将軍死去により「無効」とし、幕府中央から地方に至るまで役職を総て解任!そして即日「四代将軍命」にて全員再任いたします。
「?!」二枚の辞令を前に、誰もが首を捻る。何のことはない、これまで通りではないか!しかし、ここに罠がありました。任命者が「四代将軍」なのです。執権義時をも含めた鎌倉方は皆、四代将軍源ともの家人となった。
「御恩」を受けてしまったのです。当然「奉公」せねばならぬでしょう。
四代将軍源ともは毎朝、六波羅屋敷を出発して御所へ向かいます。白い直垂、水干を身に纏い、立鳥帽子に白鞘巻きの刀。騎馬にて颯爽と進む姿は、荘厳かつ華麗。煌びやかで、極彩色の絵巻物から抜け出た様。
一見の価値あり。たちまち路傍には見物衆で溢れ返る。何しろ派手な行列!その中心は妙齢の女人!目を見張る長身に男装武者姿は妖艶ですらありました。しかも、あろうことかあるまいことか、源ともは凛として素顔を晒しているのです!何たる破廉恥!大胆不敵にも程がある。そもそも、高貴な御方は下々に姿を見せない。であるのに、従五位下四代将軍源とも様は堂々と都大路を闊歩いたします。前代未聞!まして女人は年増ともなれば庶民ですら人前に出ぬようにするもの。それがアナタ、結構なご身分の嫁入前の姫君がですよ、不特定多数の視線を一身に集め、それどころか目が合えば微笑み返してくれるから、さぁ大変!どうする、どうする!ビックリ仰天、狂喜乱舞!都人は度肝を抜かれ魂を奪われた。つまりは、四代将軍に一目惚れ!
夜が明ける前から六波羅屋敷の前は黒山の人だかり。門が開き、ともが現れると万雷の拍手喝采!民衆は行列の後に続いて御所までゾロゾロついてくる。ともが内裏に消えそして出てくるまで、彼等は辛抱強く待つのです。帰路も同様、あとをついて六波羅まで戻ってくる。これが連日、飽きることなく繰り返された。
四代将軍源ともは登場直後から圧倒的な人気を得ましたが、その最大の要因はこの行列でしょう。最早、武家だの源平なぞどうでもヨロシイ。道理も訳もありません。源ともが絶対的に正義!貴賤問わず老若男女、残らず四代将軍の味方!
一方、北條は何もしないのに四面楚歌。何時の間にか、”奸計を用い天下を奪った極悪人!”主筋である継子を苛める恩知らず!”なる烙印を押されたのです。
さぁ、ここから四代将軍源とも、怒涛の快進撃!
”洛中を震撼させた殺人鬼や盗人を駆逐!”
”山賊海賊を撃破!邪教集団を殲滅!”
”妖怪変化、魑魅魍魎を調伏!“
”竜に乗り雲を操り風雨も自由自在!”
”北嶺南都の僧兵にも一歩も怯まず!”
そして何より、堕落した公家や乱暴狼藉な武家を激しく非難したのです。
天下は沸騰!そう、四代将軍源ともの活躍は瞬時に世間に知れ渡りました。あらゆる逸話が、人の口から口へと伝播。噂は信じられない速度で、都から地方に至るまで浸透したのです。
源ともは「評判」を重視した、おそらくこの国で最初の為政者でありましょう。どの時代でも権力争いは血みどろの権謀術数、手段は選ばない。勝った者が正義!真相は闇に葬られてきました。ところが、源ともはその過程を可視化。己の一挙手一投足を細大漏らさず公開したのです。かつて平大相国清盛は、禿に密偵させ、陰湿に批判者を弾圧しました。源ともは真逆!自ら話題を振り撒き、陽気に支持層を拡大していったのです。
結果、ともばかりでなく、その家人共も人気となります。何しろ、ともの配下は玉石混交・種種雑多!
伊賀忍者・英次、天竺帰り妖術使いコウケツ、羅生門のコソ泥カブト、荒法師・善行等々。今が旬、人呼んで「花の六波羅衆」!京では五つの童でも知っている。
源ともの功績として“娯楽の提供”が挙げられます。
代表的なのは、戦乱で長く中断されていた「祇園御霊会」の復活!関係各所への働きかけに尽力したばかりでなく、催しを以前よりも一際盛大に執り行う念の入れよう。豪勢な山鉾や賑やかな巡行!これには、公家から庶民まで挙って熱狂!そして祭りの最高潮は、源とも率いる六波羅幕府による演舞!何と何と、ともが牛若丸に扮し、五条大橋で唄えや踊れの乱痴気騒ぎ!ともが弁慶役の善行を仕留めるや、大歓声と足踏みで橋は大きく揺れた。さて千番に一番の兼ね合い、ともは欄干の上にスックと立ち、そこから見事に宙返り!驚愕!興奮の坩堝!
「時の女」源とも!いやはや、その人気は凄まじい。殺到する求婚者を振り切る為、丸坊主になったという笑えないオハナシも残っております。
ともは、ひとびとに希望を与えました。人として生きるには、衣食住の確保だけでは足りぬのです。喜怒哀楽、天命を全うしてこその人生ではありませんか。
「上に立つもの」は、ひとがひとらしく生きられるよう導かねばならぬのです。
しかし源ともが最も情熱を注いだのはやはり、北條との対決でした。
四代将軍として気侭な命令を次々と下す。また西国守護や関東源氏といったところへ、しきりと文を送ります。寺社勢力をも取り込み、連携し鎌倉包囲網を築いていったのです。
ともの戦略は雄大でした。
鎌倉は頼朝公が手塩にかけた難攻不落の要衝。攻略には先ず敵を引き摺り出さねばなりません。とも自身を囮として討伐軍を率いて進撃!まんまと手に乗り、ウカウカと出陣すればしめたもの!小規模な鍔迫り合いで、戦場を西へ西へと誘導します。充分に引き付けておいて、その隙に空国となった鎌倉を、背後から関東源氏が襲撃占拠。そして補給の伸び切った幕府軍を美濃あたりで東西から挟み撃ち!・・・ちなみにこの作戦、ざっと百年後に源氏新田義貞によって完全に遂行され、鎌倉幕府は滅びるのです。
驚いたことに、ともはこの謂わば秘策をも世間に広めたのです。手の内を明かしたのは、鎌倉方を追い詰める為でした。勝ち目がないと思い知れば、幕府は内部から崩壊するでしょう。そう、ともは仲間割れを期待しました。大江広元や三浦義村あたりが、北條を追放してくれれば戦なぞする必要はない。いまの幕府はあまりにも北條が突出しイビツ。均衡が取れていない。これを叩き、精々一御家人にまで落とす。武家の長は、あくまでも将軍でなければならぬ。その道理さえ弁えれば、それ以上の流血は望まない。
この最中、源ともと北條得宗家惣領・泰時が極秘裏に東山で会談。
ともは驚くべき提案を示す。即ち「尼御台政子・執権義時の隠居」、引き換えに、とも出家。将軍職は皇族の布智王に譲る。幕府機構は都に移設。宮将軍の実現で朝廷と幕府が一体となれば、これまでにない強力な国家が生まれるでありましょう。
しかし泰時、怒髪天衝き、即座に拒絶!交渉は決裂!
風雲急の八月末、都の八幡宮において清和源氏主流河内源氏将軍家、頼朝・頼家・実朝の法要が盛大に執り行わます。喪主は勿論、四代将軍源とも!
皇族・公家が多数参列。神社仏閣からも寄進があり、一般の焼香は無慮数千の人人人!京ばかりでなく大和大坂、更に遠方より続々と蝟集してきたのです。
さて武家、北條及び鎌倉方は当然の如くこれを無視。また各地にも参列せぬよう通達します。しかし、かねてより北條に不満を持つ者はこの機会に旗幟を鮮明にしました。別流源氏はもとより、西国の主だった武家が出席。堂々と四代将軍に従い、存在を誇示する有様。
喪主挨拶で、ともが「国家安康!君臣豊楽!」と締めるや、満場が唱和!異様な盛り上がりは、さながら反北條決起集会!
この法要は、四代将軍源ともの人気と勢いを改めて満天下に示すものとなったのです。
出る杭は打たれる。やはり、ともはやり過ぎました。
遂に北條は形振り構わず牙を剥いた。
法要直後、ともは刺客に襲われます。幸い、間一髪で暴漢は取り押さえられる。下手人は平五郎元盛、壇ノ浦に沈んだ伊勢平氏の末裔。「御家再興」を餌に、泰時に命じられたのです。元盛は何と何と六波羅の厩番として潜入。魔手は身辺にまで及んでいた。迂闊、不覚!
が、絶好の機会でもありました。北條が正体を現したのです。
ともは乾坤一擲の勝負に出る。
「帝の朝臣である将軍を刃傷に及ぶは、朝廷に弓を引くも同然!」
逆賊として「北條義時追討」を敢然と要求。
しかし、帝は難色を示します。朝廷は戦を怖れた。逆に源ともの官位を剥奪・謹慎を命じたのです。
承久元年九月九日、源幕府滅亡ス!
万事休す!六波羅は北條軍三千に包囲されます。泰時は無慈悲にも降伏を勧告!しかし、ともは最後まで屈しない。
突如、ズドンという爆音と共に轟然と立ち上る黒煙!メラメラと紅蓮の炎に包まる!あまりの火勢に包囲軍は近寄ることもできず。泰時、顔面蒼白、六波羅幕府の炎上瓦解にただボーゼン・・・
おーっと!丁度時間となりました。
絶体絶命!窮地に陥った源とも、自ら火を放つとは! ヤケのヤンパチ、自暴自棄?
それとも起死回生の秘策、ありやなきや!
果たして、源ともの運命や如何に!
・・・これから先が面白い!
ありがとうございます、ありがとうございます!
またの機会をご贔屓に!
それでは皆様、御機嫌よう!左様なら!




