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旭東帝國奇譚  作者: 主任
第一話
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第一話 その弐

ちょっと長めです。

「ごめん、やり過ぎた」

「全くだよ」

 宇埜井有姫うのい ありひめは激怒していた。

 折角接触出来た警察組織上層部の一人をあろうことか混乱のどん底に追い込んだ八咫烏に対してである。

 温厚な有姫だが、組織全体に関わることとなれば怒らざるをえない。

 苛立つ感情が神経質にさせるのか、度々眼鏡の弦を触っては位置を調整している。

 二十後半という歳の割には、というか学生にしても小柄な彼女だが、今は怒気の混ざった妙な威圧感を発している。

「私は言ったよね。おとなしくしてろと。聞いたよね。おとなしくしろと」

「うん。無視した」

「反省しなさい。さもないと第弐号を覚醒させてけしかけるよ」

「それは勘弁して欲しいな……ボクといえどもただじゃすまなそうだし」

 八咫烏は珍しく目をそらして冷や汗をかいたような素振りを見せた。

 実際は分からないがとにかく八咫烏――第肆号は第弐号及び第壱号に敵わないという可能性が非常に高いので有姫は脅しに使う。

 機関が最初に確認し、自然災害規模の被害を帝國にもたらしいまだ底の見えない最高機密の未確認存在、それが第壱号と第弐号だ。同じ化け物といっても他とは格が違う。

「で、このおねーさんはどうするのさ機関長」

「そうね……本当は少し事情を聞いたらそのまま返すつもりだったのだけれど、どこかの馬鹿が先走ったせいで色々面倒になりました」

「いやーごめんね。はっはっは」

「反省しろコラ!」

「いたい!」

 有姫は八咫烏の頬をつねった。

 仙人であり未確認存在である八咫烏だが、どうやら耐久力としては人間と変わらないらしく嫌がらせ程度の攻撃は通るのだ。

「なので記憶の改竄を行いたいと思いまーす」

「さらっとゲスいことを言うね」

「というわけで、やれ」

 にこりと笑って有姫は下を指差した。

 そこにはベッドの上で眠る加奈子がいる。

「……え? ボクが?」

「あんた以外だれがいるの」

「機関自慢の科学技術とか使うのかと」

「ああ、それね。一時間単位の記憶しか消せないのよ。それに改竄となるとかなり厳しい現実がある」

「で、ボクという超常現象に頼ろうと言うのかい。全く、科学の名が泣くぜ」

「科学が泣くとしたらあんたらの存在に号泣してるよ」

「ハハッ、違いない」

 軽快に笑って八咫烏は片手を上げた。

 人差し指をついと持ち上げており、そこには緑のような黄色のような不思議な光が宿っている。

「で、改竄はどんな風にするよ?」

「私の説明を受けた加奈子さんは未確認存在に対して完全な理解を示してそんな存在に立ち向かう我々組織について好印象を持った――とかどう?」

「人間って汚い」

 八咫烏は苦笑いで返した。

「で、出来るの?」

「そりゃ勿論、余裕綽々さ」

 八咫烏の指先に灯った光が躍るように尾を引いて動き、加奈子の額に当たった。

 八咫烏はそのまま流暢に指先を滑らせて加奈子の額に光の文字を刻んだ。

「秘術“古転開今”。これで目覚めたら機関長の言った通りになっているよ」

「良し。ところで聞きたいんだけど」

「どうせまた技名云々だろ? いつも言ってるじゃないか。マンガで見て格好いいと思ったからやってるんだよ。それに何か締りがあってよくない?」

「思春期臭い」

「うるせー。あんたの記憶も改竄してやろうか」

「私の記憶が変わったら第壱号とかが暴走した時どうするのかなー」

「虎の威を借りやがって……どうせあんたも大したこと出来ないくせに」

 八咫烏が苦虫を噛み潰したような顔でつぶやくのと同時に加奈子の瞼が開いた。

「あ、目が覚めましたか。無事で何よりです」

「…………誰かしらこの子供?」

「おい、機関長。あんたずっとスピーカーで話してたんだから自己紹介くらいしろよ」

「うわ、こっちの子供は何? こんな服着せられて……お姉さんが保護してあげるから安心しなさい」

「違う! ボクはそんないかがわしい人間じゃない! いや、そもそも人間じゃない! この服はただ単に趣味だ!」

「可哀そうに、他の生き方を知らないのね。大丈夫、あなたが思っているほど外は悪くないわよ」

「だから違うっての。おい有姫! さっさと誤解をといておくれよ。じゃないと色々滅茶苦茶にするよ」

「それは困るな……。申し遅れたね加奈子さん。私は国立未確認存在対処機関の機関長代理をしている宇埜井有姫だよ。以後よろしく」

 加奈子は目を丸くして答えた。

「確かにあのスピーカーの声と一緒だけど、機関長にしては若すぎないかしら?」

「失敬な。これでも二十八なんだけど?」

「あたしより年上なの!?」

 加奈子は大口を開けて驚いた。

 ふと、何かを感じて八咫烏の方を向いた。

「ああ、ボクは八咫烏っていう仙人という種類の未確認存在さ。ちなみに年齢は二百歳くらいから数えてない」

「冗談でしょ」

「いえ、彼女の言っていることは事実と思われるね。数百年前の記述に彼女の存在をほのめかす文献が五冊ほど発見されてるし信憑性は高いと言える」

「はは、二百年前のことなんてもうあんまり憶えてないけどね」

 カラカラと笑う八咫烏の姿はどう高く見積もっても十代後半でとてもじゃないが数百年の時を過ごしたとは思えない。

「ま、別に信じる必要はないし強要する気もないから好きに考えればいいよ」

「そ、そうかしら……」

「そうです。今はそんなことより“U字撲殺魔”こと第拾壱号 [ Killer on the beheaded horse(首無し馬の通り魔)]の対処が先です」

 そういって有姫は左手に付けた円環状の機械のボタンの一つを押した。

 すると腰のあたりで構えたその機械から空中に画面が広がり、帝國の地図を形成した。


 ここで簡単に帝國について説明しよう。

 有姫や加奈子の住むこの国は名称を“大旭東帝國”という君主制半民主主義の国家である。

 帝國の領土は歪ながらも円形をした島であり、海と大陸の間には巨大な城塞『アラル山脈』が連なっており外界からの侵略者への対策としてそそり立っている。

 帝國の西には帝國の倍の領地を持つ“シュラストリアス王国”。北には八つの国が連邦を組んだ“アルマン共和国家”があり、別に関係も悪くはないが昔の名残という建前でそれぞれ軍や砦などの設備は整えている。

 帝國の内部は中心に帝都 “第一都市”を据えて残りは北から時計回りに八つに分かれた“八大都市”が周りを囲んで形成されている。

 第一都市は総括的な政府機構や国の重要決定権を持ち、帝國の『帝』である帝國姫が君臨している。

 そして八大都市はそれぞれ伝統、宗教、審判、娯楽、産業、医療、科学、軍事の八つの機能を司っておりそれぞれが帝國の要となっている。


 今、有姫らがいるのは中でも帝國の西を占め科学を司る第七都市である。

「これを見てください」

 有姫が地図を拡大しながら指を走らせると第四都市から第一、第七まで赤い線が地図に書き加えられ、その線上に二十九ほどの点が明滅した。

「この線は昨晩第拾壱号が目撃された場所を線で繋いだものです。どうです? 見事に一直線に並んでいると思いませんか」

「へぇ、あたし以外にも見た人いたんだ」

「貴女以外は死亡してたり錯乱してたりしていて詳しい話は聞けませんでしたがね」

「そうだよー。まぁめんどくさいから全員に自白剤とか使ったけどね」

「……八咫烏」

「じょ、冗談さ! 機関はクリーンな組織だからね! それはそうとところでその髪飾り可愛いね」

 取り繕うように八咫烏は加奈子の装飾品を指差した。

 加奈子の頭、正確にはポニーテイルに結ったその結び目には赤い鼻緒の黒下駄を模した髪飾りが付いているのだ。

「ああこれ? これは昨日誕生会で友達がくれたの。なんでも縁結びに効果があるとか……」

「ふーん。いいね。ボクも欲しいよ。それにしても第拾壱号はどっちに向かっていることになるのかな? どうやらこの線は東西に平行になっているみたいだけど……これだけじゃどっちに進んでいるか分かったもんじゃない」

 八咫烏の言う通り、いくら目撃証言が重なっても次につながらねば意味はない。

 明け方には消失しているが恐らくまた第拾壱号は現れる。

 ならば対策をせねばまた被害者が出るのは明白である。

「そこで加奈子さんの出番ですよ」

 突然話を振られて加奈子は肩を震わせた。

「へ? あたし?」

「そうです。どうやら第拾壱号は映像には残らないようで監視カメラには人間がひとりでに圧死する姿しか映っていないんです。それに体感ではどうか分かりませんが第拾壱号はかなりの速度で動いていたようでその映像にもタイムラグがないので予測のしようがないんです」

「分かった。じゃああたしが目撃したところを拡大してみて」

「はい」

 有姫が操作すると地図がさらに拡大し、詳細な航空写真に変わった。

 昨夜加奈子が首無し馬に遭遇した通りは蹴り飛ばした自販機の場所から二百メートルほど進んだ場所、それより先にも後にも街灯がないという辺鄙な場所である。

「ここよ。ここの東側にあいつは進んでったわ」

「ふうん、西から東へ進む怪異か。日落つる場所から日出る場所へ……意図は分からないけどセオリーを無視できる程には強力で、少なくとも危険度は上を超えるだろうね」

 危険度とは未確認存在の脅威の尺度だ。

 下から順に無、低、中、上、特上の五つがある。

 無ならば文字通り無害。低ならばただの人間にも対処でき、中ならば装備や準備をすれば人間で対処可能。上になれば集団で準備をしても対処できる可能性が低く、特上より上になればそれはもはや人類の手には負えない規格外の化物と言える。 先刻のサルのペーパークラフトが危険度無。八咫烏が危険度上。話の端に現れる第壱号及び第弐号が特上である。

「上か……。機関長代理より第拾号管理職員へ伝達。五体生産し装備をさせて六番室で待機させよ」

『了解』

 端末を弾いて命令すると左手の機械から威勢のいい声が応じ、そして雑多な機械音が流れた。

「五体で足りるかな?」

「それ以上の犠牲は無意味と思うからいいの」

「なるほど納得」

「あのさ、その第拾号って何よ?」

「ああ、加奈子さんは知らなかったか。第拾号は [ The factory of professor M(М博士の冒涜工場)]と言ってね。ある愛国心溢れる科学者が残した危険度低ながら機関に素晴らしい恩恵をもたらし恐らく使用法によっては帝國にも大いに役立つ未確認存在なんだ。ただ、倫理を無視しているという点で問題がある上に技術的にも謎が多いため我々の機関が保管しているんだよ」

「つまり……第拾号は何をする何なの?」

 加奈子はなんだか嫌な予感がしたが続きを促した。

 八咫烏は据わった眼で口元だけを歪めて言った。


「クローン人間を無限に製造する装置さ」


 加奈子は足元が崩れ落ちるかのような不安感に襲われた。

「そっ、そんな非人道的な装置があっていいの!?」

「はっはっは、それを作ったのは紛れもなくМ博士という人間なんだからそれをボクみたいな人でなしにいうのはお門違いさ。それに、非人道的というなら処分するのも倫理的に問題が生じるんだよ」

「まぁかなり不思議な理論になるのですが、クローンといえどもМ博士という一個人……いや、複数個人ですかね。まぁそうなるのであの装置を破壊すれば彼らは生産されませんし生存できません。そうなるとМ博士を殺すことにつながるんです」

「いやいやいや、クローンでしょう? クローンは法律で禁止されているからオリジナルのМ博士以外のクローンに人権はないんじゃないの?」

「非人道的装置を排除するのに人権を奪うか。人間は面白いことをするねぇ」

「うるさい小娘」

「おお、怖い恐い」

 八咫烏がからかうように両手を広げて言った。

「それにその理論で行くともっとダメだ。何せМ博士は装置そのものになっているのだからね」

 加奈子は訳の分からなさに愕然とした。

「まぁここまで説明しといてなんだけど貴女は部外者だから第拾号を処分することは勿論、使用することもおろか見ることも出来ない。だからボクという夢見がちな小娘の戯言だと受け取るのが一番だよ」

 加奈子は不満ながらも八咫烏の言う通りにも思えたのでそう考えることにしたが、それは儚くも現実によって打ちのめされることとなった。

「「「「「我らМ五体、只今到着しました」」」」」

 扉を開けて入ってきたのである。

 同じ顔、同じ体格、同じ服、同じ声、どこを取っても同じの五人の成人男性がである。

「……あー。彼らはあれだよ、五つ子だよ」

「「「「「何を仰いますか八咫烏殿。我々をお忘れか! 我々はМ博士であります!」」」」」

「黙ってろ。ややこしくなるから」

「「「「「了解!」」」」」

 五人は一斉に言った。

 その息遣い、仕草、態度のどれも完全に一致している。

「……それがクローンなの?」

「あー、うん。そうだね」

 八咫烏はちらりと有姫を見やった。

 もうどうにでもしろといった風に彼女は首を振った。

「はい、これがクローンです」

「「「「「よろしくお願いします!」」」」」

「黙ってろ。さもないと全身水膨れにするぞ」

「「「「「…………」」」」」

 八咫烏の蛇さながらの細めた目に睨まれたМ博士の小隊は同じように身をすくめ、押し黙った。

 加奈子は開いた口がふさがらなかった。

 帝國は他の国と比べ科学技術の発達した国家であることは今日日赤子でも知っている。

 だが、しかしだ。

 それでも万能という訳ではない。

 帝國は人間の複製や古代生物の復元などは出来ない筈だった。

 だが、そうは言うが目の前にはクローン五体。

 年端もいかない少女に睨まれて沈黙する様子から察するに自我もあれば人間性もある。その上、記憶もあるのだろうと思われる。

 とてもじゃないが人権がないなど面と向かっては言えない。

「で、何故ここに来たのですМ博士」

「「「「「生産された時に周囲に誰もいなかったものでここは機関長に指示を仰ぐべきだと考え、一部屋一部屋探し、ここに辿り着いたのです」」」」」

「答えるのは一人にしてください。で、職員がいなかったというのは本当ですか?」

「はい。誓って本当です。周囲を五人がかりで捜索しましたが職員殿らの姿はありませんでした。後、オリジナルが我々を作成中に『第陸号が現れた』という趣旨の会話を聞いた記録がありますのでそれが関係するものと思われます」

「第陸号か……奴がまた現れたのね。つーか放送しろよ」

 有姫は渋い表情でうつむいて爪を噛んだ。

 補足すると第陸号 [Millennium actor(虚ろう道化師)]は最初期に観測された第壱号~伍号に続いて観測された未確認存在である。

 第伍号と第陸号は安定状態になり機関に収容された他の存在とは違いその人智を超えた神出鬼没性により機関内及び帝國市街に不定期に現れては何らかの異常を引き起こして去るので機関では特別の警戒を持って接せられていた。

「八咫烏。機関の長として命じます。あの馬鹿を八つ裂きにしなさい」

「りょーかい。じゃ、新しいのは他の誰かに頼んでね」

「当然」

 加奈子が困惑していると、次の瞬間八咫烏の姿がまるで唐突に透明に覆われたように忽然と消えた。

「瞬間移動!?」

「いえ、機関でも当初そうかと思われていましたが観察及び実証の結果、我々の意識を数秒奪ってその間に移動しているだけだと確認されています。まぁ瞬間移動が出来る未確認存在もいるにはいますが」

 有姫が左手の輪の一部を不規則に押すとパッパッパッと空中にモニターが三つ投影され、それぞれ別の場面を流し始めた。

 右上は呆然と佇む加奈子と有姫を小馬鹿にしながら部屋を去る八咫烏の姿が映りそして消え、左には黒い学生服を着た少年と対峙する八咫烏の姿が、右下の画面には真っ白な部屋にて椅子に座るスーツ姿の長身の男が何もせず静かに眠っていた。

 最初の場面は有姫が言ったことの裏付けに、二つ目は有姫が八咫烏と第陸号との交戦を観察したいがために、そして最後は職務の為に映し出したものである。

「第弐号――八十神晃守。仕事よ。起床しなさい」

 有姫の声を受けて、画面の男がのそりと立ち上がって伸びをした。

 男はすらりとした手足と均整の取れた体躯からかなりの長身に見受けられ、顔立ちも整っており一見するとただの俳優に見えた。

『仕事か。この私が外に出ていい、というのかね?』

 男は落ち着いたよく通る声でやけに尊大にそう言い放った。

「ええ。そうよ。相手は危険度上の化け物。ならばこちらも化け物で対抗せざるを得ないの」

『毒を以て毒を制すのは先人の知恵だ。だがしかし、私が暴走したとして君らは止められるのだろうか』

 ――私のようなものはこうして閉鎖された場所から動かさない方が君らの為だと思うがね。

 という晃守の言葉は画面越しにも関わらず加奈子たちの耳元で鳴ったように心の底をよくくすぐった。

「……そうはいかない。これまでで死傷者は六十を超えている。これ以上の犠牲は……出せない」

『私を解き放ってでもか』

「貴方以外にあれに対抗出来るようなので今動かせるものはない。本音を言えば貴方は動かしたくはない。でもそうしなきゃいけないの」

『ふむ、それがどれだけ危険かは私には想像できんが……そこまで言うのなら動くのもやぶさかではない。即座にそちらに馳せ参じよう。では、扉のロックを解いてくれ』

「清。聞こえてるでしょ。開けなさい」

 有姫の声に今度は随分軽そうな声が返事をした。

『え~僕がぁ? 今僕はゲームしてて忙しいんだ。晃守さんにぶち抜いて貰おうよぅ』

「や・り・な・さ・い。じゃないとあんたんとこの電力切るわよ」

『うへぇ、それは勘弁してほしいなぁ。分かった開けるよ。ほーれ開錠』

 警告ブザーが館内に鳴り響き“第弐号解放”とけたたましく放送された。

 すると画面上で八咫烏と睨み合っていた少年と思しき物体がふいに顔を上げた。

 すかさずそこを八咫烏が――どこから取り出したのか、随分野蛮な長刀で切り裂いた。

 加奈子は顔をしかめて逸らした。

『あはははははははは! 久々だなぁ! 首を切られたのは!』

 しかし少年は加奈子の想像とは違い、絶命することもなく、どころか傷口から出血もせずにその傷口から生えた歯をけたけたとならして哄笑した。

『気色悪いなぁ。死ねよ化け物』

 八咫烏は言葉とは裏腹に薄く口角を上げて呟くと両手に携えた長剣をかざして見事な動きで少年の全身を切り刻んだ。

 しかし少年は死せず、どころかますます増えた口を開けて笑う。

『『はははははは!』無駄だよ』『僕にそんな単純な攻撃なんて』『通用するとでも思ってるのかい?『『馬鹿じゃないの?『あっははははは!』

 加奈子は気分が悪くなったので有姫の肩を叩いて静止を促した。

「ふむふむ。形態変化が出来るのは知ってたけれどあの程度なら切られる瞬間に変容出来るのか……興味深い」

 有姫はまるで日曜朝八時に始まる例の特撮番組を見る子供のように目を輝かせて画面を見ている。

 ダメだ、と思った加奈子は額を抑えながら無言で部屋を立ち去った。


 部屋の扉は八咫烏が無理矢理開いたままであったので簡単に出られてしまった。

 金属質な銀色の壁が続く廊下は壁や天井に謎の配線がこれでもかと這っていて見るからに怪しく、また誰一人として人がいないのもまた怪しかった。

 取りあえず外に出るか、と加奈子は考えたがこの施設の地理は当然知らない。

 ただの施設なら、腰に拳銃もあるのだし手当たり次第に散策していくという手も使えるのだがこの施設の危険性は尋常ではない。

 あのとんでもない場面は加奈子には滅茶苦茶すぎてよく観察出来なかったがそこは腐っても警察、ある程度は覚えている。

 だがその記憶が問題なのだ。

 加奈子の見た範囲では加奈子が今いる場所とあの人外の少年少女が交戦していた場所はほとんど同じなのだ。

「あぁ、迂闊だった。あんなのに出くわしたらさすがに生存出来ないわ。いや、っていうかあんなの実際に起きてるの?」

 独り言だが加奈子はその説得力に目を開いた。

 考えてもみろ、あんなアクション映画みたいなこと現実で起こる筈がない。

 この施設の異様な雰囲気と妙な空気に毒されて信じていただけなのだ。

 あのサルだってなんだ、あの時は驚いたが結構な子供だましじゃないか。

「なーんだ、あたしって馬鹿みたいじゃないか」

 そうと分かればことは単純、当初排斥した案を採用して手当たり次第に散策し、この怪しい施設の解明と脱出を図る。

 と、いうわけで目についた扉を開けてみた。


 鎖に繋がれた単眼六つ足の化け物がこっちを向いた。


 無言で閉めた。

 キキキキキキキキキ! と歯車の軋むのに似た耳障りな音が中から聞こえるが気のせいだろう。気のせいだと言ってくれ。

 扉が向こうからかなり強い力で叩かれている。

 もう気のせいとは思えない。

「なんであたしがこんな目に……」

「そりゃあ無闇に未確認生物保管庫を開けるからさ。なに、そうは言っても彼らはそこまで危険ではないよ。まだ生物なのだから」

 よく響くバリトンボイスが後方からすると同時に壁を叩く力が急速に弱まり、ついには消えた。

 奇怪な鳴き声ももうしない。

「しかし君、誰だね?」

 振り向けばそこには男が一人。

 身長は二メートルないぐらいと高く、すらりとした体系に黒いスーツがよく似合っている。顔立ちははっきりしており、オールバックにした髪も相まってどこかやり手の実業家のような雰囲気を出している。

 一つ気になったのは、ネクタイが黒だったというだけで他はただの男に見えた。

「ああ、あたしは永加奈子といって化け物を見て気絶した結果ここに運び込まれた一般人です。出口を探しているのですが……教えていただけませんか?」

「ならばこの私に任せ給え、といつもなら言うのだが生憎今は出口でちょっとした騒ぎが起きてね。そうもいかん」

「そうですか」

「そうなんだよ」

 会話が途切れた。

 知らない相手同士なのだから当然と言えば当然だが、こういう場合何故かいたたまれなくなるのが人間である。

 加奈子はそう思って口を開いた。

「あなたは職員なんですか?」

「いいや、違うよ」

「え? じゃあ何なんですか?」

「そうだな……協力者? かな」

「そうですか」

「そうなんだよ」

 男は場を和ますようににこりと笑った。

 妙に胡散臭かった。

「資産家……ですか」

「いいや、私は一文無しだ」

 悲しいカミングアウトだ。なのに何故こいつは偉そうなんだろう。

 加奈子は不思議に思いつつ質問に答えてくれるこの男からなるたけ色々と聞き出そうと思い、そのまま実行した。

「でも一文無しでは生きていけないでしょう?」

「いいや、意外と生きていけるものだよ」

「そんな馬鹿な」

「実際そうなのだから仕方ない」

「……まさか」

 ここで加奈子はようやく気が付いた。

 機関の職員ではなく、それでいて協力する立場にあり、食わずとも生きていけ、そして未確認生物が恐れるような存在。

 それに加奈子はこの男に見覚えがあった。

 第弐号と有姫に呼ばれたこの男に。

「あなたは、人間じゃ……ない」

「今は、な」

 男は寂しげに笑って答えた。

「今は?」

「何、私にも色々あったという訳だ――おや、あまり与太話もしていられないか」

 廊下の奥が光った。

 その次には黒煙が渦巻き、轟音が壁を震わせた。

「避けるなよ化け物」

「やだね。僕だって痛いのは嫌なんだ」

 煙を突き破って出てきたのは二つの影。

 神社などで見るお札を竜巻のように吹かせながら天井や壁を自在に走り回る八咫烏ともはや半分以上が黒い無定形の滑らかな肉の塊と化してその攻撃を避け続ける少年の姿があった。

「あ、晃守さんじゃないか」

「余所見すんな」

 八咫烏が手を振ると今度は空中を青紫色の光が不規則に動いて少年に激突し、破裂音が響いた。

「逃げるぞ」

 加奈子は晃守に手を引かれてその場を後にした。


 結局、加奈子は元の場所に戻ってきたのだった。

「あら加奈子さん。元気ですか?」

 今はこの小生意気なメガネの子供が無性に愛らしい。

「誰が子供だって? 私はもう二十八だよ」

「どうしても年上には見えない」

「私も加奈子さんが年下には見えないなー」

「私も君らが二人とも年上には見えんな」

 長身痩躯の男は言った。

「晃守、監視はどうしたのよ」

「『僕ぁゲームのイベントが佳境だから一人で行ってきて~。場所分かるでしょ?』だそうだ」

「あんの野郎……」

 有姫はカチリと左手の機械のボタンを押した。

 遠雷とそれに伴う悲鳴が聞こえたような気がした。

「何をした」

「電撃かましてやった。今頃ゲームはショートするわ体はしびれるわであのやろーメチャクチャだぜざまーみろ!」

「やり過ぎじゃないの?」

「さあな……おっと」

 晃守の腰から突然電子音が響き渡った。

「失礼、電話だ」

 少し距離をおいて晃守はポケットから板状の端末を取出し電話に出た。

「私だ」

『晃守ですか。私です。今日も貴方の、そして貴方を愛し麗しい緋花です』

「君か。急ぎの用かね。少し職務が入ったのだが」

『そうですか。それは後回しにして私の話を聞きなさい』

「何事だ?」

『それがですね、郷愁の念に誘われて帰郷してみたのですが不思議なことに人っ子一人いなくて寂しくてしょうがなかったので電話した次第です』

「そうかね」

『そうですとも。今は子供の頃よく来ていた神社に来ているのですがこれがまぁ荒れていましてね。なんとも嘆かわしいことです』

「荒れた神社に立ち入って大丈夫なのかね? 我々のようなものがいるのだから神社にも何かしらいそうなものだが」

『これだけ荒れていればとうの昔に出て行っているのではないかと思います。なんでしたら写真でも送りましょうか』

「それは遠慮しよう」

『そうですか。では私は少しこの辺りを修繕してから帰りますので、今日の夜ぐらいには戻ります。故に花街などには行かないことですね』

「私が外に出れば帝國が大わらわだぞ」

『それもそうですね。では、また後程』

 晃守は端末をしまってそそくさと元の場所に戻った。

「で、私が今回相手取るのはどんな化け物だ」

「不明」

 晃守は拍子抜けした。

「分からないのか?」

「いんや。候補が多くて絞り切らない」

 ポチポチポチッと機械音がして空中にモニターが映った。

 同時に床からクッションが浮き出し、有姫はそこに体を投げ出した。

 空中モニターがそれに合わせて微妙に揺らぐ。

「それがねー。三つも候補がでてさぁ。大変なんだよー」

「有姫さん。一気に子供っぽくなったよ?」

「いーんだよ加奈子ちゃん。わたしなんだか疲れた。だからこのいつもどーりにだらけたこの感じで喋っていいよね?」

 ごーろごーろと有姫は右に左に揺れながら言った。

 とても二十八には見えない。よくて十八だ。

「別にいいわよ。代わりにあたしもいつも通りでいくから」

「よーし、じゃあ説明するよ。今回の未確認存在、発見番号十一[ Killer on the beheaded horse(首無し馬の通り魔)]の特徴は首のない馬。その上に角の生えた少女が乗っていること。そして西から東に夜の間だけ現れては移動し、その前にいる生物は全て踏み潰す。この四つ」

 ぱっぱっと画面が切り替わって地図と被害者の写真が映し出された。

「古文書やらひっくり返して調べたところ『夜行』、『デュラハン』、『御白様』という似たような妖怪、妖精、神が見つかった」

 三つの画像が照らし出される。

 一つは首なし馬に乗るぼろ布をまとった片目の鬼。

 一つは馬に乗った首のない黒い騎士。

 一つは首の切られた馬に乗る花嫁。

「この三体。たぶん大本は今回現れた第拾壱号で、それを見た古代人がこうして地域や文化によって言い方やらなんやらを変えたんだと思う」

「そうだろうな。私や大神と同じだ。強大で意思疎通の困難な化け物の捉え方は人によって変わる」

「でもあたしが見たのは間違いなく首のない馬に乗った女だったよ」

「じゃ、デュラハンはなーし」

 ビーッビビーツとマーカーを引いたような音を立てて首なし騎士は×印をされて消えた。

「残りは夜行、御白様。神か大妖か。どちらにせよ危険度は上だろうねー」

「それを私にやれと言うのだろう?」

 晃守は盛大にため息をついた。

「えーだって仕方ないじゃん。今いるので危険度上に対抗できる未確認存在はあんた以外いないのよ。第壱号は動かせないし第参号は失踪。でもって肆号は目下第陸号と交戦中。第伍号なんて命令を聞く筈もない」

「この前手に入れた弾丸でも使えばよかろう」

「ああ、第漆号[critical ballet(必ず当たる鉛弾)]のこと? あんなんじゃ神格持ちの化け物には勝てないわよー。なんたって向こうは神様だもーん」

「八番から十番は」

「無理。戦闘力ないもん」

「そうか。なら仕方ない。ならば私が出ねばならんのも当然だ。作戦開始時間は?」

「午前二時。つまりちょうど三十分後。いってらっしゃーい。あ、座標とかはあんたの端末に送ってあるから」

 加奈子はぎょっとして時計を見た。確かに時針は午前一時を指している。

 まだ昼か朝のような気持ちだったが、実際気絶して妙な施設に運び込まれて目覚めるまで記憶はないのだから不思議ではない。

「了解した。して、このご婦人は如何するのか」

「べつにー。第陸号が帰ったら帰ってもらうよ」

「え、そうなの?」

 加奈子としてはまだ色々と調査するつもりだったのだが、しかし常識で考えればこんな場所に長居は無用である。

「そうだよ。あんまり警察に嗅ぎまわられてもいい気しないし」

「それに危険だ」

 それは分かる。

 この施設にはさっきの一つ目の化け物よろしく様々な化け物がいるのは加奈子でも薄々感じとれる。

 意識的に聞かないようにしていたが、どうもただの動物とも思えない鳴き声や何をしているのかさっぱり分からないような気味の悪い音が時折鼓膜を打つのだ。

「では、私が帰ってきたら責任を持って送り届けよう」

「うん。いろいろ任せた」

「任せておけ。この私がどうにかしてみせよう」

 花開く植物のように晃守の背から十とも二十ともつかない数の黒い枝が伸びて彼を覆い尽くすと、彼は自らの影に溶け込んでしまったように消え、黒い触手もそこに沈んだ。

「ああ、やっぱり」

 脳の処理能力が限界を迎え、加奈子の意識はまたしても潰えた。


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