第一話 その壱
香奈子が次に目覚めたとき目にしたのは真っ白でつなぎ目一つない天井だった。
「知らない天井ね。昨日は何してたかしら……ああ、そうだったわ。酔っぱらって道路で寝てしまって変な夢見て……ってどこよここ」
香奈子は以外にも冷静に反応した。警察の幹部施設にて数年の訓練を経た賜物で、いつ何時でも行動出来るようにとされたものである。
好都合だ。
香奈子を白い部屋に通した者はそう言って首を振った。
『あー、あー、マイクテスト。マイクテスト。聞こえますか?』
「うん。聞こえてるわよ。出来ればスピーカー越しじゃなくて面と向かって聞きたかったのだけれど、まぁ聞こえてはいるわ」
『それは重畳。確認ですがあなたは帝國警察一級幹部、永加奈子さんでよろしいですね?』
加奈子は眉をひそめた。
「ふうん。あたしの身分を知っててこんなことをしてるんだ。いい度胸してるわね」
『我々は国立の秘密機関ですから。警察の上位組織に当たるのです。貴女の職場には今頃貴女の声で体調不良による欠勤の知らせが届いているでしょう』
国立の秘密機関?
加奈子は首をひねったが、思い当たる節はなかった。
警察の上部に位置する自分で知らないのだから胡散臭いな、と思うだけであった。
『では質問に入ります。よろしいですね』
「後で質問させてくれるなら良いよ」
『考慮しておきます。では一つ目の質問です』
スピーカーから冷たい声が鳴る。
女性のものと思われるが実態は不明だ。
『貴女が昨日遭遇したものと、それが行ったことを説明してください』
「ポンコツの自販機。水買ったのにおしるこを渡してきたわ」
『それは貴女が酔って押し間違えただけです。我々が聞きたいのはその後です。恐らく夢が幻と認識しているでしょうが、現実だったと理解してください』
そう言われて加奈子の鼻に血生臭い事象の残り香が蘇り、吐き気が起こった。
職業柄血の臭いには慣れているつもりだったが、あの日嗅いだ臭いはまるで硫黄のように強烈な臭いで加奈子の吐き気を促したのだった。
『ゆっくりでいいので説明をしてください』
冷たいながらも気遣いを感じる言葉に加奈子は少しだけ安心感を覚えた。
「そうね。昨日見たのは……何というか、こう言ったらあたしの頭がおかしくなったみたいだけど……首のない生き物だったわ。四足歩行で、馬かなんかみたいな動物ね」
『貴女の精神は正常であることが検測されています。続きをどうぞ』
「それはどうも。で、その馬みたいな化け物はあたしの前にいた中年男性の腹部及び頭部を蹄で砕いて殺害。それであたしが吐いている間にあたしの前に移動していたわ」
『警察の割にはデリケートな消化器官をお持ちなんですね』
「殺害現場に居合わせることなんてほぼないのよ。あたしって偉いからさ」
『それで、貴女の前に現れた馬はどうしましたか?』
「何も。馬の方は立ってただけよ」
『馬の方は、というと馬以外の何かがいたのでしょうか? それは一体いつから出現しましたか?』
「あたしの前に現れた時からよ。男性の前にいたときには馬のようなものだけだったわ。それであたしの前に来た馬の上には額から二本角が生えてて片目を髪で隠した十歳前後くらいの着物を着た女の子が乗っててね。『道を開けろ』『どけ』とか『私に親切を返してあれには暴力を~』とかわけの分かんないこと言ってたわ」
『なるほど。それでどうなりましたか?』
「あたしは脇に退いて、女の子と馬はそのままどこかへ行ったわ。あたしはその後寝たから知らない」
スピーカーから呆れたような溜息が聞こえた。
「仕方ないでしょ? あたしってばジョッキ十三杯くらい飲んだんだから限界だったのよ」
『だから結婚できないのではないでしょうか』
「うるさい!」
『冗談だよ。……ふふっ、あ。しまった。敬語スイッチ切っちゃった。えいやっ……今の言葉は忘れてください』
「おい。色々聞きたいことが増えたぞ」
『しかし驚きました。未確認存在に遭遇してこうも元気な方がいらっしゃるとは』
「無視かい。まぁそれはいいけれど未確認存在……って何かしら?」
『貴女も警察組織にいれば分かりませんか? この世には超常的な存在がいるのです。未解決事件の中にはありませんか? どう考えても人の起こしたことじゃないような事件や、不思議な事象は? 我々はそういった現象、生物、非生物をまとめて“未確認存在”と呼称しています』
「一気に胡散臭くなったわね……」
加奈子はまずいところに捕まったなーと軽く頭を抱えていた。
『おや、疑っていますね。あんなものを見て我々の実態を疑うとは、警察も大したことないようです。だからこそ我々のような組織が必要になったわけですが……情けない話です』
「あんなもの酔っぱらいの見た幻覚よ。多分本当は金槌でも持った通り魔かなんかじゃないのかしら? ほら、今話題の“U字撲殺魔”とか……そうよ。絶対そうよ」
再びスピーカーから溜息が漏れた。
先ほどよりも深く落胆したような様子を受ける。
『なるほど、他の目撃者に対して異様に冷静なのはそれが理由ですか』
「非常識を認めたら犯罪は裁けないもの」
『では証拠を見せてあげましょう。第捌号 [ a paper monkey(張り子の猿)]を第三隔離室に開放。』
『第捌号開放!』
スピーカーの下の壁がウィィィンとモーター音を上げて開く。
するとそこには絵の描かれた厚紙が数枚とハサミと糊が一つずつ。
「馬鹿にしてるのかしら?」
『今収容している中で一番危険性が低いものを選んだらそうなったんですよ。身の危険を顧みないのならもっと凄いのだって出せますが』
「それは遠慮しておくわ。で、この紙切れをどうしろと?」
『ペーパークラフトですから組み立ててください』
言われた通り加奈子は組み立てた。
切って折って貼って組み立てるとそれは一体のチャチな猿と幾ばくかの紙屑になった。
「出来たわよ。で、これがどうしたというの?」
無駄なことをした徒労感があった加奈子だが、次の瞬間そんな感覚は吹き飛んだ。
――キキキッ!
張りぼての猿から声がした。
中はがらんどうで、猿自体も何の変哲もない厚紙で出来ていることは作った加奈子が一番知っている。
――キャキャッ! キキキキキ!
驚く加奈子を嘲笑うように猿は声を上げ、手を叩いて騒ぎ始めた。
断っておくが猿は厚紙で出来ており中には機械などない。
であるにも関わらず猿はまるで本当に生きているかのように動き回り、自分を作った残りかすの紙切れを食べているではないか。
加奈子は堪らず猿を叩き潰した。
――ウゲァァアアアアアア!
猿はそんな不愉快に耳に残る声を上げて潰れてしまい、後には崩れたただの紙が残った。
やはり中には何もない。
『お分かりいただけましたか。これが未確認存在です。第捌号は小さな虫程度の危険性しかありませんが、中には核兵器や惑星衝突クラスの危険性を持つものもいます』
「……記憶でも消すつもり?」
『まさか。そんなことしませんよ。私としては貴女という警察の上部にいる一人に未確認存在についての理解をしてもらおうと……! 第肆号の移動反応を検知しました! 研究職員は警戒態勢を、第拾号は三体を追跡、五体を待機に回しなさい!』
スピーカーの向こう側がにわかに騒がしくなった。
どうやら慌てているらしく、声に余裕がなくなっている。
「何か起こったのかしら?」
『この方向はまさか……加奈子さん! すぐに壁から離れて下さい! 危険です!』
それを受けて加奈子がベッドに飛び移るのと、スピーカーの横の壁が弾け飛ぶように砕け散るのはほぼ同時であった。
爆発さながらであったが火薬の臭いは一切しない。
それに飛び散った瓦礫は何故かは分からないが、砂のように崩れ去り周囲に二次被害を与えることはなく、被害はただ壁が砕けるのみに留まった。
不可解なことが目まぐるしく続き加奈子は頭痛を覚えた。
「あの程度の下等な存在じゃあダメだろう。やはりボクぐらいのレベルを見てこそ本質が理解できるというものだよ。ねぇ、機関長代理? それに警察のおねーさん」
崩れた壁の向こうには十台半ばほどの少女がにやにやと意地の悪い笑みを浮かべて立っていた。
切れ長の目に健康的な肌、お団子状にまとめた栗色の髪が可愛らしくも不思議であり、華奢な体には大胆にスリットの入った朱色のチャイナドレスを着ていた。
「やあ、ボクは通称第肆号[ liberal for the world (理外れ)]。名前を八咫烏という仙人だ。よろしく永さん」
「あ、ああよろしく八咫烏さん」
加奈子は目の前の情景に眩暈がしながらそう返して、そして意識を失った。