新世界、到着 ー 5.
ようやく領主の館に着いた。
領主の館は周りの家よりは1階分ほど高くて大きさは倍くらいだろうか。それでも周囲の領にある領主館よりは小さい方なのだ、とドナヴァンは美月に説明した。
そしてようやく馬から降りられる、とホッとしたせいか美月は自力で降りる事ができなかった。
「だっ、大丈夫です。その、ですね・・ちょっとだけ時間をくれれば――」
「いいから」
伸ばした手を取ろうとしない美月に焦れたのか、ドナヴァンはそのまま美月を抱え降ろすようにして馬から降ろした。
「ドナヴァンさんっっ」
「文句はあとで聞くから。それより立てるか?」
「もちろんですっ」
抗議の声を上げる美月を軽くいなして、ドナヴァンは美月の足を地面に降ろして手を離そうとしたが、美月の体がそのまま地面に崩れ落ちそうになって慌てて彼女の腰を掴んだ。
そしてそのまま馬に乗った時のように彼女を抱き上げた。
「ちょっ、降ろしてくださいっ」
「駄目だ。自力で立てないくせに」
「だからっ。ちょっとだけ時間をくれれば自分で立てるようになります」
「バトラシア様たちが待たれているから、そんな時間はない」
「そんなっっ」
もうこれ以上抗議は聞かないと言わんばかりに、さっさとドナヴァンは美月を抱き上げたまま歩き出した。
そんなドナヴァンの腕の中で美月は真っ赤になって顔を伏せている。
彼が館の中に入り美月を抱き上げたまま歩くので、そこここにいる館で従事している人たちの視線を感じるからだ。
ようやくドナヴァンが足を止めた時、2人の前には大きな扉があった。
「そろそろ自分の足で立てそうか?」
「立てますっ」
噛み付くように言葉を返した美月を笑って見おろしてから、ドナヴァンは彼女をそっと降ろす。
床に足を着いてすぐは足に力が入らなくてよろめいたが、それでもなんとか踏ん張って留まるとドナヴァンが彼女の腰から手を離した。
美月は自分の服を見おろして、それほど見苦しくない事を確認する。ずっと森と草原を歩いていたから埃が着いているのではないか、と気になったのだ。
そしてなんとか合格点を出せると判断してから、隣に立っているドナヴァンを見上げた。
「いいか?」
「はい・・・」
小さく頷く美月を確認してから、ドナヴァンがドアをノックした。
ドアの向こうから声が聞こえ、ドナヴァンがドアを開ける。
開かれたドアの向こうに見えたのはソファーに座った中年の男女と、その斜め前の椅子に座っている老女だった。
「ただいま戻りました」
「ご苦労さん」
「帰ってくるのが思ったより早かったわね」
ソファーに座っていた2人が立ち上がって、ドナヴァンと美月を迎え入れる。
「それで、どこにいたの?」
「スタレーン草原の大樹の許にいました」
「あぁ、あそこね」
ドナヴァンに背中を押されておずおずと室内に入る美月を見つけると矢継ぎ早に質問が繰り出されるが、そう言う事に慣れているのかドナヴァンはその1つ1つに対して簡潔に答える。
そんなドナヴァンの言葉に納得したように頷きながら、中年の女性は美月に2人の前に座るようにソファーを勧めた。
どうやら彼女がドナヴァンが言っていたバトラシア・リンドングランとその夫のウィルバーンだな、と美月はドナヴァンから聞いていた名前を思い出した。
「初めまして、異界からの客人様」
にっこりと微笑みながら、美月が座ったのを確認してバトラシアは美月の真正面に座った。その隣りには夫のウィルバーン、そして2人の後ろにドナヴァンが立つ。
「は、初めまして」
「そんなに緊張しなくてもいいわよ。もっとリラックスしなさい」
「はっ・・・はい」
そう言われてもどうしても緊張をほぐす事ができずにいる美月を見て、ウィルバーンがクスクスと笑う。
「私の名前はバトラシア・リンドングラン、この領地の領主をしているわ」
「それで僕の名前はウィルバーン・リンドングラン、彼女の夫だよ」
「私は大も・・・・ミツキ・オオモリです」
ドナヴァンと出会った時にした自己紹介の事を思い出して、美月は言い直す。
「ミツ・・キ、ね」
「どうぞ、ミッキーと呼んでください」
「ミッキーね。判ったわ。では、私の事はバトラシアと呼んでくれればいいわ」
「バトラシア様ですね」
「違う違う、様なんてつけなくていいの。ただのバトラシアでいいわ」
手を振って訂正するバトラシアは鼻に皺を寄せて本当に嫌そうに言うが、美月としてはそうはいかない。自分より年長の相手を呼び捨てになどできない。
「えっと・・・でもですね・・・じゃあ、バトラシアさんと呼ばせてください」
「さんも要らないわよ?」
悪戯っぽく笑みを浮かべてバトラシアはそう言うのを見て、ドナヴァンがわざとらしく大きな溜め息を吐いた。
「バトラシア様、ミッキーさんをからかうのはその辺にしてください。話が先に進みませんから」
「はいはい、判りました。別にからかってないわ。ただ親交を深めようとしただけです」
つん、と斜め上を向いてドナヴァンに言い返すが、その様子が少し拗ねた少女のようで美月はクスリと笑ってしまう。
「あっ、すみません」
「気にしないで。妻は意地悪なドナヴァンに拗ねただけだから」
「ウィル」
手を振ってウィルバーンが言うと、バトラシアはじろりと彼を睨む。
「それより、早く話を済ましてあげないとミッキーが休めないだろう?」
「・・・・そうね、判ったわ」
仕方ない、と肩を竦めてから、バトラシアは美月に顔を向けた。
「今朝、滅多に人前に姿を現さないカサンドリアが領主の館にやってきて、お目通りを願うって言ってきたの。彼女の方からそうやってここに来る事は本当に滅多にないから、私とウィルはすぐに彼女をここに通したわ。それで話を聞いたら、『異界からの客人が来られます。すぐに手助けのできる人を迎えにやってください』っていうじゃない」
「僕もシアも昔話で異界からの客人の事は聞いた事があったけど、実際に実在している人にあった事はなかったから、カサンドリアの話にとても驚いたんだよ」
「でもね領主は、異界からの客人を受け入れてこの世界で過ごせるようになる手伝いをしなくてはいけない、と言い聞かされていたから私はすぐドナヴァンに『部下を数人連れて異界からの客人を迎えに行きなさい』と命じたの」
それが4時間ほど前よ、とバトラシアは付け加える。
カサンドリアははっきりとした所在地までは判らなかったものの、それでも現れる方角は彼らに伝える事ができた。それも美月を早く見つけ出せた要因だったのだろう。
そう説明されて美月は視線をカサンドリアに向ける。
美月の視線の先にいるカサンドリアは、既に真っ白になった髪を頭の上でまとめた少し背の低いどこにでもいそうな老女性だ。美月の視線を受け止めると、彼女はにっこりと笑みを返して小さく頷く。
「何かあれば私に聞きに来てくだされば、私に判る事であればお答えしましょう。慣れない世界で大変だと思いますが、これも運命と思って受け入れてください」
「・・・はい」
カサンドリアの口調はとてもゆっくりとしたもので、美月はそんな彼女の言葉に素直に頷いた。
「それでは、もし嫌でなければミツキさんがここに来た経緯をお話しいただけますか?」
そして美月は、全てではないが自分の身に起こった事を話し始めた。