新世界、到着 ー 4.
お尻が痛い。
初めての馬はゆっくりとした並足で進んでいるに関わらず、それなりに振動があるからそれが美月のお尻に響いている。
それでも後ろにいる男が馬に乗り馴れない(実は乗った事もない)美月のためにゆっくりと移動している事は判っているので、美月としても文句は言えずただじっと耐えるだけだ。
「名前は?」
「・・・・」
「名前はなんて言うんだ?」
「へっ?」
お尻が痛い事に美月の意識が集中してしまっていて、男が声を掛けた事にも気づかず彼がもう一度声を掛けたところでやっと彼が自分に話しかけてきていた事に気づいた。
「だから、名前、だよ。教えてくれないか?」
そう言われて、そう言えばお互い名前すら名乗り合っていない事に気づいた。
「大森美月です」
「オーモリ・・・と呼べばいいのか? 変わった名前だな」
「いえ、大森は名字です。美月が名前、です」
「ミツ・・・キ」
いいにくそうに美月の名前を口にする相手を振り返りながら、彼女は小さく頭を振った。
「言いにくかったらミッキーでいいです」
「ミッキー、それなら言えそうだ」
「友達も何人かは私の事をミッキーって呼んでましたから」
「俺はドナヴァン・グラスハーンだ。ドナヴァンと呼んでくれればいい」
「はい、判りました」
美月は忘れないように彼の名前を数度心の中で呟く。
「それから俺の右にいるオレンジ色の髪の男はシルベスターだ。スライと呼べばいい」
「よろしく、ミッキー」
「・・・・はい。よろしくお願いします」
どこか軽薄そうなシルベスターと紹介された男は、ヨッと上げた手をひらひらと振る。
「それで、右にいるこいつはフンバルだ」
「初めまして」
「初めまして」
軽く会釈をするフンバルという男は寡黙な男のようで、それ以上何かを言うでもなく会釈をすると美月から視線を外して前を向いた。
「ここからどのくらい掛かるんですか?」
「領主の館まで、か?そうだな・・・多分1時間ほどで着くだろう」
そっか〜、まだ1時間も拷問が続くんだ、美月は心の中でぼやく。
「どうかしたのか?」
「いっ・・・いえ、なんでもないです」
「そうか?」
どこか探るように美月を見おろすドナヴァンに、美月はなんとか笑みを返すが騙されていないような雰囲気が後ろから伝わってくる。
これはマズい、と美月は何か話題を探す。
「えっと・・・カサンドリアさんってどんな方なんですか?」
「カサンドリアはこのリンドングラン領唯一の予言者だ。この領地の住人の中に知らないものはいないだろう。彼女の予言は今まで1度も外れた事がない」
「滅多に予言もしないけどな」
「確かに、彼女は滅多に予言をしない。しかし、それは予言を伝える必要がないからだ、と聞いている。彼女が予言を口にするのは、そうする必要があるからだ」
茶々を入れてくるスライを気にした風もなくドナヴァンは答える。
「だからこそ、彼女の言葉には重みがあるんだ。今回もミッキーの事をバトラシア様にわざわざ伝えたのも、その必要があると判断したからだろう」
「確かにな。あんなところでのほほんとしているようなヤツだと、いつまでもほっとけないからな。まさか暢気にジャラモンガの巣の下に座り込んでいるなんて思いもしなかった」
「あぅっっ・・・」
「それは仕方ないだろう。ミッキーは異界からの客人だ。この世界の事を知らなくても当たり前だ」
「・・・すみません」
ドナヴァンがスライの遠慮のない口ぶりから庇ってくれるが、なまじスライの言葉が的を射ているだけに返す言葉もなく謝るしかない。
「ミッキーが謝る必要はない。こいつの言う事は気にするな」
構うな、と掌を振るドナヴァンを振り返ると、彼は笑っている。
「あいつはいつもあんなもんだ。気にする事はない。それより、一体いつからあそこにいたんだ?」
「いつからって・・・・最初は森の中にいたんです。それで、いつまでも森にいても仕方ないから、とにかく町に行こうって思って歩いたんです。でも、あそこまで来た時に疲れたからちょっと休憩しようかなって・・・」
「森って・・・もしかしてあそこの北にある森か?」
「? はっきりとは言えませんけど、多分・・・?」
美月は頭の中でマップルで呼び出した地図を思い浮かべながら答える。
確か自分がいた森以外にはあの周辺に森らしいものはなかったような気がする。
それでも森、と言った彼女の言葉に好奇心を前面に出したスライと、どこか驚いたような表情になったフンバルが美月を振り返った。
「・・・・あのぉ?」
「確かにあの辺りには影の森しかないが・・・・それにしても、よく無事だったな」
「・・・えっと、どういう意味でしょう?」
「あの森にはたくさんの魔獣がいるんだよ」
「魔・・・獣・・?」
「そうだ。力あるハンターたちにはいい狩り場ではあるが、一般人には危険な場所だよ。よく無事に森を抜けられたね」
ドナヴァンの説明を聞いているととんでもない場所に放り出された気がするが、それでも特に危なさそうなものとは遭遇していない美月としてはよく判らない。
「そうなんですか? でも、私、なんにも見ませんでしたよ」
「ラッキーだったな」
「ってことは、入り口付近にいたって事か?」
「さぁ・・・あの森がどのくらい深いのか私には判りませんから・・・そうですね、歩いて2時間ほどで森の外に出られました」
「結構奥じゃん。よく無事だったよなぁ、ホント」
「そうだな」
ヒューっと口笛を吹いたスライに同意するようにフンバルが頷いた。
と、不意に美月の腰に回されていたドナヴァンの腕に力が入った事に気づいて振り返ると、凄く真剣な彼の目と美月の目があった。
「えっと・・・・」
「異界からの客人はなんらかの加護を持っていると聞いていたが、その通りなのかもしれないな」
「そうなんですか?」
「そうだろう。でなければ無事にあの森を抜ける事はできない」
「そうだよな、確かにジャラモンガも俺たちがやってきたタイミングで現れたしな。確かになんかの加護があってもおかしくないよな」
加護、と言われても美月には耳慣れない言葉だから実感はない。
それでもドナヴァンたち3人が妙に納得しているのを見ると、そうなのかもしれないと思えてしまう。
「まぁ、これ以上の話は領主の館に着いてからバトラシア様たちの前でした方がいいだろうな」
「確かにその方が2度同じ話をしなくてもいいだろう」
スライの言葉にドナヴァンが同意する。
「じゃあ、早めに戻るか」
「ミッキー、慣れないところを申し訳ないが馬の速度を上げさせてもらう。バトラシア様たちが待っているし、少しでも早く着けばミッキーも早く休めるだろう」
できれば自分のお尻のためにも今のペースでのんびり行かせてもらいたい、と思うものの彼らの言う事ももっともなので仕方なく美月は頷いた。
途端に馬のスピードが上がり、美月は咄嗟にドナヴァンの腕を掴む。
それにドナヴァンも気づいたが、今は早く領主の館に戻るべきだろう、とそのまま馬を走らせた。