13. 海辺の町、ドレクロワ 2
「うわっっ」
ぐいっと引っ張られてバランスを崩した美月の腰を、後ろからグッとドナヴァンが掴んでなんとかその場に留める。
「あ、ありがと・・・ぅおっっ」
「いいから早くなんとかしろ。見ていてヒヤヒヤする」
「そんな事言ったって・・・っとぉおおっっ」
後ろを振り返ってお礼を言いかけて、またぐいっと引っ張られる。
ドナヴァンはどこか諦めたような表情で、美月の腰を掴んだままだ。
どうやら彼女が海に落ちないようにこのままの体勢でいる事にしたようだ。
ドレクロワに来て3日目、美月とドナヴァンは港から少し向こうに行った場所にある岩礁に魚釣りにやってきている。
魚釣りをしたいという美月に、何度か経験があるドナヴァンがそれなら試してみるか、と言って宿のフロントにいた女将に聞いた場所がここだった。
丁度この辺りから海の深くなるのだとかで、運がよければ大物が釣れますよ、と言われたのだ。
ドナヴァンとしては別に大物は釣れなくてもいいから安全に釣りができる場所を聞きたかったのだが、大物が釣れる事もあると聞いた美月がそこに行きたいと言ったのでここに決まった。
しかし今、ドナヴァンは美月の言う通りにここに来た事を絶賛後悔しているところだ。
釣竿は宿で有料ではあるものの借りる事ができた。
餌は宿3つ向こうにある雑貨屋で売っていた。
宿で2人分の弁当代わりのサンドイッチを作ってもらったから、4−5時間は楽しめる。
そう思ってドナヴァンは宿で借りた釣竿を持って餌を買いに行き、その足でランチの入ったバスケットを持った美月と2人で岩礁に出かけた。
そこまでは順調だったのだ。
ドナヴァンが釣り針にエサをつけてやり、それを美月が沖に向かって投げる。
それから自分の釣り針にもエサをつけて美月から少し離れた方向に向かって投げてから、彼女と並んで岩礁に座った。
そうして少し経った頃、まずドナヴァンの竿に石鯛に似た20センチほどの魚がかかった。
それから美月の竿にも魚がかかったのだが、釣りに慣れていない美月は勢い良く引き上げすぎてバラしてしまった。
逃したのがよほど悔しかったのだろう、美月は先程よりも思い切りよく遠くへ針を飛ばした。
それが良かったのか、さほど待つ事もなく美月の針に魚がかかったのだ。
しかしグイッと竿を引いた美月は、そのまま魚の引きに負けて海に落ちかけたのだ。
ドナヴァンは慌てて手にしていた竿を放り投げて、海に落ちかけた美月を掴んでそのまま代わろうとしたが、自分で釣り上げると美月は頑として竿をドナヴァンに渡そうとしない。
仕方ないからドナヴァンは後ろから美月を掴んで彼女が落ちないように手伝っているのだ。
それも既に20分ほどが経っている。
それなのに未だに美月は魚を釣り上げる事ができていない。
なんとかリールを巻こうとしているのだが、魚の方が力が強すぎて美月は全く糸を巻き取る事ができていないのだ。
背後から美月の腰を掴んだまま、ドナヴァンは小さくため息を吐いた。
「だから俺が代わりに釣り上げてやるって言ってるだろうが」
「やだっっ。私の竿にかかったんだから、私が釣り上げるのっ・・っとぉおおっっっ」
「釣り上げるって、おまえさっきから引き負けて何度も海に落ちかけてるだろ」
「だっっ、大丈夫っ。ドナヴァンが後ろからしっかり掴んでれば落ちないもん」
魚と美月のどちらが先に根負けをするのか、ドナヴァンには全く見当もつかない。
「ミッキー、おまえさっきからずっとそう言ってるぞ」
美月は呆れたように言うドナヴァンをジロリと見上げたものの、文句を言う前に竿にかかっている獲物にグイと引っ張られる。
その拍子にまた体が海に向かって引っ張られるものの、ドナヴァンが後ろからがっしりと掴んでいるおかげで海に落ちずに済んだ。
「・・・じゃあ一緒に釣ろう」
「いっ、一緒ってっっ?」
「要は俺がミッキーの獲物を釣り上げるのが気に入らないんだろ? だったらこうやって一緒に釣り上げればいいんだよ」
そう言いながらドナヴァンはおもむろに美月の背後から腕を伸ばして竿を握る彼女の右手の上に自分の右手を重ね、左手で彼女の右手と左手の間の部分を掴んでグイッと勢いよく竿を引いた。
「ぇええええっっ、とぉおっっっ」
「騒がずに釣りに集中しろ」
「そっ、そんな事言ったってぇえええっっ」
先ほどまで完全に魚に引き負けていた筈なのに、ドナヴァンが美月と一緒に竿を握っただけで海に引き込まれそうになる事はなくなった。
それどころか先ほどまでできなかったリールで糸を手繰り寄せる事すら、ドナヴァンは器用に美月と一緒に竿を握ったままやってのける。
ただ、竿の主導権は完全にドナヴァンに移ってしまった。
グイッと引くのもリールで糸を巻き戻すのも、全てドナヴァンのタイミングのままだ。
そのせいか美月にはいつ竿を動かすのかそのタイミングが全く判らないので、彼が竿を動かす度に変な声をあげている。
と、そのタイミングで竿がぐっと海に引き寄せられた。
「おわっっ」
「踏ん張れっ」
思わず前につんのめりそうになる美月に、ドナヴァンが声をかける。
彼の両手は竿とリールで埋まっているので、美月の腰を掴んで引き留める事ができないのだ。
それはもちろん美月も判っていたから左手を竿から離して、代わりに竿を握るドナヴァンの腕を掴んだ。
「もう少しだ」
「ホントッッ?」
「ああ、そこまで来ているだろ?」
「えっ、どこどこ」
美月の右手はまだ竿を握ったままだったから竿から伸びる糸の行方を目で追っていくと、確かにかなり近づいた魚の影が水面下で動くのが見えた。
それから更に5分ほど経った頃だろうか、ついに美月が釣り上げようとした魚が海面から姿を表した。
しかしそれを視界に入れた途端、美月は思い切り顔をしかめた。
「うっ・・・げぇえええ・・・・」
「なんだその声は?」
「だってぇ・・・あれ、ヤダ」
「ヤダって、美月が釣り上げたかったヤツだろ?」
海面から出ているのは口の周辺だけなのだが、その魚の色がヤバイのだ。
なんといえばいいのだろう、赤を中心とした数種類の絵の具が乗ったパレットを床に落としてできた模様というような、いろいろな色が混ざり合った体色をした魚だった。
美月が苦労しただけあってその魚の大きさは1メートル弱ありそうなのだが、その大きさが更にその魚グロく見せている気がする。
その上、色だけが変なのかと思えばその見た目も変だった。大きさは1メートル弱なのだが、そのうちの半分が頭なのだ。頭でっかちで団扇のような形のヒレをつけているそれは、どう見ても美月が知っている魚ではない。
そしてなにより一番グロテスクなのは、その突き出た唇だった。魚にだって唇がある事は判っている美月だったが、美月の二の腕よりも大きく見えるその唇はホラーとしか言いようがなかった。
こんなものが釣りたかったわけじゃない、と言わんばかりに美月は釣り竿から手を離してドナヴァンの腕の中から抜け出した。
「おい、ミッキー」
「あとはドナヴァンに任せる」
「おまえ・・あれだけ自分で釣るって騒いでいたくせに」
「だって、あんなのがかかってるって思わなかったんだもの」
嫌そうな表情でドナヴァンを見上げる美月に思わずため息をついたものの、このまま放っておくわけにはいかない。
仕方なくドナヴァンが最後まで釣り上げた。
そして釣り上げたその姿を見て、美月は更に顔をしかめる。
「これ、どうするんだ?」
「どうするって・・・海に捨て、じゃなかった、逃せばいいんじゃないの?」
見た目で判断してはいけないと思うものの、自分で食べようとは思わない美月だった。
「食わないんだったら、コットンたちにやればいいだろ?」
「こんなの食べないわよ」
「食わせてみないと判らないだろ?」
「やぁよ。こんなの食べさせてお腹壊したら困るじゃない」
「・・・なんか凄い言い方だな」
「だって、こんなグロい魚が釣れるなんて思わなかったんだもの」
「けど、こんな見た目だけど美味いんだぞ」
「絶対食べない」
美月の知っている魚とは全く形容が違うそれを、それ以上見たくないと言わんばかりにそっぽを向く美月を見て、そこまで嫌悪するようなものなのだろうかとドナヴァンは思う。
美月の竿にかかった魚はゴーレンという種類なのだが、その見た目に反して味がいい事で釣れると喜ばれるものなのだ。
この辺りの人間であれば小躍りして喜んでもおかしくないのだが、美月は露骨に嫌そうな顔をするだけでちっとも嬉しそうではない。
まぁ確かに食欲をそそるような見た目でない事はドナヴァンも否定できない。
特に一番美味と言われる部位がその突き出た唇だと美月が知れば、もっと嫌な顔をするだろう事は目に見えている。
「じゃあ、宿に持って帰ってあげればいい。喜ぶよ」
「えぇええ、そんなの喜ぶの?」
「ああ、この辺りの人間なら大喜びするよ。なんてったって美味いからな」
「ふぅん・・・」
じゃあドナヴァンの好きにすればいい、と言って美月はドナヴァンから3メートル離れた場所に座り込んだ。
それからあちらにコロコロ、こちらにコロコロ、としているオレンジ色のボールに手を伸ばす。
「ジローちゃん、ご飯済んだの?」
ツルツルピカピカの表面に触れながらたずねると、ジローちゃんと呼ばれたそれは丸まった中から頭だけ器用に出して、そのままその小首を傾げて美月を見上げた。
「あとで浜辺を歩く? あっちの方がジローちゃんの好きな石が多いし大きさもも食べやすいもんね」
小さな鼻先で肯定するように美月の指先を突いてから、それはまた丸まってコロコロと転がり始めた。
ジローの言葉は判らないものの、使役獣としたからにはなんとなくではあるが気持ちが伝わってくるようになった。
「浜辺に行くのか?」
「あとでね。今はまだお腹減ってないんだって」
どうやら釣り上げたゴーレンを持ってきていた入れ物に仕舞ったらしいドナヴァンは、美月の隣にやってきてコロコロと転がるジローを見ている。
ドナヴァンが持ってきた入れ物は、魔法の入れ物だとかで容量が3倍なのだそうだ。
結局釣れたのは30センチほどの魚が2匹だけだったので、余裕でゴーレンをその中に入れる事ができた。
「この辺に転がっている石を食ったのか?」
「みたいよ。でもあんまり美味しくなかったみたい。浜辺の砂浜にある小石の方が味はいいんだって」
「・・・よく判らないな」
「同感」
美月が荒野で見つけてそのまま勢いで使役獣にした、ジローと名付けたオレンジ色のボールの生き物の種類は未だに判らないままだ。
マップルを使ってグラッターを使って美月は色々と検索してみたものの、結局ジローと同じ種類の生き物を見つける事はできなかった。
そしてドレクロワの町でそれとなく聞いたものの、ジローのような生き物を見た事がある人はいなかった。
ドナヴァンは、向こうに戻ってから王都で聞いてみればいい、と美月に言い彼女はそれに合意したので、とりあえず今は保留にしている。
ただ何を食べさせればいいのか判らなかった美月は、同じ使役獣のコットンとミラージュにジローが食べられるものを持ってきてほしいと頼んだのだ。
そして彼らが持って帰ってきたものは石ころだった。
唖然としてその石ころを見ていた美月の目の前で、ジローがそれをカリカリと音を立てながら食べ始めた時の事を思い出すと、ドナヴァンは今でも思わず吹き出しそうになるがそれは美月には秘密だ。
さすがのドナヴァンも石ころを食べるような生き物を見たのは初めてだったが、美月の驚きぶりを見て反対に冷静になったのだ。
それ以来外に出る時にはジローだけを連れて出かけるようにして、そのいく先々で人気のいない場所で石ころや砂を食べさせた。
人目が多い時は適当に石ころを拾って部屋に戻って食べさせるようにしている。
最初の1−2回は物珍しそうにジローの食事風景を見ていたものだが、今ではそれなりに慣れて特に注視する事もなくなっている。
それでもこうやってコロコロ転がっている姿はどこかコミカルで可愛い、とドナヴァンは思う。
「ほら、そろそろ宿に戻ろう」
「そうだね」
「少し石も拾っておけよ。おやつ代わりになるかもしれないからな」
「うん、判った」
コロコロと転がって遊んでいるジローを掴んでから美月は立ち上がり、そのままポケットから小さな袋を取り出して幾つかの石を選んでそこに入れた。
「さっきの、持って帰るの?」
「ああ、宿の女将にあげれば喜ばれるからな」
「・・・でも、食べないわよ」
「いいさ、無理に食べなくてもいいよ。けど、俺は楽しませてもらうぞ」
「えぇぇぇぇ・・・」
「まぁ、夕飯の時に1口やる。騙されたと思って食べてみればいい」
「・・・考えておく」
難しい顔をして考え込んでから答えた美月に、ドナヴァンは思わず吹き出した。
笑っているドナヴァンをジロリと睨みつけてから、美月は後ろを振り返りもせずに歩き出す。
そんな彼女の後ろをドナヴァンは魚が入った入れ物を下げたままついていった。
読んでくださって、ありがとうございました。




