8. 荒野越え 2
ガタンッッ
不意に大きく揺れた馬車の中で、いつの間にか眠っていた美月は目を覚ました。
隣に座っていたドナヴァンの肩に預けていた頭を上げ、馬車が止まっている事に気づいた。
「馬車の中で待っててくれ、様子を見てくる」
「・・・ドナヴァン?」
「多分大きな石か何かに車輪を取られたんだと思う」
ポンポンと美月の頭に触れてから、心配するなというように笑みを浮かべてみせるドナヴァンは、そのまま馬車のドアを開けて外に出て行った。
美月はまだ少し眠い目を擦りながら、外から聞こえてくる声に耳を澄ます。
どうやら護衛の男たちとドナヴァンが話しているようだが、まだ半分眠っている頭の美月には何を言っているのか判らない。
頭を軽く振って馬車のシートから立ち上がり、うんっと変な声を出しながら大きく伸びをする。
それから簡単に服のチェックをして、ポケットにスマフォを入れてから馬車のドアを開けて外に出た。
「ミッキー? 中に入ればいいぞ」
ドアが開く音で振り返ったドナヴァンと目が合わせながら、美月は馬車についている2段程度の階段をゆっくり降りる。
なんせ手すりなんてものはついていないから、まだ半分眠気まなこの美月としては衆人の前で足を踏み外したくないのだ。
「どうしたの?」
「ん? ああ、この坂を越えれば今夜の野営地に着くんだが、少し暗くなってきていたからか地面がよく見えなかったらしくて、馬車の車輪が溝に嵌ったらしいんだ」
そう言われて馬車を振り返ると、確かに後部の車輪が溝、というか窪みに嵌ってしまっているのが見えた。
「多分、先週降った大雨のせいで地面が流されたんだと思います」
「ああ・・・そういや親父がそんな事言ってたな」
「この辺は雨が滅多に降らないんですけど、一旦降りだせば周囲が浸かるほど降るんですよね」
護衛の1人であるフランクとドナヴァンの話を聞きながら、美月は周囲をキョロキョロと見回した。
確かに荒野と言ってもいいほど乾燥しているが、地面には水が流れた時にできただろう簡易の川らしいものが見られるし、大きな岩の下には土砂が積もっているのも見える。
今美月たちが立ち往生しているこの場所は登り坂の半分あたりで、眠る前に移動していた場所に比べると地表には岩がゴロゴロと転がっているのが見える。
「なんか急に景色がゴツくなっちゃったなぁ・・・」
荒野もあまり見栄えのしない風景ではあったのだが、今は更に見栄えのしない景色になってしまっている。
それでももう午後も遅くなってきているから日も傾き始めていて、ゴロゴロと転がっている岩の影が長く伸びているせいでゴツい上に不気味に見えるのだ。
しんな少し嫌そうな顔でキョロキョロと周囲を眺めている美月に、上から苦笑交じりの声がかかった。
「馬車の中で待たれていていいですよ」
「クリスさん? でも私が馬車の中にいたら重いんじゃないの?」
馬車の車輪を溝から出さなければいけないのだ。それなら自分が乗っていない方が動かしやすいのではないだろうか?
美月はそう思いながら口にすると、クリスが小さく吹き出した。
「ミッキー様くらいだったら関係ないですよ。それより中の方が安全ですよ」
「う〜ん・・・この辺りには危険な生き物がいるの?」
「どうでしょう? 僕もここに来るのは初めてなのでよく知らないです。でもドナヴァン様たちがそれほど慌てた様子もなく馬車の外で話をされているのを見ると、大した危険はないんじゃないかと思います」
「そっか・・じゃあ、もう暫く外にいていい? ちょっと新鮮な空気が吸いたいから」
「いいですよ。でもあんまり馬車から離れないでくださいね」
「はぁい」
馬車の御者席でクリスが周囲を警戒しているし、他にドナヴァンに3人の護衛も周囲にいるから大丈夫だろう、と許可を貰えた美月はとりあえずもう一度周囲を見回した。
見えるものは相変わらずゴロゴロとした岩だけだ。
「ミッキー、どこへ行くんだ?」
馬車の後ろ側から降り口の反対側へと歩いて行こうとした美月に、ドナヴァンが声をかけてきた。
「ちょっと見て回ろうかなって。車輪を溝から出すのにまだ少しかかるでしょ?」
「ああ、けど、1人だと危ないだろ」
「えっ? でも、岩がゴロゴロしてるだけじゃない」
「それでも、だ。ここは知らない場所だから何がいるか判らないだろう?」
「それはそうだけど・・・」
知らない場所なのだから何があるかも判らないと言われると、美月も反論する言葉が出てこない。
とはいえ美月としては特に危険そうなものが見えない場所で、どうしてそんなに警戒しなければいけないのかよく判っていないのだ。
美月は自分に護衛が付いているのは自分が『異界からの客人』だから、だと思っている。
今までそれなりに魔獣やら肉食獣やらを見た事もあるのだが、ここに来るまでは安全な日本で暮らしていたから危機感がないのだ。
もちろんその事はドナヴァンも出会ってすぐの頃に気づいていた。
だからこそ自分がしっかり守らなければと思っているのだ。
「まぁ歩き回りたいんだったらついていくよ」
「えっ? でも、手伝わなくていいの?」
「クリスが護衛3人に手伝わせるさ。どうせ俺には引っ込んでいろって言うだろうからな。それまでこの辺をウロウロすればいい」
雇い主に手伝わせる訳にはいかない、という事なんだろう。
「そぉ? だったらちょっと歩きたい、かな?」
どうせ車輪を溝から出すのに時間が多少は必要だろう。それならこんなところで突っ立って待っているよりは、ちょっと散歩しながら待つ方が時間も早く経つだろう。
「クリス。どのくらいで車輪を溝からだせる?」
「えぇ・・・そうですね。多分30分くらいかな、と」
「判った。俺たちはそれまでその辺をウロウロしてるよ」
「判りました。でもあんまり遠くへ行かないでくださいね」
当たり前だ、と返すとドナヴァンは美月の手を取って歩き出した。
当たり前のように手を取られると、なんとなくくすぐったい気持ちで美月の胸がいっぱいになる。
嬉しくてつい繋いでいる手をぎゅっと握り締めると、ドナヴァンが問いかけるような視線を向けてくる。
「どうした?」
「んん、なんでもない」
「その割にはしゃいでいるように見えるぞ?」
「そぉ? だってね、こうやって手を繋いで歩けるのが嬉しいんだもん。ほら、なんかね、恋人同士みたいじゃない?」
「恋人同士って、夫婦だろ?」
「そっ、それはそうなんだけどっ」
呆れたような顔で美月を見下ろすドナヴァンは、どこかそっけない口調でいうものの口元に笑みを浮かべているのが見える。
美月が照れていてそう言っている事などお見通しのようだ。
それに気づいた美月はなんとか話題を変えようと周囲をキョロキョロと見回した。
「ねっ、ねぇ。この辺りに生き物はいないの?」
「生き物? そりゃいるだろ? けど、あんまりいい環境じゃないから、数はいないだろうな」
「やっぱり、蛇、とか?」
「そうだな・・・あとはトカゲや小動物くらいだろうな。まぁ噂では他にもいるらしいけど」
「・・・・噂?」
一体どんな噂なんだろう、と美月は尋ねるようにドナヴァンを見上げる。
「動きは遅いが結構大型の魔獣、というか、攻撃してくるものが出てくるらしい、っていうのが噂だよ」
「それって、何か判ってないって事?」
「ああ、襲われたっていう報告が2件だけで、報告してきたヤツもとりとめのない事を喚いたとかでよく判ってないんだよ。だから一体何に襲われたのかがはっきりしていない」
ただ、とドナヴァンが続ける。
「行方不明になったらしい旅人がいる、という話もある。それに馬車が1台大破されて見つかった事もあるそうだ。その馬車は粉砕されていたらしくって、かなり大型の何かに襲撃されたんだろう、と言われているみたいだな」
「それって、結構危ないんじゃないの?」
「多分な。けど、このフランターズ領の領主が捜索隊を派遣したけど、結局なんにも見つからなかったし、結局最後に被害らしいものが出たのは半年ほど前の話だから」
もし今だに被害が出ているようであればこっちに足を伸ばさないよ、と美月を安心させるように彼女の肩を抱き寄せる。
「そんな心配はしてないわよ。ドナヴァンの事は信用しているもの」
「そう言われると光栄だな」
いつだって過保護なほど美月の心配をする彼が、わざわざ危険な場所に彼女を連れて行くとは思わない。
「でも、気になるわよね」
「何が?」
「だから、噂の事。正体が判らないっていうのが気にならない?」
「まぁな。目撃者の1人は岩が襲ってきたって言ったらしいぞ?」
「岩? どうやって? あっ、もしかして転がって落ちてきた、とか?」
「話だと岩が襲ってきたって言ってたらしいけど、多分そんなとこだろうなって俺も思ってる」
「そうだね。ちょうどこの辺りだと坂だから上から転がってきたら襲われたって思うかも」
くすくす笑いながら何の気なしにこれから越えなければいけない坂に視線を向けて指差したところで、美月は目を大きく見開いた。
「ド、ドナヴァン」
「なんだ?」
「あっ・・・あれ」
自分でももっとちゃんと声を出せよ、と思うものの驚きで彼の名前と『あれ』という単語しか出てこない。
そんな美月の様子におかしいと思いつつ彼女が指差す方向を見上げると、ドナヴァンも言葉を失った。
美月が指差す先はさきほどまでと同じようなゴツゴツとした岩が転がっている上り坂の荒野が広がっている。
しかし、その中に1つだけ先ほどまでと違うのは、そこにゴツゴツとした岩が動いていたのだ。
「あれって・・・何?」
「あれは・・多分ゴーレムだと思う」
「へっ? でも、あれ人の形してないよ?」
美月が知っているゴーレムというのは人の形をした岩か泥だったのだが、今目の前で坂をゆっくりと降りてくるのはどう見ても人の形には見えない。
言われてみてばなんとなく短い足があって少しだけ突き出た部分が手と頭なんだろうと思えるものの、一目で人の形だとは思えない形状だ。
そんなゴーレムは大きな土砂の塊からその表面の石を出したり入れたりして動かしながら、塊のままこちらに向かって短い足を使ってゆっくりと坂を降りてきているのだ。
「ゴーレムだからと言ってちゃんとした人の形をしている訳じゃない。そういう人型を取るのは人と交戦《交わる》する機会が多くて形状を覚えたか、誰かに使役されてその形状を指定されているか、だよ。美月の知っているのがどんなものか知らないが、この世界ではあれがゴーレムだ」
「どっ、どうするの?」
「とりあえず馬車の戻るぞっ」
ドナヴァンが美月の手をぐいっと引っ張ると、そのまま馬車に向かって走り出した。
「ドナヴァンッッッ!」
「判ってるっっ!」
そんな二人に馬車の方から声が飛んできた。
どうやら向こうでもゴーレムに気づいたようだ。
「ミッキー、そのまま馬車の中に隠れてっっ・・・いや、その辺の岩の影に隠れてろっ!」
「ドナヴァンッッッ!」
「馬車の中だとそのまま押しつぶされたら終わりだからなっっ。その辺の岩陰の方がマシだっっ!」
ドナヴァンは美月の手を離して、彼女にすぐそばにあった大きな岩を指差した。
高さは2メートルほどで幅も同じくらいあるその岩なら、ゴーレムにはすぐに見つかる事はないだろう。
「気をつけてっっ」
「お前もなっっ」
美月は馬車に向かって駆け戻るドナヴァンに声をかけてから、彼が指し示した岩陰に急いだ 。




