7. 荒野越え 1
ガタガタと馬車の揺れがどんどん酷くなっていくのが判る。
ドナヴァンの生まれ育った街であるシュラを出てから3日目、それまでの森と草原が広がる場所を抜けると目の前に広がる景色は一気に緑から茶色に変わってしまったのだ。
それまでは濃い緑の森が草原に点在する地形を移動していたのだが、ある地点でまるで線を引いて色分けをしたかのように、広がる大地の色が変わってしまった。
思わず「さすが異世界」と美月が心の中で呟いたのは言うまでもない。
そんな美月が窓から進行方向を見ると、そこに広がるのは荒野といった感じの風景だった。
ただその荒野は平地ではなくちょっと高低差のある丘陵地帯という感じで、どこまでもデコボコとした風景が見えるばかりだった。
美月が見た感じでは高低差は200メートルほどだと思うが、あまりにも延々と広がっているからもしかしたら感覚が狂っているかもしれない。
そんな荒野には道らしい道はなく、ただ荒涼とした大地にゴロンゴロンと転がっている山小屋サイズの大きな石の間を馬車が走っていく。
それにところどころに土が10メートルほど盛り上げて積み上げたように見えるところも見える。
最初は平地らしいところを馬車は走っていたのだが、今は丘の裾野に沿って少しずつそこを越えるために丘に向かって走っている。
それでも大して外の景色は変化しない。
美月はいつまで経っても変わらない景色に飽きて、はふっとため息をついてから隣に座っているドナヴァンに声をかけた。
「ね、いつまで続くの?」
「何が?」
「この景色。見ててつまんないわ」
「今夜はこの景色の中で野営だ」
「えぇ〜」
こんな岩がゴロゴロしているだけの場所で野営と言われて、美月はがっかりする。
「ここを越えたらあとは草原を行くだけだから、今日と明日の午前中我慢すれば荒野ともお別れだ」
「う〜ん、長いなぁ・・・」
「仕方ないだろう? もうすでに夕方が近いんだ。暗くなると道が悪すぎて移動ができないからな」
ドナヴァンに言われて、確かにそうだと美月も思う。
明るい今でさえ岩を避けながら移動しているのに、これを日が暮れてからやろうとするとかなりの危険を伴うだろうと言う事はなんとなく想像できる。
「とりあえず今日は峠を越えて丘の上まで移動するつもりだ。そこまで行けば見晴らしもいいから野営も安全だからな」
「そうなの?」
「この辺りで何が怖いかっていうと、見通しが悪い事だからな。見晴らしがよければ害獣から身を守る事もやりやすいだろ? とは言っても一応岩を背にして背後を守れるような場所を見つけて、そこで野営するつもりではいるんだけどな」
「ん〜・・・確かにね。つまり相手に背後を取られない場所で、その上向こうが隠れてこっちに近寄れる場所を与えない方が安全、って事?」
「ああ、そうだ。この辺りにはあまりレベルの高い魔獣も害獣もいないはずだから大丈夫だとは思うが、それでも気をつけるに越した事はないからな」
「ふぅん」
そんな都合のいい場所ってあるんだろうか? そんな事を思いながら美月はまた視線を窓の外に移す。
「あのな、これでも一応馬車道なんだ。それなりに移動する人間はいるから、2ヶ所くらい移動中の人間が使うための野営に向いた場所はあるんだよ」
「あぁ、そっか。じゃあもしかしたらそこに他の人もいつかもしれないって事なんだ」
「いるかも、な。大体週に幾つかの商隊が移動する程度だからいない確率の方が高いと思うけど、いないとは言い切れないからもしかしたら馬車が停まってるかもしれないな」
商隊だったらいい場所は取れないかもしれないが警戒する人間は増えるから安全だろう、とドナヴァンは付け足す。
「ねぇ、そこまで行けばもっと道は整備されてるの?」
「ん? ああ、そうだな・・・明日になればもう少しマシになるかな?」
「えぇぇぇ・・・明日までこんな道なんだ」
「そりゃ仕方ないだろう? 毎日たくさんの馬車が通るような道じゃないんだ。道があるだけラッキーなんだって思うしかないよ」
「・・・はぁい」
どうやらまだまだ道は険しくなる事はあっても整備される事はないらしいと判って美月はガッカリする。
既にかなり馬車は揺れているので、この揺れはまだまだ続くという事だ。
「馬車酔いしないからなんとかなるけど、この道乗り物に弱い人だと大変よね」
「そうだな・・・まぁそういう人間は最初からあまり移動しないだろうし、金持ちならもっと乗り心地のいい馬車に乗ってるか違う移動手段を使うだろうな」
「違う移動手段って?」
「ま、いろいろ、だ」
「いろいろ、って?」
「竜車とか鳥車とか、手段は色々あるんだよ。ただ、それらはすごく高いから大抵の人は馬車を使うんだ」
「・・・竜車? それに・・・鳥車?」
「ああ、移動に使う魔獣の事だ。竜車は力も強いから一度に数十人移動させられるんだが、数が少ないし珍しい魔獣だから、その分利用料金がものすごく高いんだよ」
竜、とは美月が知っている物語に出てくるような竜の事だろうか?
頭を傾げながら想像してみるが、全く頭に思い浮かばない。
それに、ドナヴァンが言ったもう1つの方は更に想像できない。
鳥、と言ったのだ。
「・・・おっきな鳥って、ダチョウ? いや、でも、一度の数十人なんて乗れないよね? でも・・・」
美月が知っている鳥の中で一番大きなものはダチョウだが、どう考えても1人乗れるかどうかだろう。それより大きくて数十人乗れる鳥、と言われてもどんなものなのか想像すらできない。
「でも鳥っていうくらいだから、空を飛ぶ? だったら・・・でも・・・ううん・・・」
ぶつぶつ言いながら頭を捻って竜車と鳥車を思い浮かべようとする美月を、ドナヴァンは口元に笑みを浮かべながら見下ろす。
「う〜ん・・・判んないわよ。ねぇ、どんな乗り物なの?」
「どんなって、竜車と鳥車、としか言いようがないよ」
「えぇぇぇっっ。だってそれじゃあ説明になってないじゃない。もっと私に判りやすく説明してよ」
竜車、と言われても全く判らないからドナヴァンに聞いたのに、彼の話だけだと全く役に立たない。
「だ・か・ら、もっと判るように教えてよ。形とか大きさ、とか」
「大きさって言われてもなぁ・・・この馬車の3倍程度の広さかな?」
「3倍って・・・縦長、それとも四角いの?」
「う〜ん・・・楕円形、か3角形?」
「・・・楕円形? 三角形? どっちも似てない気がするんだけど」
「こう・・・卵のような形って言えばいいのかなぁ・・・」
手で形を説明しようとするのだが、ドナヴァン自身見た事はあっても乗った事はないので、よく知らない竜車を美月に説明する事ができないのだ。
「判んないわよ・・・もうっ」
「仕方ないだろ? 俺だって乗った事ないからどんなものだって言われても困るよ」
「そりゃそうだけど・・・でも、もうちょっと細かい説明をしてくれたら判るのにっ」
「無理だよ。そのうち見かける機会があるだろうから、その時まで待てばいいだろ」
「じゃあ、鳥車って?」
「似たようなもんだよ。違うのは鳥車はもっと細長い馬車を引くんだよ。反対に竜車は下に取り付けられてるんだ。それくらいしか俺にも違いなんか判らないよ。まぁもっとも陸をいく竜車もあるけどな」
ドナヴァンの話では、鳥は細長い馬車を引いて、竜車は下に乗り物を吊り下げているという事になる。ほかにも陸をいく流砂と言うのもあるらしい。
とあいえ、なんとか想像しようとしても美月の想像力は大した事がないので何も思い浮かばない。
無理やり想像してみようとすると、鳥車はニワトリが後ろに小さなカゴを引いているような姿しか思い浮かばない。
馴染みのある鳥でさえその程度しか想像ができないのだ。
それより更に馴染みのない竜となると美月はお手上げだ、想像すらできないのだから。
「竜って・・・トカゲみたいなの?」
「トカゲって・・・そりゃ竜に失礼だな」
「でもおっきなトカゲ、みたいなものなんでしょ?」
「トカゲには鱗が生えているだろう? 確かに鱗の生えている竜もいる事はいるが、竜車に使う竜は毛で覆われているぞ?」
「・・・へっ?」
毛で覆われた竜。
もうすでに美月の想像を超えた生き物としか思えない。
「毛の生えている竜が地面を走るのに適しているんだ。反対に羽や毛が生えている竜は空を飛ぶ事ができるんだ。だからそいういった竜は空を担当している」
「・・・はぁ」
「まぁ、人の手に育てられた竜は野生のものと違って、少し色あせた茶色と言った感じの毛色になるんだけどな。野生の竜だとその毛がもっと鮮やかになるんだ。すごく綺麗だぞ」
綺麗だ、と言うドナヴァンは見た事があるのだろう、どこか遠くを見るように目を細めて思い出しているが、美月にはさっぱり判らない。
むしろ毛が生えていると言われて、更に判らなくなったと言った方がいいかもしれないほどだ。
そんな美月の表情を見て、ドナヴァンは苦笑いを浮かべる。
「ま、そのうち見るよ。リンドングラン領では無理かもしれないけど、王都だったら月に数回程度は飛んでいるからな」
「たったそれだけ?」
「だから言っただろ? 数が少ないんだよ。その代わり鳥車はみる機会があるかもしれないけどな」
1度だけ王都に行った事はあるがその時には見なかったな、と美月は思い返す。
「週に1回くらいの割合で飛んでいる筈なんだけど、これも状況によって変わるから定期便とは言えないんだよ。それに馬車の10倍以上の値段だから大抵の人は馬車を使って移動するんだ」
「・・・珍しいから?」
「ああ、いや。それもあるけど馬車より遥かに移動が早いから、かな? 馬車だと道を選んで走らなくキャ行けないけど、竜車や鳥車なら一直線だからな」
まぁ、とにかくそのうち見るよ、と少し説明で疲れたような声でドナヴァンが付け足した。
言葉で説明するよりは見た方が早いから、とそれ以上ドナヴァンは説明してくれない。
そんな彼をジロリと睨んだものの全く堪えていないのが見て取れるので、美月はそれ以上尋ねる事もせず窓の外をボゥッと眺める事にした。




