5. グラスハーン家 2
結局、美月はドナヴァンの膝を枕にして寝てしまい、夕食の準備ができたと知らせるためにドアがノックされた音でようやく目を覚ました。
「ドッ、ドナヴァンッ。起こしてくれて良かったのにぃっ」
「けど、疲れてただろ? 無理させたくなかったんだ」
「うぅっっ・・・・」
少し困ったように、それでも口元に笑みを浮かべてそう言われると、美月としてもそれ以上文句は言えない。
それでも意地を張って上目遣いに睨みつけるが、もちろん効果がある筈もない。
それどころか、そんな顔も可愛いと頭を撫でられてしまう。
「もっ、もうっ・・・と、とにかく早く行かなくっちゃ」
「そんなに急がなくてもいいよ。あと15分ほどでダイニングルームに来てくれって言っているんだから、あんまり早く行くと迷惑だろ?」
「そ、そうなの?」
「ああ、それよりも簡単に服を着替えた方がいいんじゃないのか? 馬車の中だから大丈夫だと思うけど、埃っぽくなってるかもしれないからな」
「そ、そっか。判った」
うん、と力強く頷いてから美月は部屋の隅に置かれていたトランクを開けた。
「ねっ、ねえ、何着たらいいと思う?」
「なんでもいいよ」
「そうはいかないわよ。変な格好してたら印象が悪くなるもの」
「うちの親はそんな形式ばった事に興味がないから、そんなに気にしなくてもいいよ」
「で、でも・・・」
途方に暮れたような顔で振り返る美月を見て、ドナヴァンは小さく吹き出したものの立ち上がるとそのまま彼女の傍へ歩いていく。
それからトランクの中を覗いて少しガサゴソと中に入っているものを物色してから、空色のAラインの膝下10センチほどのワンピースを取り出した。
「そうだな・・・これなんかどうだ?」
「それ、私の普段着よ? もうちょっとちゃんとしたものの方がいいんじゃないの?」
「だから、ただの晩飯だよ。着飾ると周りが気を使うかもしれないぞ」
「そ、そぉかな? でもさ」
「いいから、それにしろ。そのワンピースを着ているミッキー 、可愛いから好きなんだよ」
耳元に口を寄せて、内緒話のように声を潜めてそう言うと、途端に顔を真っ赤にして美月はドナヴァンから彼が手にしていたワンピースをひったくって浴室へと走り去っていった。
そんな美月の耳には、ドナヴァンの笑い声が聞こえてきたが、恥ずかしさのあまり文句をいう事すらできなかった。
「ここまでの旅はどうだった? 大変だったかな?」
目の前の料理にフォークを刺したところで斜め前に座っているドナヴァンの父親のトマッシュ・グラスハーンが美月に声をかけてきた。
美月は慌ててフォークを皿に置いてから、顔を上げてトマッシュに返答する。
「いいえ、それほどでもなかったです。休憩を何度もとってくれたので」
「そうかい? という事はドナヴァンも気を遣う事を少しは憶えたって事だね」
口髭を指先で触りながら、トマッシュ・グラスハーンはからかうような視線をドナヴァンに向ける。
「そうね〜。確かにあなたは相手を気遣うって事しなかったものね」
うんうんとルルーシアは頷きながらフォークを口元に運ぶ。
美月はキョトンとした顔でフォークを手にしたまま目の前に座っているドナヴァンの両親を見つめる。
そして話のネタになっているドナヴァンは、どこかムッとした表情をしたまま黙って料理を食べている。
ドナヴァンに連れられてダイニングルームにやってくると、そこにはすでに席に座っていた彼の両親と父親のもう1人の妻の3人がいた。
慌てた謝る美月に、食前酒を楽しんでいただけだから気にするなといい、美月たちに座るようにと促したのが今から30分ほど前の話だ。
こじんまりとしたダイニングルームにいるのは、ドナヴァンの父親であるトマッシュ・グラスハーン、彼の右側にドナヴァンの母親のルルーシア・グラスハーン、そして左側にトマッシュのもう1人の妻のアルフリーダ・グラスハーン、その3人の前に美月とドナヴァンが座っている。
もっと多い人数が集まる時はバンケットルームを使うらしいのだが、普段家族での食事時にはこのダイニングルームを使うのだ、とここに通された時にルルーシアが美月に説明してくれた。
美月としても、広いバンケットルームよりはこのダイニングルームの方が緊張しなくて済むのでホッとした。
それから美月たちの前に座っている3人は食事をしながら、美月とドナヴァンの馴れ初めを聞いてきた。
ドナヴァンはそんな3人に短く1つ2つの単語で言葉を返していたのだが、それだけじゃ全く判らないというルルーシアは話の矛先を美月に向けてあれこれと聞いてくる。
「この子ってあんまり愛想がないでしょ? ちゃんと優しくしてもらってる?」
「えっ・・・っと、はい」
「言いたい事があればちゃんと言わなくちゃ駄目よ? 言わなきゃ判らないんだから」
「あら、フリーダ。この子、言っても判らない時があったわよ? まぁ、自分に興味のない事はとことん無視する子だったからだと思うけど」
ハァッと大げさに溜め息を吐くルルーシアを見て、ドナヴァンも溜め息を返した。
「あら? なぜ溜め息吐いているのかしら?」
「白々しいな、と思っただけだよ」
「失礼ねぇ」
「あんまり有る事無い事ばかり美月に言ってると、週末まで待たずに明日出発するよ」
「ドナヴァンってば、ルルーを脅しちゃ駄目よ」
慌てたように取りなすアルフリーダにドナヴァンはジロリ、と視線を移す。
「別に脅しているつもりは無いけどね。ただ、言葉に気をつけてもらいたいと思ってるだけだよ」
「ドッ、ドナヴァンッッ」
「なんだい、ミッキー?」
「あっ、あのっっ」
振り返ったドナヴァンは口元に笑みを浮かべているものの、その目は全く笑っていない。
そんな目で見られると、美月は何を言えばいいのか判らずただおろおろとどもるだけだった。
「ほらほら、そんな怖い目をしてるからミッキーが怯えてるわよ」
「いっ、いえっ・・・そのっ・・・」
「ドナヴァン、大人気ない事はしないの」
「・・・はぁっ。大人気ないのはどっちだよ。俺を揶揄うのを止めたらな」
「はいはい、仕方ないわね」
「つまんないけど、ミッキーが困ってるからやめてあげるわ」
軽く肩を竦めるアルフリーダの横で、少し頬を膨らませて不満げに了承するルルーシア。
そんな2人を美月はなんとも言えない表情で見てから、もう一度隣に座っているドナヴァンを振り返る。
何か言いたそうな美月の視線に気づいて、ドナヴァンは軽く頭を振った。
「いつもの事だよ。この2人が揃うといつもこんな感じなんだ。帰って来る度にこれだからな、たまったもんじゃないよ」
「あら? 帰ったらって、滅多に帰ってこないくせに」
「そうそう。この前帰ってきたのって5年も前の事じゃない」
「仕方ないだろ、仕事で忙しかったんだから。俺は遊んでいた訳じゃない」
「そうだね、ウィルバーン様がドナヴァンはよく働くって褒めていたよ」
苦笑いを浮かべたトマッシュがドナヴァンに助け舟を出す。
「私は毎年1度はリンドングラン領に税を納めに行かなくてはいけないからね。妻たちは会えなくても私はドナヴァンとは年に1度は顔を合わせていたんだ」
「そうよね。あなただけ、ずるいわよね」
「ずるいと言われても、それは私の仕事だからね。行かない訳にはいかないだろう?」
ムゥっと唇を突き出して文句をいうルルーシアは、その外見があまりにも若いせいかドナヴァンの妹が文句を言っているように見える。
そんな彼女と対等に話しているアルフリーダは彼女の母親のように見えるし、夫のトマッシュは父親と言われても納得できる。
ハーフエルフだからこその外見なのだ、と美月は改めて思う。
隣に座っているドナヴァンも若く見えるが、その彼よりも若く見える。
「美月、気にしなくていいから。いつもこんな感じなんだ」
「・・・凄いわね」
「俺もそう思う」
ルルーシアとアルフリーダ、それにドナヴァンの掛け合いについていけなかった美月は、ただただ3人のやりとりに圧倒されていた。
そんな美月に苦笑を浮かべてみせるトマッシュのいつもの事だと言わんばかりの態度を見ると、滞在中はこれがいつも行われると覚悟しなくてはいけないようだ。
「そういえば3日後には出かけるって言ってたわよね? このままずっとここにいればいいのに」
「そうそう、ドレクロワよりここの方がのんびりできるわよ?」
「美月に海を見せたいんだよ。それにシーフードが好きだって言ってたし」
元の世界で美月にとって海は身近なものだった。しかしリンドングラン領は内地だったから、美月が時折海が見たいとこぼしていたのをドナヴァンは憶えているのだ。
だから、今回実家を訪ねると決めた時に、海に連れて行ってやろうと考えたのだ。
「海の幸くらいいくらでも取り寄せられるわよ?」
「だから、それだけじゃなくて海を見せたいんだよ」
「ここには湖があるわよ? 結構大きな湖だから、海みたいなものだと思うけど?」
海を見せたいというのに、ここにある湖で我慢しろ、と姦しい母親たちにうんざりしながらも、ドナヴァンは隣に座っている美月の手を取ってそっとその手の甲にキスを落とした。
「ああ、ここで俺も生まれ育ったからシスティカン湖の事は知ってるし、でかい事もちゃんと憶えているよ。でも美月は海を懐かしがっているから俺は彼女に海を見せてあげたいんだ」
「・・・そうなの?」
「えっと・・・はい。私がいたところには海が近くにあったんです。だから、食べるものだけじゃなくて、潮の匂いが懐かしいってドナヴァンに言った事があって・・・」
「海ってスキャッグル国にはドレクロワにしかないんだけど?」
「それは・・・・」
そうなの? と頭にハテナマークをつけてドナヴァンを振り返ると、彼は苦笑を浮かべて頷いた。
美月は自分が『異界からの客人』だという事を公にしていいのか、バトラシアに聞いていない事を今更ながらに思い出した。
「ミッキーってもしかしてスキャッグル国の人間じゃないのかしら?」
不思議そうに問いかけるルルーシアになんと言葉を返せばいいのか、美月には判らなかった。
読んでくださって、ありがとうございました。




